地方性小委員会通信1999_2(0803)

主査: 眞嶋 二郎 / 事務局: 北海道大学・住環境計画学分野研究室


2.住宅の地方性小委員会沖縄研究会(1999年5月)報告

2-1)結果概要

2-2)研究会A――地域住宅政策と住民参加の概要
 (1) 自治体住宅マスタープラン策定過程に見られる専門家と住民のかかわり
    ─市町村住マス 策定実態調査を通じて:眞嶋 二郎氏(北海道大学)
 (2) 地域の住まいづくりにおける住民参加と住情報
    ─都道府県および政令指定都市の住宅マ スタープラン策定を対象に:田中 勝氏(山梨大学)
 (3) 沖縄における住宅マスタープランの策定状況と今後の課題:池田孝之+清 水肇氏(琉球大)
 (4) これからの沖縄県の住宅政策を展望する:住田 昌二氏(福山市立短大)

2-3)研究会B――風土性と住文化・日本の南北端の比較検討
 (1) 沖縄の石造と木造の住文化
    ―沖縄の住まいの過去・現在・未来: 福島 駿介氏(琉球大学)
 (2) 北海道の気候風土と住宅・住様式
    ─この30〜40年ほどの変化と最近の動 向から:宇野浩三氏(藤女子大学)

2-1)結果概要

「めんそーれ おきなわ、ようこそ沖縄へ!――住宅の地方性小委員会沖縄 研究会」は

日本建築学会沖縄支所との共催で5/13(木)〜15(金)を公式日程、16( 日)をオプション

見学として開催し、合計56名(小委員会38名、現地参加18名<講 師2名、一般6名、学

生16名>)の参加を得て盛会の内に開催しました。今回は現地 幹事の琉球大学の鈴木

雅夫先生のご尽力で内容の濃い研究会がなされました。研 究会の会場は「沖縄県女

性総合センター・てぃるる」を主会場とし、以下のプロ グラムが展開しました。研究会A・

Bの内容は下記を参照下さい。

 

○5月13日(木)
 14:30-14:45 開会挨拶: 眞嶋 二郎氏(小委員会主査)/福島 駿介氏(沖縄支所長)
 14:45-18:00 研究会A○地域住宅政策と住民参加

[司会] 森本 信明氏(近畿大学)    
[報告]
1)自治体住宅マスタープラン策定過程に見られる専門家と住民のかかわり ――市町村住マス策定実態調査を通じて 眞嶋 二郎氏(北海道大学)
  2)地域の住まいづくりにおける住民参加と住情報 ――都道府県および政令指定都市の住宅マスタープラン策定を対象に 田中 勝氏(山梨大学)
  3)沖縄における住宅マスタープランの策定状況と今後の課題  
池田 孝之氏+清水肇氏(琉球大学)
  4)これからの沖縄県の住宅政策を展望する   住田 昌二氏(福山市立女子短大)

[討論]
[懇親会] 19:00-21:00 : 「うりずん」(琉球料理)

○5月14日(金)

 9:00-11:30 研究会B○風土性と住文化――日本の南北端の比較検討

[司会] 西島 芳子氏(高知大学)
   
[報告] 1)沖縄の石造と木造の住文化 ――沖縄の住まいの過去・現在・未来 福島 駿介氏(琉球大学)
  2)北海道の気候風土と住宅・住様式 ――この30〜40年ほどの変化と最近の動向かられからの発展方向を考える: 宇野 浩三氏(藤女子大)

    
 [討論]
 13:00-18:00 見学会: 識名園(琉球王別荘)→首里城界隈→安謝改良住宅(シルバー・
          特養等福祉施設の合築)→壷屋スージグワ(古い筋道)裏手の戦後の古
          い住宅地見学

○5月15日(土) 見学会
9:00-12:00   沖縄コンベンションセンター(宜野湾市)→美浜ハイツ(公社の緑豊かな住宅地、北谷町)
          →ベルウェアハウジング(外人住宅地<現在は日本人も居住>、北中城村)
13:00-17:00  中村家住宅(地頭代屋敷、北中城村)―(高速道路利用)→座喜味城址(読谷村)―
          (高速道路利用)→空港・解散


○5月16日(日) オプション見学会(希望者19名参加)
 8:30-11:50  竹富島集落・他/石垣島: 宮良殿内(みやらトゥンチ、頭職の屋敷)
 13:00-15:00  宮良川ヒルギ林→県営磯部住宅(南島型県営住宅84型<第1号>)→県営平
          真住宅(最新の南島型県営住宅)→石垣空港(一部参加者帰省)
 15:00-17:00 石垣空港→唐人墓→ミンサー織・黒糖製造所等→パンナ岳→石垣空港(解散)


2-2)研究会A――地域住宅政策と住民参加の概要

  本研究会は第1日目の研究会として標記テーマで、森本信明(近畿大学)の司で進められた。近年の自治体、特に市町村段階の住宅マスタープランづくりを心に、真の意味での地域に必要な住宅づくりの政策のあり方について、総体的点で政策展開の必要性について、2つの調査研究を踏まえての報告と地元・沖での考え方、沖縄を通して考えた地域住宅政策の総括報告を受けて、議論が展開した。

 (1) 自治体住宅マスタープラン策定過程に見られる専門家と住民のかかわり──市町村住マス 策定実態調査を通じて:眞嶋 二郎氏(北海道大学)

  最近は地方分権が色々な形で動き始めており、住宅政策においても地域対応の展開をきちんとしておかなければならない。こう言った点で、居住者の目線から考えるという視点を考え直す必要がある。市町村マスタープラン策定の意味は、地域の全住宅市場を対象に、地域の全体計画としての住宅マスタープランを、地域の主体的な行動の下で策定することである。
  建設省が規定する住宅マスタープラン(HOPE計画・地域高齢者住宅計画を含む)を実施した610の市町村を対象に、1997年に調査を行い、有効回答数335(有効回答率54.5%)を得た。 住宅マスタープランの施策内容については、高齢者の住宅供給に関する問題と公共住宅供給促進に関する問題が密接にリンクして出てきている。策定組織は外部委員会が過半を占め、庁内横断的な組織がバックアップする。委員の人数は13〜15名が多く、上位官庁の県、公団、研究者が顔を出している場合が多い。ただし、住民が積極的に参加するような仕組みにはなっていない。策定された計画書の住民への印刷公表は1/4程度で、しかも概要版による場合が多い。 コンサルタントについてはほとんどが利用しており、素案づくりや資料づくりが中心で、委員会運営を手伝っている。以上から、市町村住宅マスタープラン策定での研究者やコンサルタントの関わりの大きさが明らかになったが、住民の関わりは少ない。その意味で、コンサルタントや研究者がどういう価値観で関わるかが重要になってくる。研究者は、住民の目線を的確に行政側に伝える役割があるのではないか。またもう一方で、客観的に物事を判断しながら、まちの状況をきちんと把握していくことに寄与する部分があるのではないか。


(2) 地域の住まいづくりにおける住民参加と住情報──都道府県および政令指定都市の住宅マ スタープラン策定を対象に:田中 勝氏(山梨大学)

  住宅マスタープランの本報告書と概要版のまとめ、およびび住宅マスタープランに見る住情報サービスに関するアンケート調査(1998年7月実施)の結果の中間報告である。 調査の目的・視点は、1)住宅マスタープランの策定段階で住民参加の視点がいかに盛り込まれているのか、2)策定後も住民を行政の方に向けて、一緒に住まいづくり、まちづくりをしていかなければならないが、そういうことをどう考えているのか、3)住教育や住情報などについて考えてみたい、である。
  住宅マスタープランの策定については、建設省の方でマニュアルを作っており、どこも同じような報告書が出来ていると思っていたが、それぞれ異なっており非常に面白い。策定に際して住民参加および住情報の公開をどの程度重視したかという点については、全体の約4割が主要な施策として盛り込んでいる。住民のニーズを把握する方法としては、多くは住民意識調査のデータを使っており、ワークショップをやれるところはやる。さらに懇話会や策定委員会に住民が入り込むというケースも多い。住教育について行政はどのように考えているかという点については、学校教育で十分だとは考えておらず、今後は学校教育に基本をおいて社会教育で充実させていきたいと考えている。また、生涯教育の一環として住まいの問題を扱っていきたいと考え始めてきている。
  次に、アンケート調査の単純集計だけでは物足りないので、どんなふうに住民のニーズを反映したか記述してもらった。その結果、住民意識調査については最新の住宅需要実態調査を使うケースが多く、さらにワークショップや懇話会を行うところもある。周知方法としては、行政の関係者に報告書を配るというものが多い。また、PR用ビデオの作成、ホームページへのダイジェスト版の掲載、セミナーの開催などがある。どのように情報を住民向けに発信しているかという点については、実物大の住宅や模型の展示が最も多いが、最近は体験コーナーが多く、高齢者になったつもりでバリアフリー体験をしてもらう。さらに相談コーナーが多く、人と会って話しを聞いてもらうということが物事の解決に必要なようである。また、ビデオや図書資料を常備して自由に見られるようにしている所も多い。
  住宅マスタープランの公開については、概要版を配布した都道府県は66%となっている。本報告書をそもまま要約したのが約1/4、素人でも分かるようにレイアウトや色づかいに工夫したのが約5割、さらにもう少し工夫したのが2割ある。佐賀県の概要版では、住宅マスタープランの施策が県民の生活にどのように反映されるのか、4世代家族を想定し、ストーリーを掲げて分かりやすく表現している。また、住情報の提供の概念については、それぞれの地域で様々な捉え方をしている。

 

(3) 沖縄における住宅マスタープランの策定状況と今後の課題:池田孝之+清 水肇氏(琉球大)

【池田孝之氏】沖縄では、戦後米軍政府の下で割り当て土地政策が行われた。米軍が土地を占拠する中で、住民は各地域で強制的に居住地が決められ、土地が割り当てられた。これが、旧居住地移住の計画と方針という形で出され、これが現在まで大きな問題を引きずっている。土地所有者を無視して居住者と契約を無理矢理させてしまった結果、後で不満が残って土地所有者は居住者に建て替えを許さない。そのため、密集市街地のほとんどで住環境改善が未だもってできていない。また、上モノとして規格住宅の問題がある。ツーバイフォーで作られた住宅だが、かなり小さく、密集して作られたから新たにスラムのような問題を引き起こしている。道路整備がなされないまま建てられたので、これも密集地になってしまっている。
  マスタープランについては、那覇市の場合はどのように進んでいるかというと、これまで住宅改良事業などの形で進んできた。壺川地区は完了したが、他は計画倒れになってしまっている。調査が失敗したという事ではなく、調査は延々と続いているが実を結んでいない状況にある。それ以外に市街地再整備も色々動いているが、沖縄の中で再開発と言えるものはまだない。いわゆる密集市街地を含めた再開発はこれからであり、居住環境整備をいっぱい抱える中で、どうも郊外へと色々なものをつくっている状況にある。
  また、住宅マスタープランにおいて、住民参加は沖縄では全くやっていない。もともと住宅マスタープランでは住民参加が義務づけられているわけではない。住宅マスタープランは行政計画であって、事業の手続きの一つでしかないという見方が行政の中にはある。本来なら、住宅マスタープランが先にあって、その後に建て替えなどの事業計画が検討されるべきだが、実際にはその逆になってしまっている。しかし、住宅マスタープランがないと場当たり的になるので、全体計画として必要になる。住宅マスタープランの位置づけは大事だが、住環境整備とか本来建て替えをやらなければならない地区に光が全然当たっていない。今は公営住宅を中心とした建て替えや新規建設のために住宅マスタープランを裏付けとして作っている感じが強い。その中でも、高齢者対策や環境共生は一生懸命やろういうことでモデル事例がいくつか出てきている。
  沖縄には、南島型集合住宅というものがある。バルコニーから直接居間に入る形式で、1984年から県営住宅で展開された。非常に評判が良く標準プランになり、いくつかのバリエーションがある。沖縄では、南島型集合住宅をやろうという住宅政策が結構実現している。最後に、豊見城村団地という公社住宅を中心とした1300戸の大団地があり、現在この建て替え計画が検討されている。公社という変わった場所ではありながら、住民参加で何とかやろうしている。沖縄では住民参加はこれからという段階にあり、県営住宅や市営住宅よりはこういう形で住民参加が始まろうとしている。

 【清水 肇氏】
沖縄で住宅政策を考える際には、戦中戦後史の中で住宅がどういう状況にあるのか、それをどう克服するかというテーマが大きな課題であろう。住様式的な問題、家族の形態、地域社会の問題等、論点は広くある。
  まず、沖縄戦以降の都市形成、市街地形成の経緯を踏まえた課題の設定が必要であろうということで、整理してみた。基地に関連する問題だが、米軍基地内のハウジングエリアが開放されることもある。そういうような部分を含めて、住宅供給フレームを考える、人口フレームを考える場合、いつ返ってくるか分からない所もある、というような事情が多々ある。もう一方の課題として、本来、沖縄が地域の文化として持っている住み方、集落の形態があるが、このような地域が持っている資産をどう継承していくのか、ということも住宅政策の重要な課題であろう。
  那覇市の住宅マスタープランについては、大体の枠組みや課題について話を進めたい。那覇市の中心部は住環境整備が進行していないので、整形の街区をもった所でも幅員が4mなく、現在の建築基準法を満たしていない地区がある。このような住宅地区をどう整備するのかという大きな課題がある。また、初期の例を含んだ公営住宅の問題がある。3種住宅が1961年以降建てられてかなり管理上の問題を抱えている。さらに、住宅マスタープランで検討された問題として、人口、住宅供給のフレームをどう設定するかという枠組みの問題がある。人口が増えていた時代の設定の考え方とは異なってくるので、那覇市や基地を抱える市町村において大きな問題であろう。また、基本課題の中で、住環境の修復や高齢者・障害者の居住支援、ソフトとして住環境管理やマンションの建て替えサポート、住情報のサービスも位置付けられている。さらに、都市計画部門との連携という点では、住宅マスタープランを作っている部門が徐々に立ち上がってきて、都市計画、さらに福祉部門と連携して、徐々に政策立案機能が高まってきている段階にある。

 

(4) これからの沖縄県の住宅政策を展望する:住田 昌二氏(福山市立短大)

  沖縄県の問題を大きく捉えると4点ある。一つ目に、地方都市でありながら、大都市圏なみの住宅問題が現れている。那覇市に人口の8割が集中している割に後背地が不十分なので、スプロールの問題が深刻化している。二つ目に、亜熱帯気候が住宅に与える影響があり、台風や潮風、高温多湿の問題がある。最近建設された住宅はほとんどがRC造であるが寿命は短い。三つ目に、太平洋戦争で大変な受難をおい、その影響が今日まで続いている。軍用地が本島の2割を占めており、都市計画をまともに出来ない。また、沖縄の経済が基地に依存をせざるを得ないという状況が、都市問題を深刻化させている。四つ目に、離島問題がある。沖縄県全体では全国平均より高齢化率が低いが、離島になると大変な高齢化が進行しており、大都市問題と過疎農村問題が同時並行的に現れている。
  しかし一方で、21世紀の住宅政策を真っ先に開くのは沖縄ではないかと思う。21世紀に求められるのは文化であり、住文化が大きく花開く時代になっていくのではないか、その先駆けが沖縄ではないだろうか。その根拠として3つある。一つ目に、伝統的な住文化が脈々と存在しており、継承されている。二つ目に、自然と共生していくというライフスタイルが今に生きている。三つ目に、沖縄の地勢学的に占める位置が非常に重要であり、東アジアの交流拠点になる可能性が高い。
  このような事を、1995年に沖縄県の住宅マスタープランを行うときに考えた。1995年辺りに出てきていた各地の住宅マスタープランというのは、行政計画としての意味あいが強かったが、そうせざるを得ない面もあり、ジレンマになっていた。そこで、どういう仕掛けを作ってどういう風に流れを変えるべきか、ということに焦点を絞った。沖縄県が行っていた住宅政策は県営住宅供給が中心だったが、より総合的なものにどう変えるかということがテーマであって、その流れを変える仕掛けをどう作るかということが重要だった。その展開方向として4つ考えた。一つ目は、市町村にいきなりやれと言っても難しいので、県と住宅供給公社が一緒になり、これに地元の建築家がNPOの形で協力していくようなシステムづくりがあるのではないか。二つ目は、北海道にある寒地住宅都市研究所のように沖縄にも亜熱帯住環境研究所を作り、亜熱帯型の住宅、環境共生の住宅がどうあるべきかを研究していくべきではないか。四つ目は、国際交流都市の形成として、当時宜野湾の軍用地が動くという話があったので、住宅を中心にしてマスタープラン を描き、ユニークな国際都市を描くべきではないか。

(文責:谷 武<豊橋技術科学大学>)


2-3)研究会B――風土性と住文化・日本の南北端の比較検討

  本研究会は、2日目の研究会として標記をテーマに西島芳子(高知大学)の司会で進められた。わが国の南北端である沖縄県と北海道の住文化についてそれぞれの地域からの報告があり、これを受けて住まいとコミュニティー、家族関係等における伝統と近代化の相克、新たな地方文化の方向性について議論された。

(1) 沖縄の石造と木造の住文化――沖縄の住まいの過去・現在・未来: 福島 駿介氏(琉球大学)

  住文化を比較する場合、ある意味では沖縄は外国であるので本州での研究手法をそのまま適応すると伝統がうまく反映されない。南の出来方と北の出来方は、寒帯と亜熱帯という気候の差からといった既成概念で捉えられている。そこで類似性があるのか差異があるのかという議論がされるが、沖縄は多様なものを取込んで文化を作り上げていくところがある。その結果北海道と似たものが生まれるかもしれないが、それは同質のものではなくやはり沖縄独特のものである。「チャンプルー」という言葉がある。かき混ぜるという意味だが、いろんな要素をかき混ぜて新しいものを作り上げている。沖縄はいろんな切り口がチャンプルー状にいろんな所にあって、それが見えないところに特徴があると思う。沖縄のキーワードは情緒的、連続性、総合性、ルーズ、チャンプルーである。伝統文化を濃く継承しながらも、自由自在に変化させていっている。
  沖縄の現在の住宅はRC造であるが、これは復帰後熱環境の面で研究されてきた。基本的にはパッシブ志向のRCで、ブロック造が主流。最近はプレハブの閉鎖型も入ってきてもいる。木造は最近増えてはきているが年にポイント2くらいづつ増加していて、住宅建設全体の2%前後を占めている。伝統的民家はチャーギという硬木を使った木造で、基本的には日本の開放型住居と同じだが雨仕舞いが異なる。プランも伝統的農家住宅と類似しているが真中に仏壇がくる開放型の夏型民家である。
  戦後、米軍文化流入の中で住宅の模索があった。その中でRC造が根付いた理由は一般に言われているようにシロアリや台風だけではないような気がする。米軍がブロック工場を作り、台風対策として奨励してきたというのも一つにあるが、沖縄の人にはさんご礁=石灰岩への親密感、つまりブロックとのノスタルジックな原風景・イメージの重なりがあるからではないだろうか。
  1960年代後半から住環境を含めた質の議論がはじまり、復帰後風土性議論のなかで「沖縄型」を探したが、提案まではたどり着かなかった。その後もなかなか「型」が出てきにくく、モデル住宅の提案も停滞している。総合的なチャンプルー性をうまく生かした住環境整備が沖縄には必要である。住宅環境、工法、コスト等について幅広い様々な角度からの報告が網羅的になされており、膨大な研究・報告がされているがこれをこれからどう使うか。庶民の力を高めるような情報公開を考えるのが我々専門家の使命であろう。

(2) 北海道の気候風土と住宅・住様式──この30〜40年ほどの変化と最近の動向から:宇野浩三氏(藤女子大学)

  寒地住宅、北方型住宅のはじまりはどのあたりか。もともとはアイヌのチセといわれる風土に根差した住文化があったが、明治政府はこれを継承せず本州式の寒地に向かない住宅をどんどん建てていった。1895年開拓使長官の黒田清隆が「家屋改良の告諭」、役所としての宣言書を出し、防寒住宅を早急に作らなければ北海道の発展はないと書いた。これが最初だろう。この次に開拓使がやったの は洋風住宅の導入である。日本には寒地住宅の伝統がないため、ロシア、北米などの洋風住宅を導入したが明治・大正期を通じて結局根付かなかった。このため寒地住宅への努力(技術的な側面も含めて)が始まるのは戦後ということになる。1950年前後から北大建築工学科と寒研がコンクリートの凍害など材料・構造・熱環境中心に技術開発を進めていく。これは寒地住宅という形で1970年半ばまでに技術的にはかなり解決した。その後計画的な研究が急速に広まった。1990年頃、道庁は材料、環境に加えて、コスト、生活、間取り、空間など総合的な北海道の「北方型住宅」を開発し事業化した。「北方型住宅」は徐々に建設されてきている。これらはいずれも住宅単体で努力がなされてきているので、これから住宅地、都市レベルに広げていかなければならないだろう。
  北海道の住宅は積雪地域の中では圧倒的に規模が小さい。「居間中心型」間取りでLDKが平面の真中にあって廊下がこれに取り込まれている。生活面の特徴は、屋内居間中心型の生活。居間への家族の集まり時間が他地域と比較して長い。居間は椅子座式で、接客もほぼ100%居間で行う。客を家族の生活の中に受け入れるというのが北海道式である。居間で集まって各自の仕事をしている。日常生活のいろいろな行為を屋内、主に居間に持ち込んでいるが、これに決して満足しているわけではない。これらは1960年代〜80年頃基本的に保持してきた特徴である。
  1960年以降10年で延べ床面積が平均約10u拡大している。これは主に2階床面積の増加によるもので、1階の個室空間、共用空間が質的な変化をしている可能性が考えられる。北国型の生活空間というものが出来てきているのかもしれない。居間の起居様式も椅子座から椅子・床座併用式が主流になってきた。室内を自由に使えるような生活の仕方になってきた。屋根のデザインも変わってきている。60年代:三角屋根、70年代:変形屋根、80年代:無落雪型、90年代:無落雪型のデザイン化が特徴で、傾斜屋根の復活が見られる、90年後半:傾斜屋根と無落雪の組み合わせ型。最近ではいろんな組み合わせのタイプが見られるようになった。これを洗練していって北海道タイプを作っていったらいいのではないだろうか。当然「町並み」も変化してきている。

[質疑・討論]
■沖縄の住宅について:


(1)小泉(建築技術教育普及センター):集落、都市計画として見た場合、群としての沖縄固有の伝統性を新しいものに残そうという意識が若い人たちにあるのか、それともまったくの近代化を目指しているのか。
(2)森本(近畿大):キー ワードとしてチャンプルーという用語は文化を語る良い意味の用語として定着し ているのか。
(3)鈴木(福島大):チャンプルー性はかなり包括的な地域集団があ ってはじめて成り立つもののような気がする。これらはこれから先、継続できる のか。また石文化とRC造の文化を同一視していいのか。

  福島:地域の個性をつくる技術、先鋭的な技術を投入して環境を整えていくことが沖縄には必要。「チャンプルー」はノスタルジックなイメージというより新しいものを作っていくという創造的な意味で理解されていると思う。石造文化とRC造文化の同一視ではなく、戦後の米軍住宅をなぜあれだけ受け入れてきたかを考えると、一重でわりあいルーズに積んでいくというやり方を受け入れた中には石造の原風景が沖縄にはあり、ブロック造の自由な増殖性も旧集落の作られ方に合っていたのではないかと思える。

(4)鮫島(長崎総合科学大):市街地の密集地では、住居群として「内と外を つなぐ、風を通す、影を作る」という伝統住宅の形態はあったのか。
(5)眞嶋(北海道大):沖縄の住宅は北海道に比べると狭いが、生活のなかで外と内の空間の 使い方についてはどうか。.

鈴木雅夫(琉球大):沖縄では敷地内の屋根のかかっていない所も居住空間として使用されている。土間があって屋根がないだけ、石壁が外壁。寝るところは屋根がかかっている。と考えると非常に広い生活空間を持っていると言える。ヨコ社会であるので集落全体に空間的・コミュニティー的一体感がある。集落全体が集合住宅で一軒一軒平屋ではあるけれども集合住宅であるというふうに考えると沖縄の集合体としての集落の理解が出来ると思う。またチャンプルーという話は、沖縄の人は積極的に外からの文化を取り入れて独自のものを作り上げる。衣食住すべてに。独自の体系を作り上げてきたのであって、ただ雑然としているのではない。清水(琉球大):内と外について、コモンスペースを住様式のなかでどう捕らえるか。住宅と地域の中間領域を深めていきたい。伝統的な文化の変容というより分化、枝分かれと捕らえた方がいい。内と外の問題でみれば密集市街地と伝統的集落に共通したところが見られることがあるが計画住宅地では見られない。

(6)西川(広島工大):20年程前の調査では北海道に次いで当時地方都市では特異なLDK型が多かったが、最近の傾向はどうか。住宅の中に一族が集まるような間取りがあるのか。タテの関係が強くないとするならば地域で助け合って暮らすという部分はどういう風にあるのか。
(7)眞嶋(北大):家族構成については どうか。地域でどう助け合って暮しているのか。
(8)中大路(APL):同郷、血 縁といった助け合いが非常に強いので高齢単身者でも都市部で暮らせているとい う話を聞いた。

  鈴木(琉球大):外と内の空間の使い方で言えば沖縄は「閉鎖可能な開放型」、北海道は「開放可能な閉鎖型」と言えるだろう。プランはLDKが中心で開放的な大きなスペースをとっている。別棟作りで本宅と台所が離れていたのが合体し、その部分がLDKになっている。冠婚葬祭のときは出来るだけたくさんの人を呼んであつまる。それは助け合い、ユイマールという。住宅でのときは雨はじの前の庭にござをひいて集まってもらう。続き間はあり、一番座、二番座、三番座とある。5月の清明祭のときだけお墓の前でやるが、それは祖先の崇拝であって、その他は家でやる。人口増加、高離婚率、世帯数が多い、周辺部の過疎・中心部の過密化が沖縄の特徴である。
清水(琉球大):戸外生活という面では、現在伝統的な住空間の中でそういった生活要素を残している地域はずいぶんと少ない。地元学生の1割くらいが知っているという程度。現在伝統的な住空間の中で戸外生活という要素を残している地域は少ないので、むしろ地域生活という見方をした方がわかりやすく地域性がよく出る。伝統的空間をどう評価するのか現在はどう捕らえられているのかについては、建築・都市計画とくに農村計画のなかの集落形成に責任を持つ分野が行政にもプランナーにもないのは問題である。長男で仏壇がある家は彼岸、旧盆、正月など家で行う年中行事の機会は多くあるため、新築住宅であっても和室が続き間でないと行事をこなせない。一方、長男以外の家には続き間は見られない。3世代同居率は低いが、すぐ近くに3世代が並んで住んでいて、統計的には表れていない住み方をしている地域もある。同郷の部落があるということは、沖縄県内の地方出身者が那覇で住むには非常に大変だったということを物語っている。沖縄は地域社会というよりも共同体型のつながりである。出身地を離れても繋がっているというところがある。郷友会組織から沖縄を捉えるのはいい切り口だろう。

■北海道の住宅について

  (1)眞嶋(北大):北海道も基本的にはいわばマントを着た住宅。最近の研究 の関心は集住、共用空間の概念で言えば住宅が集まってきたときの空間装置を考えようということになってきた。そう言う意味で沖縄と似たことがある。
  宇野:北海道は塀のない住宅が一般的で、内と外の区別は住宅の外壁。熱的な区切を明確にする閉鎖的な空間を作り上げた。いわゆる高気密高断熱で生活を屋内化してきた一方で、生活を円滑にする面から内と外をつなぐ中間領域の必要性がいわれ、土間空間として提案されてきた。この場合も熱的にははっきり内と外を区別しなければならないという技術的な問題がある。集合住宅については公営住宅で試みが始まっている。冬場の通路空間を雁木のような形で屋内化している。共用空間としての屋内広場は、暖房が整備されていない、内装も殺風景など冬場も使われるように作られていないためあまり利用されていない。北海道での集合住宅の有効性についてはその途についたところ。

  (2)住田(福山市立短大):北海道は東京よりも洋風化が進むと思っていたがその辺はどうか。住文化とはこだわりの体系であるが、北海道にそれはあるのか、今後の北海道をどう予測するのか。
  宇野:75〜80年までは居間に隣接して夫婦寝室があるのがほとんどだったが、現在はほぼ100%2階洋室となっている。全体的な洋風化ということを考えると、和室が減ってはきているもののなくなってはいない。しかしそこを客室や和の空間として使用しているわけでもない。最近の注文住宅などでは和室が全くないものも出てきてはいる。また、住宅デザインについては実際北米や北欧のものを用いているが、ある時期流行はするが戻りもおきて必ずしも一方向に進んでいるわけではない。組み合わせ屋根などは北海道のそういった風土の中から出て受け入れられてきたものだから、あれが洗練されてくればいいものを作り上げていく可能性があるのではないかと思っている。住空間については椅子座と床座が併用されているが、土足化されることはないだろう。まだまだ住文化といえるほどのものは出来ていない、ある程度まで行ってゆり戻しがある。まだ摸索段階だろう。新しい北海道の住空間として、北国型生活空間、生活の屋内化、貯蔵空間、広い居間空間と地域のつながり(北海道の接客スタイル)などを住文化として育てていくことが必要だろう。洋風化に一気にいかせない何かはあるのだろうと思う。

■まとめ:西島芳子(高知大)
  沖縄では日差しを遮断する、北海道では熱を遮断する必要性が気候風土からある。伝統的な生活実態に根ざした概念規定からくる内と外の捉え方の違い、また住宅を技術的にどうするか、どうしてきたかというなかでの共通性と違い、伝統的な生活実態に根ざした概念規定からくる内と外の捕らえ方の違いについて話されてきた。特に沖縄ではそれゆえに伝統住宅から何を学んで近代化してきたか、チャンプルー性について、北海道では現在集住文化をどう作り上げていくのかという提起がなされた。これはどの地域においても必要になってくる課題だろう。
  伝統的な住まいと家族やコミュニティーの話も含めて歴史的に規定されてきた部分がある。これから地域独自の伝統、伝統から近代への連続性を視野に入れつつ新しい文化をどう作って行くのか。日本にとどまらず外国との関わりも入れた広がりの中で、それぞれの地域において近代化しつつ伝統をどう捉えていくのかを考えることが重要ではないかと締めくくられた。

(文責: 山田英代<石川高専>)

 



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