最優秀賞

№3 オカミのイエ

岩手県大船渡市三陸町の越喜来湾の崎浜集落における防集事業に関わる提案である。オカミとは、この辺りの伝統民家の南側の真ん中の部屋で、通常神棚や仏壇などが設置される格も天井も高い部屋であり、各種行事も行われる。提案者は、仮設住宅居住者を対象とした調査で、オカミで行われた漁船の進水式の写真などに出会い、その空間の重要性に気づく。オカミを現代生活の中心的空間として再生し、そこを中心とした間取りの拡張可能性にチャレンジし、一つの型から多様な住まい方が生まれる方式として提案している。一方で、防集事業としては「差し込み型(いわゆるインフィル型)」を提案しており、川べりの結節点となるキッツと呼ばれる水辺空間とともに、オカミのイエ自体が、村の新たな結び目となる提案である。今回の審査では、いわゆる「建築的魅力」と「事業提案のリアリティ」の有無などが争点となったが、一軒の家、そして小集団からの復興を、伝統的空間の中で未来に活かす総合的な提案として高い評価を得た。 (大月敏雄)

優秀賞

№6 田老ゆい-海と向きい、住みつなぐまち-

田老地区は数十年に一度の津波災害を繰り返し受けてきたが、今回の災害はまたもや人間の想像を遙かに上回るものであった。本作品はこの地区の再興について、現世代の技術・理論を組み入れ、津波に対する安全性、人々の暮らしや生業の再建、地域ネットワークの再構築、さらに日常のエネルギー問題や新たな共同体構成への総合的な提案がなされている。これは、ハード・ソフト面の対策だけでなく人間の力を踏まえた計画であり、まさに災害復興に必要な要素が含まれる非常に完成度・具体性の高い提案であると評価できる。一方、その具体性の高さゆえに、地域性の読み取りが甘く、見方を変えると「現代型高台新規住宅地」の一般形に見えてしまうところが惜しい点である。災害復興事業の特徴が「被災地を空間的に都市化してしまう」ことにあるゆえに、特に今回選択した立地地区の特性をさらに読み、都市と対極となる計画要素が解として示されてほしかった。結果、過去の津波災害がこの地区に示してきた歴史とそれでもここに息づく人々の暮らしが、やや見えづらい提案となってしまった点が悔やまれる。 (越山健治)

№5 ハマコヤオカクラ

被災漁村復興の要諦は、属地性に根付く漁場・資源に寄り添った漁業再生と安全で快適な暮らしが、地域風土の中で違和感なくその関係性を再構築することにある。舟小屋で有名な伊根浦は、間に道路をはさみ海側に舟小屋、陸側に母屋を配した短冊状の世帯単位の地籍図の連なりで構成される。私は、被災漁村復興の基本概念を「舟家型土地利用」、つまり、海と密接な関係を持つ舟小屋型利用(漁業生産、流通・加工機能)と母屋型利用(生活・福祉、高価な漁具や情報の分散保管機能)の土地利用再編と思っている。具体的な復興の姿は、個々の漁村特性により多様だろうが、防潮堤建設に地区として反対表明しているハマコヤ・オカクラの計画地唐桑小鯖地区における本案は、漁業者の覚悟や潔さが、迫力ある分かりやすい図面に表現されている。しかし、詳細に内容を吟味していくと、当初、本案に抱いたイメージとハマコヤ、オカクラが持つ役割に大きな隔たりがあり、大切なものとは何かについて議論の必要がある。ただ、個人的には、荒削りながら可能性を感じ、好きな作品である。 (富田 宏)

佳作

№1 まちのうつろい-産業と生活の発展による復興年表-

「まちのうつろい」は、将来像を丁寧に思い描きながら創りあげられた、地域の中での住宅の役割を見据えた提案である。釜石の漁村集落を舞台に、具体的で広範な現状調査に基づき、将来の地域像を産業構築と関係づけながら丁寧に計画されている。住む人たちの気持ちの変化が時系列にそって想定されていて、提案のリアリティを向上させている。

まちの将来に向けての仕組みづくりが丁寧になされている一方で、建築デザインについての検討が不足していたのが残念だった。例えば、復興公営住宅として整備された建物と自力再建で建てられた建物のそれぞれに増改築の例が示されているものの、増改築を想定した設計上の工夫などが少ない。自力再建の建物で提案されている通り抜けの土間などは、もっと多様な可能性を引き出すことができたはずである。

地域の景観についても同様である。椿畑の計画など、美しい景観に寄与しうる提案が盛り込まれているものの、デザインをするという視点があるとより良かった。

デザイン的視点が強化されれば、格段と提案の質が向上するだろう。大きな可能性をもった提案だった。 (曽我部昌史)

№14 はみだす暮らしが村とコミュニティと心をつなぐ

「津波避難を会得できる集落構成」というフレーズに目がとまった。千年に一度ともいわれる未曾有の大災害。歴史を遡ると、東北沿岸部で過去に高台へ移転した集落は数多く存在している。だが、今回はその多くが被災してしまった。やはり最後は、逃げるという本能を呼び起こすことができるかどうかである。岩手県田野畑村の奇跡的ともいえる人的被害の低さに気づき、それへ貢献した集落空間の存在を発掘した緻密なサーベイには大きな価値がある。

一方、提案された建築へ目を向けると、住宅の室が分離され縁側が連続するかたちでの廊下で繋がれている。被災前から過疎化・限界化を抱えていた小さな集落が、新しい命を迎えながら持続してこうとするための住宅。その将来像への意欲が伝わってくる。だが、冒頭フレーズから期待されたのは、この住宅がどのように集落全体として群を成すのか、津波避難を会得できる生活や経験そして伝承へと結びついていくのかであった。田野畑村の人々が自然災害の中で生きる作法を知っていたこと、それが集落空間として再生されるさらなる魅力がほしかった。(森 傑)

No.13 平衡の道筋

本提案では大槌町吉里吉里を対象地として、策定されている震災復興計画で提示されている基本方針に十分な配慮をしながら、持続的に生活の質を維持できるような計画提案がなされている。様々な要素に対して丁寧な調査検討が積み重ねられ、一つの物語として紡がれたこの提案は、楽観的な印象を与える部分がないわけではないが、ついつい被害からの復旧、目の前の生活再建に重点が置かれてしまう災害からの復興過程に対して、時間の経過に伴う将来的課題を見極め、持続可能な暮らしやすさを実現させるものとして十分な強度を有している。

特に、世帯数が減少し、地域の密度が減少する状況の到来を視野に入れ、住宅地は一定の密度を持続しつつ周辺部は状況に応じて徐々に土地利用を改変していこうという空間マネジメントプログラムは、提案敷地だけでなく、多くの過疎高齢化の進む集落の将来計画において、有用な技術として利用される可能性がある。それだけでなく、住宅の空間利用についても将来的な改変を想定した提案がなされていることも評価に値するものであった。 (澤田雅浩)

№17斜面の住まい 通りの住まい-集落と家の「空き」を住み継ぐ-

本提案の対象地域である岩手県釜石市小白浜地区は、明治三陸津波(1896年)、昭和三陸津波(1933年)でも大きな被害を受け、そのたびごとに高台移転が行われた。明治の移転地は大正時代に山火事の被害を受け、低地へと集落が戻り、昭和三陸津波で被害を受ける。現在、高台に位置する集落は、昭和の復興事業による移転地である。昭和の高台移転地内の被害は限定的であったが、低地に拡大した地域が壊滅的な被害を受けた。東日本大震災の復興計画は、昭和高台移転地の一部を居住禁止区域に指定し、新たに造成される住宅地と既存集落が国道により「分断」される計画となっている。

こういった課題を踏まえ本提案は、既存集落内の空地・空き家、未利用の斜面を利用することで現在の集落内で住まいを確保し、伝統的な住まい方も踏まえた住まいを再建する計画となっている。実現可能性の高い提案である点が評価され入選となった。昭和移転地の街並みに対する考慮、津波と復興の歴史をどう考えるのか、といったことの検討も行われれば、より良い提案となったと考える。 (牧 紀男)