日本建築学会北陸支部広報誌 Ah!42号

■研究・プロジェクト・技術紹介シリーズ(長野)

「源流の里 木祖村景観計画」作成をとおして

寺内 美紀子
(信州大学工学部建築学科 准教授)



写真1 ワークショップ風景


図1 KJ法から基本方針を導く


図2 アイディア集



写真2 表紙デザインの検討





 はじめまして。信州大学工学部建築学科寺内研究室です。昨年の4月に赴任して、さっそく木祖村からお話を頂きました。長野のことさえよく知らないまま、とりあえず村民のみなさんとワークショップを始めました。この場をかりて、景観計画の内容と、建築意匠・設計デザインを専門とする大学の研究室が地域とどのように関われるのか、私が現在、感じている可能性についてお話しさせて頂ければと思います。

 木祖村は、木曽川源流に位置する県央やや西よりに位置し、山間のとても穏やかで美しい自然に恵まれた、人口3,000人ほどの村です。平成の大合併の時期にあっても、近隣との合併を木祖村は選択しませんでした。長野県を超えて木曽川広域連携があり、歴史的には藪原宿をもつ中山道や、菅古道、飛騨街道といった交通の要所でもある木祖村は、つねに外部との交流があるせいか、新しいもの好きで独立心が旺盛です。しかし、過疎化や高齢化の波に抗えず、こうした問題に直面する村の方々の緊張感は、私たちにもすぐに伝わりました。

 これまでも、別の市町村で景観行政のお手伝いをしましたが、景観計画は大きく2種に分かれると感じています。ひとつは、人口集中を前提とした都市部の景観行政のための方針策定であり、高密度で無秩序になりそうな景観に歯止めをかけるものです。もうひとつは、人口減を前提とした農山村部などの、これまでの景観を維持することへの危機感から、あるいは人口減が引き起こす産業の衰退に対して景観行政をきっかけに新たな取り組みを起こすための計画です。木祖村は後者に属すると思いますが、景観計画を策定した全国338団体(H24.8.1現在)のうち、木祖村のような小規模な自治体で景観計画を策定するのはめずらしい事例だと思います。人口の多い都市部でもなく、観光産業一本の地域でもない木祖村が、なぜ、景観計画をつくろうと思ったのか、どのような景観計画であればよいのか、私たちは村内の有志でつくられた検討部会の議事録をすべて見直し、まず、「語られた言葉」に着目しました。

 全国の市町村で策定された景観計画の多くが公開されており、ウエブサイトなどで簡単に見ることができます。どれも最初の方に、基本方針や基本目標が箇条書きで載せられていますが、忌憚のない言い方をさせてもらえば、どれも似たり寄ったりです。その土地の自然と歴史を大切にし、住民のくらしを向上させようという内容以外のことはほとんどありません。具体的な文言を避ける傾向にありますし、たとえありきたりで平板な言い方であっても、なぜその方針なのか、どのようなプロセスを経て基本方針が定まったのか説明のない場合が一般的です。私たちは「語られた言葉」から木祖村固有のもので、村民の多くが共感できる言葉を探しました。それは、「くらし」「木曽川源流」「街道文化」などに集約され、これらの後ろに控える数百のコメントを載せ、基本方針に至るプロセスを説明しました。おそらく、どの景観計画においても策定に至るまでに、多くの有志による熱心な議論があり、様々な活動の結節点として景観計画が位置付けられるはずです。こうした地域に対する深い愛情なくしては、どのようなまちづくり、むらづくりも成り立たないはずです。地域への思い、またそうした思いをもったひとびとの顔が感じられる景観計画を目指しました。

 私たちは、建築から都市空間までデザインすることを通して、何を地域社会に還元できるかを考えています。景観計画の場合、これから整備していくための基本方針や基本的なイメージを示し、取り組み体制や法令上のきまりを紹介するところで終わるものが多いのですが、私たちはさらに一歩踏み込んで、デザインのアイディア集を参考例として提案しています。また、そもそも景観計画は、地域住民が手に取って、今後の活動に参加するきっかけとなるためのものです。編集デザイナーにも協力して頂いて、美しくて見やすい冊子にしました。大学の研究室として、地域の問題点や課題に最大限に寄り添うけれども、既存の立場には同調しないというやりかたがあるように思います。役所や住民といった立場を超えて、共感でき愛着が沸くデザインを提案していくことが、寺内研究室の使命だと感じました。

 最後になりましたが、「源流の里 木祖村景観計画」作成において、木祖村のみなさまをはじめ多くの方にご協力頂きました。この場をかりてお礼申し上げます。