■ 表 彰  一般社団法人日本建築学会北海道支部
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「北海道建築賞」「北海道建築奨励賞」講評

第39回-2014年度

北海道建築奨励賞 大杉 崇 君 「イヌエンジュの家」の設計
 札幌市手稲山ふもとの傾斜する宅地の中央に大きなイヌエンジュの木が生えていたのである(イヌエンジュは九州?北海道にみられる豆科の落葉高木で高さ15mほどになりその実はサヤに入っていて食べることもできる)。
 この家は、イヌエンジュをコの字型に囲うように、傾斜地に沿って徐々にレベルを上げながら、8畳間ほどの小さな空間が反時計回りに方向を変えつつ連続していく構成となっている。エントランス上部から別れて時計回りに回ると正面2階のアトリエ空間である。中庭に向かってそれぞれの部屋が開いているのではなく、中庭からの光をくまなく取り込んでいるのでもない。むしろ中庭のイヌエンジュは視覚的にも意識的にもところどころに垣間見えるだけで、直接的に眺めたり木陰を楽しむということではなく、その存在を間接的に心のうちに感じながら時を過ごすことを意図しているかのようである。
 全体的に独特の空間構成となっているものの、設計者としては奇をてらおうとしたものではなく、イヌエンジュへの想いと土地の気配に対して素直に空間を呼応させていった結果であろうことが感じられる。図面や写真からはわかりにくいが、場面場面での景色と反射光の光量の変化が秀逸であり、審査員全員が好感をもった心地よさが確かに存在している。
 重力換気や断熱やディテールなど現在の北海道における住宅設計のなかで上質なレベルに達しているものの、先鋭的な考え方や傑出した技巧が あるわけではない。とらえようによってはきわめてスタンダードな住居と言えなくもなく、流行的ではない安定感があり、むしろ普通であることの大切さを主張しているとも言える。
 しかしながら、物理的にではなく無意識的な心の内面においてイヌエンジュの枝の広がりの下に抱かれて暮らすという奥深い感覚を喚起しているという点において、この住まいはとても絶妙に出来ているように思われる。北海道のアイヌの人々はこの木を「チクペ二」と呼び、人間の生きた標(しるべ)としたそうである。大きな木があればそれに寄り添いたいという気持ちや、その下に座りたいという心持ちは、人類が遺伝子的に持ち続けている潜在意識ではなかろうか。それをあくまで目ではなく心に感じさせる全体構成である。樹木を強調する空間ではなく、樹木におもねることなく、そっと寄り添い、たまに会話するような空間になっている。
 「イヌエンジュは30年前から住んでいた住人であり、この住人とコミュニケーションを育み、30年後が楽しみ」という設計者の想いが、スパイスのようなストレートさではなく、隠し味的な謙虚さで込められているところがとても魅力的であり、その点においてこの建築を大いに評価するとともに、設計者の環境としての空間づくりの将来性に期待したい。

(文責:平尾稔幸)

北海道建築奨励賞 海藤 裕司 君 「伊達市総合体育館 あかつき」の設計
  東日本大震災以来、災害時における住民の安全確保の関心が以前よりも高まり、また公共施設に求められる役割も大きく変わりつつある。特に日常の施設機能に加えて災害時機能が強く求められる傾向がみられる。公共施設における災害時機能とは、インフラが遮断されても一時的に生活できる環境を確保することであると考えた場合、そのための設備の増大とそれに伴うコスト負担が問題になる。こういった機能は結果的に利用されない可能性もあり、また日常の施設機能にはその恩恵がほとんど感じられないことも多く、過剰設備として議論されることもある。災害時の機能を併せ持つ公共施設のあり方は未だ模索の段階にある。
 本計画は東日本大震災以前から計画された市の総合体育館であり、メイン・サブアリーナとプールを併せ持つ複合体は市民の生涯活動の拠点として位置づけられている。一方、災害時にも避難施設として機能することも等しく重要な機能として掲げられている。このように日常の体育施設機能と災害時機能を両立させるという現代的なテーマに対して、本計画では説得力のある解決案が提示されている。具体的にいうと、災害時における建築的な対処技術が日常利用にとっても価値のあるものとなり、またその逆も成り立つことで、トータルとして過剰な設備投資を避けつつ無理のない施設運用を図ることが意図されている。「通常利用から災害利用へのシームレスな移行」という設計者の姿勢からも、本計画における方向性を読み取ることができる。
 重要な手法として建築のコンパクト化が試みられている。災害時に避難者の居場所となるメインアリーナと、救援物資保管場所となるサブアリーナを一体化させることで両者を機能的に結びつけるとともに、外壁面積の縮小によってできるだけ暖房エネルギーに頼らない状況をつくりだした。このことは、日常利用時の暖房エネルギー削減や躯体減による建設費削減をもたらした。またエネルギー面については、全ての熱源を地場の木質ペレットによるボイラーとして災害時においても備蓄と域内供給によってまかなう体制を確立している。維持管理をしっかり行うことで安定した運用を可能にし、その結果他のエネルギーとの2重化による過剰な設備投資を避けることができた。さらに自然光利用の工夫とし て、メインアリーナのハイサイドライトは日中時に照明不要の避難場所環境をもたらしたが、このことは日常の照明負荷の削減に大きく寄与している。しかしそれ以上に、ポリカーボネート版による拡散光によってスポーツの場にふさわしい均質で明るい光環境を作り出すことに成功している。直射光を遮蔽するディテールや自然光拡散を阻害しない架構形式を含め、設計者の工夫が結実している。
 以上に見られるように、日常利用と災害時利用の技術を融合させて無駄のない仕組みを構築することが具現化されている。実際の計画に当たっては、市が主催する「総合体育館等建設検討会議」において、スペック、規模、エネルギーなどの方向性が議論されており、その結果ぶれのない強固なコンセプトが導かれたことも成功の要因であろう。
 広々としただて歴史の杜防災公園に佇む個性的なファサードデザインは、安全性に裏打ちされたシンボルとして新しい風景をつくりだした。市民にとっての公共施設とはどのようなものかという問いに対して、ひとつのモデルを確立した設計者の手腕を高く評価したい。

(文責:加藤 誠)

第38回-2013年度

北海道建築賞 佐藤 孝 君 「北海道工業大学体育館"HIT ARENA"」の設計
 工科系私立大学である北海道工業大学につくられた、スポーツ系の機能を中心に構成された複合施設である。計画にあたっての2つの大きなテーマは、キャンパス内に点在する既存の体育施設やサークル棟を集約して学生にとってコミュニケーションの場となるべく利便性を高めること、さらに本学研究者による積雪寒冷地における環境技術の反映と実証を行うためのモデル施設となることであった。佐藤孝教授を中心とした建築家チームは、かつて同じキャンパス内において約30の講義室を集約した新講義棟Gを手がけている。ここではオープンで広がりのあるアトリウム空間を教室群で囲い込む構成が採用された。自然光が降り注ぎ、温熱環境が安定する街路状のアトリウムを内包する構成は、学生にとっての快適な居場所をつくりだし、寒冷地における施設モデルとして広く評価された(2002年度北海道建築奨励賞受賞)。今回計画では、新講義棟Gで試みられたアトリウム空間の手法を発展させ、さらに人々が集まる「広場」の特性を現代的に援用することで寒冷地に相応しい公共空間のあり方が提案された。
  具体的には、主たる施設であるメインアリーナを「広場」に見立て、周囲を小さな容積の空間が取り囲むことで賑わいを創出することが意図された。全体の構成は、ひとつの焦点や中心軸をあえてつくらず、大仰な印象から逃れることが意図されている。その結果、体育施設でありながら人間的スケールが感じられる心地よさが得られた。学生の日々の生活において予期せぬ風景や出会いが生まれ、あたかも雑踏にいるような気分を感じることができる。このようなアリーナのようなビルディングタイプでは、大規模な架構デザインの美しさや技術的工夫を表現の中心に据えるものが多いが、本計画では「広場」というテーマを用いながら親密な空間を実現できたことが大きな成果であろう。
  メインアリーナを諸室で囲いこむ空間構成は、もうひとつのテーマである環境技術の活用という点においても大きく寄与している。寒冷地では通年の安定した温熱環境を確保することが求められるが、アリーナ壁面の大きなコンクリート熱容量と外皮の高断熱性能を併用し、相互の熱特性を活用することによって低負荷で快適な温熱環境を維持している。非暖房時においても安定した温度環境を維持できるため、冬期災害時における避難拠点のモデル施設として位置づけることも可能であろう。そのほかソーラーパネルの壁面利用や地中熱ヒートポンプの効率利用と通年活用など、すでに知られた自然エネルギー活用のシステムをより高度に洗練させて実用性を高める工夫がなされている。
  採用された環境技術が表出するファサードデザインにも建築家の個性がよく現われている。コンクリート打ち放しのマッシブな量塊に、直壁の太陽光パネル、日射遮蔽のための庇、奥行き深く穿たれた開口部デザインなどの要素が、多少乱雑さを残したまま配列されている。抽象性や洗練性といったものに対する過度の追求を避け、手の痕跡を残しながら親しみのある風景がつくりだされた。
  建築家が培ってきた寒冷地におけるアトリウム空間の手法を発展させて普遍的な形式を導いたこと、さらにこれらの形式や手法を個性的なデザインとして昇華させ、キャンパス内に新しいシンボルをつくり出した手腕を高く評価したい。

(文責:加藤誠)

北海道建築賞 五十嵐 淳 君 「repository」の設計
 旭川の中心部からしばらく車で走って市街地を抜けると、あたり一面が広大な田園風景へと変わった。人家も稀にしか視界に入ってこないような、平坦な広がりの中に、自らの存在を主張しているような、またはその反対でもあるような淡く白いボリュームが現れてくる。約10×23mを底辺とするそのボリュームは、住宅というには相当に大きなものであるが、端部が丸められているためであろうか、それはあたかも遊牧民の住居の佇まいに似ているようにも見える。ここでは隣地境界や道路境界などという形式的な枠組みを超えて、全方位と等価に向き合おうとしている所以であろうか。
  ガレージを兼ねた半円形の半外部空間からエントランスへと至ると、内部には贅沢なまでに大きな空間が広がっている。延床面積は約280uにも及ぶが、ある意味で構成はシンプルなワンルーム空間である。例えていえば「日」の文字を描くように、全体の外周壁に沿って、あるいは内部を大きく二分するように、幅約2mのゾーンが設けられている。これらのゾーンは、生活の種々の現実を受け止める水回りや収納、あるいは半外部の中間的なスペースとなっている。つまりこの住宅の主たる空間は、内部/外部と内部/内部のいずれにおいても、このゾーンをクッションとして関係づけられているといえる。中でも内部を中央で二分する水回りの領域の存在は、上部から降り注ぐ光の効果も相まって、単に中間領域的なもので内部を包み込むような空間のあり方とは異なる立体感を創り出している。
  さらにこれらの構成的な操作に加えて、空間のあり方をより純粋にかつ美しく見せるために、徹底したフォトジェニックな操作が為されている。各スペースを関係づけるテーパーの付けられた大きな開口部、細い鉄筋で吊られた外周に沿った床、2×4材の梁による均質な架構表現などによって空間は抽象化され、光の移ろいと空間の見え隠れとによって現象的なものと関係性だけを浮上させようとしている。これらの各々の操作は、いずれも作者が近年試みてきたものであり、この作品においてそれらがひとつのベクトルに向かって結実しているように見える。その意味において、まだ若くして作者はひとつの集大成を創り上げたともいえるだろう。
  北海道の建築家にとって、中間的な領域は大きな関心であり、これまでにも多くの試みが為されてきた。しかしここでの作者のように、それを建築全体の問題として引き受けて、細部に至るまで全てを徹底して構想しようとすることは稀であったように思われる。表面的あるいは部分的に止まることなく、また"北海道らしい"という既成の枠組みを安易に出立点とすることなく、地域環境的なものを含め様々な条件を自ら咀嚼して、建築全体を大胆かつ繊細に構想していくこと。重要なのは、北海道の問題を必然として受け止めながらも、そのような閉域を超えたところにまで建築表現の可能性を開いていくことなのだろう。逆説的ではあるが、地域的な問題に深く徹底して取り組むほど、外部へと広く共鳴していくものなのかもしれない。北海道の建築家でありながらも、"北海道の"という枕詞なしにも広く語られ得ること。これこそが、作者が北海道にもたらした最も大きな功績であるようにも思われる。

(文責:山田深)

北海道建築奨励賞 石塚 和彦 君 「SPROUT」の設計
  琴似発寒川沿いの住宅街に建つこの作品は、その変形したプロポーションと赤い板金外装により、造形に走った、少々気をてらった作品ではないかという第一印象を与える。

  敷地22坪、延床面積119u。
  「狭さ」への取り組みは、現地審査を行って納得させられた。
  敷地形状に合わせた1階平面形状、その隅切った部分に玄関が配置されている。
  内部はディテールまでしっかりとデザインされた階段を中心として、レベル差を持ってつながる分節された空間で構成されている。一つ一つの要素は決して十分な広さを持たないが、周辺との隔たりを作ることで、狭いことの「落ち着き」「心地よさ」を作り出している。   居間やDK、浴室は大きな開口で外部とのつながりを持ち、その狭さを感じさせない。
  「狭さ」はその空間と周辺とのつながりで印象に変化をもたらし、多様な展開を導き出している。
  作者は、密度の濃いデザインで、ここにたくさんの仕掛けを詰め込み、そしてその精度が高い。特に光の取り扱いが上手く、開口の絞り込みや開放による操作で内部の光が充実している。
  階段室・廊下を活かした、光井戸や自然換気の工夫、床下暖房なども大袈裟でなく機能を形にして心地よくまとめている。
  車好きの施主ならではのガレージの仕掛けや、玄関わきに設えられた訪問者のための小上がりなどは、遊び心と施主との信頼関係によりもたらされたもので、このプロジェクトが成功していることを物語る。
  住宅は、少々抑圧された狭隘な空間であるからこそ、そこに不均質な光や外部との関係性において多様な「居場所」が形成される。
  まさに、ここで展開されたのは、「狭いが故の豊かな居場所づくり」であったと確信した。


(文責:久保田克己)

第37回-2012年度

北海道建築奨励賞 植田 暁 君 「TU3」の設計
 描かれた平面プランと実際の空間から受ける印象が大きく異なる建築である。図面から受けた印象では、四角い箱にアメーバー状のコアが4つ入っているだけの空間で、隙間の変化と連続性が面白そうだと思いつつも、それが最近の建築によく見られるシンプルな不定形空間に類したものなのか、そうではなくて独特の力を持ったオリジナルな空間なのかは解らなかった。 しかし実際に訪れてみると、外部空間はこの場所の歴史的背景と街区の家並を緻密に調査してそれらの要素が織りなす文脈を周到に読み解いたうえでさりげなく構成されていた。静かに存在を主張しつつも決して突出せずに微妙に周辺と調和した佇まいは秀逸である。 内部空間は全く予想できなかった力強さに溢れていた。
 設計者は薪ストーブコーナーについて「火を慈しむ原初的な経験の場を維持したい」と説明しているが、そもそも人が憩う場所とは窪みであり房である。数万年の昔から人々は洞窟などで暮らし続けて、その後住居を作り出したがその原点は房である。そこで生きることの基本は食う・寝る・育てる ・作るといった行為であり気・光・火・水が主要な要素であることは現在でも変わらない。
 この家は原初的な空間に満ちている。房としての空間があり、太古からの感覚を彷彿とさせながらの21世紀の生活を成り立たせている。洞窟・竪穴住居・伝統的歴史的住居・近未来的非個室型住居など古今東西の様々な住まいの要素が凝縮されている。  4つのコアのうち、分厚いアクリの曲面で囲まれた中庭は、ショールームのような冷たい硬さを予想したが、むしろ鈍重でシンプルな光に満ちていて、月明かりの時を是非とも経験したい想いにかられた。
  寝室は、3人という数に規制されるものの、まさに地下住居のような房そのものである。イングルヌック(スコットランド語で暖かく居心地の良い場所)と名付けられた薪ストーブコーナーも、火と人との縁のようなものを想起させる。小部屋は、頭だけ空中に出せる小さなトップライトと相まって楽しく籠れる場所である。  四角い外壁に囲まれたコア以外のスペースはもちろん単なる余白ではなく、主要な生活スペースであり、連続的に変化する濃密な空間で作る・食べる・くつろぐ・読むなどの行為が行われる。
  直線的均質空間の中での暮らしは数千年の歴史を持っているが、この家の不定形空間は数万年か数十万年の時の流れが息づいているかのようである。  水平力を負担する断熱パネルや、枠を見せない開口部・隠しスイッチなどの突詰められたディテールも傑出した完成度の一端を示している。なによりも評価したいのは、この建築には永くゆったりとした時間が感じられ、人間の遺伝子的感性を刺激して、住居の根源を垣間見せてくれることである。

(文責:平尾 稔幸)

北海道建築奨励賞 小谷陽次郎 君 「陸別小学校」の設計
 近年、北海道で建築される学校建築の空間の質が上がってきている。地場材としての木材の積極的な活用と、積み重ねられた寒冷地の建築技術が自由で豊かな空間の獲得を可能にしている。 地域の子供達は、幼児教育、小学校、中学校を通じて同じ境遇、同じ空間で永い年月を共に過ごすこととなる。父兄を含めて考えると、地域にきわめて密着した重要な施設である。  この新しい小学校も、生き生きとした子供達の活動の場として機能している、来訪者に接する時の子供達の明るい快い受け答えからもそれを感じることが出来た。  陸別小学校は、既存の体育館をリニューアルして残しながら計画された、平屋建ての木造を感じさせるコンパクトな小学校である。
 陸別町は、北海道の中でも寒暖の差がきわめて大きく、厳しい気候条件の地域である。小学生達の活発な活動を確保するためには、断熱、気密、環境づくりとしての設備計画等の高い建築技術の水準が求められる。環境負荷の低減のみならず、自然光や通風への配慮など、子供達の生活空間としての快適な空間を確保する事にこのプロジェクトは成功している。
  小学校全体を通して、木材がふんだんに用いられている。構造材、床や壁などの仕上げ材、とりわけ子供達が肌で接する箇所は優しいディテールで木材の持つテクスチャーと触れることが出来る。皮膚から吸収されるものに対する感覚と価値観は、子供達の今後の成長に大きく左右することになるだろう。  多目的ホールは、本計画の大きな特徴でもある。昇降口に接した大きな空間は、音楽室、家庭科室、理科室、図工室などの特別教室にも接し、特別教室での活動と分節されながら一体となっている。図書スペースも兼ねた大きな空間は、子供達の目的外の活動を許容する自由度の高い使い方が想像できる。空間的には、三次元の曲面で変化する空間が、大きな空間の持つ単調さを減じ、子供達の活動の新しいきっかけを誘発しそうだ。普通教室の北面に連続するワークスペースも教室との境界を曖昧に連続し、オープンで枠にはまらない教育の空間として、魅力的な空間として実現している。  山あいに建つ小学校は、控えめに構成され水平線の軒線と、緩やかにふくらむ多目的ホールの屋根型のシルエットがこの小学校の性格を示している。おさえられた黒に近いモノトーンな建物の色彩計画は、緑の多い背景と合わさり、新しい風景を生み出した。 子供達は隣地の木造の陸別保育所を卒園し、この新しい空間で更に6年間を暮らす事になる。この作品の持つ、地域の子供達の為のあたたかい空間の在り方は、今後の北海道の学校建築の中で継続・発展させてゆくべき質を多く含んでおり、優れた作品として評価できる。

(文責:鈴木 敏司)

第36回-2011年度

北海道建築奨励賞 赤坂 真一郎 君 「フツウ・ノイエ」の設計
 藻岩山西側に刻まれた谷間に沿って開かれた住宅地。その最端部にこの住宅は静かに建つ。道路よりおよそ1層分下がった敷地を見れば、これより先には谷間と深い森林の他に何もない。ここだけを取り上げれば別荘地と呼ぶほかないような環境が、札幌の中心市街地にほど近いところに存在していることをあらためて認識する。
 約7.2×7.2mを平面とするほぼキュービックな住宅である。道路からブリッジを渡ってアプローチする2層部分に水回りとダイニングが、また1層部分にはリビングと寝室ともなるフリーなスペースが、田の字をガイドラインとするかのように、それぞれよく整理されてつくられている。ある意味でごく"普通"のこの基本構成に対して、その一角に吹抜けとテラスが交叉しながら楔のように入り込むことで、さらに開口部もここに集約されることで、様々な豊かな表情を内部につくり出している。例えば、木々の間を通して入り込む光の他にも、アルミ壁に反射した間接光や、障子を通した柔らかい光などが、時間とともに繊細に輻輳する。また樹木の緑や陰影も、空間の表情に変化と緻密さを与えている。
 ここでの作者の創作の意図は、明確に一点に絞られている。北海道における透明で繊細な太陽光や豊かな樹木による彩りなど、住宅の置かれた自然的環境を微細に捉え、それらに感応することによって住宅を成立させること。それは空間構成を様々に操作することによってそこに現代的な関係性をつくり出そうとする、現代建築の主とした傾向の対極にあるともいえるだろう。このように光などの空間の性質的側面に意味を見出そうとすること自体は、また実にオーソドックスなことでもあるのだが、あえてそのオーソドックスなことに向き合おうとしていることにこの住宅の意義があるように思われる。さらに、ここで為されている建築的操作の数々が、どれも表現としての突出した角が取れて、さりげなくかつ柔らかい全体として、素直に心地よい空間をつくり出していることに意義があるように思われる。
 多くの先達たちの創作によって、北海道の建築が様々なスタイルや方法論を生み出してきたことは事実である。しかし、これらの多様な表現の展開がある一方で、実のところ北海道の建築家たちが深いところで共有財産のように蓄積してきたことのひとつは、意識的であるかどうかにかかわらず、北海道特有の環境に対する感受性でありその方法論であったのではないだろうか。この小さな住宅が優れているのは、作者が環境に対する感覚を磨き、それを建築の方法論としても"身体化"して設計しているからに
他ならない。それは作者個人の経験であると同時に、先達たちが築いてきたがゆえのものでもあるのだろう。ふと作者自身がそのことに気づき、それを主題としてこの小品がつくられた。豊かな自然に囲まれたロケーションにおいて、都市住宅であると同時に別荘でもあるようなこの住宅のあり方は、北海道あるいは札幌における"フツウ・ノイエ"にも見えてくる。タイトルは言い得て妙である。
(文責:山田深)
北海道建築奨励賞 長坂 大 君 「岩見沢の家」の設計
 ところどころに空地も目立つ住宅地の中にあって、約19mの長い箱形ボリュームが倉庫か何かのように、明らかに周囲とは異なる風情で建っている。カラマツの面皮を残して粗く張られた外壁は、すでに渋めの色合いへと変化しつつあるが、周囲に溶け込むというよりは、静かに何かに対峙しているようにも見える。南側に隣接したグラウンドに向けて大きく開いたガラス面からは、種々雑多なものがこの内側に存在していることを窺い知ることができる。
 この長いボリュームの中に、ガレージや個室を収めた3つの箱が間隔を空けて置かれ、それらがブリッジによって繋がれている。作者も述べているように、それはふたつの谷を跨ぐ地形のようである。内部は基本的に構造用合板やパイン材などで仕上げられているが、西側の長手壁面には、アンダーに染色された棚が地形を横断するように全体を覆っている。また、スリット状の開口が視線よりも若干低い位置に水平に長い亀裂を入れることで、この地形のような空間は、箱形でありながらも、全体として外部に近い印象をつくり出している。ワンルームのようにつながった空間であるが、ここを構成しているのは、手摺もない谷のような地形であり、そこを横断する濃色の棚であり、長いスリットである。それは近年多く見られるような繊細かつ緩やかに分節されたワンルームとは異なり、強い要素によって構成されているということができるだろう。
 自然環境の専門家であり様々な趣味を持つ施主が、夫婦ふたりでここをフィールドのようにして住まう。膨大な書籍が棚を埋め、他にも楽器類や陶器、あるいはアウトドア用器具や動物の骨など実に様々なモノが置かれてあるが、それらは施主の活動とともにきちんとした居場所を得て存在しているように見える。施主のこのような生活のあり方があってこその住宅であり、作者とともに施主がこの空間をつくり上げているともいえ、空間と人とモノとの幸福な関係がここで成立している。
 空間のつくり方や素材の扱いにせよ、あるいは施主のここでの生き方にせよ、実にワイルドである。生活に対する強い意志と、そのための骨太な建築。基本的にシンプルにつくられた住宅ではあるが、それは淡泊であることとは対極にあるだろう。あらためて近年の道内建築家による作品群を思い返してみれば、多種多様であるとはいえ、それらの多くが時代の動きに敏感に反応しつつ、主として洗練と美しさを競う傾向にあるようにも思えてくる。そのことは確実に建築の水準を底上げしている一方で、上品ではあるが線の細い様式化へと向かうことでもあるのではないか。道外の建築家によるこの作品が、そのようなことを我々に気づかせてくれるようにも思う。
(文責:山田深)

第35回-2010年度

北海道建築奨励賞 山内 圭吉 君 「白のコラージュ」の設計
 住宅は、居住という行為を成立させることができる器である。そこには、社会の最小単位といえる家族や個人の生活を想起した空間があり、そこで彼らのプライベートに満ちた活動が展開される。
 この作品の敷地は、都市の中の街区公園の隣に隣接している。街区公園は、都市生活を豊かにするための環境として、緑陰や花壇、小運動や休息ができるオープンスペースが提供され、都市生活者のために、都市が提供するオアシスと言える空間である。そこは、誰もがアクセスでき、その空間を使うことが許されている公共性を有している。
 このような空間にあえて隣接し、そこに住宅をつくる。プライベートとパブリック、まったく異なった機能が併置され、しかも双方に対して何らかの関係性をつくるという都市住宅にふさわしいが、それをどのように解くのかが試されるプログラムを設計者は敢えてつくりだした。そこには、都市に存在する建築として求められる公共的側面を取り込み、それを住宅としての空間構成や表現の領域で十分にデザインし、相容れないと考えられる2つの要素を昇華させ、住宅という建築に結実させるという設計者の強い意思を感じ取ることができる。
 このような外的要因に対する明快な意思だけでなく、住宅として十分に配慮された空間構成もこの作品の特徴である。それは、階段を利用した空間移動の際に劇的に体感される感覚である。狭小の敷地ゆえに、4層に積み上がった構成を利用して、異なるレベルからプライベートの領域にパブリックの要素が侵入する。2階のホールに隣接したバルコニーは、大きく住宅の空間をえぐり取り、その壁面や天井面は、鏡面のステンレス板が貼られることで、公園の活動や風景が住宅の中に入ってくるのである。公園の緑や人々の動きが実像と虚像の中に交錯し、住宅の中に外部の風景が織り込まれる。また、3階には、住宅の中心となる居間がしつらえられているが、高さが少し下げられたダイニングの開口部からは、公園の樹木の枝のフィルター越しに、公園での人々の活動が飛び込んでくる。3階という高さがもたらす距離感を巧みに利用し、プライベート空間とパブリック空間の共存を可能にしているのである。さらに階段をつたって4階に上がると、そこにしつらえられた屋上は、意図的に構成された細長いボリュームを公園の方向に軸を取り、公園をも利用しながら、空との連続性というここに住む者だ
けが獲得できる魅力をもたらすことに成功している。外壁色の白も、外部や内部の風景を映し込んで周囲の風景に呼応しようとするしかけであるし、公園からの視線を十分意識した結果でもあろう。まさに、作品名の「白のコラージュ」が具体化されているのである。
 設計者は敢えてこの狭小で変形した土地を購入し、そこに都市住宅を建設した。住宅というプライベート空間であっても、私的な物語に埋没するのではなく、敷地の場所としての意味を汲み取り、都市にどのように参加するのかという姿勢は、都市の中で住宅という建築をいかにつくるのかという設計者の積み重ねてきた思考と技術の結晶である。この作品が与える清々しい清涼感は、設計者の明確な意図とそれを裏打ちした技術の結実から生まれるものであろう。「都市住宅」としてのひとつの卓越した成果として、ここに北海道建築奨励賞を贈るものである。
(文責:小篠隆生)
北海道建築奨励賞 久野 浩志 君 「熊谷邸」の設計
 2階建ての家が建ち並ぶごくありふれた住宅街のなかにあって、一見して明らかに異質な佇まいである。周囲より高くかつ低く、また周囲より細くかつ広く、それは辺りのいかなる住宅とも異なるようなあり方で風景の中に現れる。
 木造3階の塔と地面に約70cm埋められたRC造部分からなる、延床面積80uの小住宅である。塔とRCの低層部分は、敷地の対角線上に雁行するように配置され、その前後には建物本体と同程度のボリュームの外部空間がつくられている。3層の塔以外は人の背丈ほどの高さであるために、これらの外部空間はどこも明るく開放的であり、大きな空や四方の景色をそのまま眺め渡すことができる。外部階段によって、スキップフロアのような感覚で広場のような屋上に上がると、敷地全体および周囲の家々を何か不思議な親しい距離感で感じ取ることができる。そしてこのゆったりとした空間的な拡がりを、高さ8mの塔が引き締めている。一方、庭からも大振りな窓からその様子が窺える半地下の内部に入ってみれば、目線の先に庭の足元が拡がり、それはまさに庭に抱かれてあるかのような心地よさである。GL?70cmが、室内と庭との絶妙な関係をつくり出している。
 つまりこの住宅において作者は、内部と外部、あるいは建築と外構(庭)というヒエラルキーを無にして、それらを同じ土俵において、同等にかつ立体的に解こうとしている。敷地の全体を使って、内部や外部あるいは地面や屋上も分け隔てなく、横にも縦にも同等に関係づけることで、住宅におけるそれぞれの場の関係を新たなものへとさりげなく組み替えている。日常的な風景も、目線を変えれば全く異なったものに見えるものだが、例えばここでは、庭の花々を目前に眺めながら料理をし、地表の草々と同じレベルで繋がったかのようなテーブルで食事をすることは、一般的な庭木や観葉植物を愛でることとは異なる新鮮で心地よい経験となるだろう。そしてこのような地表面とともに空間があることの楽しみは、塔上部の寝室からの俯瞰する視線があることによって、より強調されるように感じられる。
 これらの構成と関係性を純粋に際だたせるために、仕上げは白塗装と白木とに限定され、またディテールには様々な工夫がなされている。例えば、内部からの視界を邪魔しないように、窓枠やハンドルは壁面に隠され、あるいはカーテンレールの存在は消されている。これらの工夫は、高度に洗練されたものというよりも、むしろごく身近なモノを細工したような微笑ましいも
のでもある。細部まで自らの手で徹底して工夫しようとする作者の意気込みは、肩肘張らずにさりげなく全体に融け込んでいる。
 この住宅から感じられるのは、建築というひとつの実体的なモノである以上に、敷地全体に及ぶ空間的な振る舞いのようなものである。建築と外部空間という古今東西様々に模索されてきた関係のあり方にも、壁に対する強い意識がある北海道においてのみならず、まだ展開の余地があることを考えさせられる小品である。
(文責:山田深)

第34回-2009年度

北海道建築賞

西村 浩君

「岩見沢複合駅舎」の設計
 地域のための建築にどのような価値が必要なのか。その答えを与えてくれた建築である。
 4年前のコンペで、主催者であるJR北海道は、「北海道における駅周辺の衰退した現状から、駅が地域における街づくりの核となるように、各自治体と一体となり駅及び周辺整備に取り組みながら駅の復権を目指している」とコンペの目的を述べている。
 これに応えるためには、単に建築自体のデザインがどうであるかという視点ではなく、駅が周辺の市街地に対してどのような意味を持ち、そこでの活動が周辺に波及して、駅を建築することが周辺の市街地やそこで活動する人々に失われてしまった活力を再び起こさせるような「取り組み」が必要なのである。
 まず、建築の側で持たなければいけないのは、不特定多数の人々が単に列車に乗り降りするという行為だけではなく、多様な活動をするための利用にあらゆる対応するということである。この建築には、すべての部分で人間が使うこと、人間が触れること、そして空間を感じることを考慮したデザインが施され、様々な要素を持った複合駅舎として質の高い空間が構築されている。街に向けて大きく開放されたカーテンウォールのガラス壁からは、内部での人々の活動が感じられ、夜間や柔らかな光が、薄暗かった駅前に暖かな光を提供している。また、自由通路部分では、将来の街の発展を支える地域との連絡をスムーズにさせるだけではなく、両側に開かれたガラス壁やその十分な幅員を支える構造が、やはり開放的で軽やかな印象を与え、従来感じることが出来なかった視点から駅や街の中心部の景観を気づかせようという作者の意図が行き届いている。
 さらに、昇降口に至っても、床仕上げを内部から駅前広場に連続化させ、通常は工事区分なども問題からなかなか実現できない、駅舎から周辺地区への物理的連続性を人間の心理的、体感的感覚の部分にまで配慮したところなど、作者がこの建築で何が必要であったのかを明確に表し、しかもその作法は秀逸と言えるものになっている。
 建築に使われている素材の扱い方についても、先進的な作法が感じられる。用いられた素材は、鉄(古レール)、ガラス、コンクリート、レンガである。これだけ聞くと、もう100年前の初期近代建築のごとくであるが、実は、この素材を用いながら、必要な機能を限られた敷地に構成するために、その素材の特徴をもっとも活かしながら構成しているのである。
 駅舎機能で求められる不特定多数の人々が大量に出入りする部分と市民利用などである一定時間人々が滞留して使う部分とを同時に成立させるためにガラスカーテンウォールと光の透過性を持たせつつ、空気の遮蔽を行うレンガ壁という二重の壁の構成で、室内空間の熱的居住環境を制御しているのである。レンガに関してもその積み方を必ずしも建築を構築するための構造要素として見せるだけでなく、透過性を持った壁の表現をレンガとフロストガラスと交互に積むことで実現し、ガラスの外皮とその壁とによって、外部、半外部、内部を積層的に構成し、北海道の積雪寒冷の気候に対応させつつ、駅という不特定多数の人々が日常的に出入りする部分と、滞在し、活動する部分とを併せ持つ、この建築の特徴を平面計画のプログラムとして構成している。素材自体に付着した様々なイメージや意味をいったんそぎ落とし、意匠・構造・設備を一体的に考え、既存の素材に現代の技術を導入して新たな使い方と意味を与えた建築設計としての総合性と先進性に対する作者の高い見識が感じられる。
 しかし、これだけの評価に留めるのでは、片手落ちである。これらの建築に対する先進的かつ洗練された構成と表現だけでは、「駅が地域のまちづくりの核となる」ことはできない。
 重要なのは、建設のプロセスにある。全国規模の公開コンペによって選出された設計者は、自分の案を実現するということだけがこのプロジェクトに付託された内容ではないということに最初から気がついていた。
 「地域を繋ぐ」ということが設計コンセプトになっているように、市民や駅利用者をこの建築プロジェクトに参加させ、市民、企業、行政が協働しつつ、地域のシンボルである駅舎の姿や利用を考え、それに関わっていくことが、疲弊してしまった地方都市の中心市街地を再生するひとつの手がかりになるということを実践したことが、評価される。国内外から5,000名近い参加者を集めた刻印レンガプロジェクトへの参加のシステムや、仮駅舎への感謝を表すイベントから発展した新駅舎や駅前広場で展開される数々の市民の企画によるイベントは、まさに市民が主役で街のシンボルが誕生した証である。その活動の舞台である駅舎には、駅という機能だけではなく、地域の公共(パブリック)としての空間の質を獲得されている。建築家は、単に今までの単体の建築の設計に向かう従来の建築家像を越えた、様々な要素や活動をまさに繋いでいく分野にもその能力を発揮し、建築が出来上がった後の時間に対しても関わっていくというこれからの新たな建築家像を伺わせており、そのことでも高く評価されてよいものである。
 地域につくられる公共的な建築には、長い年月や、人々との関わりに耐え、地域の資産になっていくことが求められる。この作品には、きっとそのような建築になっていくであろうと予感させるものが埋め込まれている。それは、この建築に関わった設計者をはじめとする関係者の想いが読み取れる建築を体感できるからであろう。ここに、北海道建築賞を贈り、その栄誉を讃えたい。
(文責:小篠隆生)

第33回-2008年度

北海道建築賞

加藤 誠君

「黒松内中学校エコ改修」の設計
 少子化の進行に伴う学齢人口の減少は小中学校の教育現場と地域に深刻な影響を及ぼしている。かつての施設規模を維持できず、全国的に校舎と学区の統廃合が進められているが、小中学校はさまざまな年中行事を通して地域コミュニティを支える社会基盤システムの中核だった。一方、地球規模では熱環境変動と化石燃料ピークアウトを視野に低炭素社会の構築が急務となってきた。
 このような社会状況を背景に、「黒松内中学校エコ改修」プロジェクトが始まり、1年間の2つのプログラム、地域住民・生徒・教職員への「環境教育検討会」と建築技術者への「エコ改修検討会」への参加が設計プロポーザルの必要条件として示された。この実験的な先行プログラムは度重なるワークショップを通じて、エコ改修プロジェクトの目的と意義を関係者全員の共通認識に高め、成功に向けての強い原動力となった。
 設計者はこのプロセスの中で、「ひかりのみち」による「大きな家」のコンセプトを育み、地方の学校建築がかかえる消費エネルギーの削減・耐震化・老朽化・人口減による機能再編という普遍的テーマに対し、黒松内の自然風土と既存校舎の特殊性の解析によって建築的特殊解を導いた。このことは、20世紀文明の脆弱性に対する解は文化的アプローチに内在することを暗示している。
 「ひかりのみち」は3スパン中央部のスラブを撤去した東西に連続する吹抜け空間で、北に傾斜したガラス屋根からの柔和な天空光で満たされている。「大きな家」を象徴する乳白色に輝くガラス屋根は、細身の鋼管で構成された三角錐形の3Dトラス梁で均質に支持され、リズミカルで軽やかな視覚効果を生んでいる。1階は特殊教室群と管理部門の前庭として授業中や放課後、生徒と教職員、時には町民によって多様な光景が展開され、2階は一般教室としての静けさを保ちながら、両面採光による均一な光環境がガラス屋根からの天空光によって実現している。
 風土特性を生かした自然採光と自然通風および外断熱の徹底による暖房負荷の低減によって消費エネルギーの大幅な削減を達成。「ひかりのみち」で撤去された躯体荷重減による耐震性の向上。外断熱の躯体温度保持による耐久性の向上と修繕費の低減。生徒数減少による機能再編によって創出した豊かな学校生活空間。部分的に壁面テクスチャとして残した解体時の痕跡は記憶を呼び戻す歴史の残像。一変した建築環境は室温や照度、風量などに関心を呼びおこし、生徒による数値測定が日常化した姿は理想的な科学教育。
 「黒松内中学校エコ改修」は改修でしか得られない建築空間を具現化した秀作である。その手法が示す普遍性は極めて高い先進性と規範性を有し、建築における新分野を開拓した。新築以上に労の多い改修において、明確なコンセプトのもと細部にまで挑戦し続けた建築家魂に敬意を表するとともに、建築としての洗練度の高さに賛辞を送る。
(文責:大萱昭芳)
第32回-2007年度
北海道建築賞

佐田祐一

函館市中央図書館の設計
 函館市中央図書館は、かつて道南の行政の中心を任う旧北海道渡島支庁舎の跡地に公募型の設計プロポーザルで選定され実施された作品で、函館市の史跡であり、公園の性格を持つ五稜郭に隣接して建つ。
 三角形の変形した敷地は、最長辺を交通量の多い幹線をはさんで五稜郭公園に接している。いかにも窮屈な利用勝手の悪い敷地の形状は、平面計画上大きな制約になっている。
 利用しやすい図書館を目指した建築は、1階部分の面積を平面計画上最大限に確保しようとしている平面計画から窺える。結果、外部にまとまったオープンスペースを設けず通り庭的な建物に沿ったオープンスペースを設け、五稜郭公園に向かった低いスケールのレンガのファサードの構成が程良いヒューマンなスケールの風景を生み出した。
 正面玄関を入ると光庭を囲んだ空間には、多くの利用者が様々な姿勢でベンチやイスでくつろぐ姿がある。あえて内側の光庭に向けたロビーの空間は明るく、心地よく、軽い飲食やおしゃべりも受け入れられ、利用者にとって肩の張らない敷居の低い、開かれたこの図書館の性格を示している。
 敷地の三角形の形状に沿わせた開架閲覧空間を、最短部9m、最長部37m程の大きな三角形の平面を持つ迫力のある大空間として現出させた。平面形状からくる窮屈な印象に較べ、建築外部の構成からの要素も大きいはずであるが、大変落ち着いた豊かな空間となっている。三角形の頂部から広い辺に向けて、徐々にせり上がる屋根型に沿って空間が構成され、空間のボリュームの広がりが、パースペクティブとの逆の効果として、不思議な空間の納まりとなっている。利用するものには変形した空間を感じさせない。
 ボリュームの豊かさは、同じ空間を利用する多数の利用者にとっても、本を選び、本を読み楽しむ空間として、快適な時間を過ごすことのできるバランスの良い空間となっている。長い壁面にはお話し空間や地域と密接した函館コーナーなどの小空間が入れ子様に構成され、外部との関係を持った変化にも富んだ小スペースを数多く生み出している。
 プロポーザルコンペ以前から市民レベルの参加を見ながら、高度に形成された図書館利用の計画は、この建築の中で素直に実現されているように感じた。結果、この図書館の日常の利用者は大幅に増加している。
 この図書館の持つ複雑な建築プログラムを、無理せず解決し魅力的な建築として生み出した設計者に、図書館建築への豊かな経験を感じる。
 公共建築の在り方が問われている。来館者にとって求められる利用価値の高い機能を、質の高い空間との中で実現させた優れた公共建築として高く評価したい。
(文責:鈴木 敏司君)
北海道建築奨励賞

高橋章夫君

大成札幌ビルの設計
 「京都」(京都議定書の意味)をどのように達成するかという問題だけでなく、地球環境問題は今や建築を考える際にも必須の配慮事項である。建築は、その立地条件によってそれぞれ異なる環境への負荷をどのように軽減するか個別の対応が求められるのが特徴でもある。
 「大成札幌ビル」は、真正面よりこの問題に取り組んだ作品である。
 環境に対する配慮について建築を計画・設計する際に考える場合、それは、何か1つの技術で解決できるわけではない。断熱、冷暖房システムといった室内環境技術だけではなく、それらを効率的に生かすことのできる構造、意匠の技術も同時に用いることができなければ、真の環境配慮型建築は生まれない。
 「大成札幌ビル」では、外皮を取り巻くコンクリートの壁は、きわめて高い制震性能を持つ構造体であり、必要最小限にしぼられたスリット状の開口部は、熱損失を極力防ぐための構造と意匠からの解答である。しぼられた外光を確保するために中心部に設けられた吹き抜けには、トップライトと太陽光自動追尾型採光装置より、柔らかな光がほぼ無柱に近い執務空間に適切に届いている。また、内装がほとんどない室内には、床に埋設された冷温水配管を施し、熱負荷の大きいコンクリートの躯体を使った躯体蓄熱放射冷暖房を行い、さらに床全面吹出空調システムの採用により気流を感じない快適な室内環境を達成している。さらに、平面計画として、固定化されないワークスタイルの実現を図るためにユニバーサルで、可変のオフィスレイアウトを行い、ユーザの利用の変化にも追従することを目指した新たな事務所空間が実現している。
 環境への配慮といった時にもう1つ重要なこととして、建築の周辺環境に対してどのような配慮がなされているのか、街並み・景観、あるいは地域の持つ独特の文化への配慮という点がある。CASBEEの評価項目を考えてみてもこの点に関しては、もう少し積極的な提案があってもよかったのではないだろうか。
 いずれにしても、このように意匠、構造、設備のそれぞれの技術が、どの分野にも偏りはせずに、適切なアセンブルを行って1つの建築空間が実現していることは、それぞれの個別技術に高い技術力と持っているのと同時に、アセンブルされた技術の積み重ね、組み合わせが快適な建築空間をもたらすことが出来るという洞察力と構築力の高さがなければ実現しなかったであろうし、その点が高く評価される部分である。
 差し迫った地球環境への配慮という命題に、北海道という地域に建つ建築の1つとして真摯なまでの取り組みをした作品として、北海道建築賞奨励賞を授与し高く評価するものである。
(文責:小篠隆生君)
北海道建築賞審査員特別賞

小室雅伸君

当別田園コートの設計
 JR学園都市線と並行して、前面道路と背後の山並に挟まれるようにして、銀色の切妻屋根が数軒適度な間隔を空けながら横に長く連なっている。当別田園コートは、この軒の連なりのひとつとしてある。敷地幅一杯に広げられた間口は30mにもおよび、周囲と連続しつつも一般的な住宅のスケールを超えた伸びやかさを感じさせ、それは何か“村の小学校”のような、質素でありながらも規則正しい律儀さを伴った佇まいにも見える。
 建築の設計行為とは、様々な水準での条件を解くことでもあるのだが、この住宅の設計条件は大きく4つにまとめられるものであった。つまり、@画家夫婦のアトリエ兼住居であり、かつ息子夫婦の週末住宅でもあること、A豪雪地帯における雪の処理、B断熱を含めた構法的合理性、C銀色の切妻屋根をルールとする建築協定、である。ここでの設計作業は、各々の条件にひとつずつ丁寧に応えて積み上げていくというよりは、4つの条件に対し同時に「解」を導くような地点を探ることであったのではないかと思われる。ある意味で大雑把に見えなくもないシンプルな住宅ではあるのだが、ここでの建築的操作は、4つの条件に複合的に応えるものとなっている。  例えば、6×30mの細長いボリュームは、集成材フレームの3×3mをモジュールとしつつ、切妻屋根からの落雪を幅広く分散させるための長さでもあり、ふたつの家族の空間を成立させる“距離”ともなっている。また、落雪によって開口部が埋もれることのないように、連続した高窓から十分な光を取り入れつつ、2ケ所に抉られたテラス部分に掃き出し窓を限定し、同時に、このテラスによって24mの長さの空間が緩やかに分節され、要求された生活空間としての機能にも対応している。建築協定のルールも元来は景観の問題として設定されたものであろうが、ここでは構法・雪の問題としても解かれているわけである。
 つまり各々のデザインが有機的に関連しあいながら、4つの条件に対する“合理的”な「解」として全体が成立しているのであり、ディテールや家具に至るまで余計なものがない。作者の長年にわたる試行の蓄積と相当なスタディの裏打ちがなければできないことだろう。そういう意味において、小品でありながらも力強い説得力があり、北海道の住宅作品としてのひとつの到達点であるともいえるかもしれない。
 重要なのは、北海道の建築としての“作法”のようなものを鵜呑みに前提とすることなく、といってそこから遠く離れることもなく、特殊な環境的条件を含めた様々な条件を素直に吟味し、それに的確に応答しながら全体を構築していこうとする設計の姿勢であるように思う。それは、情緒的あるいは抽象的な既成概念に頼ることでもなく、単なるテクニカルな処理に留まることでもなく、建築デザインを広くそれぞれの地域性へと開いていく契機ともなりうるものだろう。結局のところ、地域性の表現とは、常々の深い洞察からしか生まれ得ないのである。
    (文責:山田 深君)

第31回-2005年度

北海道建築賞

石黒浩一郎君

金箱温春君

保科文紀君

釧路こども遊学館の設計
 「地域に本来の公共建築をつくる」この思いが結実した建築である。
 公募型コンペの実施から建設まで6年近くの時間を要した釧路こども遊学館は、基本設計・実施設計の過程で、地元市民らが組織した「釧路こども遊学館をつくり、育てる会」が、最終的な施設の運営を念頭において利用面だけでなく、展示面、運営面も含めた様々な提案を行った。それを設計者は、ワークショップ等、様々なコミュニケーション・ツールによって丹念に汲み取り設計のプロセスを進めたのである。
 この建築が盛んに利用され、様々な企画や活動が行われている現在の様子を見ると、昨今の利用者不在での公共建築の建設や表面的な指定管理者制度の運用による第三者の公共施設の管理、さらには設計プロセスを無視した設計業務の発注といった問題に対して、設計者とユーザー、発注者の着実で真摯な対応があって初めて、すべての市民に活用される公共施設が誕生するのだということを教えてくれている。
 このような建設プロセスは決して容易ではない、大変煩雑なプロセスである。実施設計というハードの取りまとめをしなければならない中で、同時にこのようなソフトの取りまとめとファシリテートをしていったことに対する設計者の新しい挑戦と問題意識は高く評価される。
 設計者の挑戦する姿勢は、敷地やプログラムに対する建築としての対応にも及んでいる。敷地は、シビックコアとして魅力とにぎわいのある都市拠点を形成する事業エリア内にあるが、そこがもともと鉄道駅であったこと、都市の中心部であったことといったコンテクストは跡形も無くなっている。新たな都市再生の拠点として、合同庁舎も隣接地に建設されているが、機能的に、遊学館とまったく連携するものはない。そのような現在の都市的状況の中で設計者は、「地域の建築」を成立させるために建築の形式性をしたたかに操作することで見事に独自性を表現している。
 建築の内と外を隔てる境界は、ガラスのスクリーンと斜め柱、水平のトラス梁によってみごとに消し去られ、市民に開放された全天候型広場と円形の砂場といった外部的要素は、建築の内部に存在する。内と外の消失である。円形の砂場の上には、卵型のプラネタリウムが4層吹抜の中に浮遊し、さらにはそれと対峙するかのように長円形のループスロープの白いボリュームが今度は2層吹抜を上下に重ね合わせた空間を貫いて伸びる。それぞれは、特徴を持った形態素であるが、それらを包み込む曲線のガラスの外皮によって全体としてのバランスがもたらされている。また、敷地割の特徴から生まれる建築周囲のオープンスペースに沿って変化する視線の角度や位置に応じて見え隠れする形態の重なりの変化が、表皮のガラススクリーンからは想像できない奥行と領域感を与えている。従来の建築が持つ形式性をあえて排除することで、敷地=場所における建築の存在の意味を表現として定位させている。
 子どものための空間、子どもの場=子どもの領分にふさわしい空間のスケールとボリュームの設定という、子どものための機能を有する建築がもたらす形式性に対しても釧路子ども遊学館は異を唱える。大きなスケールの空間のあいまいな連続の中に子どもたちの場をちりばめていることが、そこにある遊具や展示とも呼応して新しい身体性を創り出す。それは、固定化されたプログラムを拒絶することが子どもたちのアクティビティを最大限に引き出すことになるという、子ども=人というこの建築に対する主人公にとって本質的な空間のあり方とは何かという設計者の問題意識の具現化なのである。
 これにさらに寄与しているのは遊具や展示什器のデザインである。得てしてこの種の建築がテーマパーク的になりがちなのは、遊具や展示什器にもその原因があるが、ここでは統一され抑制されたデザインコントロールをすることで、結局子どもたちの活動を主軸とした空間構成が成立しているのである。
 建築自体からも建築とそれを取り巻く周辺からも、その地域からも既存の様々な形式性から離脱することがこの建築の目論見であり、ラディカルな追求であった。しかし、それを支えているのは高度な技術である。表皮が一体性を持った透明ガラススクリーン、個々のボリュームが分節され、自立した構成、そして大きな気積。こういった建築のプログラムをどのような建築技術を用いて解いていくかという点においても、意匠性を失わない。しかし、それでいて構造的技術に裏打ちされた構造設計、釧路という地域の気候を十分考慮してそれに応じた室内環境の設計は、モードに流されない地域の建築としての規範性すらも獲得している。
 以上のようなこの建築に対する様々な挑戦の集積を北海道建築賞として高く評価するものである。
 (文責:小篠 隆生君)

第30回-2004年度

北海道建築奨励賞 藤本壮介君 伊達の援護寮の設計
 噴火湾を見下ろすなだらかな広い斜面に、様々な家々が寄り添って形成された山岳集落か何かのように建っている。その建物の表情は、見る方向によって様々に移り変わり、決して大きくない施設ではあるものの、一見して全体像を把握することは難かしい。また外部とは対照的に真白い内部へと入ってみれば、動線に沿って歩くにつれ、風景が右へ左へと断片的に様々な角度で現れ、そこに一貫したストラクチャは見出し難く、方向を見失いそうになる程である。
 精神障害者が社会へ復帰することをサポートする施設という容易ではないプログラムであり、空間的な体験としても良い意味での複雑さを感じさせるが、ここで為されている建築的操作は、基本的に極めてシンプルなものである。5.4m角のボリュームを、角の一点で接しながら連結していくこと。この部分と部分を接続していくルール(=関係性)のみがまず規定されているのであり、そこに斜面の勾配や屋根勾配、高さと角度の変化などが加わることによって、結果として心地よいスケールの空間と場とが多様に創り出されている。
 近年の建築が、主に都市や敷地条件など建築の「外部」にその設計の論理を求める傾向にある中で、このようにまず建築の形式性を吟味することを出立点とするプロセスは、逆に新鮮でもあり、作者独自のスタンスを感じ取ることができる。多くの建築家によって建築の自律的な形式性が主題とされたことはかつてもあったが、それらは主に建築の論理を飛躍的に再構築するためのものであり、いわば抽象的な水準に止まるものであったように思われる。しかしこの作品においては、作者の眼はおそらく具体性へと向けられている。形式的操作を前提としながらも、それよって実際にどのような空間が立ち現れ関係性がつくられるのか、いわば具体的な可能性を最大限に引き出すための、まさにルールのようなものとしてあるかに見える。例えば先に述べた部分と部分の関係から生まれる空間と場の多様性、5.4m角のボリュームの隙間につくり出されるスケールの良いアルコーヴのような場、様々な方向に開ける風景など、ここでの空間的特質のその全てが、前提となる形式から導き出されているといってよい。
 審査においては、施設の性格上、テクスチャの平板さや外部空間との動線的な接続に対する疑問なども出されたが、ヒエラルキカルではない空間・関係性をつくり出すための作者の一貫した姿勢や、手法・プロセスに対する意識の高さは、作品自体の質と共に、今後の可能性も含めて高く評価できるものだろう。一方、ここでの作者の方法論が、現実に建築の「外部」に広がって存在する具体性との関係にまで敷衍できるかどうか、その点は実に興味深いところでもある。
 (文責:山田 深君)

第29回-2003年度

北海道建築奨励賞

齊藤文彦

小倉寛征

豊富町立豊富中学校の設計
 豊富町立豊富中学校は、地域に開かれた活動を持つ教育施設である。実現のプロセスの中で、設計者の果たす役割と成果を強く感じることができる建築として評価したい。豊富町立豊富中学校は、プロポーザル方式の選定方式で設計者が特定された。条件の中では、住民参加型の設計プロセスをふむことが前提とされていた。利尻富士岳を望む、町の周縁部「緑のふちどり」に位置する教育高齢者福祉拠点の中心施設としての計画が求められた。
 系列別教科教室型の中学校としての空間構成の新しい試みも求められた。系列別の教室とホームベースが階に分節され配置される。何よりもテーマとなっているのは、教室を移動する空間の在り方である。使い手側の学校、生徒、地域住民と設計者の深い議論がなされたことが感じられる。結果としての中庭型の平面計画、サーキュレーションすることのできる中庭をめぐる導線が成功している。参加のプロセスが新しい形式のオープンスペースを多く持った教科教室型の中学校としての豊かな空間利用、生活空間の楽しさの創出に結びついている。それぞれの教科教室が、個性を持った豊かな空間に生まれ変わっていく兆しも感じることができた。
施設は教育施設であるとともに地域に開かれたコミュニティ施設としての性格を持っている。利用時間や、利用動機をフレキシブルに使い分けのできる明快な平面計画となっている。
 体育館は、楕円のフォルムを持つ大きな空間である。鉄骨のハイブリッドトラスは大空間の主要構造であると同時に、活動空間としての動きのある軽快な空間を構成する大きな要素になっている。四季、とりわけ冬期の気候の厳しい地域の活動スペースとして、ランニングトラックが、楕円の平面計画と整合している。形態的にも主張しすぎずに適度な躍動感のあるフォルムを構成している。
音楽室は、利用者側の多様な動機や使われ方としての意志が反映された多目的に利用される魅力的な空間となっている。
 この中学校には、生徒、教職員合わせて200名程の程よい密度の施設として心持良さがある。中学校というデリケートな時期を過ごす空間の構成と質が、荒れ始めていた学校の質を変えたという生徒、教職員、地域住民の評価は、創み出された建築空間の質とその実現プロセスに依るところが大きい。
 雄大な利尻富士を望むサロベツ原野に対し、中学校という性格をあまりにニュートラルに捉えすぎに思える建築に対する答え方、空間のディテールや、素材の選択など、コストのしばりの大きい施設の中での格闘は見て取ることができるが、若干のもの足りなさを感じた。これから増設される給食施設やグラウンド、外構計画などの完成を楽しみにしたい。
(文責:鈴木 敏司君)
北海道建築奨励賞

保科文紀君

和田 敦君

舩場俊星君

エコ・ミュージアムおさしまセンター(アトリエ3モア)の設計
 延床面積約400uの小さな増改築である。彫刻家砂澤ビッキが使用していた住居兼アトリエが、彼の記念館として再生された。元来この建物は旧筬島小学校校舎として昭和10年に建設されたものであり、70年近い長い年月を経ている。増築はわずかにエントランスを含めた下屋部分に止め、建物の原形がほぼそのままの形で残されている。
 日本の最北端に近い音威子府村は、北海道において最も人口の少ない村であり、冬期の厳しい豪雪地帯としても知られる。四方を山に抱かれ、集落というにもいささか寂しいほどにわずかに住居などが点在する風景の中に、納屋か何かのように素っ気なく溶け込んでこの建物はある。
 小さな増改築ではあるものの、それ自体は一般的には決して保存対象とはならないであろう質素な建物を対象としながら、地域の小学校としての記憶をも残しつつ、強烈な個性を放ったビッキの記念館としていかに再生させるかという、難しいプログラムであったと思われる。ここでは小学校校舎としての平面をビッキのアトリエを含めて基本的に残しながら、展示空間としてのサーキュレーションをまずつくり出している。廊下や教室等というプロポーションの大きく異なる空間の強弱を利用しつつ、各々にビッキの作品に対応した多様な空間がつくられている。素材はビッキの愛した木を主として、適所に錆鉄板が用いられるだけに限定され、ビッキの思想と作品とに向き合う陰影ある空間となっている。一方で、例えばかつての子供達の残した落書きなども小学校の記憶として残されており、どこまでが保存され、また新たに手を加えられたのかが半ば判然としないかのように、ある種曖昧な状態として全体が成立している。
 一般に増改築において建築家は、残すべき既存部分と新たに手を加える部分とを明確化することによって、対比と調和との振幅の間において、その関係性を強く表現しようとする傾向にある。それは増改築という条件での、建築の新たな形式や手法を発見していく上での必然でもあり、そこに我々は設計者の思考を容易に読み取ることができる。このような観点から見れば、ここには改修に対する建築としての強い形式や表現があるとは決して言えないかもしれない。しかしここでの設計者は、既存の状況を丁寧に読み込み、決して過剰にならずにさり気なく各々の部分に手を加えることによって、小学校とビッキという二つの記憶に柔軟に応える全体をつくり出すことに成功しているように思われる。
様々な条件においての、建築家の関わるスタンスについて再考を促すような小品である。
(文責:山田 深君)
北海道建築賞審査員特別賞

川村純一君

堀越英嗣君

松岡拓公雄君

モエレ沼公園 ガラスのピラミッドの設計
 長い年月をかけて少しずつつくりあげてきたプレイグラウンド、アースワーク。これが「ガラスのピラミッド」の背景に存在し、この建築に特別な意味を与える。建築が先にあるのではなく、ランドスケープの中の一要素として建築が存在する、今までの建築と狭い意味での外構という関係ではない。そのことがかえってこの作品の新しさとして感じられる部分になっている。
 それは、空間の構成によって明らかになる。建築としての機能諸室は、GL+6mレベルの台地の下に配置され、GLと同じレベルのエントランスから公園の動線の一部としてアトリウム、アトリウム内のGL+6mレベルの人工地盤的な広場、さらには上階の展示空間や公園を一望する屋上展望スペースへの連続性によって、様々な発見的体験を人々にもたらす。このことは、この作品の優れて評価するべき部分であり、建築がランドスケープの中で存在することによって表出する空間の連続性や空間という物的要素をデザインするだけでなく、その中で展開されるアクティビティ自体をデザインするという新たな建築デザインの方向性を示している。
 形態と素材についても大きな特徴がある。非線形な彫刻的形態を持つガラスのピラミッド部分は、見る角度によって違うかたちに見える。1つの方向からの視線を意識してつくられたのではなく、公園という回遊動線の中で様々な視線から形を変えながら意識されるという狙いが見事に実現している。それが周辺のモエレ山、中央噴水などと呼応しながら1つの風景をつくりあげている。この変化は、外観だけではない。南面の斜めのガラス部分から差し込む光は、アトリウムの1F吹き抜け部分に柔らかく降り注ぐ。それに対し、アトリウム2Fの広場に面した北側の垂直なガラスを通して見えるプレイマウンテンなどの光景は、広大な公園に1つのフレーミングをしたようにシャープな風景を切り取ってみせる。このように1つのアトリウムに2つの異なる場が組み合わせられて設けられ、それが一体につながっているところがこの作品の魅力である。一方、建築を構成する素材の用い方についても特徴がある。非線形のガラスのボリュームに貫入する変形直方体には黒発色ステンレスパネルが用いられている。この組み合わせは、「あわせ」と呼ばれるイサム・ノグチのモチーフの具現化であり、ガラスとステンレスパネル、さらには庵治石積みといった異なる素材が直接的にぶつかりながらつくられるコンポジションは、建築的な修辞とは異なった固有の場の感覚をつくり出し、それが従来の建築作品にはない芸術的感動を与えている。
 建築がもっとも輝いて見えるのは、環境を含め、その建築にまつわる社会と、そこで活動する人々と共に活力ある行動を包容する姿全体が、体験する私たちにある種の興奮をもたらすときだろう。建築を生み出すプロセスにおいて、「未来の子どもたちのために」というイサム・ノグチの意志が実現していくのを見るにつけ、現代の社会が建築に対してこのような力を求めているということがわかる。新しい人々集まりが新しい風景をつくりあげるのである。この作品の持つこのような建築の新しい方向性は、真に評価されるべきである。
(文責:小篠 隆生君)

第28回-2002年度

北海道建築奨励賞

佐藤 孝君

鈴木健夫君

北海道工業大学新講義棟Gの設計
 この建物は札幌市にある工科系私立大学の講義棟である。歴史のある大学だけに、キャンパスには既に多くの建築群が配されている。近年の学科再編に伴い新しい教室を創る必要が生じ、大学は施設のエンドユーザーともなる同大建築工学科・佐藤孝教授を中心とする設計チームを編成、建物のプランニングとデザインを担わせた。
 計画にあたりいくつかの建設地が候補になったと聞くが、設計者は敢えて既存の図書館と学生食堂(HITプラザ)の間にあった1000台を収容する駐車場を敷地に選んだ。この選択がその後の計画における可能性と、ある種の困難さをもたらしたことは想像に難くない。即ち、個性的な形態とボリュームをもつ図書館と食堂(いずれも設計は圓山彬雄氏)の間に、どのような形態にせよ新たな建物を配置した場合、既存の建物との間に否応なく空間的な関係が生じ、固有の性格をもつ外部空間が出現する。設計の過程では、対象となる建物の内部空間を創りつつ、二つの外部空間の質を同時に吟味しなくてはならなかった。しかし、パズルを解くようなこの課題に対し、作者は見事な解答を見出した。相対する教室ブロックの狭間に6度の平面的な傾きをもつ全階吹き抜けのアトリウムを抱き込ませることで、建物東側では対面する図書館に平行な壁が正門と主玄関を結ぶ並木道の軸線を強調する一方、西側では食堂の壁をアイストップとする適度に囲われた緑の庭を生み出すことができた。アスファルト路面を車が埋めていた従前の殺風景な景観と比較するだけでも、この配置計画の妥当性がうなずける。今後、道路境界のフェンスを撤去する計画が実現すれば、3つの建物と周辺のオープンスペースは地域の人々にも一層親しまれるものとなるだろう。
 建物の内部も機能的で美しい。大小合わせて29の教室を収容する単純な機能の施設だが、均質な教室の集合がもたらす単調さを救っているのが中央にある4層吹き抜けのアトリウムである。わずかな開角をもつ楔形平面は、授業の合間の短い時間に教室間を移動する学生の「流量」に対応すべくごく自然に導入されたとのことだが、アトリウム幅員の差異は又、吹き抜けを横切るブリッジや壁沿いに直登する階段などと相俟って、無性格な教室から出てくる学生に、自分が今いる場所を直感的に認知させるための有効なサインにもなっている。
 吹き抜け部に並ぶ丸柱、要所に配されたアルコーブやブリッジ、平滑な壁面にテクスチャーを与える木製ルーバーなど、大きなスケールをブレイクダウンさせるデザイン上の配慮があり、アトリウム頂部のハイサイドライトも効果的だ。
 審査の過程で、アトリウムの架構や列柱が装飾的に過ぎるといった評価やアプローチ動線の扱い方を疑問視する意見もあったが、総体的に見れば、計画の的確さと空間の心地よいスケール感が強く印象に残る秀作である。               
(文責:大矢 二郎)
北海道建築賞審査員特別賞 中山 眞琴君 素材・尺度・光の変化による群としての空間設計手法の設計
 川と山を背にした朝里川温泉の一角に、旅館であることを示すサインも見当たらず、また表側に面して一切開口部も無く、それはまさに蔵が群れるようにして、ひっそりと寡黙に佇んでいる。その一見、おとなしくも人の到来を拒むかのような佇まいとアプローチとは、背後の川と山とを借景としつつ、内部に様々にかつ親密に空間を展開するための仕掛けであることにやがて気づくだろう。
 細かく分節された各棟が庭を囲い込むようにして全体が構成されたその内部は、例えば客室や食事室の全室の仕上げが各々異なっており、また地窓や足元の間接照明等によって全体の重心が低く抑えられているものの、尺度に巧妙な強弱がつけられていることなど、素材・尺度・光を多様に変化させることによって、外部とは対照的に一種饒舌ともいえるほどに表現がなされている。全体を非対称にずらしつつ展開する構成、低く抑えられた尺度、主に素材による空間の多様な変化など、ここに見られる建築的特徴は、そのまま数寄屋の美学に繋がるものではある。しかし例えば、廊下壁面に裏使いで張られた杉材、石のようにサンドブラストされたコンクリートブロック、染色されルーバーとして用いられたMDF材など、ローコストと工期短縮をにらんだ上での、素材の徹底した吟味と工法の選択等により、ここでは単なる洗練とは異なる空間的な密度と質を獲得することに成功しているように思われる。商業的空間としてのキッチュあるいは表層的な遊戯に陥る危険性を孕みながらも、その一歩手前で踏み止まっているかに見えるのは、多くの素材と手数を用いながらも、作者はそれらを徹底して吟味しコントロールすることにより、安易な意味へと収束することを回避しているからに他ならない。このように考えると、プログラムや構成論等をベースとする設計手法とは異なり、素材や尺度という具体的なものを疑い吟味することを出発点として空間全体を構築しようとする、スイスをはじめとする現代建築の新たな流れのひとつが、この和風旅館という建築においても微妙に透けて見えてくるかのようである。
 北海道の建築が、一般的な北海道という文脈との関係において表現される傾向がないとはいえないがゆえに、この試みと姿勢がことさら新鮮なものとして映るともいえそうである。
(文責:山田 深)

第27回-2001年度

北海道建築賞 原 広司君 札幌ドームの設計
 この建物の立地する環境は、ゆるやかな起伏をもつ札幌扇状地へ特徴が実感でき、風致地区の網がかかる広大な広がりの中にありながら、国道沿いの喧騒とし、やや混乱した郊外市街地、そして閑静で古い計画的な住宅地が出会う、特殊な状況下にある。しかも、札幌市の長期計画では高次都市機能拠点として位置づけられており、周辺の状況が大きく変容する可能性が極めて高い地区でもある。
 この空間的そして時間的なクロスポイントに立地するこの建築からは、マクロスケールからメゾ、ミクロへと連続する風景性と空間性、素材感と知覚・身体感覚、抑制されながら明快な主張を持つ象徴的形象とディテールにおける入念な論理性を強く感じる。また、これらを支える概念'clopen'は、建築そのものの構造性と空間性を紡ぐだけではなく、マクロからミクロへの環境性、土地の明快な歴史・履歴と予測困難な将来を時間性的な意味でも繋ぎとめることが出来た広義の論理である。
 モダニストとして(作者は嫌われるかもしれないが)正則としての理論性、正統的な空間構成論と構造論とに正面から向かい合って取り組み、そしてオリジナルな建築言語にもとづいて、環境とクライアントが求める複雑で多様な要求を満たしつつ、かつ地域の特性や与えられた敷地形状や微気候などの固有の環境に誠実かつ提案的に対応した、高次な作品である。正則の近代建築理論そして高度のエンジニアリングに基づいた洗練され完成度の高い建築が、20世紀末から21世紀の初頭にかけて、北海道の公共建築において結実したことは、技術性能主義や物理環境主義と、地域性・風土性なる免罪符的な概念に依存してきたこれまでの北海道建築の状況(公的クライアントと設計者の閉塞的でマンネリ的な関係)を深くそして自省的に考えるならば、非常に意味深い内容と背景を見てとることが出来る。
 「新鮮、ラディカルそして洗練」へのメッセージを強烈に発信する作者の姿勢と意思は魅力的である。言語でのみ建築を語り、かすかな記憶のみを頼りながら郷愁と地域性を嘗め回すような建築言語に固執する北海道的?建築論のみが跋扈するマンネリ風潮の中で、モダニズムの正道を歩みつつ、'関係としての建築'から離陸し、21世紀のホリスティックな'環境としての建築'を支えるべき建築理論の地平を希求しようとする作者の姿勢は意味深い。
 バブル期とそれ以降、着膨れた変則的近代建築と地域・風土依存への表層的な志向性(ブランド化?)の蔓延とクライアントと設計者のぬるま湯的な関係によって生まれた建築によって、北海道の風景と街並みは崩壊した。建築設計者の責任は大きい。
 この作品は、20世紀初頭に確立されたヒューマニズムとエンジニアに基づいた建築理論の成果を再確認し、改めて仕切り直しを行いつつ、美しい北の国の姿の再生を求めつるべき現在、ふさわしい作品であり、作者の哲学である。
 (文責:小林英嗣)
北海道建築賞

小篠隆生君

渡邊広明君

遠友学舎の設計
 遠友学舎は、広い北大構内の北端、第2農場のバーン建築の傍らに、楚々とした姿で佇んでいる。背面には密集した住宅地が押し寄せて、雑然とした都市風景が存在しているのであるが、それらを隠すように切妻の大屋根が、東西軸上に伸び、北大構内側から見ると、スケール感のある大屋根の平面が水平に展開し、バーン建築と共に、緑苑のエッジにふさわしい景観を形成している。明治初頭(途中移築されているが)に建てられたバーン建築と、世紀を隔てて建てられたこの遠友学舎との呼応の仕方は、二つの建築とも、風土に対する素形への希求という、共通の根を持つことによって妙なるものへとなっている。
 大屋根の架構が、バーン建築ではバルーンフレーム(後世トラスで補強してあるが)架構によるのに対して、遠友学舎では、集成材の大梁と張弦による架構で形成されている。設計与件としては、特定のプログラムが与えられなかったと聞くが、多様なプログラムを吸収すべき、ユニヴァーサルスペースへの造形に、この始原への遡行ともいうべきざっくりとした切妻の単純な架構と形態を提示した、作者の大胆さと同時に謹み深さに深く敬意を表したい。
 内部の軽快な可動間仕切のスキルや、的を得た素材の選択によってもたされる、柔らかで、親密感のある空間を評価することは敢えて避けたい。それを評価することは、この建築の提示された意味を矮小化する恐れがある。
 現代の建築技術は、多様な表現形態を可能にする。その中で、風土における素形というべきものを再度見詰め直し、一方で、様々な現代での環境技術の先端への試みを凝縮させようとした、作者の狙いが、この建築を実在のスケール以上に大きなスケールをもつ存在としていることを高く評価するものである。 (文責:後藤達也)
2012.03.19 更新
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