日本建築学会北陸支部広報誌 Ah!43号

■かくれた建築シリーズ(長野)

『かくれた建築』の条件

柳瀬 亮太
(信州大学工学部建築学科 准教授)



図1 どこに座る?


図2 hidden architecture


図3 かくれた建築

 みなさんにとって、『かくれた建築』とはどのような建築だろうか。「かくれた」も「建築」も身近な言葉であり、理解できない点は皆無かと思う。それゆえ、よくよく考えたことはないのではないだろうか。改めて、その性質について考えをめぐらすと、思っている以上に曖昧で漠然としていることに気づく人が多いだろう。

 専門分野(環境心理学)の関係上、個人的に「かくれた」から第一に連想されるのは『建築』ではなく『次元』である。E.ホールの著書『 The hidden dimension(かくれた次元), 1970』は訳本が出版されていることもあり、ご存知な方は少なくないかと思う。この本の中で「かくれた」が意味する性質は『日常生活をおくる人間の意識にのぼらない(コミュニケーションに関わる事象)』にある。ホールは実験的手法でなく、行動観察を重ねることで『かくれた次元』の存在を顕在化させた。例えば、図1にあるような状況にて、次に座る人が選択する位置は誰に判断させても高い確率で一致するが、座る本人はその判断の要因を強く意識していないものである。

 また、環境心理学では、環境を「物理的環境」と「心理的環境」、「地理的環境」と「行動的環境」に区分して、人間と環境の相互作用について検討する。各々の区分における前者は図1でいう「ベンチや他者」であり、後者は「他者が存在するベンチに座った経験」もしくは「図1の光景が経験と融合したイメージ」である。いずれの環境も人間の行動に深く関係し、全てが主観的存在といえる。その理由としては、生理的要因や心理的要因だけでなく、発達的要因や文化的要因などがあげられる。

 そこで今回は、文化的側面から「かくれた建築」を考えてみようと、英語と日本語で調べてみたところ、英語(圏)では物理的側面が、日本語(圏)では心理的側面が強く反映される傾向がみてとれた(図2・図3)。つまり、日本語(圏)では「一般に意識されない建築」であることが、英語(圏)では「視覚的に捉え辛い建築」であることが「かくれた建築」の十分条件とされるようである。また、視覚的に捉え辛い点が共通するにしても、建物群(都市)・森林(郊外)のいずれに埋没しているのかという点に違いがあるように推察された。

 発達的側面など、他の側面からの検討については割愛させていただいたが、みなさんにとっての『かくれた建築』を考えるにあたって、本文が一助になれば幸いである。