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Vol.55 - 2016/07/08
《from 福井支所》
福井の地から建築史・建築論研究を考える
「増田友也の建築作品について」開催報告
 

市川秀和/福井工業大学工学部建築土木工学科教授


日本建築学会北陸支部福井支所主催
2015年度「第3回 福井の地から建築史・建築論研究を考える」
記念講演会・シンポジウム「増田友也の建築作品について」

 □日 時:11月29日(土)午後2時〜午後5時半
 □場 所:アオッサAOSSA6階601-A研修室
 □記念講演会・講師:人長信昭(建築家・京都嵯峨芸術大学客員教授)
 □コメンテーター:田路貴浩(京都大学)・熊澤栄二(石川高専)
 □参加者:26名

昨年の生誕100年を迎えた増田友也(1914〜1981)を記念した企画「増田友也の思索をめぐって」に続いて、今年は、京都工芸繊維大学・美術工芸資料館での展覧会「増田友也展」(10/26〜12/12)にも合わせて、記念講演会・シンポジウム「増田友也の建築作品について」を開催した。
記念講演会では、増田の門下生の一人で、アトリエでの設計活動に当たっておられた人長信昭氏が、増田の主要作品をスライドで詳しく解説され、師・増田の設計態度へと深く踏み込み、その独特な眼差しについて論及された。まず人長氏は、最初に増田の建築論の歩みを「前期:空間論」「中期:風景論」「後期:存在論」と捉えた上で、これに対応する作品の特徴を「モダニズムの手法を用いたもの」「日本の伝統的美意識を思わすもの」「記念性や象徴性の色彩が濃厚なもの」に大別できると指摘された。
そこで増田の初期から中期のモダニズムは、同時代の建築家と同様に、新しい技術による新しい空間表現の創造に日本の伝統美やプロポーションを感じさせるところに特徴があり、その例として日本初のRC梁柱骨組へのプレストレス導入を実現させた「南淡町庁舎(1957)」やRC格子梁の骨格を取り入れた「天橋立成相公園レストハウス(1959)」、そして庇と壁の造形表現が印象深い「尾道市庁舎(1960)」や「東山会館(1964)」などを挙げた。
さらに後期へと移るに従って記念性・象徴性を強くした造形表現が試みられるに至り、その代表例として力強い壁柱によって記念性を表現した「鈴木自動車工業本館(1964)」、カテナリ(懸垂曲線)によるHPシェルが有機的な力動感を創り出し、象徴的な空間表現を意図した「計画案:京大会館(1968)」、そしてブリーズ・ソレイユのファサード構成によって記念的造形を獲得した「京都大学創立70周年記念体育館(1972)」などが取り上げられた。さらに遺作の「鳴門市文化会館(1982)」では、エントランスのホワイエが奥深いルーバーによる清澄な光で静寂感に包まれ、中庭の造形とともに高い精神性を感じさせ、増田の到達した建築の記念性と象徴性が建物全体と周囲の風景に漂っていると指摘された。
次のシンポジウムでは、コメンテーターの田路貴浩氏と熊澤栄二氏が、進行役を務めた。田路氏は、鳴門市体育館(1961)などを例に新しい技術と空間創造への意欲などに触れられ、熊澤氏は全集テキストを基に実践と建築論の関わりなどに深く切り込まれたのに対し、人長氏は、ゆったりと慎重に言葉を選びながら、しかも明確に簡潔に応えておられ、会場の参加者は深い理解に導かれたようであった。
最後に総括として白井秀和・前福井支所長が、増田の「建築以前」について投げかけたのを受けて、人長氏は「増田にとって<建築をめざして>なんですよ」と即座に力強く応えられたのであった。
なお当日は、北陸各地や関西方面からもご参加をいただき、増田友也の建築作品や制作態度をめぐって充実した内容となりました。ご協力いただいた皆様に深謝いたします。


写真1 記念講演の人長信昭先生


写真2 コメンテーターの熊澤先生(左)と田路先生



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