日本建築学会北陸支部広報誌 Ah!35号
支部活動報告 2008年度 北陸建築文化賞 受賞にあたって

受賞(作品) : 福井市至民中学校
受賞者 : 有限会社 設計工房顕塾、株式会社 構造計画プラスワン


北陸の建築文化をうけて生み出された
福井市至民中学校


文 : 柳川 正尚 (設計工房顕塾 代表)


図1 至民中学校 全景


図2 しみんホール 外観


図3 曲線を用いた内部空間


図4 様々な授業形態を支える教室空間


図5 中庭からのホームの風景

「チカラある建築」に刺激され生まれた至民中学校
  至民中学校のプロポーザルが開催された夏の平成16年7月3日、JIA北陸支部・富山県建築士会主催の『呉羽中学校魅力の再発見』というシンポジウムと見学会がありました。至民中学校のプロポーザル特定を知らされた直後、その会場に参加していた私は、呉羽中学校のような中学校をつくろうと、決意を新たにしたことを思い出します。
  呉羽山は、若かりし頃から福井で地域の設計家を目指す有志と共に、呉羽の舎(白井晟一氏)や呉羽中学校(吉阪隆正氏)などの名建築に日参した地でした。多くの方がご存じと思いますが、呉羽中学校は、吉阪隆正氏により昭和34年に設計された、素朴でありながら迫力のあるすばらしい建築でした。見学会で中庭に入ると、改修によって様相が少し変わっていましたが、ひょうたん型の中庭を取り囲む、馬鹿でかい栗の丸太の手摺り、桧の窓枠、木製建具が入って、これらが外壁のコンクリート打放しと調和して、力強くやさしい空間だった竣工当時の姿がすぐに思い起こされました。また、中庭を囲むベランダは、様々な用途に使用され、今の学校にはない「工夫して使用すること」によって生まれる自由な空間となっており、ハードとソフトが一体となって先生・生徒の夢を育む工夫が施されていたことに改めて気づかされました。そして、シンポジウムで発表された先生・生徒・卒業生・地域の人の思いあふれる言葉一つ一つを聞き、また「呉羽中学校の50年史 光みつる藤が丘」を読むにつけ、より一層感動が深まり、この「チカラある建築」が、懐かしい思い出とともに、新しい学校づくりへの夢と決意を、私に与えてくれたのでした。
  至民中学校の設計は、そのような呉羽中学校との偶然で感動的な再会の一日からスタートしたのです。残念ながら、その呉羽中学校は、もう解体されてしまいこの世に存在しないことが、極めて残念でなりません。そして、その5年後となる今年7月、思い出の富山の地にて、そんな運命から完成した至民中学校に北陸建築文化賞を頂けたことは、何かの因縁であるように思えてなりません。

未来を見据えた教育を支える器としての至民中学校
  福井市至民中学校は、福井市の郊外住宅地を校区とする生徒数約540名の中規模中学校です。周辺環境の変化に伴う移転改築を一つの機とし、「教科センター 方式」をさらに独自に展開させた「異学年型教科センター方式」という運営方式を採用し、20校以上ある 福井市中学校全体の 教育改革を図る拠点として位置づけられ、計画を進めることとなりました。
  そこでは、これまでの公立中学校の「学び」や「暮らし」を大きく一新させる「改革を支える空間・建築」が求められました。そのため、公立学校として受けるコストの制約は大きいものの、「学校」を単なる「教育施設」とは捉えず、教育・学びや暮らしのすべてが「文化活動」であると捉え、子供達そして地域の人達によって生み出される「地域の文化想像の拠点となる場」としての建築・空間づくりが大きなテーマとなりました。
  その建築、学校づくりの特徴として、次の3つのポイントが挙げられます。

1.新しい教育の実践と一体となった特徴的な学校空間の構成
2.のびやかな建築空間の実現にむけた構造設計・技術との協働
3.使い手・作り手など多くの人が智恵を出し合った学校づくり

  これらは、「時代に応じた新しい教育を目指す」という目標に向かい、運営(ソフト)と建物(ハード)の双方を同時につくりあげるために、教育と建築の関係者がともに刺激し合い、議論し合った中で生み出されてきた特徴といえます。
  そして、至民中学校では、「異学年教科センター方式」を採用し、生徒や先生によって生み出される多彩な「文化活動」としての学び・生活を支え、それらを風景として引き立たせ、新たな文化づくりへの刺激としていくための建築として、「柔らかい学校建築」を目指し、設計を進めてきました。
  現在その中では、活動と建築が一体となって、全国のどこを探してもない、新しい中学校の風景・学校文化が生まれています。福井にお越しの際は、是非一度、生徒・先生・地域の方たちによる活気あふれる地域文化づくりの風景をのぞきに、お立ち寄りください。