建築計画ニュース041
1999年度春季学術研究会(倉敷)報告特集号

日 本 建 築 学 会

建築計画委員会


1999年度建築計画委員会春季学術研究会報告

「時代の流れに生き続ける建築」

                                                   中山 茂樹(千葉大学)
                                                   篠崎 正彦(昭和女子大学)


第2日 1999年6月12日(土)

第2日開会挨拶
柏原士郎(大阪大学):昨日からハードなスケジュールでしたが、無事に進行してきています。倉敷は魅力的な街なので参加者が街歩きの最中などにぽつぽつと街に消えて行ってしまうのではと心配しておりました。そのようなこともなく、2日目を始められるようです。
この研究協議会がなぜ住宅と病院を一緒に取り上げるのか。そして、昨日見た集合住宅が時間の流れの中に生き続ける建築なのか。この2つの疑問を持っておられるかもしれません。計画者、設計者とも包括的に生活環境を考える必要があると思っており、学会においてもセクショナリズムを打ち破る取り組みをしていく必要があると考えております。
住宅は病院であり、病院は住宅だという認識が基本にあります。
住宅の設計者は竣工写真でなく、住み続けられた姿を想定して設計を考えているのであろうし、病院の方々も時間の流れの中での病院のあり方について深く考えていらっしゃる。盛んな議論のある一日にして頂きたいと思います

パネルディスカッション Part1:住宅 10:30〜13:00
パネリスト:丹田悦雄(丹田工房)
阿部勤(アルテック建築研究所)
遠藤剛生(遠藤剛生建築設計事務所)
三井所清典(芝浦工業大学)
鈴木成文(神戸芸術工科大学)
コメンテーター:栗原嘉一郎(筑波大学名誉教授)
吉村英祐(大阪大学)
福田由美子(広島工業大学)
司会:高田光雄(京都大学)
記録:篠崎正彦(昭和女子大学)

■パネリストから


高田光雄(京都大学):まず、簡単ですが順にパネリストを紹介します。丹田先生は第1期を担当、阿部先生は第2期の担当、遠藤先生は第3期を担当されています。三井所先生、鈴木先生には専門家からの評価をお願いいたします。後でコメンテーターの栗原先生、吉村先生、福田先生のお三方からコメントを頂き、さらにフロアを含めてディスカッションをしていきたいと考えています。
この研究会の主旨は、先ほどの柏原先生の説明通り、時間のパースペクティブの中で建築を考えるということです。時間だけでなく空間のパースペクティブ出てきますが、分析的でなく、具体的な事例をもとに拡張的に議論していきたいと思います。中庄団地と時間の関係を見ていきますと次の5つの点が挙げられるかと思います。
(1)既存部分は1961年に建設が始まり1976年まで。1992年には第1期の建て替えが始まる。
(2)全面的な更新ではなく、順次の建て替えが行われていること。
(3)既存建物と建替建物との関係があること。
(4)周辺の集落をはじめとしたこれまであった環境との関係が考えられていること。
(5)再入居者に加え新しい入居者も含めた集合住宅のマネジメントといった未来へのパースペクティブがあること。

丹田悦雄(丹田工房):今回取り上げていただき、この様な会に呼んでいただき大変光栄で、お礼申し上げます。昨日の見学会でも色々意見を頂き参考になりました。竣工以来、私の中でもやもやしている部分があったが、皆さんの意見に刺激を受けてもやもやを解決したいと思います。
しかし、この壇上に上がっていて居心地が悪く感じもします。その理由は2つあります。
一つは、中庄団地の建て替えはC・T・O(クリエイティブTOWN岡山)の一環であるので、岡田(新一)先生にこの場に来ていて欲しかったということ。C・T・Oの趣旨としてはアイデンティティの連鎖ということがあり、時間とともに面的にも計画を進めてきている。また、C・T・Oの意図として広く色々なものをばらまくことで、生活文化の質を向上させて行くということもあります。
二つ目には、話の時間が短いということがあります。今回のお話を頂いた時に、夕食を挟んで終わりのない会合はどうかという提案をしましたが、駄目でした。昨晩、倉敷の街を散歩してから資料集を見ました。私の言いたいことはこれに載せてあるし、鈴木先生の文章もあってますますここで言うことがなくなってしまった。できれば後の時間をディスカッション、意見のキャッチボール、設計のモニタリングの時間にしたいと思っています。
今あえて話すとすれば、第1期のテーマとしては「生活の庭」構想というのがあります。公共住宅は住戸を除けばすべてパブリックだと考えています。今回はパブリックとプライベートの間のセミパブリックを最大限に取ろうとしました。予算を切り詰めた中でランドスケープを作っていくための戦略という面もあった訳ですが。「生活の庭」というのは中庭などに比べると分かりにくい。ランドモデュールをはじめとした、分かりにくいものを分かりやすくするためのアイデアを資料集に載せてあります。

阿部勤(アルテック建築研究所):私の担当した第2期はできてから3年経ちました。3年しか経っていないものを「時間の中で生き続ける」と言っても良いのかどうか。
「住まいの原景」という私の設計テーマとからめて資料集に文章を載せてあります。自邸が私の設計の原点であり、25年間同じ考えで設計を続けています。「原景」とからめて自分の家を紹介します。
この家(自邸)は時間が経つにしたがって段々良くなっていると、本人は思っています。所沢、東南角地の60坪。昔は周りは雑木林でした。今は建売住宅が並んでいます。土地は抽選で当たり、なけなしの金をはたいて買ったのですが、すぐに家を建てろと業者に言われ、無いものは無いので、3年後に建てたものです。
建物の軸を敷地に対して振っています。角に空地ができるので、ケヤキを植えています。建物は二重壁で、内側の壁の中を中心としているが、特に何の部屋とは決めないで住んでいます。外側の壁と内側の壁の間に中間領域があり、生活が展開している。2階中央に寝室があり、出ていき、帰ってくる住まいの中心となっている。1階はコンクリートに囲まれた空間、2階は緑の中に浮かぶ、木が中心の開かれた空間となっていて、その時々で使い分けられるようになっています。
友人によく「お前は本能で建築を作っている」と言われるが、角のケヤキが大きくなって家を覆っているのを見ると、家を自然の中に埋もれたものにしたいという本能があったのかもしれません。中庄団地も何十年後かには緑に埋もれた環境になるのではないかと考えています。
この角はセミパブリックな空間であると同時に、私の家の顔になっています。玄関扉はタイから持って帰ってきたチークの一枚板にカービングしたもの。家を建てる前に、まず扉ありきだったわけです。開口は、こちらから外は見えるけど、外の人は見られていると感じないようになっており、中庄団地でも同じようなことをやっています。

遠藤剛生(遠藤剛生建築設計事務所):昔からやってきたものを資料集からカットしてしまったが、あった方が良かったかと思っています。プロジェクトをやるごとに宿題をしょいこんでしまうのですが、その中でも一番大きいものは「組織化された混沌」ということです。考え方も形もきちんとしたプロセスを踏んでいくと自分も堅苦しく感じるし、空間も固く感じるものになってしまっていました。
まったく新しい土地に計画するのと、既存の環境を含んだ中で計画していくのはまったく違う。
これまで建築を計画していく時、「自然的な要素の連続」、「人間的な要素の連続」、「生活の連続」という3つのことを考えてきました。これに関連して3つの手がかりあるのではないでしょうか。
一つは、機能なども含めて、地域の環境とどう連続・一体化するか。二つは、外に開いていくことが連続して必要。三つ目は自律的な空間を残しながら、他律的な面も生かそうとすること。このことは中庄団地のプロジェクトで決定的に出てきました。今回はいい意味でのルーズさがあったと思います。自律的に考えて、プロトタイプなり何なりを無理やり敷地に当てはめてしまうと折り合わない部分が出てきてしまいます。
周囲の多様なカオス・環境を逆手にとった計画として、1・2期の立体街路を受けて、ピロティの下を通すことをしてみました。6ヶ所のピロティをつなぐ。廊下側の掃き出し窓を大きくし、条件が整えばリビングアクセスにする。個室を孤立化させないなど。色々なことをしました。街区も住戸も開いていくように。住棟間のスリットによる中と外のつながり。里山集落を参考にして自然な配置、道路の拡張など。時間とともに変わっていくことのできる環境となるように考えています。
アジアのモンスーン地帯では四季に応じてうまく調節できる暮らしをしてきました。具体的には、以下のようなことを個々の場所との関係で決めていった訳です。
中層まで緑が上ってくる。かつてのアカシア並木を残す。周辺との屋根の色や形の調和。コンクリートブロック、スレートなどのなじみのある材料の使用。自転車置き場を景観要素に。花台や戸外のリビングとしての庭。
このように個々の場所との関係で決定していくとシステマティックになりすぎない。
周辺のどこから見てもなじむように配慮したが、それが時間の中で生き続けるということにつながるのではないでしょうか。やや楽観的かもしれないが、そう考えるしかないのではないかと思います。

三井所清典(芝浦工業大学):この様なプロジェクトを進めるに当たって、コミッショナー岡田先生と県の担当者の大変な配慮があったのではないか。3人の建築家に加えて、敬意を表したいと思います。
丹田さんは数日前に初めてお会いしたが、ポイント棟の屋根がいろいろになっていて、どうなっているのだろうと思った。阿部さんは要望ギロリとサムライのような人。遠藤さんはコンクリートゴツゴツ、頭はバサバサ。3人のじゃじゃ馬・サムライを統御するコミッショナーと県は大変だったろう。
計画研究の成果を生かすということがきちんとされているということが今回の成果の一つではないでしょうか。例えば、リビングアクセス、外に開いて住んでいくということ。
夕方に自動車の来ない時間に道路で遊んだり、盤台をだしてくつろぐといった子どものころを思い出して、中庄ではタイムスリップした気分でした。今まで集合住宅ではなかった空間ができ上がっていました。以前作った方南町の集合住宅でもリビングアクセス的なことをやったが、中の人と外の人の距離が近くてギョッとする感じがしました。自宅はコーポラティブ。いろいろ議論はあったが、個別の領域を確保するためにベランダ間の仕切りをつけることになりました。民間デベロッパーにリビングアクセスを提案しましたが、売れないといって却下された。なかなかリビングアクセスは難しい。それがこれからどうなっていくのか興味があります。
けさ第1期を見てきたが、子どもが遊んだり、おじいさんが新聞読んだり、おばさんが植木に水をやったりと楽園のような風景でした。ポイント棟と連続棟がなじんでいる。外から中を見ても、中から外を見ても違和感がありません。
コミッショナーが阿部さんを選んだのは、阿部さんの自邸の雰囲気を集合住宅に持ち込みたくて選んだのだなあということが理解できました。
第3期では、公共住宅のコストの安さを考えると(第1期・2期を含めて)多様で意外な空間性がある。行政にもちゃんとフィーを出すようにお願いしたい。多くの人が中庭にいても声がエコーしないで外に抜けていきます。あの複雑な形がどう出てくるのだろうと思ったが、「組織化された混沌」という一語で整理できてしまいました。
現地で千葉大の延藤先生が阿部さんの3階部分は木造でできないかなあと言っていたが、自邸を見せていただいて、まったくそう思いました。
大きな窓には庇が有る。ストリートファニチャーのデザイン、土とペーヴの取り合いなどものすごくきちんと考えられて設計してあります。
初めに3人のじゃじゃ馬をコミッショナー・行政が慣らしたなあと思ったが、「権力」というじゃじゃ馬を3人の男たちがコミッショナーを通じてうまく飼い慣らしたなあという感じがする。これからは管理がきちんとできるような対応をして頂きたいと思います。国レベルでは公団の改編など逆方向に進んでいる気がします。

鈴木成文(神戸芸術工科大学):時間・空間の連続性が重要です。近代主義はこれを無視してしまいました。中庄はこれに重点を置いた。生活そのものの時間・空間での連続性を大事にしなければいけないのです。
生活領域の連続性が保証されなければいけません。それには住戸の開放性・向き・表出が重要です。中庄ではこれらのことが実現されています。視線がどこから何が見えるか、どう交差するかが住居集合では大切です。第3期では様々な視線のあり方があります。住居のスケールをどう適切にするか、その変化をどうするか。美しいだけではだめなのです。
住戸周辺だけでなく、住棟・団地・地域へと共有領域が広がっています。地区全体で児童相談の件数が減っているといいます。地域全体のイメージが良くなっているのではないでしょうか。公共住宅の建て替えは住宅だけでなく地域全体のイメージのために非常に重要です。


■コメンテーターから

高田
:いったん流れを切ることになってしまいますが、コメンテーターの先生方から話をして頂きたいと思います。初めに地元の住宅研究者であり、建て替え研究もやられている福田先生にコメントを頂きます。

福田由美子(広島工業大学):見学したことを言います。
30数年住んできた住民の力をなくさないような建て替えであって欲しいということです。中庄の建て替え前の姿は見ていないが、何が受け継がれ、何が消えたかを伺いたい。
第1期では多くの花が植えられていた。従前からそうだったのでしょうか。今回の境界の作り方でできたことなのでしょうか。中央の中庭に居住者が三々五々集まって、一日のことを話していました。建て替え前はしていなかったという話を聞を伺いました。
自由に使える、フレキシブルという話が出て、時代の流れに生き続けるためには大切だが、これから増築なども行われるだろうがどうなっていくのだろうか。第3期は従前によく使われていただろうスレートなどの材料が使われていますが、増築に対する備えだったのでしょうか。

高田:空間の重ね合せの話はたくさん出たが、生活の重ね合わせの話や生活像の話は出ていなかったので、後で答えて頂きたいと思います。
次に大阪大学の吉村先生。

吉村英祐(大阪大学):きのう第1期での居住者に声をかけられました。「2期、3期の方が1期の経験が生かされていて良い」という話でした。実際の設計・施工期間を比べると間違っているが、年期を経て住むことでそういう思いが出てきたのかなと思う。
座る場所が沢山あるのが良い。高齢者の外出を誘うことにもなります。花を植えるのは掃除や公平性の問題もあって難しいかもしれない。
募集も一括で行うのではなくて、選択して入居できるようになればよいと思います。

高田:生活の展開を見て、設計も展開していくべきだという指摘と受け止めました。

栗原嘉一郎(筑波大学名誉教授):なぜコメンテーターになっているのかとも思うが、やや距離をおいた視点からのコメントを求められているのかも知れません。
とは言え、60年代に大阪にいた時にソシオメトリーから、集まって住むにはどうしたらよいかを調査していました。その時分の集合住宅は大同小異で調査対象を探すのに苦労した思い出があります。
今回は計画手法も豊富になり、公共住宅でこれを実現させた苦労に敬意を表したいと思います。
突然リビングの前に出たりしてギョッとすることがある。計画意図は理解できるがカーテンを閉めっぱなしにしている住戸も多く、巣としての住戸としてはストレスがあるのではないですか。花を植えることも少しオーバーヒートしているのではないでしょうか。
とはいえ、こういったものを評価していくのが学会ではないかと思います。若い研究者も奮起してこの様なものを評価して欲しい。
集合住宅で時の流れを考える時、家族の成長を考えなければならないわけです。用意される住戸はライフスタイルの大きなうねりにどうのように対応するのか。ここ30〜40年で家族そのものの姿も大きく変わった。標準家族減少、単身世帯の増加など、こういった変化を集合住宅はどう受け止めていくのか。

高田:住居の機能や表出のプラス・マイナス面、家族の変化という住宅計画の基本、評価研究の重要性といった指摘だったと思います。これらのご指摘をふまえて議論を積みたいと思います。


■質疑応答

遠藤:自分の理解している範囲で、ポイントポイントについて話をします。
空間の連続性と生活の連続性について。従前の住戸は見ていないが、プランは見ました。ライフスタイル・ライフステージライフサイクルという3点から見てみると、昔は襖のようにつなげたり、仕切ったりできる住み方であったわけですが、フレキシビリティだけでなく、内外のつながり、開放性を考えています。今回はつなげたり、仕切ったりできるような設計としました。
吉村先生の質問について。平行配置は平等ではありません。接地性、日当たりなど決して平等ではない。最上階の柱を無理やりベニアで太らせて、面積同じです、というのは変ではないですか。文化や地方性によってもずいぶん違うのではないでしょうか。それぞれの位置で場所の特性を生かして一番よくなるように考えて設計を進めました。
評価研究の話が出たましが、生活者が自分達だけで生活の中ですり合わせて、ギョッとしないで暮らしていけるようにならないでしょうか。

丹田:公平性は私も気になります。どう従前の居住者が再び入居してきたか話したい。事前のアンケートでは80%が平屋を希望していました。私は今回、準接地を心がけた。第1期は設計期間が短かったので、非公式な形ではあったが居住者の話を聞くようにしました。上の階に行くほど住環境が良くなるように配慮しました。エレベータを5階まで引き上げ、最上階は天井が高い。公社の方の話だと南面平行配置では選択が偏ってしまい、調整に非常に苦労するそうです。今回はいろいろなタイプの住戸が用意されたので、選択がばらけて入居は非常にスムーズに行きました。今日の人口動態統計では出産率1.38人になっています。公営住宅は子ども家族が歩いていける距離に住んでいたりして、家族構成は複雑になっています。
学会が出している『集合住宅計画研究史』は世界的に見ても大変すばらしい。密度濃く、よく目配りがしてあります。あれ一冊で充分です。しかし、それが広く伝わっていない。集合住宅はノンフィクションだと考えています。実際の生活をどれだけ見てきたか。それがあれば後はこの一冊で足ります。もう一度この様な本をまとめるいい機会ではないかとも思います。「建築グラフィック」という言葉があります。普通の建築にはフィクションがいります。しかし、集合住宅は多様な要素を多く集めた多様な美とノンフィクションであるべきだろうと思います。
時間がないのでしょうがありませんが、資料集に載っている住戸プランをじっくり見てください。

阿部:ストレスの話は気になります。第2期には高齢者住戸を20戸入れてあります。一般に高齢者というと1階に持ってくることが多いわけですが、3階にもばらまくことにしました。今行ってみるとカーテンを閉めている家が多い。昨日3階のペデストリアンを気持ちよく歩いた人も多かったかもしれませんが、歩きにくい道になって欲しかった。普段は昨日の見学時より活性化していますが、それでも程度があります。単身者が多いということも関係があります。生活がはみ出して活性化した状態になっていないが、なって欲しいと思います。
公営住宅であることも影響があります。居住者の反応には2つの傾向があります。一つは、行政に大きな反発を感じて、なんでこんなものを作ったのかと言う人達。2つ目は、お上に住まわせてもらって感謝していますという人達。なかなか本当の意見が聞けません。

高田:フロアからの意見を。

花里俊廣(筑波大学):集合住宅の調査をしていると、朝・夕の人のピークをはずれて一番人のいない時間に行っていることを感じます。
住民同士の認知(鈴木先生の言う共有領域)が3人の設計者で違うと思いました。3期は中庭とスリット、ポイントタワーで自分の位置が分かる、2期は線状、1期はグリッドと軸線を通してというようになっていると考えています。住民相互の認知が違ってきているのではないかという仮説を持ちました。接地性を高めようとすると、こま切れにしないとできないのではないでしょうか。

徳岡昌克(徳岡昌克建築設計事務所):時代を超えて集合住宅が生き続けていくには生き続けてきた人間の原風景をどう伝えていくかが重要です。向こう三軒両隣、遠い親戚より近くの他人と言います。集合住宅のコミュニティでお互いをカバーできないでしょうか。人を慈しむには大きなエネルギーがいる。その力はハウスやイエではなくホームで育てられると思っています。

鈴木毅(大阪大学):第1期について3点。中から外の建物や周囲が見ることができること。連続性が見える空間の作り方が、図式的でないこと。ダイヤグラムを空間に落とす方法をもっと考えなければいけないこと。素材の使い方について。優しい緑だけでなく、石が、それも鉱物的な石がゴロゴロ置いてあります。いろいろな素材が使われていることで知覚のレンジが広がった感じがしました。

服部岑生(千葉大学):3点言います。雰囲気が即興的で、テーマに即していないのではないですか。景観的な設計ではないでしょうか。生活的ではなく即興的ではありませんか。構造体はうまく残らなくてはいけない。公営住宅としては不適である。図式的である。

舟橋國男(大阪大学):タイトルは「時代の流れ」だが、今日の話は「時間の流れ」。その違いは考えなければいけないと思います。その時、その時の計画手法を積み重ねていくだけで将来長くに渡って考えて良いのかどうか。「計画」という観念にとって厄介なことではないでしょうか。

高田:最後にパネリストから一言づつお願いします。

三井所:福田先生の、あんなに花があるのは従前からではないかということだが、そうではないでしょうか。従前の低層に住んでいた人達の影響。建築ができてすぐ評価するのは危険です。BELCA賞というものがあり、学会でも時間を経た建物を評価して欲しい。どう変わったか、変わるキャパシティを持っているかという評価をするようにしたい。1期で3900mmのモデュールを使ったことや3期で配管を外側に出しているといったことがどうなるのか注目したいと思います。
研究者が世代ごとに伝えていかないと日本に集合住宅の維持ということは生まれないのではないでしょうか。

鈴木(成):『集合住宅計画研究史』をバイブルと言って頂いてありがたいが、研究者でもきちんと読んだ人はいないのではないか。丹田さんには頭が下がります。
栗原さんはストレスのある建築と言うが、ストレスのない建築というのはありません。見学者はリビングに出てきたギョッとするが、居住者はしずしずと進むようにできているはずです。
階段室型のようなものは、行政はともかく研究者はもう否定した方がよいのではないですか。室内は領域の作り方次第。座る場所ではなく、座れるような雰囲気の場所を作るようにしなければいけないわけです。研究をどんどんやれ、というのも危険。やるなら価値のある研究をやるべきです。幼い研究は居住者の迷惑と同時に危険です。

遠藤:いろいろ意見を頂いて、これからの設計に行かしていきたいと思います。中庄の後では、逆方向にどんどん進んでいます。ローコストでいいものをどう作っていくか課題にしたい。

阿部:建築の設計は人々が慣れ親しんだ自然環境、社会環境を探していくことだと感じました。

丹田:設計のモニタリングなどと初めに失礼な言い方をしたが、大変勉強になりました。
1期では既存棟を1つ取り込んでいます。岡山では古い公営住宅の空き家が多い。償却が終わって新しい投資が行われないでいます。再生できるような関係者の努力が必要です。
過去の経験をフォワードして将来どんなことが起こるのか重ね合わせて、住む人が自ら環境を作り出すことができるような手伝いをすることが設計かと思います。
全体は分かりにくい方がよいのではと考えています。住みながらだんだん分かってくることが大切。長いスパンに渡って少しづつ影響を与えられるように。

高田:長いスパンで考えて行くことを再確認するとともに、「時間の流れ」だけではなく「時代の流れ」を考えなければいけません。いろいろなアイデア(例えばリビングアクセス)も時間、時代の中で考えることが必要です。
生活像・生活の問題は今回は積み残しました。一人一人がどう理解して地域に生かしていくか。
研究方法も課題となりました。この夏の大会協議会のテーマになっていますので、引き継ぎたいと思います。家族の問題も大会パネルディスカッションに引き継ぎたい。
遅くなりましたが、これで第一部を終わりにしたいと思います。