水環境分野におけるアカデミックスタンダード
信州大学工学部社会開発工学科
水環境小委員会主査
浅野良晴
1.水環境で取り扱うアカデミックスタンダードの範囲
都市・建築における水利用はそのシステムのあり方,水資源と環境保全について適正に計画されなければならない。まず水利用システムについては,給排水衛生設備に関わる基準や規準があり,そこでは安全性特に衛生性確保が重要となる。従来の建築基準法施行令および告示では建築設備関係の中でも給水、排水その他の配管設備の設置および構造に相当量の規定がおかれている。基準法の改正に際して、給排水衛生設備に関するものでは、飲料水の配管設備、排水設備、雑用水、排水再利用設備、給湯設備について技術基準に関する検討がおこなわれているようである。また、下水道との関係から、浄化槽に対する要求性能の高度化に関して検討が進められている。これは住宅におけるディスポーザーの普及との関係で重要なものとなる。
こうした状況の中で、学会を中心とするアカデミックスタンダードは基準作成の先行的指針になるものや、基準の補完としての位置づけがされるものなどが考えられる。現在積極的にアカデミックスタンダードとしての学会規準を保有している団体として空気調和・衛生工学会があげられる。そこではHASS(Heating, Air-conditioning and Sanitary Standard)として給排水設備に関わる次のような規準がある。
[空気調和衛生工学会の規準]
HASS 010 : 空気調和・衛生設備工事標準仕様書
HASS 203 : 排水・通気用鉛管
HASS 206 : 給排水設備規準・同解説
HASS 209 : マンホールおよび格子ふた
HASS 210 : メカニカル形排水用鋳鉄管
HASS 211 : 大気圧式バキュームブレーカ
HASS 212 : 水撃防止装置の試験方法
HASS 215 : 圧力式バキュームブレーカ
HASS 217 : グリース阻集器
水資源に関わるものとしては,水の有効利用の観点から排水再利用や雨水利用などの雑用水利用がある。わが国においては毎年どこかの都市で渇水問題が起きるなど,水不足が慢性的になっている。そして,水道の主たる取水源である河川の水質が年々劣化してきていることなどから,循環型社会への取り組みの中で,排水再利用や雨水利用が取り入れられている。排水再利用水は,従来便所洗浄水以外は使用できなかったが,建設省の排水再利用マニュアルで雨水利用が取り入れられてから,修景・散水用水や親水用水への適用が可能となり,適用領域は拡大されている。一方で節水に対する関心は高まっており,浄水の節約は大いに推進したいところであるが,本来の機能の低下が心配される面がある。また,住宅での水のカスケード使用や雨水の雑用水としての利用などが行われているが,衛生的な観点からの規準の作成が必要なところである。
環境保全に関しては多くの法規制がある。排水を排出する立場では建築基準法や水質汚濁防止法に基づく排出基準がある。建築基準法の告示1292号では屎尿浄化槽からの放流水はBOD濃度と除去率が定められている。水質汚濁防止法では生活環境項目の一般排水基準が定められている。動植物が水を利用する立場では建築に関わる基準としして水道原水水質基準があり,健康阻害項目,利用阻害項目および健康阻害項目とその基準値が指定されている。また海水浴場判定基準,人の健康の保護に関する環境基準,生活環境の保護に関する環境基準(河川,湖沼,海域)があり,親水空間の計画を行う際には規制されることとなる。これらを包括的に表した親水空間設計法の確立が必要である。
2.水利用システムに関する規準
2.1 給排水衛生設備に関する規準
人の健康保持及び生命維持に関わる衛生的環境の実現のために、給排水衛生設備はきわめて重要な役割を果たしてきている。その設計・施工・維持管理を行う際に、設備使用者の利便を図り、衛生的で、かつ十分な機能を発揮し、かつ建物との調和をとることをめざし,ビル衛生管理法がある。また,建物内に水を供給するための給水装置は水道法で定められているが,受水槽以後の建築物の給水設備は規定されていない。建築物に設ける飲料水の配管設備を安全上衛生上支障のない構造とするための基準は建設省告示で定められている。これらの基準は最低限守らねばならないものであり,日本建築学会がアカデミックスタンダードとして考えなければならないものは推奨規準に近いものである必要がある。次に空気調和衛生工学会で定めている規準を示す。
(1)HASS206:給排水設備規準・同解説
HASS206は国の給排水設備技術基準の中にその一部が範として採用されるなど、わが国の給排水設備規準の発展に重要な役割を果たしてきている。しかし、アカデミックスタンダードに共通の特徴として、法的拘束力を持たないために必ず順守すべきものという所までには至っていない。しかしながら,わが国で建設されている建物またはその敷地内に設けられるほとんどの給排水系統は,この規格に準拠して設計・施工・維持管理されている。施行令・施行規則などの関連法規では最低限の順守すべき内容が示されていることから,より望ましく,またより質の高い環境をつくろうとする際に参考とされる場合が多い。範囲は配管,給水及び給湯,排水通気,間接排水及び特殊排水,雨水排水,衛生器具及び阻集器,検査及び試験にわたっている。
(2)HASS010:空気調和・衛生設備工事標準仕様書
HASS010は空気調和設備と給排水設備の工事の標準を示すものである。施工までの手続き,工事現場の管理,機器・材料・施行,検査,引き渡しまでの範囲を含んでいる。給排水設備に関わる部分はHASS206を受けてその施工に関係するものが詳細に記されている。衛生的環境の実現のためには施工の水準を確保することが重要であり,かつ広範囲にわたって記されていることから,この規準は実務面では広く使われている。施工の段階までアカデミックスタンダードでカバーしているのは特徴的である。
以上の規準はビルの場合に適用されるが,住宅においてもその骨子は重要である。戸建住宅の給水は水道直結式であることから水道法で規制されるが,集合住宅の場合は適用されない。ただし,集合住宅は施工時に設備は完成し,その後に使用者が手を加えることは少ない。どちらにおいても使用者の管理責任と言うことで,機器などを自由に取り付けて使用することは問題となる場合がある。
2.2 安全・衛生性に関する規準
給排水設備の使用に当たり,衛生性を損なわないように給水の汚染防止を心がけなければならない。この防止のための1つに吐水口空間の確保がある。HASS206では当初から逆サイホン作用の防止のための規定条文がある。最近の直結増圧給水に対応した水道法の改正に当たり,大きな口径の配管に対して規定をしなければならなくなり,HASS206は参考にされている。こうしたアカデミックスタンダードの先見性は重要な点であろう。
住宅における水回り設備の開発と普及はめざましいものであり,多くのものが市場に出されている。それらのもが安全性と衛生性を十分に保持していることは国民の生活にとって重要なことである。現在,インライン型浄水器,食器洗浄機やディスポーザなどを給排水管に取り付ける場合は建築基準法の38条に拠り日本建築センターでの評定が必要であるが,その取り付け方法などはあらかじめHASS206の規定に基づいて考えられている場合が多い。
給湯配管中のレジオネラ属菌の繁殖はたいへん危険な問題である。在郷軍人病とも言われるレジオネラ症はレジオネラ属菌を含むエアロゾルを吸入することで感染する。レジオネラ属菌は各種環境水において生息していると言われている。それらは空調用冷却水,給湯水,修景水,24時間風呂,温泉水,飲料水タンク,雑用水,室内プール水である。レジオネラ属菌を繁殖させないための処置や感染の危険性の高いエアロゾルを発生させない機器などを包括的に規定した規準が必要である。
用途毎に水質の異なる水を建物内で使用する多元給水に対する規準が必要である。現在は飲料水から便所の洗浄水まで同じ水質の水を供給しているが,水源の汚染がすすむと処理にエネルギーと費用がかかるようになる。そこで,資源の有効利用や地球環境の視点から見れば,用途別の要求水準に応じて雑用水,上水,上質水と行った多元給水は合理的な方法といえよう。この場合,用途とそれに見合う水質を建物内でフレキシブルに規定することが設計において要求される。
その他の空気調和・衛生工学会の関係する規準を紹介する。
(1)HASS212:水撃防止装置の試験法
給水管における水撃発生は不快な振動・騒音を引き起こし,場合によっては給水器具や配管部分に損傷をもたらす恐れがあるのでこれを防止しなければならない。そのための防止装置の効果を試験するには決められたやり方で行わないとその有効性が確認できない。建築における給水配管は管種と管径の多様性とその長い管長により,発生する水撃は特徴的である。また,学会で蓄積された研究資料や技術資料を活用したこの規準はアカデミックスタンダードにふさわしいものといえる。
(2)HASS215:圧力式バキュームブレーカ
バキュームブレーカとは給水管内が負圧になった場合に,容器の水を吸い上げることを防止するために設けるものである。常時圧力はかかるが背圧のかからない配管部分などに使用されるものである。米国においてはASSE 1020[ANSI A 112.1.7]で規定されているが,わが国においては空気調和・衛生工学会のアカデミックスタンダードとして規定されている。
(3)HASS211:大気圧式バキュームブレーカ
このバキュームブレーカは常時圧力のかからない配管部分または水栓などに使用されるものである。米国においてはASSE 1001[ANSI A 112.1.1]で規定されているが,わが国においては空気調和・衛生工学会のアカデミックスタンダードとして規定されている。
ASSI : Amerocan National Standards
ASSE : American Society of Sanitary Engineering
3.水資源に関する規準
水需要ひっ迫に伴い,水使用者が水を有効に使うことは重要であるが,水供給事業者においても節水型社会の形成につとめ,水の合理的利用を呼びかけている。これは個人・法人が生活や事業を営む際の水使用における浪費の減少及び効率的利用を意味している。水使用量の増加は排水量および汚濁負荷量の増加を随伴し,処理が不十分な場合には河川水等の水質を汚濁する。そこで水使用量を必要最小限にとどめ,増加を抑制する配慮が必要とされる。こうした都市や建築で行う合理化には次の4つのやり方がある。
○洗浄対象物の減少
○不要水のカット
○多段洗浄(カスケード使用)
○単一用途の循環利用
生活の中で,用途を果たすために使用する器具からの吐出量をどの程度にするべきかは,学会での研究資料や技術資料を踏まえて規定していく必要がある。給排水設備が住生活において衛生性の確保に大きく結びついていることから,単に節水することがその目的に反してしまってはならない。
住宅の設計において節水機器をできるだけ使っていくことは,循環型社会にとって重要なことであり,日本建築学会としても推奨する必要がある。その場合に上水の衛生性の維持は当然だが,雨水利用やカスケード使用を計画する時,閉鎖系管路での使用などを限定しておくことが重要である。
4.環境保全に関する規準
「建築の水環境」における環境保全としては水質汚濁防止が重要である。従来から都市などにおいて環境を保護する法は公害対策基本法を中心として成り立っている。
住宅のような小規模の汚染質の排出は規制しにくい。しかし,最近はディスポーザが普及しだしている。これは住宅の台所で発生する生ゴミを粉砕処理した後に浄化槽で処理した排水を下水道に放流するものである。環境庁は平成2年度に水質汚濁防止法の改正において,国民の責務として台所対策の徹底を法制度上で実施している。ディスポーザの普及はこれと逆行するものであるから,環境に対する負荷を低減するために厳しい排出基準が設けられなければならない。こうした背景の中で建設省総合技術開発プロジェクトの方針に基づき,規模別に排水処理施設としての濃度基準が示されている。今後にアカデミックスタンダードとして規準化しなければならないことは台所における水使用負荷を算定する設計法であると考える。いわゆる設計者・施工者のモラルに頼るだけでなく,アカデミックスタンダードとしての規準の重要性がそこにある。
空気調和・衛生工学会で定めている規準を示す。
○HASS217:グリース阻集器
グリース阻集器は営業用厨房その他の調理場(家庭を除く)から出る排水中に含まれている油脂類が排水管中に流入して配管を詰まらせることの無いようにそれを除去するものである。これにより,下水管に流入する負荷を大幅に低減することができる。工場生産の阻集器の選定基準および現場施工の阻集器の構造規準がこの規準に定められている。
5.省エネルギー性に関する規準
住宅における湯の使用を考える場合、その時系列データの把握が重要である。空気調和・衛生工学会における給排水衛生設備委員会の「負荷算定と最適計画小委員会」では給湯において、どの時間長さでの集計値を時系列データとすることが適切であるか検討している。レジオネラ属菌などの繁殖を抑制するためには55℃以上で加熱する必要があるが、使用末端での温度を下げないために高い温度での加熱を前提とすると熱源が過大に計画されてしまう。また、ピーク使用時の湯温の低下は衛生性の確保の点から見過ごせないので、適正な熱源計画と制御方法を合わせて検討する必要がある。こうした点について、技術資料に裏付けされ、かつ他の設備計画との整合性を持った規準を作成することが重要である。
6.まとめ
日本建築学会においてアカデミックスタンダードを考える場合,水使用における衛生性の確保および環境への負荷低減を骨格とする必要がある。また,設計者だけでなく,使用者に対しても啓蒙するものとなる性格を持たせなければ効果は十分とはいえない。
引用・参考文献(主たるもの)
(1)HASS206-1991 給排水設備規準・同解説,社団法人空気調和衛生工学会,1992.4
(2)改訂ビルの環境衛生管理上下巻,財団法人ビル管理教育センター,1996.1
(3)解説給水装置の構造および材質の規準,財団法人給水工事技術振興財団,1998,9
(4)山田賢次著,建物内における上質水−安全でおいしい水−,1995.6
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