建築社会システム本委員会の概要と沿革
発足
建築社会システム本委員会の前身にあたる建築経済委員会は、1949(昭和24)年6月21日に設置された。初代委員長は横山不学、幹事は新海悟郎・丹下健三であった。当時わが国は第2次世界大戦後の復興期にあり、建築活動が重要課題であるにもかかわらず、社会資本の形成に対する建築活動の重要性の認識に希薄で、国民経済における位置づけもされていなかった。建築活動を計画的・合理的に行うために、建築における経済的側面を理論的、実証的に明らかにすることが、建築経済委員会設立の目的であった。
委員会設置以前の戦前にも、建築学会内に建築経済領域に関する活動がなかったわけではない。明治時代には、「建築師報酬−定案調査委員会」(1897年設置)と「建築請負契約書案作成委員会」(1910−1911年)が、大正に入ると、常置委員会第5部に「予算数量・報酬規程」の項があるほか、報酬や契約書の委員会がいくつか設けられている。さらに1935年に「建築統計委員会」が設けられ、翌年、建築5団体で構成される「建築統計連合委員会」が統計作成のための調査に着手した。
建築経済委員会設置の直接のきっかけとなったのは、1947年末に編集委員会が始めた「建築経済懇談会」である。この参加者を中心とする「建築経済委員会新設に関する要望」を受けて学術委員会で検討がなされ、委員会設置に至った。
その後、住宅・住宅問題、建築企画・経営、建築生産の3つの分野にわかれて研究活動を展開してきたが、設立から60年を超えんとするなかで、委員会活動の多様化と委員会名称との乖離、建設活動をとりまく環境の変化等を考え、また、急激に変化している建築社会に対応して研究活動をダイナミックに展開するためには、建築経済という枠組みを越えざるを得ず、さらに、建築社会システムの再編をめざす研究が建築界に求められており、この委員会がその役割を果たすべきであるとの結論に至った。 (古阪元委員長作成、名称変更趣意書抜粋)
以上のことから、2008年「建築経済委員会」の名称を「建築社会システム本委員会」と変更することを学術推進委員会に申し入れし、その後、2008年12月の理事会で承認されたため、「建築社会システム本委員会」に改称した。
主な出来事
- 2001-2003年:建築市場・産業特別委員会の設置(委員長:嘉納成男)
歴代委員長名
- 横山 不学 (1949〜1953年)
- 伊藤 滋 (1954〜1963年)
- 谷 重雄 (1964〜1971年)
- 本城 和彦 (1972〜1973年)
- 益田 重華 (1974〜1975年)
- 徳永 勇雄 (1976〜1983年)
- 古川 修 (1984〜1987年)
- 下総 薫 (1988〜1993年)
- 巽 和夫 (1994〜1996年)
- 住田 昌二 (1997〜1998年)
- 江口 禎 (1999〜2000年)
- 三宅 醇 (玉置 伸吾:任期途中に逝去) (2001〜2002年)
- 嘉納 成男 (2003〜2004年)
- 眞嶋 二郎 (2005〜2006年)
- 古阪 秀三 (2007〜2008年)
- 森本 信明 (2009〜2010年)
- 安藤 正雄 (2011〜2012年)
- 石坂 公一 (2013〜2014年)
- 平野 吉信 (2015〜2016年)
- 田村 政邦 (2017〜2018年)
- 野城 智也 (2019〜2020年)
- 齊藤 広子 (2021〜2022年)
- 浦江 真人 (2023〜2024年)