本研究会は、2日目の研究会として標記をテーマに西島芳子(高知大学)の司会で進められた。わが国の南北端である沖縄県と北海道の住文化についてそれぞれの地域からの報告があり、これを受けて住まいとコミュニティー、家族関係等における伝統と近代化の相克、新たな地方文化の方向性について議論された。
(1) 沖縄の石造と木造の住文化――沖縄の住まいの過去・現在・未来: 福島 駿介氏(琉球大学)
住文化を比較する場合、ある意味では沖縄は外国であるので本州での研究手法をそのまま適応すると伝統がうまく反映されない。南の出来方と北の出来方は、寒帯と亜熱帯という気候の差からといった既成概念で捉えられている。そこで類似性があるのか差異があるのかという議論がされるが、沖縄は多様なものを取込んで文化を作り上げていくところがある。その結果北海道と似たものが生まれるかもしれないが、それは同質のものではなくやはり沖縄独特のものである。「チャンプルー」という言葉がある。かき混ぜるという意味だが、いろんな要素をかき混ぜて新しいものを作り上げている。沖縄はいろんな切り口がチャンプルー状にいろんな所にあって、それが見えないところに特徴があると思う。沖縄のキーワードは情緒的、連続性、総合性、ルーズ、チャンプルーである。伝統文化を濃く継承しながらも、自由自在に変化させていっている。
沖縄の現在の住宅はRC造であるが、これは復帰後熱環境の面で研究されてきた。基本的にはパッシブ志向のRCで、ブロック造が主流。最近はプレハブの閉鎖型も入ってきてもいる。木造は最近増えてはきているが年にポイント2くらいづつ増加していて、住宅建設全体の2%前後を占めている。伝統的民家はチャーギという硬木を使った木造で、基本的には日本の開放型住居と同じだが雨仕舞いが異なる。プランも伝統的農家住宅と類似しているが真中に仏壇がくる開放型の夏型民家である。
戦後、米軍文化流入の中で住宅の模索があった。その中でRC造が根付いた理由は一般に言われているようにシロアリや台風だけではないような気がする。米軍がブロック工場を作り、台風対策として奨励してきたというのも一つにあるが、沖縄の人にはさんご礁=石灰岩への親密感、つまりブロックとのノスタルジックな原風景・イメージの重なりがあるからではないだろうか。
1960年代後半から住環境を含めた質の議論がはじまり、復帰後風土性議論のなかで「沖縄型」を探したが、提案まではたどり着かなかった。その後もなかなか「型」が出てきにくく、モデル住宅の提案も停滞している。総合的なチャンプルー性をうまく生かした住環境整備が沖縄には必要である。住宅環境、工法、コスト等について幅広い様々な角度からの報告が網羅的になされており、膨大な研究・報告がされているがこれをこれからどう使うか。庶民の力を高めるような情報公開を考えるのが我々専門家の使命であろう。
(2) 北海道の気候風土と住宅・住様式──この30〜40年ほどの変化と最近の動向から:宇野浩三氏(藤女子大学)
寒地住宅、北方型住宅のはじまりはどのあたりか。もともとはアイヌのチセといわれる風土に根差した住文化があったが、明治政府はこれを継承せず本州式の寒地に向かない住宅をどんどん建てていった。1895年開拓使長官の黒田清隆が「家屋改良の告諭」、役所としての宣言書を出し、防寒住宅を早急に作らなければ北海道の発展はないと書いた。これが最初だろう。この次に開拓使がやったの
は洋風住宅の導入である。日本には寒地住宅の伝統がないため、ロシア、北米などの洋風住宅を導入したが明治・大正期を通じて結局根付かなかった。このため寒地住宅への努力(技術的な側面も含めて)が始まるのは戦後ということになる。1950年前後から北大建築工学科と寒研がコンクリートの凍害など材料・構造・熱環境中心に技術開発を進めていく。これは寒地住宅という形で1970年半ばまでに技術的にはかなり解決した。その後計画的な研究が急速に広まった。1990年頃、道庁は材料、環境に加えて、コスト、生活、間取り、空間など総合的な北海道の「北方型住宅」を開発し事業化した。「北方型住宅」は徐々に建設されてきている。これらはいずれも住宅単体で努力がなされてきているので、これから住宅地、都市レベルに広げていかなければならないだろう。
北海道の住宅は積雪地域の中では圧倒的に規模が小さい。「居間中心型」間取りでLDKが平面の真中にあって廊下がこれに取り込まれている。生活面の特徴は、屋内居間中心型の生活。居間への家族の集まり時間が他地域と比較して長い。居間は椅子座式で、接客もほぼ100%居間で行う。客を家族の生活の中に受け入れるというのが北海道式である。居間で集まって各自の仕事をしている。日常生活のいろいろな行為を屋内、主に居間に持ち込んでいるが、これに決して満足しているわけではない。これらは1960年代〜80年頃基本的に保持してきた特徴である。
1960年以降10年で延べ床面積が平均約10u拡大している。これは主に2階床面積の増加によるもので、1階の個室空間、共用空間が質的な変化をしている可能性が考えられる。北国型の生活空間というものが出来てきているのかもしれない。居間の起居様式も椅子座から椅子・床座併用式が主流になってきた。室内を自由に使えるような生活の仕方になってきた。屋根のデザインも変わってきている。60年代:三角屋根、70年代:変形屋根、80年代:無落雪型、90年代:無落雪型のデザイン化が特徴で、傾斜屋根の復活が見られる、90年後半:傾斜屋根と無落雪の組み合わせ型。最近ではいろんな組み合わせのタイプが見られるようになった。これを洗練していって北海道タイプを作っていったらいいのではないだろうか。当然「町並み」も変化してきている。
[質疑・討論]
■沖縄の住宅について:
(1)小泉(建築技術教育普及センター):集落、都市計画として見た場合、群としての沖縄固有の伝統性を新しいものに残そうという意識が若い人たちにあるのか、それともまったくの近代化を目指しているのか。
(2)森本(近畿大):キー ワードとしてチャンプルーという用語は文化を語る良い意味の用語として定着し ているのか。
(3)鈴木(福島大):チャンプルー性はかなり包括的な地域集団があ ってはじめて成り立つもののような気がする。これらはこれから先、継続できる
のか。また石文化とRC造の文化を同一視していいのか。
福島:地域の個性をつくる技術、先鋭的な技術を投入して環境を整えていくことが沖縄には必要。「チャンプルー」はノスタルジックなイメージというより新しいものを作っていくという創造的な意味で理解されていると思う。石造文化とRC造文化の同一視ではなく、戦後の米軍住宅をなぜあれだけ受け入れてきたかを考えると、一重でわりあいルーズに積んでいくというやり方を受け入れた中には石造の原風景が沖縄にはあり、ブロック造の自由な増殖性も旧集落の作られ方に合っていたのではないかと思える。
(4)鮫島(長崎総合科学大):市街地の密集地では、住居群として「内と外を つなぐ、風を通す、影を作る」という伝統住宅の形態はあったのか。
(5)眞嶋(北海道大):沖縄の住宅は北海道に比べると狭いが、生活のなかで外と内の空間の 使い方についてはどうか。.
鈴木雅夫(琉球大):沖縄では敷地内の屋根のかかっていない所も居住空間として使用されている。土間があって屋根がないだけ、石壁が外壁。寝るところは屋根がかかっている。と考えると非常に広い生活空間を持っていると言える。ヨコ社会であるので集落全体に空間的・コミュニティー的一体感がある。集落全体が集合住宅で一軒一軒平屋ではあるけれども集合住宅であるというふうに考えると沖縄の集合体としての集落の理解が出来ると思う。またチャンプルーという話は、沖縄の人は積極的に外からの文化を取り入れて独自のものを作り上げる。衣食住すべてに。独自の体系を作り上げてきたのであって、ただ雑然としているのではない。清水(琉球大):内と外について、コモンスペースを住様式のなかでどう捕らえるか。住宅と地域の中間領域を深めていきたい。伝統的な文化の変容というより分化、枝分かれと捕らえた方がいい。内と外の問題でみれば密集市街地と伝統的集落に共通したところが見られることがあるが計画住宅地では見られない。
(6)西川(広島工大):20年程前の調査では北海道に次いで当時地方都市では特異なLDK型が多かったが、最近の傾向はどうか。住宅の中に一族が集まるような間取りがあるのか。タテの関係が強くないとするならば地域で助け合って暮らすという部分はどういう風にあるのか。
(7)眞嶋(北大):家族構成については どうか。地域でどう助け合って暮しているのか。
(8)中大路(APL):同郷、血 縁といった助け合いが非常に強いので高齢単身者でも都市部で暮らせているとい う話を聞いた。
鈴木(琉球大):外と内の空間の使い方で言えば沖縄は「閉鎖可能な開放型」、北海道は「開放可能な閉鎖型」と言えるだろう。プランはLDKが中心で開放的な大きなスペースをとっている。別棟作りで本宅と台所が離れていたのが合体し、その部分がLDKになっている。冠婚葬祭のときは出来るだけたくさんの人を呼んであつまる。それは助け合い、ユイマールという。住宅でのときは雨はじの前の庭にござをひいて集まってもらう。続き間はあり、一番座、二番座、三番座とある。5月の清明祭のときだけお墓の前でやるが、それは祖先の崇拝であって、その他は家でやる。人口増加、高離婚率、世帯数が多い、周辺部の過疎・中心部の過密化が沖縄の特徴である。
清水(琉球大):戸外生活という面では、現在伝統的な住空間の中でそういった生活要素を残している地域はずいぶんと少ない。地元学生の1割くらいが知っているという程度。現在伝統的な住空間の中で戸外生活という要素を残している地域は少ないので、むしろ地域生活という見方をした方がわかりやすく地域性がよく出る。伝統的空間をどう評価するのか現在はどう捕らえられているのかについては、建築・都市計画とくに農村計画のなかの集落形成に責任を持つ分野が行政にもプランナーにもないのは問題である。長男で仏壇がある家は彼岸、旧盆、正月など家で行う年中行事の機会は多くあるため、新築住宅であっても和室が続き間でないと行事をこなせない。一方、長男以外の家には続き間は見られない。3世代同居率は低いが、すぐ近くに3世代が並んで住んでいて、統計的には表れていない住み方をしている地域もある。同郷の部落があるということは、沖縄県内の地方出身者が那覇で住むには非常に大変だったということを物語っている。沖縄は地域社会というよりも共同体型のつながりである。出身地を離れても繋がっているというところがある。郷友会組織から沖縄を捉えるのはいい切り口だろう。
■北海道の住宅について
(1)眞嶋(北大):北海道も基本的にはいわばマントを着た住宅。最近の研究 の関心は集住、共用空間の概念で言えば住宅が集まってきたときの空間装置を考えようということになってきた。そう言う意味で沖縄と似たことがある。
宇野:北海道は塀のない住宅が一般的で、内と外の区別は住宅の外壁。熱的な区切を明確にする閉鎖的な空間を作り上げた。いわゆる高気密高断熱で生活を屋内化してきた一方で、生活を円滑にする面から内と外をつなぐ中間領域の必要性がいわれ、土間空間として提案されてきた。この場合も熱的にははっきり内と外を区別しなければならないという技術的な問題がある。集合住宅については公営住宅で試みが始まっている。冬場の通路空間を雁木のような形で屋内化している。共用空間としての屋内広場は、暖房が整備されていない、内装も殺風景など冬場も使われるように作られていないためあまり利用されていない。北海道での集合住宅の有効性についてはその途についたところ。
(2)住田(福山市立短大):北海道は東京よりも洋風化が進むと思っていたがその辺はどうか。住文化とはこだわりの体系であるが、北海道にそれはあるのか、今後の北海道をどう予測するのか。
宇野:75〜80年までは居間に隣接して夫婦寝室があるのがほとんどだったが、現在はほぼ100%2階洋室となっている。全体的な洋風化ということを考えると、和室が減ってはきているもののなくなってはいない。しかしそこを客室や和の空間として使用しているわけでもない。最近の注文住宅などでは和室が全くないものも出てきてはいる。また、住宅デザインについては実際北米や北欧のものを用いているが、ある時期流行はするが戻りもおきて必ずしも一方向に進んでいるわけではない。組み合わせ屋根などは北海道のそういった風土の中から出て受け入れられてきたものだから、あれが洗練されてくればいいものを作り上げていく可能性があるのではないかと思っている。住空間については椅子座と床座が併用されているが、土足化されることはないだろう。まだまだ住文化といえるほどのものは出来ていない、ある程度まで行ってゆり戻しがある。まだ摸索段階だろう。新しい北海道の住空間として、北国型生活空間、生活の屋内化、貯蔵空間、広い居間空間と地域のつながり(北海道の接客スタイル)などを住文化として育てていくことが必要だろう。洋風化に一気にいかせない何かはあるのだろうと思う。
■まとめ:西島芳子(高知大)
沖縄では日差しを遮断する、北海道では熱を遮断する必要性が気候風土からある。伝統的な生活実態に根ざした概念規定からくる内と外の捉え方の違い、また住宅を技術的にどうするか、どうしてきたかというなかでの共通性と違い、伝統的な生活実態に根ざした概念規定からくる内と外の捕らえ方の違いについて話されてきた。特に沖縄ではそれゆえに伝統住宅から何を学んで近代化してきたか、チャンプルー性について、北海道では現在集住文化をどう作り上げていくのかという提起がなされた。これはどの地域においても必要になってくる課題だろう。
伝統的な住まいと家族やコミュニティーの話も含めて歴史的に規定されてきた部分がある。これから地域独自の伝統、伝統から近代への連続性を視野に入れつつ新しい文化をどう作って行くのか。日本にとどまらず外国との関わりも入れた広がりの中で、それぞれの地域において近代化しつつ伝統をどう捉えていくのかを考えることが重要ではないかと締めくくられた。
(文責: 山田英代<石川高専>)
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