徳島支所−調査研究「吉野川流域に残る石造文化」


 今年で創設50年を迎える日本建築学会四国支部は、四国四県それぞれが違ったテーマで記念事業を進めることになり、香川は「歴史」、愛媛は「教育」、高知は「文化」で、徳島は「環境」に取り組むことになった。環境という広域なテーマの中から、私たちは「石」を選んだ。環境問題がますます深刻化する中で、建設用材として、いま「木」が見直されているが、石もまた木と同じ自然素材であり、未来の環境・景観形成のキーワードと位置づけた。伝統的石積みや石造技術の調査研究は、自然環境との共生や持続可能な建造物をつくり出す上で、大きな意味を持つと考えた。
 石は人類の長い歴史の中で、人々の生活と密接に関わり合い、日本人の原風景ともいえる景観をつくり出してきた。ここ四国の大河吉野川下流域にも、流域に沿って分布する地層三波川帯から産出する緑泥片岩(通称:阿波の青石)を使った石造物が、いたるところに残されている。護岸や棚田に積まれた石垣、山間部に残る石倉、農業用水確保のために築かれた川堰など、人々の営みの中から生まれた石造物は、今なお私たちに多くの示 唆を与えているが、その歴史的・伝統的技術の調査研究はほとんどなされていないのが現状である。例えば、徳島城址の石垣に見られるという近江穴太衆の石積み技術が、現在造られる護岸や擁壁に反映されることはまずない。そのほとんどがコンクリート造に変わり、石を使っても積むのではなく、ただ表面に張るだけの工法に変わってしまった。また、250年の歴史を持つ石積みの第十堰は、水を完全にせき止めることなく石間から逃がす透過構造の洗い堰だが、その真の構造や技術の解明はなされないまま可動堰化に進んでいる。
 自然と人間との関係を技術の面から振り返ってみると、中世までは自然の圧倒的な力に服従するしかなかった「自然に対して受け身の技術」であり、近世・近代は自然の猛威と人間の知恵がうまく折り合いをつけた「自然と共存する技術」とみることができる。そして、現代は科学の力によって「自然を征服する技術」に変わり、凄まじい勢いで環境破壊が進行した。いまほんの少し遡り、近世や近代の遺産から学ぶことが環境問題解決の糸口になると考えた。(−50周年記念誌より抜粋−)

<事業報告>

「親と子の建築講座・バス見学会」
自然環境と共生する石造物探訪−青石文化を追って−

<主 催>   四国支部・徳島支所
日   時 1999年5月23日(日)9:00〜16:00
集合場所 徳島県庁前で集合及び解散
プログラム 徳島城址の石垣 (徳島市徳島町)
吉野川橋北詰上流の水制や護岸(徳島市応神町)
名田橋北詰上流の水制(藍住町東中富)
藍商屋敷「田中家住宅」の高石垣(石井町藍畑)
吉野川第十堰(石井町藍畑)
一宮町界隈の石垣や石倉(徳島市一宮町)
案 内 役 徳島支所学会員(富田・野々瀬)
参 加 者 50人(うち子供8人、学生7人)