日本建築学会北陸支部広報誌 Ah!37号
支所だより 〜石川〜 テーマ:「水」

苔の話

円井 基史
(金沢工業大学環境・建築学部建築都市デザイン学科講師)


図1 苔の絨毯が広がる平泉寺白山神社
(福井県勝山)



図2 苔に期待される環境調整効果


図3 苔による壁面緑化の事例
(石川県野々市)



図4 実験試験体の近景
(コンクリートに自生した苔の
温度と蒸発量を計測)



図5 研究室の学生達と「コケツアー」へ

 夏の朝7時、登山レースはスタートを切り、70名ほどの選手達とともに舗装道を駆け上がる。そこは菩提林(ぼだいりん)と呼ばれる老杉におおわれた参道であり、その先の石段を登ると、一面に絨毯のような苔が広がる平泉寺白山神社の境内であった(図1)。水蒸気の立ち込める杉林に朝日が差し込み、木立の合間からこぼれる幾重もの光の筋が苔の海に降り注ぐ。「苔寺(こけでら)」といえばまず京都の西芳寺が挙げられるが、ここ福井県勝山の平泉寺も苔寺として有名である。前々から訪れたいとチャンスを伺っていたが、白山禅定道を標高差1200mほど登るこのレースへの参加を機に、平泉寺の苔を見学することができた。

  北陸は低温多湿の気候条件により、日本で最も苔の生育に適した場所のひとつに挙げられる。昨年、市道拡張に伴い閉園となってしまったが、石川県小松の「苔の園」は、苔の愛好家の間では有名な場所であった。日本三名園に挙げられる兼六園も、雨上がりに訪れれば、苔がとても綺麗なことをご存知だろうか。北陸は年間を通して降水量が多く、湿度も高い。上記の苔たちは、白山山系の豊富な雪解け水の恩恵を受けている。

 苔は和歌に多く登場し、古来より我々日本人の身近にあった。国歌にも登場する。苔は長い年月や古びた様子を表現したり、あるいは死を隠喩することもあった。英語では「A rolling stone gathers no moss(転がる石に苔はつかない)」ということわざがある。「落ち着かず動き回る人には能力が身に付かない」「活動的に動き回る人の能力は錆付かない」と、苔は良い意味にも悪い意味にも使われている。西芳寺は苔寺で有名だが、作庭当初は苔がなかった。南極やヒマラヤに生息する苔、銅を好む苔もある。苔の話は奥深い。

  現代都市における苔は「滑る」「汚い」とあまり良い評判は聞かない。東京などの大都市では、屋上緑化の義務化に伴い、軽量でメンテナンス不要の苔緑化が着目されつつある。庭園や神社仏閣で苔に癒される人もいる。筆者のように、建築環境工学の視点から苔に着目している変わり者もいる(図2〜5)。普段苔を気にする人は少ないだろうが、健気に生きている足元の苔に注目すると、普段の見慣れた景色も変ってくること請け合いである。

 話は戻って冒頭の登山レースは、トップに30秒ほど及ばず2位であった。世界的に有名な登山レースに、東南アジア最高峰のキナバル山(4095m、マレーシア)を登って下るレースがある。このキナバル山、実は苔でも有名である。こちらの登山レースにも、苔の見学を兼ねて一度参加したいものである。