音響橘 秀樹(東京大学生産技術研究所)1. はじめに居住環境の質として望ましいレベルを実現・保持するするためには、施策・行政的な仕組みと同時に、その基礎となる学術研究の成果から導かれるアカデミックスタンダードを設定する必要がある。その立場からは、「望ましいレベル」の設定の考え方とその実現可能性、環境性能の評価方法とその物理的計測手法の開発・確立などを研究して行く必要がある。建築学の研究は、原則としてすべてこれを目指しているとも言えるが、居住環境に関するアカデミックスタンダードの設定を志向するとすれば、その目的を明確にし、体系的なスキームを設定した上で、個別の研究を進めていく必要があろう。これを実際に進めていくためには、学会組織を基盤とし、国家的な研究支援体制も必要と思われる。 本稿では、以下に環境要素の一つである音響的条件について、住宅(特に集合住宅)関連に重点を置いて、基準、規格などの実態についてまとめる。 2. 住宅の音環境条件に関する基準・規格(1) 建築基準法行政対応の最も基本的な基準として、昭和45年の建築基準法の改正の際に、音響性能に関する唯一の項目として「長屋・共同住宅の界壁の遮音性能」の項目が規定された。これは戦後急増した集合住宅で、隣戸間の遮音が大きな問題となったためである。その内容は、界壁の遮音性能として250 Hz, 500 Hz, 2000 Hzにおける最低の音響透過損失を規定したもので、断面規定の他に性能認定制度によって、使用できる壁構造を制限している。 集合住宅では、上述の空気音の遮断性能だけでなく、しばしば床衝撃音が大きな問題である。昭和48年に制定された「工業化住宅性能認定制度」では、床衝撃音遮断性能も含めて、住宅供給者の申請に基づいて認定し、性能が表示されるようになった。 (2) 日本建築学会「建築物の遮音性能基準と設計指針日本建築学会では、集合住宅、ホテル、学校等の建物の隣戸間(二室間)の空気音遮断性能、床衝撃音遮断性能、室内騒音に関して、測定・表示方法と適用等級(特級、1級、2級、3級の別)をまとめて示している(昭和54年、平成9年改定)。その中で、空気音遮断性能、床衝撃音遮断性能の測定・表示方法については、JIS を基礎としてそれを拡張した方法を示している。室内騒音に関しては、一般的な騒音レベルによる方法以外に、独自の方法(N数)を規定している。 これは学会ベースで検討されたアカデミックスタンダードとも言うべきもので、わが国における集合住宅、ホテル、学校等の建物の建設に際して、設計の指針、性能の測定・表示に関する統一的な方法として大きな役割を果たしてきている。その反面、性能評価方法に関する新たな研究の意欲を削ぐ方向に働く傾向も見られ、また内容的に全くわが国独自の方法を規定しているために、国際整合化などを考えた場合に大きな制約にもなっている。 (3) 日本工業規格建物の音響性能についてはきわめて多くのJISが規定されているが、主要なものは表-1, 2に示すとおりである。日本政府は、平成8年度からJISの国際規格(ISO)との整合の方針を打ち出し、多くのJISが改正された。その関連で建築音響にかかわるJISについても表に示すように、ISO規格をベースとして改正案が作成されている。そのうち、材料・部品の性能測定など、ISO規格に基づいて制定されたJISについては、本質的な問題は比較的少ないが、建物の空間性能などに関する規格については、JISとISO規格が基本的な考え方からして異なるものが多く、その整合はきわめて難しい。わが国の実状からみると、日本独自の方法を一挙に廃止してISO規格に統一することはまず不可能であり、しばらくは多少の混乱はあっても両者を併用しながら国際整合化の方向へ移行すべきであろう。なおJISの制定の際には、内容によって所轄官庁が異なっているが、音響性能に関しては材料、部品、建築物と画然と区別できない場合もある。この面も改善の必要がある。 (4) 各種団体規定住宅都市整備公団では、JISなどに基づいて昭和56年に「遮音性能基準」を設定し、その後も段階的にグレードアップしてきている。 金融公庫では、昭和54年に民間分譲住宅の融資における割増融資基準を制度化し、これは「遮音性能向上工事基準」として現在まで受け継がれている。また、昭和60年に「高規格住宅融資制度」の制度を発足させている。 外部騒音に対する建物の遮音性能については、地方自治体による指針・マニュアル、民間大手建設業者・ディベロッパーによる自主的な社内基準が設けられているが、統一的な規準はない。 (5) 海外の動向建築物の音響性能に関する規格・基準については、ISO規格による統一を主張するヨーロッパ諸国とANSI、ASTMを掲げる北米(およびオーストラリア)諸国の二大勢力の対立という構図があるが、材料・構造又は空間性能の測定・評価方法については物理的計測手法に大きな差はなく、近年米国側が多少歩み寄る傾向も見られ、統一の方向に向かっている。しかし、建物の基準や設計目標値に関しては、各国で社会・経済的状況、歴史的背景、生活習慣が異なっているため、統一的な値を設定することは難しい。 3. 関連した行政施策環境騒音の関連では、きわめて重要な節目を迎えている。すなわち、平成9年6月に「環境影響評価法」が法制化され、本年6月から施行された。これによって、わが国でもいよいよ本格的な環境アセスメント制度が発足することとなった。さらに、主として道路交通騒音を対象とした「騒音に係る環境基準」が27年ぶりに改定された(昨年9月30日告示、本年4月1日施行)。今回の改定では、騒音の評価量としてこれまでわが国で長年使われてきた騒音レベルの中央値(L50)に代わって、国際的に広く用いられている等価騒音レベル(LAeq)に変更された。それと同時に、一般地域、道路に面する地域の別に「人の健康を保護し、生活環境を保全する上で維持されることが望ましい基準(環境基本法第16条)」の値が新たに設定された。この基準は、建前からいえば「望ましい基準」という行政目標値であるが、道路建設の場合などのアセスメントでは、事実上のクライテリアとして位置づけられる。 この環境基準の設定に当っては、住居等の建物の内部での守るべき条件(昼間における会話妨害、夜間における睡眠影響)を基礎とし、その値に建物の防音性能を加えて建物外部における等価騒音レベルが昼間、夜間の別に設定されている。また今回の改定では、幹線道路に近接した空間について特例条件が含められ、このような空間では、道路交通騒音の影響を軽減するために、発生源である自動車・道路に対する対策と同時に、それに近接する建物も相応の防音性能を具備すべきであり、またそれを推進する施策を誘導するという考え方が新たに打ち出された。 このような動きに対して、建築サイドでも十分に対応していくことが必要となった。外部騒音に対する建物の遮音性能については、これまでも構(工)法的開発、性能測定・評価方法などについて研究が行われてきてはいるが、集合住宅内部の隣戸間の遮音性能などに比べれば、基準の検討が不十分であったことは否めない。建設省による性能表示制度の中にも、対外部騒音に対する遮断性能を盛り込むべきであろう。今後は、音も含めた環境性能について総合的な検討が必要であり、さらに、道路と建築が別々のものではなく、都市施設として一体化した考え方が必要となってきている。同時に、社会資本としての沿道建物の質を高めて行くためには、それなりのインセンティブが必要であり、法規的な諸制度、施策が伴う必要がある。 4. 今後に向けて最後に、アカデミックスタンダードの確立を目指した議論の要点を列挙してみる。 ○ 体系的スキーム:環境要素ごとに影響、地域性などの条件が異なるので、別個に研究が進められなければならないが、スタンダードの目的、設定方針、レベルなどの体系については、共通の大くくりにした議論が必要である。従来、この点が十分でなかったように思われる。 ○ 国際性:建築は地域性、歴史性がきわめて大きな分野であるが、居住環境条件についてみれば国際的に共通の議論ができる部分はきわめて大きいと考えられる。国際整合化が要請される時代には、まず国際レベルでの議論を先行させ、それに各国の事情を加味して国内規格・基準を制定していくという態度が必要である。それと同時に、ISO規格の作成、改定などに対してわが国からも積極的に参加し、研究実績を基礎として発言、提案をしていかなければならない。そのためには、学会をベースとした検討と国家的な支援体制が不可欠である。また、学術論文等も英文で発表し、わが国における研究実績を国際的にビジブルにしておく必要がある。 ○ 標準化の両面性:規格・基準など標準化は、諸刃の剣の側面をもっている。すなわち、共通の約束としての必要性からの標準化が、場合によっては新たな研究を阻害する面もある。基準・規格は常に見直しが必要であり、そのための基礎研究を絶やさないようにしていかなければならない。 ○ 性能表示制度:建物の性能表示制度そのものは行政の役割であるが、その前提となる居住環境に関する重要項目(空間性能、部位性能など)、性能の測定・表示方法の整理と再検討が学会レベルで行われる必要がある。また、性能予測法の開発と高精度化、表示性能の検証方法、性能のばらつきの統計的解釈などについても研究が必要である。表示制度を実施するためには、性能評価グレード(定量的、定性的)に対する一般の理解を得るための方法を真剣に考えなければならない。 参考文献1) 日本建築学会環境工学委員会・音環境運営委員会、「第41回音シンポジウム-建築音響関連規格・規準における問題点と今後の展望」(1996.3) 表-1 築音響関連JISのISO整合化(その1)
表-2 建築音響関連JISのISO整合化(その2)
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