SINCE 1995 from KOBE

中村 公一 君(大阪工業技術専門学校)

    

 神戸の大震災は何を将来に伝えるのか、多大なる犠牲の結果、これからの建築空間はいかにあるべきなのか、この重いテ−マに正面 から取り組んだのがこの作品である。その設計姿勢を評価したい。歴史をふまえた着実なる思考がすばらしいです。震災以後、時系列を追って2025年までを空間として自己の意識として、しっかりととらえようとする、そこに空間創造への熱意が伝わってくる。それは震災という事実に応答をくりかえす行為にある、力強い空間をイメ−ジしていることが伝わってくる。柱、梁は、建築の部分でなく、都市のインフラを思わせる。この作品を抽象概念としてらえると深い意味を持ってくる。
 しかし、気にかかるところがあることも避けられない、時系列の言葉、「絶望」「救い」「癒し」「成長」などと空間との関係に無理がある。この場合、言葉→空間と短絡して考えるのは問題である。言葉→空間→言葉という応答に正当性を見出したい。それでも計画図の後方にある一枚のドロ−イングが立面 とも断面とも思わせる図面に書き込まれた樹形に、この図面の迫力がすべてを表現している。林に覆われた空間をめざしているドロ−イングが言葉(コンセプト)をこえることを実証している。建築という現実とつながるのはドロ−イングしかありません。

(狩野)