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1901(明治34)年7月〜8月
タイトルに「國朝宮史一節 抄於北京宮城乾清宮 岩原大三郎」とあるように,伊東忠太のノートではない。忠太は,1901(明治34)年7月から8月にかけて,東京帝国大学からの学術派遣の名目で中国北京禁城の調査に訪れているが,岩原大三郎はこの調査に通訳として参加。ノートは紫禁城調査の折に,紫禁城乾清宮内に存置した『國朝宮史続編』の第六函・第七函の一節を岩原が書き写したものと考えられる。
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