液状化による地盤沈下などで住宅が傾くと、戸の開け閉めの不具合、隙間風の発生、傾斜によるものの転がりといった障害だけでなく、めまいや吐き気などの健康障害が生じることがあります。建物の傾きと健康障害について、これまでに報告された学術研究をいくつか紹介します。ここで、健康障害には個人差があることに注意してください。
なお、床の傾きだけでなく、柱や壁の傾き、窓や窓の外に見える景色の傾きなどの視覚的刺激からも生理的・精神的影響があります。また、長期間居住することで感覚の麻痺が生じ、自覚症状が消えることがあります。
以下に紹介する文献について、床の傾斜角と健康障害の対応をまとめると、次の表のようになります。
傾斜角 | 健康障害 | 文献 | |
---|---|---|---|
度 | 分数 (ラジアン) |
||
0.29° | 5/1000 (=1/200) |
傾斜を感じる。 | 藤井ほか(1998) |
0.34° | 6/1000 (=1/167) |
不同沈下を意識する。 | 藤井ほか(1998) |
0.46° | 8/1000 (=1/125) |
傾斜に対して強い意識、苦情の多発。 | 藤井ほか(1998) |
0.6°程度 | 1/100程度 | めまいや頭痛が生じて水平復元工事を行わざるを得ない。 | 安田・橋本(2002) 安田(2004) |
~1° | ~1/60 | 頭重感、浮動感を訴える人がある。 | 北原・宇野(1965) |
1.3° | 1/44 | 牽引感、ふらふら感、浮動感などの自覚症状が見られる。 | 宇野・遠藤(1996) |
1.7° | 1/34 | 半数の人に牽引感。 | 宇野・遠藤(1996) |
2°~3° | 1/30~1/20 | めまい、頭痛、はきけ、食欲不振などの比較的重い症状。 | 北原・宇野(1965) |
4°~6° | 1/15~1/10 | 強い牽引感、疲労感、睡眠障害が現れ、正常な環境でものが 傾いて見えることがある。 |
北原・宇野(1965) |
7°~9° | 1/8~1/6 | 牽引感、めまい、吐き気、頭痛、疲労感が強くなり、半数以上で 睡眠障害。 |
北原・宇野(1965) |
日本建築学会:建築士のためのテキスト 小規模建築物を対象とした地盤・基礎, p. 31, 2003より引用・修正
以下、床の傾斜角と健康障害に関する文献を紹介いたします。
1964年6月16日に発生した新潟地震で傾斜した建物に居住や勤務する人を対象に、同年11月に面接調査を行った結果を報告しています。
床の傾斜が1°以下では、1日中傾斜室内に生活しているもの6名中2名が頭重感、浮動感を訴えています。2°~3°では、めまい、頭痛、はきけ、食欲不振などの比較的重い症状が現れます。4°~6°では、一方へ強く引かれる感じ(牽引感)が主体的となり、疲労感、睡眠障害が現れ、正常な環境でものが傾いて見えることがあります。7°~9°では牽引感、めまい、吐き気、頭痛、疲労感が強くなり、半数以上で睡眠障害があります。
居住者の経験から出た対策として、時々の外出、床の水平化工事が挙げられています。ベッドだけでも水平にすると寝つきがよく体が疲れないと回答した人があったことが報告されています。
また、めまいが発生する原因を以下のように考察しています。人間には頭を鉛直に保とうとする反射(立ち直り反射)があります。建物が傾いていると、まず重力による感覚から頭を鉛直に保とうとします。しかし、同時に視覚からの情報で床に垂直な方向に頭部を保とうとします。この筋肉の緊張に現れる2つの反射の葛藤がめまいや牽引感の原因として考えられると指摘しています。
ジャッキで床を傾けることができる装置を使った被験者実験と、1964年新潟地震で傾いたある会社の女子寮に入居する女性42名に対し1981年10月に面接調査を行った結果について報告しています。面接調査の結果、床の傾斜角度と自覚症状について、以下の表・図のような関係が見られました。1.3°で牽引感、ふらふら感、浮動感などの自覚症状が見られ、1.7°で半数の人に牽引感が現れます。
傾斜角度 (度) |
牽引感 | ふらふら感 | 浮動感 | 不眠 | 疲労感 | 回転感 | 頭痛 | めまい | 腰痛 | 計 | 実対象者数計 (人) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1.3 | 6 | 5 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 15 | 8 |
1.4 | 8 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 9 |
1.6 | 4 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 10 | 4 |
2 | 9 | 2 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 19 | 9 |
2.2 | 5 | 2 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 1 | 0 | 15 | 5 |
2.3 | 6 | 5 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 19 | 7 |
計(人) | 38 | 21 | 11 | 9 | 3 | 3 | 3 | 3 | 2 | 93 | 42 |
注:複数回答である
図1 床の傾斜角度と自覚症状
実験結果については、長時間の滞在時の測定結果ではなかったため、ここでは割愛いたします。
阪神・淡路大震災で液状化被害が発生した芦屋市の住宅約100棟を調査した結果を報告しています。この調査結果に加え、これまでの文献や、下水道の掘削工事によって被害を受けた住宅に対し著者らがアンケート調査した結果も踏まえ、傾斜角と機能上の障害について以下の表のようにまとめています。
傾斜角 (rad) | 傾斜角(度に換算) | 居住者の感覚 |
---|---|---|
5/1000 | 0.29° | 傾斜を感じる。 |
6/1000 | 0.34° | 不同沈下を意識する。 |
8/1000 | 0.46° | 傾斜に対して強い意識、苦情の多発。 |
2000年鳥取県西部地震で液状化被害が発生した米子市安倍彦名団地の調査結果を報告しています。安倍彦名団地では、169棟の戸建て建物の傾きは以下のようになっていました。
合計すると、116棟が5/1000以上(0.29°以上)傾斜しました。
水平化工事を行ったか否かの境は、傾斜角が5/1000~15/1000(0.29°~0.86°)の範囲でした。床が10/1000程度以上(0.6°程度以上)傾斜するとめまいや頭痛が生じて水平復元工事を行わざるを得なかったと推定しています。
2011年東北地方太平洋沖地震による千葉市美浜区の液状化被災者に対しヒアリング調査を行い、傾斜角と健康障害の発生確率の関係を分析しています。傾斜角が増すと、めまい、不眠・睡眠障害、頭痛、吐き気といった健康障害を訴える人が次第に増えることが確認されています。回答者54名の統計モデルから、傾斜角が約0.013 rad(約0.74°、約1/78)を超えると健康障害の発生確率が50%を超えることを報告しています(図2)。
図2 健康障害が発生した傾斜角とその発生確率モデル(N = 54)
建物の傾斜は、地盤の液状化だけでなく、軟弱地盤にみられる圧密沈下(ゆっくりと時間をかけて沈下する現象)、近隣の掘削工事や重量物の設置でも生じます。頭痛などの自覚症状があり、調べてみると建物が傾斜していたといった事例もありますので、ご注意ください。
東日本大震災の液状化被害等の実態を踏まえ、災害による住家被害認定が一部見直しされました。基礎と柱が一体的に傾いたときの判定は以下のように追加されています。
四隅の柱の傾斜の平均 | 判定 | 運用 | 備考 |
---|---|---|---|
1/100以上、1/60未満 | 半壊 | 新規 | 1/100:医療関係者等にヒアリングを行い設定した 居住者が苦痛を感じるとされている値 |
1/60以上、1/20未満 | 大規模半壊 | 新規 | 1/60:従来から基準値として使われている構造上の 支障が生じる値 |
1/20以上 | 全壊 | 従来通り |
参考文献 内閣府:防災情報のページ 災害に係る住家の被害認定(2014年12月6日閲覧)
傾斜角度は、度、ラジアン、ラジアンを分数で表したもので表示されますが、対応関係は以下のようになっています。
表5 傾斜角の対応
傾斜角 | 度 | 0.1° | 0.2° | 0.3° | 0.4° | 0.5° | 1° | 2° | 3° |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ラジアン | 0.002 | 0.003 | 0.005 | 0.007 | 0.009 | 0.017 | 0.035 | 0.052 | |
分数 |
傾斜角 | 分数 | ||||
---|---|---|---|---|---|
ラジアン | 0.005 | 0.010 | 0.017 | 0.050 | |
度 | 0.29° | 0.57° | 0.95° | 2.86° |