建築計画ニュース039
−1998年度 秋季学術研究会報告特集号−

1999.4.30

日 本 建 築 学 会

建築計画委員会


1.1998年度建築計画委員会秋季学術研究会報告

「見えない箱を開く:新国立劇場とオペラシティを例とした劇場空間論」

本杉省三
齋藤 義


1998年度建築計画委員会秋季学術研究会報告

「見えない箱を開く:
     新国立劇場とオペラシティを例とした劇場空間論」

本杉省三(日本大学理工学部・劇場ホール小委員会主査)
齋藤 義(建築家/アトリエR代表・劇場ホール小委員会委員)

 例年であれば春季に行われる学術研究会を今年度は都合により秋季(1998年11月6日〜7日)に行った。オペラシティ・コンサートホール,新国立劇場の見学と,ガレリアでのコンサート(実は当日の寒さで急遽アトリウムに変更になって,図らずもなかなか開けない劇場・ホールを逆に証明した格好になってしまった),そしてシンポジウムという組立で行った。盛り沢山の内容のためにやや時間切れとなってしまったのが惜しまれるが,会員外や学生の参加者も多く,建築学会の活動を知ってもらうよい機会となった。また,模型展示(協力:TAK建築・都市計画研究所)も行ったりと充実した研究会でした。

 第1日目の見学会は120名ほどの参加を得て,まずオペラシティ・コンサートホールでNTTファシリティーズの林雄嗣氏から施設全体の計画に関する説明を受け,その後柳澤孝彦氏からコンサートホール設計での取組について伺った後,近江楽堂を含めて見学を行った。10時からは新国立劇場に集合し,オペラ劇場・中劇場の順でやはり柳澤氏から概略説明を受けた後,新国立劇場技術部の案内と解説のもとに客席・舞台裏をグループに分かれて見学し,共通ロビーで1/20の断面模型・パネル展示などを見て再びオペラシティに戻り,約1時間ほどのカルテット演奏を楽しんだ。昼食時ということもあって,一般の人たちも立ち止まり耳を傾けてくれて建築学会の活動をアピールできたように思う。

 2日目のシンポジウムには前日からの参加者に約60名の方が加わり,180名ほどの参加者を得て新国立劇場小劇場において午前10時30から午後5時まで行われた。 第1部「舞台創造に劇場空間はどう応えるか」コーディネータ:齋藤義(アトリエR)では,主として作品を作り表現する側からの興味深い報告があった。オープニングの「タケル」や「蝶々夫人」に出演したオペラ歌手の林康子女史は,楽屋から舞台への距離,舞台上で自分の声やオーケストラの音がよく聞こえることの大切さ,しかもそれが舞台装置によって変わること,多くの時間を楽屋内で過ごす歌手にとってその快適さが重要であることなどを経験談として語ってくれた。関田正幸氏(ジャパンアーツ)は,アーティストを気持ちよく舞台に送り出し良い演奏をしてもらうように気配りをしているが,多くのホールは表のロビーや客席の立派さに比べて,楽屋の狭さ,少なさ,勝手の悪さ,余裕のなさが目立つことを指摘した。舞台美術家の堀尾幸男氏は,新国立劇場のオペラ劇場でも中劇場でも沢山の仕事をしており,中劇場については,プロセニアムにもオープンにもなる劇場なのだからうまく使い分けて使うのが望ましいとの意見。が,演出家はしばしばそれを一緒にして使いたがる。舞台を飾る立場からすると,空間は広々とあってもそれを埋めるだけの予算があるわけでなく,その点で大変につらいものがあるというギャップを語った。吉井澄雄氏(舞台照明家)は,新国立劇場建設に30年以上も関わったという経緯から,現在は建物の形ができただけで,まだ劇場作りの過程にあると言わざるを得ないこと,ロンドンのナショナルシアターのようにロビーにパブやブックショップがあり,音楽や詩の朗読,展覧会などが行われ,ふらりと来てもそれらに出会える場であることが重要であり,そのアクティビティがまだ見られないことが残念だと話された。設計者の柳澤氏は,コンペから13年間をかけた仕事の中で様々な困難さに出会ったが,それらの困難さや約200人の舞台人とのコミュニケーションを通して,舞台の裏側から客席の方をみて劇場を設計するスタンスに立つことができたという印象深い言葉と「アイーダ」の演出家ゼッフィレリが「一日で我が家のようになった」と言ってくれたのが嬉しかったと話した。

 第2部「観客の楽しみに劇場空間はどう応えるか」コーディネータ:杉浦久子(昭和女子大学)では,観客側から見た楽しみの場としての劇場と観客に楽しみを与える作り手の側からの視点が展開された。音楽評論家の堀内修氏は,時間の蓄積という点を強調された。三浦環や藤原義江がオペラ座を作りたいと願い,その願いがここまで来た。ヨーロッパの劇場には,それぞれの過去があり未来があるように,時間の記憶ができるだけ厚く欲しいのだが,ここに歴史が積み重なっていくのかという不安がなくもない。それを我々観客が付けていこうと呼びかけた。小空間から出発し活動の場を広げてきた演出家で俳優の串田和美氏は,劇場の本質を私たちに投げ掛けたと言える。旧俳優座は,舞台が狭く使い勝手は今の水準からは劣るかもしれないが,そこに行くだけでわくわくさせる魅力があった。中劇場がいい劇場かどうか話題になっているが,いい劇場であることがいいことなのか?何でもできるという良い条件で萎えてしまうよりも,何か苦戦しそうだというところで,逆に何かしてやろうという創造意欲が大切だという熱い話だった。音楽大好きの船越徹氏(東京電機大学)は,ホールにおける座席からの視野に関する調査研究をもとに説明した。また,ここをオペラシティと複合した劇場都市というならば,誰でも利用できる開かれたロビーの構造を期待したかった。客席のR部で二分されてしまうホワイエも魅力的でないといった点を指摘した。古谷誠章氏(早稲田大学)は,テントや小劇場の過酷な座席から芝居を見てきたが,舞台に正対して座るオペラの世界もある。どうも施設が立派になるほど管理が厳しくなり窮屈になるようだ。劇場が物理的に開かれ中が見えるということよりも,劇場に向かう人々が見えたり,活動の生き生きとした雰囲気が街にしみ出していることの方が大切ではないかと,開くべき意味を語った。

 第3部「都市の共有財としての劇場空間」コーディネータ:長澤泰(東京大学教授)では,全員が舞台に上がって意見交換や質問に答えた。関田氏からは観客の側を考えていない劇場・ホールの例として,女性トイレの不足,バーコーナーの狭さ等を報告。吉井氏は,P.ブルックの言葉「建物が美しくても,生命力の爆発が起こらないこともある。劇場というものの不思議が解明できなければ,劇場建築がひとつの科学として整う望みはない。」を引用し,人間同士の精気ある関係をもたらすものは何か,建築家と劇場人は同床異夢の関係で終わるのだろうか,そこで演じられるものが何かをしっかりと考えていただきたいと苦言を呈した。それまでの話を受けて長澤氏は,30年研究してきた病院建築での問題意識を話した。これまでは医者や看護婦が働きやすい病院とは何かを追求してきたが,この考え方ではダメなことが分かってきた。これからは,そこへ行くだけで半分治ってしまうような魅力ある病院を作らねばと劇場の問題と重ね合わせた発言があった。柳澤氏からは,いい住宅は風呂敷のような包容力があるというが,ここの共通ロビーもそのようなある種の寛容さを備えたもの,ロビーでの人々の出会いが力となって歴史を刻んでいくという希望を述べた。会場からは,日本語でのオペラ上演をもっと増やせないものか,レジデントシアターを目標とした新国立劇場だが目下はノンレジデントだ,むしろレパートリーシアターとしての姿を採るべきではないか,等といった質疑や意見が出された。

 このように非常に多彩な意見が交換された。劇場はその性格上閉じた施設となりがちだが,しかし同時に観客や市民の場であり,楽しみの場として都市の文化的なアイデンティティを示す親しみの場でもある。その意味で,今後の劇場空間が都市や人々との関係においてどのようにあるべきなのかを振り返ってみる貴重な時間となった。