光環境分野におけるアカデミック・スタンダード

 

平手小太郎(東京大学)

 

■1.アカデミック・スタンダードの理念

(1)アカデミック・スタンダードの範囲

 一般にアカデミック・スタンダードとして扱う範囲であるが、まず、目標とすべき性能の内容を規定するものがあろう。性能の内容としては、性能項目、性能指標(性能を具体的に表示するための尺度)、性能値(性能指標の値、比例/間隔尺度だけでなく順序/名義尺度も含む)、性能閾値(本稿では、許容値、推奨値、誘導目標値など意味づけされた性能値の総称とする)などが挙げられる。次に、方法としての観点からは、要求性能、実現性能と区分けした場合、要求性能に関わるものとして、性能値の予測法、性能実現のための設計法および施工法、実現性能に関わるものとして、性能値の測定法、性能の評価法、性能の維持管理法というように分類ができると思われる。ただし、性能指標化が困難なもの、あるいは性能閾値を示す段階に至っていないものについても、この理由だけで捨ててしまうべきではない。また、測定法はもちろん、設計法、評価法など一連の手続きを示すシステム的な発想を多く導入する必要があると思われる。

(2)アカデミック・スタンダードの要件

 次に、アカデミック・スタンダードの要件であるが、@公平であること、A最も妥当であること、B柔軟であること、C総合的であること、などにまとめられる。

 @については、声無き意見(例えば一般ユーザー、地球環境問題ならば未来人なども入る)を代弁することが多く、中立の立場というのはむしろ難しい。Aについては、最先端の知見、先人の知恵を含めて最も妥当なものを用意することになろう。ただし、学術的に最も正当性の高いものとするかどうかは議論の余地がある。また、変化への対応も必要で固定的になってはならず、Bの柔軟性も要求される。Cについては、それぞれが分析的な観点をもちつつも、最終的には総合的に建築の質を表現するように体系化されている必要があろう。

 その他、混乱が生じた場合影響が大きいので、他の規準類との整合性を確認する必要があるかも知れない。ただ、日本独自の固有の文化、社会背景に根ざした性能項目も多く、アカデミックスタンダードとしては、必ずしも国際性にはこだわる必要はなく、このことが要件にはならないと思われる。

 いずれにしても、@の公平であることの比重が高く、端的に言うと、最終的な使用者であるユーザーの利益を第一義に考えるべきであり、次項で示すユーザーのためスタンダードということに尽きるように思える。

(3)ユーザーのためのアカデミック・スタンダード

 建築物に必要な要求性能、特に建築環境に関わるものは、立地、配置、相隣関係、ライフスタイルなどによって動的に変化するものであるものが多く、単純に建築物単体に属する静的な要求性能は数少ない。しかし、建築物単体を超えたところにはなかなか踏み込めないのが現状である。また、幅のあるもの、質的なもの、個人差のあるものも排除される傾向にある。よって、行政が志向している性能体系にはこのような限界があることを認識すべきである。

  一方、建築基準法が典型的ではあるがユーザーに対する最低限保証という意義は大いにあろう。ただし、性能を定量化、客観化されるものと限定していく方法論を採用した場合、許容値としての性能閾値を重視する傾向が生じ、最低限保証以上のものが担保できるのかという疑問が生じる。最低限保証上重要な許容値が存在するという性能項目がより良質な住宅での重要な性能項目にはならないのである。しかし、それを錯覚しているかのような印象を受ける。グレードを上げるに従って、潜在的な要求性能が顕在化してくるはずであり、体系の中でこのような相対的関係を整理する必要がある。

 また、グレードの高いものを選択する場合でも、ネガティブチェックを行っている可能性があり、必要以上に突出した閾値を設けることは、逆にユーザーに誤解を生むことになりかねない。よって、誘導目標値は性能体系にむやみに載せるべきではなく、むしろこれ以上のグレードは無駄だとする臨界値を提示すべきである。また、単純に性能項目だけを用意する方が有用な場面も想定される。

(4)システムとしてのアカデミック・スタンダード

 項目が厳密になればなるほど、…性などと明示した時点である範囲に限定されることになり、逆に切り捨てられる要素が発生するのである。全体として性能のグレードを向上させることは、必然的にある独自的で個別な性能を重視することにもなり、性能項目および対象とするユーザーの多様性を包含させることになる。この多様性の故に、総合性能化は不可能であるとする悲観論と、多様性があっても将来的には可能であるとする楽観論が存在することになる。

 主観的なものは住宅の質の面では重要な要素であることが多い。よって、主観性を排除した性能体系では、総合性能化について悲観的にならざるを得ない。閾値の確保は必要条件であって、十分条件にはなり得ない。従来型の明確な項目からの集約方式では、必然的に不明な部分を残すことになるので、数学的に必要十分な性能体系は得られないことは自明である。ただ、主観的なものでも、集団のレベルを変えることによって、かなりの部分は客観的に示すことができる。全体は要素の和ではないことを承知で、若干の曖昧さを残すが、十分使用に耐え得る総合性能の形成は可能だと思われる。

 総合性能化そのものはとりあえず棚上げにして、総合的な見方を設計的に反映させるための手法をシステムとして位置づけることによって、よりよい方向を持つことになるのではないか。ただし、グレード、水準が上がるにしたがって、システム的に性能項目の位置づけ、整理が難しくなる。体系そのもの、対応する機関どちらに対してもこのことが言える。さらに、全体的なバランスを考慮し、随時更新可能なシステムも必要である。よって、単純に分野別の性能項目を百花繚乱とり揃えるだけでは不十分で、体系の成否の鍵はこのような総合的判断ができる調整役・システムにあると言えよう。

 

■2.人工照明

(1)視作業性中心の規準

 人工照明は電気設備を用いるために比較的制御性が高く、人工照明の規準類については、国内外での整備は進んでいると言えよう。国際的にはCIE(国際照明委員会)がその担い手となっており、日本でも、日本規格協会、照明学会などで規準類1)2)3)が発行されている。

 日本工業規格1)では、測定法の他、性能値として照度基準が用意されている。この照度基準が日本の光環境において最大の影響力を持っていると言っても過言ではない。また、照明学会2)3)でも、オフィス、住宅などの用途に対し、性能値の規定の他、設計の考え方などが示されている。

 ただ、視作業性を重視する観点から規準類が構成されているので、室の用途およびそこで行われる視作業内容に応じた性能値が定められることになる。照度などでは、一点の数値ではなく対数的スケールの照度段階という形式で推奨範囲を定めている。よって、視作業以外の観点からの検討は十分ではなく、例えば、雰囲気を重視する空間に対しての基準も必要になろう。その場合は、性能閾値などではなく、設計法の基準ということなるのではないか。

(2)明るさの分布

 明るさの分布について、建築学会の基準(設計計画パンフレットに示されている内容5)では、照度の均一性が要求される室にあっては、最低照度と最高照度の比率を一定範囲に収めるように推奨している。ただ、最高照度が問題になることは少なく、日本工業規格1)、照明学会のもの2)3)との整合性を図るためにも、最低照度と平均照度の比で表示することを考えていくべきであろう。

(3)計算法と反射特性

 照度の計算法については、光束法による平均照度をはじめ、逐点法による直接照度、作業面切断公式による間接照度の計算法などは、基準とは明確に位置づけれていないが、事実上、実務的にも標準的な手法として用いられている。一方、輝度については、反射面を均等拡散面と仮定すれば照度と反射率から略算が可能となる。しかし、一般の拡散面に対しては、材料の反射特性に関するデータが十分でなく、事実上輝度計算は難しい。設計時点でCAD等を用いて光環境を表現することが行われるが、計算手法の進歩に対し、光環境の予測に関して不可欠な材料の反射特性という基礎的データの整備が追いついていないというのが実状である。よって、これらの整備も今後必要となろう。

(4)地球環境問題

  地球環境問題については、エネルギーの使用の合理化に関する法律の中で、CEC/Lなど照明の事項が整備されたことなど、意識の高まりは見られるようになたものの、全体として多少出遅れているという印象は否めない。建築学会としても、適切な照度設定値、保守管理のあり方、照明制御、昼光利用に関するデータを整備し、設計法、維持管理法などを提案していく必要があろう。

(5)視環境設計法の確立

 人間の視覚特性を考えると、測光量として輝度を優先させるという考え方も存在する。しかし、輝度には、視対象物の反射率という高いハードルがあり、光環境の設計法としては、現在は照度に頼らざるを得ないのが実状である。しかし、材料の反射特性のデータの蓄積の問題を棚上げにしても、均等拡散面仮定で略算可能は可能であり、照度基準からの逆算によらない輝度による視環境設計法、あるいは恒常性を考慮すると内装材の反射率すなわち明度に準拠した設計法を提案する必要があると思われる。

(6)暗さの効用

 @照明環境は明るければ目の健康によいとする誤解的常識の存在、A明るいことが快適・幸福であるという概念形成、B伝統的に拡散性の光を好み、その蛍光灯が比較的高照度を必要とすること、C日本人がグレアには強い眼の構造を持っていたこと、などが背景となり、日本では、第2時大戦後、暗さを駆逐するという方向で照明環境が進み、世界的に見ても高照度になっている。もちろん、安静、休息、精神集中にはある程度の暗さが必要であるし、輝き、空間の求心感、精神性の創出にも、対比による暗さの存在が必要である。さらに、ポール・ヘニングセンによるPHランプの設計理念に見られるように、光源のグレア防止を計り目の順応状態を安定に保つことができれば、現在よりも低照度でも十分な視環境は形成できると思われる。省エネルギーにも効果があり、地球環境問題にも寄与することになるのは言うまでもない。

(7)視覚機能

 高齢者は、水晶体の弾力性低下、ガラス体の黄化・混濁化、網膜視細胞の光感受性の低下など視覚機能が低下する一方、転倒などへの恐怖心が強化されるので、健常者よりも高照度が必要で、グレア、ちらつきのより一層の低減も要求される。今後の高齢化社会に対して、このような面でもより詳細な規準策定が必要となろう。また、1997年には、テレビのアニメ番組で光刺激の点滅が体調異常を生じさせる光感受性発作が問題になったこともある。また、特定の波長の光が網膜にダメージを与えるという報告もあり、光と視覚系の問題でまだ不明なことも多い。テレビ、コンピュータ画面など光源を注視するという人類の歴史では存在しなかった形の視作業が今後人間にどういう影響を与えていくのか検討を要する事項も多い。

 

■3.昼光照明(採光)

(1)基準昼光率

  採光窓の法律的な問題に運用については、諸外国でも日本と同様に、床面積に対する窓面積の比率に基づいたものが多い。ただ、面積比という指標は定量的な形式になっているものの、性能を表示しているかどうかについては意見が分かれる。よって、原理的には、採光の性能を表す指標として、ある点の照度と全天空照度の比である昼光率に頼ることになる。ただ、全天空照度は直射光成分を除いた指標なので、実際の光環境を想定すると、除外するものの影響が極めて大きい状況も想定できるのである。よって、本質的に、基準という性格を与える場合、昼光率とは、最低状態での光環境下で用いる指標であるべきである。建築学会では、設計計画パンフレット7)の中で基準昼光率を定めている。これは、北緯35度における9時〜17時の約75%の時間帯で超える全天空照度15,000lxのもとで、人工照明の要件である日本工業規格の照度範囲の最低値を確保できるように定めたものである。全天空照度の設定値についてもJISの照度範囲についても、推奨値的な要素もあり、照明の状態としては平均状態よりやや下回る程度の水準を志向したものになっている。CIE9)においても同じような昼光水準を想定しているが、昼光率を窓の設計の単純化のための指標として介在させているだけで、基準という性格付けは行っていない。よって昼光率に許容値という基準付けを行うとすれば、全天空照度も照度範囲の方も下げる必要があるように思われる。比という計算上、結果的には値としては同じようなものになる可能性はあるものの、そのプロセスにおいて最低状態ということを明確に示すように改めるべきだと思われる。

(2)昼光率計算法

 通常、昼光率の計算は、天空輝度を一様と仮定し、立体角投射率の計算に帰着させる。この手順は一般の教科書などでも説明されており、建築学会においても、結果的に標準的なものとして位置づけていると言える。ただ、対向建物、地物の輝度の扱い、窓の透過率、保守率、窓面有効率など窓まわりの光量の減少に関わる指標などその算定には多くの不確定な要素が組み込まれており、かなりの仮定を必要とするため、実務的にはうまく活用されているとは言い難い。

 昼光の問題は、窓外の対向する建物など周辺状況に左右されるため、周辺境条件をどう組み入れるか、実際の状態を組み込むのか、あるいは外部条件の標準値として設定値を用意するのかなどの検討も必要となろう。また、それぞれのデータの整備は必要だが、特に透明窓のような場合、天空が見えるか見えないかで劇的に数値が変化するようなこともあり、おそらく、多少の曖昧さも許容するような例えば対数表示のような形式も昼光率には必要なのであろう。例えば、照度基準の照度段階はある程度対数軸を暗示しており、不可能なことではない。

(3)窓の本質的意義

 採光窓によって担保される居住環境性能は多岐にわたると思われる。まず第一に挙げられるのは採光による明るさの確保である。日常的には人工照明設備で代替可能であるといっても、何らかの不測の事態で、電力の供給が停止した場合を想定すると、住宅を始めとした建築物に対しては、最低基準として、生活上ある程度の採光を期待する窓・開口部の存在は必要となろう。その他、天然型ビタミンD3の形成作用を持つドルノ線の効果、光環境の変化を知覚することによる生体リズムの安定など生理面での健康に対する影響も見逃せない。また、1962年に米国は人間衛星船の打ち上げに成功しているが、この時の衛星船には窓がなく、宇宙飛行士がコックピット内で切実に要求したものが窓であったと言われている。このように、窓の機能には、眺望、開放感、やすらぎなどの享受という心理面での健康に関する機能がある。さらに、現在、採光は人工照明設備によって、通風は機械換気設備によって十分代替されていることを考えると、窓の機能としては、心理的・社会的な二次的側面の方へ比重が移っているとも言えるのである。よって、現時点では採光窓の必要性の根拠として位置づけることは難しいとしても、今後、建築物の外部空間から享受される人間の居住環境必要な要素の存在を補強するための基礎データの蓄積が望まれるところである。

 

■4.日照

(1)日照問題における日本の独自性

 日本の伝統的な住宅が夏向きに開放性を重視して造られているということは習知の事実である。これは、結果的に冬の暖房の手段として日照を位置づけたことになり、冬の日照率も高く日照を求めることが極めて自然であったことが、日照への希求を強くしたことになったと考えられる。もっと高緯度に位置していれば、可照時間の低下、日照率の低下などにより、冬に日照を求めること自体が無理となり、低緯度であれば、暖房としての日照よりも冷房としての通風が希求されたと思われる。すなわち、日照の希求が醸成される気候、風土に日本が存在していたのである。逆に言うと、国際的に日照時間の規定がほとんどないということが、日本でも必要ないということ結論にはならない。日本という国名、日の丸という(国)旗の存在が物語っているように、日照というのはコメのようなものであり、伝統的には信仰にもつながるほどの独自の文化として位置づけられるものである。また、現在も日本人の多くが、やすらぎ、心のよりどころとして日照を位置づけており、さまざまな調査でも日照時間に対する希求が常に上位にランクされている事実は看過できない。また、日照を確保するということは結局建築物周りの空間を確保し、居住環境一般の採入性、遮断性を発揮させるための最大限の努力を行わせるということになり、日照が採光、通風、防災、眺望、圧迫感やプライバシーの侵害の少なさなど居住環境の質を代表している総合的な指標になっていたのである。建築基準法旧29条の住宅の居室への日照という条項は本来は意義深い条項であったが、性能規定化のもとに、平成10年の一部改正により廃止されてしまったことはいかにも残念でならない。改めて、日照の問題をアカデミック・スタンダードとして考える時期にきていると思われる。

 一方、日照の無い住宅に自発的な意志を持って住む人もいるが、これはむしろ日照を受けない自由が認められたと考えるべきで、都心部などの集合住宅では、設計的に選択肢を多くするべきであるのかも知れない。しかし、日本人の日照に対する要求を考えると、ユーザーの利益を前提とするならば、日照時間等最低限の情報を明示する必要はあるのは言うまでもない。ただこれも昼光照明と同じく、周辺建物などの影響というハードルがある。標準的な周辺条件を仮定できるのか否か、またGISデータの使用可能性などを含めて、日照時間の扱いについて検討する必要があろう。

(2)日影規制の位置づけ

  住宅地等における中高層建築物による日照阻害に関して多発した紛争を解決するとともに、日照の確保のルールを定めるため、公法上の制限として、昭和51年に創設されたものである。住居系、近隣商業、準工業地域に適用されるが、具体的な規制基準、規制区域は、建築基準法の手順に従ってそれぞれの地域の実状を考慮できるよう地方公共団体の条例で定めることになっている。

 さて、日影規制は、本質的には、当該建物の日照を保障するものでなく、早く建てた者勝ちを防ぎ、建てる側の法の下での平等を確保するための、形式的な規制となっているのである。建築基準法では日照を最低基準として位置づけていないことと関係しており、日照が採光、通風、眺望、防災など居住環境の質を代表していると考えると、その地域の特性を踏まえた上で、土地、建築物の所有者が日照を享受する権利すなわち日照権を明示することを今後検討すべきでないかと思われる。住宅の居室の日照の規定が廃止されているが、これは当該建築物の日照を受けない自由が認められたということで、受けたい場合の日照は保障される、すなわち他の敷地に対する日影は規制されるべきである。建築学会としては、総合的に日照の位置づけを明確にしていく必要があると思われる。

 

■5.色彩

(1)色彩調節の検証

 色彩には、様々な感情や印象を想起させ、具体的事物や抽象的概念を連想させることが知られており、個人差、地域性が高く、色彩の規制については無理があるとする向きも多い。

 色彩調節とは、色彩の生理的・心理的効果を積極的に利用して、安全性、作業能率の向上、快適性を合理的目指した色彩の機能的使用を意味している。我が国でも1950年代に色彩調節が導入され、特に、工場、学校、病院など機能を重視する建築で大規模な実施、研究が行われた。しかし、色彩調節の観点からの彩色が、常識的な建築色彩のあり方に比べ若干行きすぎの感があり、1960年代以降急速に衰退した。このように一時的な流行の反動のためか、その後かえって色彩の問題を回避するするような風潮が生まれている。建築の色彩と人間の健康という観点から、科学的な検証を通じて、色彩調節の領域の知見を整理、峻別する必要性はあるように思える。

(2)配色における設計法

 建築内装においては、バランスのとれた配色が必要である。配色の考え方として、まず、全体に構成色の統一感をだすために、天井、壁、床など固定的で大面積を占める部位に対し、基調色という形式で共通性を持たせた色を使用する。次に、基調色に従属して配合色を、基調色を引締め全体の調子に変化を与えるポイントアクセント色として用いる。色彩を基本的な価値として位置づけるとすれば、このような配色に関わる設計法を基準として整備する必要があるのではないかと考えている。

 また、大面積の色が、明度、彩度が高くなったように見える色の面積効果という現象も建築的には重要であり、見落としがちな内容であるので、設計法として提示することも可能であろう。

(3)都市の色彩規制

 美的価値は、これは欧米では守られて当然社会が共有すべきの規範であり、基本的な性能・機能という言い方もできるのである。色彩の規制も都市計画的な観点で登場するが、違和感なく受け入れられている。むしろ、外部空間の都市計画的な規制は、都市の成立の歴史的背景もあり個々の都市レベルで定められている場合が多い。日本で言うと条例ということになり、現に条例で色彩の規制を行っている自治体もあるが、形態規制である建築基準法の集団規定の基本的枠組みが国レベルで決められているため、本来は形態と同じレベルで語られるべき色彩の問題が宙に浮いているというのが実状であろう。それでも、少なくとも大面積を有し景観的に影響が大きい大規模建築物については、例えば兵庫県で行っているような彩度の上限値を設定する方法は一つの考え方であるし、他分野との整合は必要にはなろうが、学会基準として提案すべきものであろう。

 

■6.おわりに

  建築学会でも、一連の設計計画パンフレットシリーズ4)5)6)7)において、光環境に関わる規準類に相当するものを提示している。ただ、意味内容も多少レベルに差があり複数の書にまたがっているものもあり、全体としては啓蒙書としての色合いが強い。改めて、性能指標、性能閾値の設定を行い、実務的に使える形でこれらを再整理することから始め、新規の項目を加えるという手順を踏んで、体系づけていくことが必要である。また、昼光照明の測定法、基準については、一時期、日本工業規格の中に組み込む動きがあったが、実現には至っておらず、その内容の再吟味を行うことも考えられる。また、日照については、日照そのものの位置づけを建築学会として明らかにし、必要ならば、性能閾値の提案を行うべきであろう。また、全体として心理面からの性能の問題の関わり方について検討を加える必要があろう。

 

■参考文献

1)日本工業規格 照度基準 JIS Z 9110-1979

2)照明学会・技術基準 オフィス照明基準 JIEC-001(1992)

3)照明学会・技術基準 住宅照明基準 JIEC-005(1994)

4)日本建築学会設計々画パンフレット 16 採光設計,彰国社,1963

5)日本建築学会設計計画パンフレット 23 照明設計,彰国社,1975

6)日本建築学会設計計画パンフレット 24 日照の測定と検討,彰国社,1977

7)日本建築学会設計計画パンフレット 30 昼光照明の計画,彰国社,1985

8)昼光照明の計算法,日本建築学会,1993

9)DaylightPublication CIE 16-1972