日本建築学会北陸支部広報誌 Ah!38号
支所だより 〜石川〜 テーマ:「震災復興」

私たちにできること

山本 将人
(金沢工業大学 環境・建築学部 建築学科3年)

 東日本大震災の後、「何かしなければ」という気持ちにとらわれながらも、コンビニで小銭を募金することしかできない私がいた。人にはそれぞれの想いがあって、支援にも様々な方法がある。私にとっては、まず今起こっていることに向き合って受け止めることが必要な気がした。
 8月29日、私は金沢工業大学で結成された支援活動奉仕団の一員として宮城県石巻市旧牡鹿町へと向かった。作業日数は3日間。往路の間、この短期間で私たちはどの程度の支援が可能なのだろうか、という不安に駆られていた。また、今だ余震が続いているという物理的な不安と、その場へ行くことでメディアを介して感じたこと以上の衝撃が待ち受けているかもしれないという精神的な不安もあった。

  その場から失われたものがあったとする。そして、そこにあったものの原形が想像できるとき、失われたものの差に比例して喪失感は大きくなっていくのかもしれない。旧牡鹿町に着いたとき、まず感じたのはそうしたことだったと思う。平地では、津波により生活圏がほとんど失われていた。それに対し、山地の集落では、一部倒壊が見られるものの、そこには生活があった。
  3日間の作業内容は草刈りと並行しながらのガレキ撤去だった。人手が少なく手つかずの場所は、雑草に覆われ始め撤去が難航していた。ガレキを運ぶ際、怪我には細心の注意を払うよう呼びかけられた。釘は、汚物だけでなく海の塩分による錆も含んでいる。それに伴い、少しの傷でも治りが遅くなったり悪化し壊死したりする場合がある。しかし、怪我がまったくゼロというわけにはいかなかった。例えば、釘の踏み抜きである。足元の防備は最低限整えておかなければならないのだが、我々のものは十分ではなかった。「鉄製のインソールを一枚敷くだけでこうした被害を抑えることができる」そのように教わった。このことでボランティアセンターの方々には、大変迷惑をかけてしまった。

  最終日、私たちはボランティアセンターの方と話し合う時間をいただいた。その中で、以下の2点が特に印象深かった。
●「情報を発信してほしい」 ― 先日の大型台風では、新たに被害が生じている。そのため、必要とする物資は変化するし人手もさらに不足している。こうした現状を私たちが報告することで広く認知してもらうことが可能となる。まずは、知ってもらうことがボランティアの第一歩となる。情報端末の普及が進んだ現代では、ツイッターを活用することで多くの人々と情報を共有することができる。つまり、「情報の発信」は離れた場所で私たちができる支援活動の一つといえる。
●「一人でも多くの支援を必要としている」 ― それは作業量の問題からではなく、時間を生むことに意味があるためである。仮に、漁師が所有する土地のガレキ撤去を行う。すると、作業を任せている間に漁を再開するための時間に費やすことができる。さらに、撤去が進めば、その土地は市場として機能させていくことが可能となる。

  私は、この3日間の支援活動は些細な手助けにしかならないと当初思っていた。しかし、そうではなく、どんな小さな支援であってもそれが復興へと繋がる確かな一歩になるのだという事をはっきりと感じることができた。