***公開研究会***

甚大な被害を受けた農山漁村集落の再建を考える
−中越・玄界島を事例に−
 

2006年1月28日10時〜12時  於:日本建築学会会議室
出席者:10名



司会:後藤隆太郎(佐賀大学)

趣旨説明/
伊藤庸一(日本工業大学)

 日本建築学会では毎年技術部門の設計競技を行ってきている、’06年の技術部門の設計競技を農村計画委員会で提案しすすめるように考えた。内容は本公開研究会と同じである。設計をしてく際の内容、方向付けをどう考えればいいのか、ここで討論しておこうというのが内容である。
 遡れば中越地震で中山間がきわめて大きな被害を受けた。これまで建築学会ではきちんと行ってこなかった災害復興を考えることはきわめて大きい問題で、農村計画本委員会では、特別研究委員会を発足させ、さらに中越地震に限定した小委員会を設置して中山間地域等の地震防災と復興対策への提言−新潟県中越地震に鑑みて−をまとめている。これは、阪神・淡路大震災の提言に加え、中山間地域ではどういうところにポイントをおくかを示している。学会のH.P.に掲載してあり、今回の設計競技の大きな手がかりになる。アイデアコンペでは、ひとつは中越地震をモデルに、もうひとつとして玄界島をモデルにしてアイデアを募っていこうというものである。
 本日は、中越地震に関わっている井原さん、玄界島での復興支援を行っている岡田先生、阪神・淡路震災の復興に関わり見識のある重村先生からお話をしてもらう。中山間地域の減災、防災を考えて研究会で議論を重ねていくこと、6月15日締め切りのアイデアコンペの手がかりにしてもらい設計競技にも絡めていくというのが公開研究会の内容である。

  
報告発表/
「新潟県中越における復興計画」・・・井原満明(地域計画研究所)
 
(はじめにスライドで旧山越村被災状況を映す)
 報告では中越地震被災地の復興に向けた2つの取り組みについて紹介する。いずれもコンサルが関わっている事例である。ひとつは旧小国町の法末集落での取り組み「中越復興支援プランニングエイド(NPO都市計画家協会)」であり、もうひとつは「旧山古志村の6つの集落における集落再生の取り組み(長岡市+コンサルで分担)」の活動事例である。
 復旧・復興に向けての問題点で第一に豪雪の問題がある。これは復旧と復興を遅らせる大きな原因であると感じた。地震のあと2004年の冬は19年ぶりの豪雪になった。それにより家屋が倒壊しさらに被害が増大した。2006年6月の豪雨も加わり、中山間地域での復旧が遅れた。
 特徴は、地震による倒壊もさることながら豪雪による建物倒壊と豪雨による被害も大きかった。また、近年に整備された道路が崩壊し、旧道が現存しており、その活用が復旧に大きく役立ったことも特徴である。

 さらにいくつかの問題がある。1点は住宅再建の問題である。住宅応急修理制度(災害救援法)では、期間が三ヵ月、全壊家屋は対象ではないが、小国では地元大工さんが中心になり全壊家屋も対象にした。住宅応急修理制度では、市町村間で対応に濃淡が生じ、仮設住宅の入居者は対象とされず、応急修理が出来ないでいる。2点は仮設住宅の課題である。仮設住宅を集落単位とし農地も確保し、孤独になりがちで周りの支えが必要となる高齢者の生き方を考えた仮設住宅のあり方が大切である。しかし、仮設住宅には2年間しか入居できないが、旧山古志や小国では延長していかないと、この期間だけでは戻れない。3点に復旧工事と集落再生についてであるが、緊急な現状復旧が求められるが、集落再生に向けては中山間地域の特徴を生かす方向で、住民の合意による集落再生が必要である。これについては、「小規模住宅地区改良事業」の中山間地域版を検討していくことが必要ではないだろうか。
 最後に今後の中山間地域での復興課題について、コミュニティ再生(構築)の問題、これは集落再生が重要であり、中山間地域の生活再生は農村基盤の再生であるから。これに向けては、コミュニティ、生活再生を構築する新たな組織が重要になる。従来の基盤整備の復旧だけではない生活再建、福祉や生業なども含む集落再建である。それには、従来の計画技術の限界があり、支える経済性と支えられる経済性による中山間地域の活性化を考えていかないとならない。これからの新たな制度手法の重要性、たとえば新たな農村計画論とその手法を検討、重層複合的な土地利用、農村の暮らしや山の暮らしを支える整備手法を考えていかなければならない。


「福岡県玄界島における復興計画」・・・岡田知子(西日本工業大学)
 
九州の農村計画分野の研究者を中心にW.G.を立ちあげ、積極的に関わっていこうと活動を行っている。平成17年4月17日に玄界島復興計画W.S.実施、復興計画を提案するために何回かの現地視察、8月にシンポジュウム、数回の懇談会、研究会を実施し今日に至る。
 島の特徴としては平地がほとんど無く、急峻な斜面に住宅が密集して建てられ、被災原因のほとんどが宅地の崩落、擁護壁が崩れたために家が倒壊している。一部損壊家屋はかなり多いが、個人ではなく面的に整理しないと再建は難しい状況がある。かなりの被害ではあったが、死者が出なかったのは、発生時間がよかったのと強固なコミュニティがあり、皆が助け合いながら避難したことにある。ほとんどが漁民で経験から津波を心配して高台に非難した。そのときに、居住地域内のちょっとした広場が有効に使われたことがのちのヒアリングでわかった。
 現在は、全島避難の状況で、小さい子どものいる世帯は福岡市内のかもめ広場の仮設住宅に入居し、高齢者世帯は島の仮設や空き県営住宅に入り島に残っている。仮設住宅は3月29日に建設着工し、4月25日には入居している。
 学会として玄界島でW.S.を行い、復興計画に意見を出した。意見として、これまでの集落構造や土地利用計画の維持、濃密な空間構成がありそれを無くさない、漁村の特徴としての祭祀空間を無くさずに残す、半農半漁のかつての暮らし、記憶を残していくことを提示した。祭祀空間として各戸にお稲荷さんがありその宗家の家が島の下の方にあり、そうした社会集団や多くの集団が作られていて、玄界島復興対策委員会が作られ集落島民協議が行われた。島は北風、西風が強く、平地が少ない。風を避けるかのように集落が形成され、南入りにこだわって住宅が建てられている。縦道、横道、抜け道、網の目のような道が建設されている。住宅は海を向いて南斜面に建てられている特徴がある。
 戸建て住宅については12月上旬に初めての住民交渉、2月に契約、平成18年度半ばに造成、平成19年度に住宅完成、入居予定である。
 昨年5月21日に島民総会が開催され検討した結果、島民の総意として皆で一緒になって再建することになった。6月18日の第1回住民意向調査を踏まえ、市営住宅、戸建て住宅、共同住宅を建設する方針を作った。島の斜面の上部に戸建て住宅、下の方に共同住宅を造る計画案である。県営住宅はいち早く建設することになり、事業手法は「小規模住宅地区改良事業」を用い、市が全部の土地を買い取った上で住宅建設する計画案である。共同住宅は、4月に着工し、平成19年4月に入居と早いスピードであるが、これは島民の意向である。PCで組み立て50戸建設する。時間がないため、現在あるPCの型枠を使って造る。この点については、都市型共同住宅のプランなので、W.G.として県にいろいろと働きかけたが、話しを聞いてみると致し方ない。また、復興計画案は玄界島の特徴を生かしていないことから、JIA九州支部では独自の案を出している。それは、島の継続を前提とした条件として、住民の意向に対応、既存地形を生かす計画、地形に沿うような計画、今の路地のある風景や南入りの住宅を生かし、従前の島の魅力を生かして再建したいという提案である。
※質問・・・・ JIAと我々の意見は県には無視されるのか?
 回答・・・・ 大いに参考にするとの回答であった。景観計画で出してあり、今後JIAの力も借りるとの事。JIA九州支部がまとめを提案していく。
 質問・・・・ 漁協は単独なのか?
 回答・・・・ 福岡の漁協である。


「中山間地域の地震防災と復興対策」・・・重村 力(神戸大学)
 中越震災復興総合研究小委員会は、11月23日に「中山間地域等の地震防災と復興対策への提言―新潟県中越地震に鑑みて―」を作成した。集落再建にポイントをおいて説明していく。中越地震の被害状況、かつて人々が手掘りをした中山トンネルは被害が無く、国道の新しいトンネルは被害があり通過できなくなった。新潟県知事が言っていたが無理をしないでつくってきた町村道は被災せず、克服形土木技術でつくってきた国道、県道が被災している結果である。
 阪神・淡路大震災の1995年以降日本建築学会では、3回にわたる提言を作り、地震に対してかくあるべき、かく備えるべきことを提言してきた。が、その中に中山間地域や沿岸地域、農山村集落地域の対策を想定してなかった。鳥取西部地震、宮城沖地震、中越地震、福岡西方沖地震、スマトラの津波災害などに対し、建築学会として対応していかないとならない。中山間地域の問題を国民的課題として、立証していかないとならない。

 「提言」では大きく3つ提言している。予防対策、緊急・応急対策、集落の復興対策である。
 列島のどこかで中越のような地震が発生してもおかしくない。発生確率の低い地域で地震発生が続いている。既存住宅・建築の耐震強化につとめること、集落生活圏ごとに防災点検を行い、地域特性に即した参加型の防災システムを構築していくことが必要である。緊急・応急対策では、地震直後にはいろいろな目的の調査が行われ混乱もきたす。家屋等の危険度調査をはじめとする緊急調査の方法・役割を再確認し、円滑に実施すること。避難所問題は都市以上に貴重で、指定避難場所の多様化と段階運用システムを構築し、避難生活を支える緊急物資配送システムを構築してことや、集落を単位として応急仮設住宅を設置し、生活の場を確保していくことも必要である。また、空き屋や空き店舗などの利用など仮設住宅以外の確保に対して多様な支援方策を講じていく必要がある。良好な住宅ストックを本格修理するために、被災住宅修理制度を拡充していくことが必要である。
 地形や風土に調和した復興目標を策定し、適切な土地利用・美しい景観の再生を図っていく。復興が都会ペースで行われているが、中越のように3ヶ月後には雪が降り、そして雪解けといった季節サイクルも配慮して、地域特性と気候・風土に対応した弾力的・段階的復興を行っていく。
 残った住宅を伝統的工法で現代的に改善する方法や地域に配慮した公的復興住宅を造っていく。公的復興住宅も空きストックを利用するなどいろいろな方法が考えられる。また、住民が主体性をもって復興目標を設定すること、都会にいる山古志出身者、福岡市内で生活している玄界島出身者のように地域を離れている被災者の復興への参加、都市と中山間地域の交流を実現する。

 阪神・淡路大震災のときの作業を写真でこれから紹介する(スライド映写+説明)
 いろいろなケーススタディを映したが、農村版でもやらないとならないと思っている。
 たまたま震災直前に、神戸の集落部に移築民家をまわったときに農村コミュニティセンターに改築された建てものを見たが、震災のときに施設としてよく機能した。このように農村側から震災をサポートする役割もある。

   


討論/
[司会] コンペと関係している公開研究会として意見を皆さんに意見を出してもらいたい。
[伊藤] 2枚の資料がある。
[司会] アイデアコンペなのである程度条件を整理してのぞむということになろうか。重村先生からもかなり意見をもらったと思うが。
[意見:重村] スリランカに行った。災害から1年たっているがまだテント生活が続いている。生計プログラムも一生懸命やっていて、海辺の人が海の仕事をしていたがそれができなくなっている、そういう人たちに内職を提供するようなことをやっていて、トータルで生活を問題にしている。そういうことが農村では大事ではないか。
[意見:三橋] 小国で震災の聞き取りをやってきた。集落の共同施設が意外なかたちで生かされている。多機能な施設が必要ではないか。
[感想] 復興支援の評価基準が出来てない。明確な評価基準を持たずに入らずにはいられない。市町村合併など意思決定機構が内側にあるのと外にあるのとでは違う。もし玄界島に村役場があったらどうなのか、福岡とは大きな溝がある。中山間地域の復興を考えたとき、市町村合併で意思決定が遠のいてしまったときのことを考えていかねばならない。誰が責任を持って対外的に意思表示していくのかが大事なことである。
[意見:井原] 10月から集落に入ってコンサル主導で絵を描いてきている。池谷集落では、2つの部会(道路・基盤整備の部会と戻ったあと生活をどうするかの部会)を作ってもらい3月にはコンサルではなく、集落から市に提案していこうとしている。こういうことをしていかないと、災害のときには早く戻りたいという者が逆に言えば景観を壊す要素を持っていると考える。池谷では集落自体の計画作りを短期間でやるのが課題で、独自にいろいろな勉強、議論をしようとすすめている。
 ところでこのコンペはアイデアコンペだからそれはそれでいいと思うが。中山間の問題はいろいろな取り組みがされてきたが、まだまだ解決していないのが現状である。
 池谷については復興をひとつのチャンスとして考えたらどんなことができるのだろうか。
 中山間の問題を本当にクリアできるのだろうか。大きな課題も震災がなかったらやはり衰退していく。復興はそんな生ぬるいものではない。現実とギャップをうまく埋めていくのが課題である。山に戻そうということをやらないと、どんどん外に出で行く。村に戻ろうという運動論として復興計画に入れていかないと、アイデアやタイミングの問題ではない。そういうところに、いろいろな人がコラボレーションして新しい中山間のモデルを作っていかないと中山間そのものの問題は変わっていかない。たとえばイエの跡継ぎをどうするのか、それと復興計画をつなげていくこともある。もしあと5年しか生きられない70歳代の一人暮らしの人が、今から家を造ろうとはしないだろう、しかし、集落で造って空き家になったときに、集落自体での管理システムを考えたりする方向も考えられる。従来の営農組織がない、それではどういう中山間組織ができるのかを検討していくことも重要である。
[意見] 今、井原さんが言ったようなことが情報として、データとしてあったほうがいい。
[回答] 学会のホームページに掲載して、出せるようにしてある。
[意見:伊藤] 日本建築学会の中で中山間の問題は勿論議論されてきている。中山間地域や農山漁村が大事だということは、国民の間に良く理解されていると思うが、思い入れが少ない。日常的に話題になってこない。建築だけでなく広げていろいろなところでもっと中山間に着目して欲しいというのがきっかけである。
 図面上にただ家を並べたのがアイデアだとは思っていない。課題条件の3に書いてあるようにコミュニティをどう考えるのか、地形、風土があって集落が形成されているということ、そこで人々がどう暮らすかを考えていかないと集落再建は出来ない。先ほどの玄界島の話に出たように、都会でつくるようなものを持ってきてもそれは違う。日本のかなり多くの大学の建築学科が中山間地域の問題をまともに取り上げ、課題を提示しているかというとそれをやってない。
 モデルとして玄界島と中越を考えている。先週、豊岡に行ってきたが水害だと地震とはまた異なった状況で大きな被害が出る。身近な災害など、さまざまな状況の中で集落再建を考えてほしいが、全くモデルがないと困るだろうということで玄界島、中越を提示した。、応募される方はそれにとらわれずに、いろいろなアイデアを提案して欲しい。





まとめ/
伴丈正志(長崎総合科学大学)
 コンペの問題、中山間地域の問題について伊藤先生が的確に整理されている。長崎の自然災害で考えるのは、島原の災害である。しかし、災害の後に水無川に巨大砂防ダムと堤防ができ、かたや農地だったところにひな壇上に宅地が形成され、大きなロットの御殿のような住宅があり、そのようなものからは我々は何も学んでいない。中山間、あるいは玄界など自然災害が起こっているが、中山間や農山漁村には長期間形成されてきた集落があり、ストックされてきた住宅や、生活諸施設、自然災害対応型のさまざまな空間があり、社会的に強いコミュニティを形成してきた。災害に対して都市型ではないものを新しい目標とすべきである。コミュニティ、空間をどう再現していくのか、生活基盤や生産、土地、土壌といったものも含めどのように再建していくのか。新しい計画は誰がどのように担っていくのか、さまざまに意思決定機構があるが、コミュニティ意識の強い地域とそうでないところの落差がある。NPO、行政、住民、コンサルといったものをどうまとめコーディネートしていくのか、大きな課題である。時間の概念を丁寧にしていくなど時間をかけて最終目標に向けて計画していくことが大切ではないか。
 伊藤先生が中山間地域に目を向けてコンペを提案してくださったが、中山間地域に寄与するような設計コンペとなるよう多くの方に応募を呼びかけてほしい。



*以上、瀬沼頼子 記録


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