日本建築学会北陸支部広報誌 Ah!38号
学生シリーズ(長野) テーマ:「東日本大震災」

いまできること

輿 恵理香
(信州大学大学院総合工学系研究科山岳地域環境科学専攻 土本俊和研究室)


図1 道路の亀裂


図2 崩れ落ちた法面


図3 壊れた道路


東日本大震災後、考えた。節電と募金のほかに、いま何ができるのか、と。映像を目にするたびに、その事実の大きさに衝撃を覚えると同時に、無力感に襲われる。

■「希望」から
 そんなある日、「希望学」という領域で、釜石市を調査対象に研究してきた東京大学の玄田有史先生からメールが届いた。「応援メッセージを募集します」という内容である。
  希望学とは、希望と社会の相互関係について考察を進めていく研究で、「人はどのようにして希望を持ち、そして失うのか」、「希望は社会とどのような関わりを持つのか」といった、社会のなかでの希望の意味とありかについて、一人ひとりが探求するための科学的プロジェクトである。
  先生はかつて、釜石市での調査で、多くの希望の言葉に出会ったことから、“今こそ、言葉のチカラを信じてみよう”と、この応援メッセージの募集を発案された。今後、釜石市を含めた被災地の支援をおこなっていく上で必要な情報を、現地から集めるための最初のアプローチであった。
  釜石市の被災者は、玄田先生に必要なものは何かとたずねられ、「これから必ず立ち直るので、そのためにも知恵を貸してほしい」と、こたえたという。
  試練や困難をくぐり抜けた先に、希望はみえてくる。東北の人々の心に希望が芽生えるころ、復興のつち音が響くであろう。
  「希望は、各個人にとっての過去と未来とをつなぐ展望を与える」『希望学』

■「信州」から
  私が住む信州でも2011年3月12日、栄村という新潟県境の自然ゆたかな豪雪地が、震度6強の地震の被害にみまわれた。近所とのつながりが強く、高齢化率が45%に上るこの村に、仮設住宅の一画があらわれた。古い民家がたちならぶ村の風景に不釣り合いな異空間にみえてたまらない。
 仮設住宅では、ちがう集落の人とも一緒にくらすことになる。入居者の孤独や孤立に対する不安、村を行き交うことの不便などにも配慮が必要となる。これは、東北で被災された方も同じである。
  9月半ば。実った稲穂がゆれるはずの水田に雑草が生い茂っていたり、被害があった集落内は家屋がこわれたために更地にした場所が目立ったりしている。復旧が進むなかで、村はこれでまでとちがう姿に変わりはじめていた。
  「もう、結構なおしたから、地震のあとはあまりみられないよ」「人は変わらないけど、まちのなかは変わったね。みんなこうして、壊しちゃうからね」と住民はいう。ブルーシートに覆われた通行止めの道、窓ガラスがはずれたまま空き家になった家など、つめあとは深い。
  6月30日、松本市でも震度5弱の地震があった。市内で約6000件の建物の被害があり、我が家の屋根瓦が崩れた。すぐさま、近所と連携して策を練った。地域のつながりを感じた瞬間でもあった。

■これから
  震災から半年が過ぎたが、復興への道のりはスタートしたばかりである。この震災は、日本社会の大きな転換点となった。半面、「物理的打撃」と「精神的衝撃」が入り交じって残った。いえのこと、からだのこと、おかねのこと、あすのこと、将来のこと…。
  「希望をもって生活を前へ進めたい被災者」と「何とか力になりたい人々」がいる。状況が少しでも早く改善していくことを祈りつつ、被災地へ心を寄せ、震災を忘れず、語り継ぎたい。そして、いまできることは、「自分が携わることの本分を尽くすこと」も大切ではないか、と東北の被災地へおもむいていない自分を納得させている。