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MessageType: 意見
Username: 柊原修市
UserAff: 九州大学工学部建築学科一年十六組1te99021R
UserEmail: te199021@cse.ec.kyushu-u.ac.jp
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日付: 99/07/05
時刻: 16:50:36
リモート名: 133.5.13.120
アカデミック・スタンダードの確立ということに対しては大いに賛成であり、評価すべきものであると思う。しかし、それはこれ以前に学会基準というものが整備されていなかったということを意味するのならむしろ驚きである。そ もそもの学会の存在意義は研究発表及び意見交換によって高められた技術を社会発展のために提供していく、といったものではないのだろうか。素人が偉そうなことをいってしまったが、学会とはそういうものだと私は信じて いる。ともかくもこのたびの学会基準の確立は喜ばしいことだ。私はこれを機にユーザーへの配慮にさらなる重点をおくことを望む。これまでの住宅市場は、本来必要によって設立されたはずのゼネコンによって牛耳られ、他の 市場ではかなり重要視されているユーザーへのサービスというものが欠けているように思われる。それゆえ新基準において最低基準ではない学会基準をもうけることは人間に対しても環境に対してもたいへん意義深いことで あると思う。しかしただ単に基準を設けるだけでは対応としては不適切であろう。企業側にしてみれば、当然利潤追求が最重要目的であり、それは当然のことである。市場が正しく機能していれば、利潤追求は消費者に対す るサービスと一体の関係になるが、生産側と消費者側の立場が対等でない業界では今のままではその実現は簡単にいくものではない。そこで学会基準が登場するのである。この登場の仕方が問題になる。ただ単に、「学会 基準を作りました。法的な規制はなーんにもありませんがみんなのためにまもってくださいね。」というようなものでは無く、「これを守らないのなら客が来なくなっちゃうぞ。それでもいいのか。」ぐらいの意気込みが必要だ。そし てそのためには、その言葉が実際のものであるようにしなければならない。具体的には、アカデミック・スタンダードをこれ以上ない、というほどに世間一般に知らしめることだ。そういうとすぐインターネット掲載を考える今日この 頃であるが、それだけでは不十分なことこの上ない。確かにインターネットなら広大な情報提供が可能だが、勘違いしてはいけないのが、ネット利用者すべてが情報をみるとは限らないからだ。TVなどとは違い、インターネット は必要な情報のみを仕入れることができ、それが利点なのだがそれは利用者がそのときごとに見ようと思う情報以外は見てもらえないのである。はっきりいって学会ホームページなどその最たるものである。関係者以外の利 用がいったいどれほどあるであろうか。それゆえに他の宣伝方法を積極的に利用することが望ましい。一番いいのはやはりTVにとりあげられることだろうか。その宣伝方法はともかくとしても、最終的には建て売りなどを購入 する際に、「そういえばアカデミック・スタンダードていうのがあるのよね。人間と環境にやさしい基準だって。」 「そ、そうらしいですね・・・」 「おたくの会社の建物はもちろんその基準にしたがってるのよね」 「うっ・・そ、それは その・・・」 こんな具合になるのが理想であろうか。