日本建築学会北陸支部広報誌 Ah!35号
支所だより 〜福井〜

建築素材の再発見 赤瓦

国京 克巳
(若越建築文化研究所 代表)



写真1 赤瓦の法雲寺本堂


写真2 緑に映える復元赤瓦


写真3 幅復元された舎人門


 どの地方にも特産品がありますが、福井はすいせんやカニが有名です。建築に関係したものとしては越前和紙が有名ですが、江戸時代には笏谷石や瓦も有名な産物でした。笏谷石は地元福井でも花崗岩にその座を奪われて久しく、さらに近年採掘が中止され、その面影はありません。しかし、日本海側各地の神社の鳥居やお寺の石塔や祠、さらには立派な町家の基礎や敷石などに使用されています。笏谷石は研究対象として多くの人が取り上げていますからご存知の方も多いと思います。
  一方、瓦はあまり知られていませんが、笏谷石と同様に江戸時代末から明治時代初めにかけて北前船により福井県から北の日本海沿岸の地域、遠くは北海道まで運ばれ、使われていました。寒い北海道に瓦とはおかしいと思いの方もおいでかと思いますが、ぽつぽつと建物に瓦が使用されているのです。瓦の研究者によると、江戸時代末期には福井の瓦技術が石川県・新潟県・秋田県にもたらされていたそうで、古文書には職人が出向いて瓦を焼いた記述が残っているそうです。瓦といっても福井の越前地方は釉薬を塗った赤瓦で、若狭地方では燻した銀鼠の瓦です。
  しかし、このような繁栄を究めた福井の瓦も時の流れとともに、赤瓦は紺色そして銀鼠に変り、一目ではどこの瓦かもわからないようになってきました。古いお寺の赤い屋根も近年葺き替えによって銀鼠となっています。そして地元の特産瓦は大手瓦メーカーにその販路を奪われつつある状態となっています。また、若狭の燻し瓦は最近生産が中止されたと聞ききます。
  ところがこのような中、福井県では最近赤瓦の復活が新聞紙上をにぎわすようになってきました。福井市の福井城舎人門復元をはじめとして寺院本堂の修理に赤瓦を復元して使用したのです。また、復元ではなく、既存の赤瓦を再用して本堂や町家を葺き直す修理もおこなわれています。このように着実に赤瓦の使用が増えてきています。究め付けは函館でもうすぐ完成する復元奉行所で、赤瓦の量に圧倒されるのではないでしょうか。
  この赤瓦の復活の契機は建物の復元という一時的な要求からでしょうが、民間の建物の修理や新築で、赤瓦が使用されるようになるということは大きな変化です。赤瓦が再び一般の人々に建築材料として認知されたと言うことです。もちろん、昔の技術のままでは採用されませんから現代的な技術をともなった赤瓦の利用と言うことになります。その判断の中心には我々の仲間の建築関係者が大きな役割を果していたことは想像に難くありません。今までどおりのものでなく、一度廃れたものを復活することは並々ならぬ努力と忍耐と情熱が必要となってきます。それも一人によってできるものではなく、多くの人たちの協力があって初めてできたことなのです。
  赤瓦の葺かれた建物をみると、木々の緑と赤のコントラストが実に美しく、一色ではなく光によって赤から銀へと多様に変化する今の瓦にはみられない味わい深さがあります。冬の日本海側のどんより曇った景色に沈む銀鼠の屋並も美しいですが、それが赤い屋並に変ったらどんなになるだろうかと想像するだけで、心が踊ります。
  このように建築素材には時代の流れや生活スタイルによって一度捨て去られたものがたくさんあります。我々建築に携わる者は、現代的な新たな視点をもって、新素材と同じように廃れた素材、忘れ去られた素材に目を向ける必要があります。それは今流行りの環境に優しい材料を使用するということだけでなくて、文化の継承を建築の立場から押し進めるために。