日本建築学会北陸支部広報誌 Ah!32号
シリーズ「隠れた建築」

壊されようとしている高岡本丸会館本館

松政 貞治
(富山大学芸術文化学部教授)

【写真1】 昭和10年の高岡電燈
(現本丸会館本館、清水建設所蔵)



【写真2】 古城公園本丸広場付近と
本丸会館


【写真3】 高岡電燈1階営業室の円柱と
カウンター付近(清水建設所蔵)



【写真4】 1階の間仕切りで隠された円柱


【写真5】 会議室現況(旧高岡電燈客室)

  高岡市の古城公園の北西側の、市の中心部と伏木港を結ぶ新しい産業軸沿いに昭和9年に建てられた現在の本丸会館本館は、その誕生の背景、戦後の系譜、優れた建築意匠的価値にも拘わらず現在までの冷遇ぶりを観ると、「隠されてきた」名建築と言わざるを得ない【写真1】。

加賀藩による高岡城の占地は、聖なる二上山をほぼ真北に仰ぐ軸線と風水の方位などを考えて為されたと言われている。一国一城令により城が廃止された後に町衆の中心となってきた山町筋の菅野家の当主が昭和の初めに起こした高岡電燈の社屋を、高岡城の本丸のあった場所の軸線上に計画したものであり、近代化産業である電力を象徴するかのように鉄筋コンクリート構造が採用されている。分離派建築会の創設メンバーであった矢田茂が清水組に入社してからの作品であり、新しく開削された全面道路の軸を含めた三つの軸線が重なる場所性など、様々な「建築的意味」が織り込まれた力作である【写真2】。

ウィーン分離派よりもむしろドイツ表現主義やアムステルダム派の建築に影響されている。ファサード全面のほどよい凹凸の階調が品よく変化を生み出し、垂直水平と奥行きの幾重もの階梯が快活な分節を奏でている。直線的で単純な左右対称の平面でありながら、縦長窓や壁の凹凸などの同一的な部分の反復による統一性と多様性、つまり差異化を確保し、両端の部分を一層分低くした上で僅かに前に迫り出し、塊としても優雅な分節を体現している。新産業の軸線街路の左右どちらの方向から近づいても、ヴォリュームの変化や陰影のリズム感を楽しむことができた。市民は、左右から玄関の前に来るころには、自分たちの歴史的原点の一つである背後の本丸を意識したに違いない。

この建築は昭和30年から20年間、高岡市庁舎として利用された。その間に残念ながら内部は不用意に改造された。和室はなくなり1階の営業室と3階の広間の2本の円柱を中心とする大空間は間仕切りで台無しにされた【写真3,4】。竣工当時の魅力的な雰囲気を残すのは2階の旧客室のみである【写真5】。柱と共に露出された梁は、垂直ハンチや四角面桟(めんざん)が施されて僅かに漆喰の鏝絵で装飾され、ラーメン構造の率直な表現と相俟って豊かな空間を随所に生み出している。しかしオリジナルの風格や品位を取り戻すことは困難ではない。グロピウス流の典型的な近代建築である山口文象設計の黒部川第二発電所(1936)が重要文化財の候補にされる一方で、ペレとル・コルビュジエの中間的な位置づけが可能であり、装飾性からの脱却と、伝統の抽象化という両義性を持つ本丸会館は、県や市の文化財にさえ指定も登録もされていない。高岡の地霊と市民の集団記憶を持つこの名建築を、今、高岡市は解体して駐車場にするという。そろそろ建築学会富山支所としても看過できない状況になりつつあるのではないだろうか。(参考:『万華鏡』196号「本丸会館」の拙稿)