平成8年に国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた福井県若狭町の熊川宿は、選定から14年を迎えようとしています。
その間、地元「若狭熊川宿まちづくり特別委員会」を中心としたソフト事業と、街並みの修理・修景を中心とした景観整備事業により、熊川のまちづくりは着実に進んでいます。
伝建地区としての建物の修理・修景では、地区内に約200棟ある伝建物のうち、これまでに約70棟の修復が完了し、さらに毎年4〜5件の修理が行われる予定であります。
建物の修理・修景については、当初より熊川宿の調査をされ、現在は保存審議会委員長である福井大学の福井宇洋先生や、同委員である建築家の吉田桂二先生、そして文化庁の調査官等多くの方々にご指導を頂きながら進めて参りました。
ここ熊川において特筆すべきことは、住民の方々の多彩なまちづくり活動であります。
伝建地区の選定以来、語り部の養成や、つる細工や山車・てっせん踊りの復活など、活発なまちづくり活動が行われて、このことが景観整備事業と相まって熊川をより魅力的なものにしています。
また、保存審議会委員である西村幸夫先生による熊川小学校での授業や、ヒマラヤ南東のブータンから人を迎えての歴史的建造物保存文化交流など、多彩な文化活動も行われております。
特に記憶に残っているのは、東大教授が我が校へ来たと目を輝かせていた小学生たちや、ブータンの中学生が言った「身近にある建物や伝統文化や習慣を大事にすることは、自身の徳を積むことになる」との言葉です。
この子供たちが大人になり、自分たちのまちや文化を残そうと努力してくれるなら、今、我々のしている仕事は、とても意義のあることであります。
先日、修復が済んだ神社の能楽堂(江戸時代創建)で、約70年ぶりに能が奉納されました。地元住民による祭りばやしもあり、今後は、途絶えていた「浦安の舞」を復活させようとの動きが出てきました。
当初より観光とは一線を引いて、まちづくりをしてきた熊川も、住民の高齢化や空き家の増加、それに毎年増え続ける観光客に対する受け入れと、課題は山積しています。
ともあれ、今熊川を歩く時、先人が残した素晴らしい街並みや文化を後世に残そうと努力している人々の姿を見ることができます。
こうした住民の努力と活動が、伝統的景観の維持を目的とする伝建制度と1つになり、目を輝かせていた子供たちへ引継がれることになります。
200年も前に建てられた建物が、修復され、今後も使い続けられることは、たいへんなことであります。この様な仕事ができることに感謝し、今後もより一層努力を致します。
若狭へ来られたら、ぜひ熊川宿へお立寄り下さい。
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