日本建築学会北陸支部広報誌 Ah!33号
本年度の支部活動について

支部長になって思うこと

秦 正徳
(富山大学)







 編集局から何か所信を書いてみては、という依頼があった。所信の意味を考えると気が重いが、短い読みやすい文でいいですよ、と編集諸子に声をかけられたので秋の夕暮れに感じたことを書いている。9月末だが10月中旬の気温である、立山の初冠雪も異例の早さで記録されたらしい。

 過日、本部の理事会で支部長は何をすべきかのレクチャーを受けたのだが、未だに実感がない。実のところ、支部長が理事会に出席することすら知らなかった。皆さんには申し訳ありませんが、やわやわと進水してみてちょっと潮が冷たく感じ始めた頃合いである。

 先の理事会で公益法人の検討資料にこれまでの建築学会の変遷の概略を書いた資料を頂戴した。建築学会は1941年に創設された。設立当初は学術研究を重んじるいわゆる学会であったようだ。設立後6年たった1947年に日本建築学会と改称され、会員相互の啓蒙というか建築界全体の向上の牽引役を目指す学会に模様替えした。その後、1958年には、建築関係職能団体の組織が整い伸長するに及んで、社団法人日本建築学会の性格が確立された。つまり、会員の研究活動を推進するようになり今日に至っているようである。ここでいう研究は、真理探究の学問としてのものだけではなく、むしろ、日常業務に研究的態度を以て臨まれるすべてが研究である、としているところに共感がもてる。このようなことを見聞きして、建築学会は社会にとってどのような存在であるべきかを、今更ながら考え始めている。日常的な探求事の会員相互の交換を進めていくのが学会の原点であったことを知って嬉しく思った。

 建築学会の活動が原点から離れることで、社会から見放された、研究者の業績製造システムになってしまっては困る。とはいえ、現実問題の対症療法だけを狙う情報交換だけになってしまうことも避けなくてはならないだろう。なかなか難しい。この学会は、建築に関する学術・技術・芸術の進歩と発展を図るための先に述べた研究を軸として、建築界に携わっている人達の参加できる環境を整えることが肝要だと思う。北陸支部では、シンポジオンを前支部長である桜井先生が始められた。これは、建築学会の原点に沿った一つの方向だと思う。研究的態度を以て社会とのつながりをいかに続けていくかをさらに考えたく思う。ちょっと功利的だが、つながりを維持するために賛助会員を増やす努力をしてみてはどうだろう。建築学会への期待が聞こえるかもしれない。