日本建築学会北陸支部広報誌 Ah!37号
シリーズ「隠れた建築」〜富山〜

富山県に現存する最古の寺子屋「混放洞」の改修(2)
水路が運んだ教育文化


坂井 修一
(轄竏芟囃z事務所 主宰)


写真13


写真14


図4


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写真17


写真18

1〜4(支所便り〜富山〜)はこちらからご覧ください


5.当地の教育環境・文化環境
5-1.地域文化
・庄川と神通川にはさまれた地域は、ほかの地域に比べて文化水準が大変高い。これは、文化が水路を通って平野奥深くまで伝播した結果である。水路は山麓手前まで確保できるので、例えば庄川をさかのぼって千光寺など大きな寺院があることからもわかるように、文化が水路でつながっているといえる。
・上記二河川にはさまれた領域に散在している大きな寺院は、いずれも交通の要所に位置し風光明媚なところに立地している。
・対比して県東部域を考察すると、いずれの河川も急流であるために、水路を介した文化の伝播はあるものの、海沿いの地区にのみ文化が定着したと考えられる。

(写真13)和田川河岸段丘、高岡市下山田地区。正面の山の連なりに沿って和田川。撮影地点背後に庄川が共に富山湾方向(N方向、左側)に流れている。

5-2.教育
  富山県の塾および寺子屋については、前田英雄先生が研究されておられる。先生の研究によれば、富山における教育施設として、これまで大きな役割を演じた塾・寺子屋や藩校は次のとおりである。
(1)小西屋(臨池居)。小西有義の私塾。 明和3年(1767)〜明治32年
(2)藩校「広徳館」。教官は岡田呉陽。1661〜1672
(3)広沢塾(氷見市)。広沢周斉の私塾天保5年(1835)〜明治7年
(4)聞名寺(八尾)。富山で最古の寺子屋。読み書きそろばん。寛永9年(1632)〜明治期
(5)その他
  混放洞は、人間を磨く教育により、(富山における)昔の著名人(県西部地区)を多く輩出した。また混放洞の塾長は、杉木教学所(明治2年から4年まで存続。十村が設立。砺波市)の教師と戸長を務めたという。なお、天神様をまつったものとしては、於保多神社(富山市)、水島神社(小矢部)天満宮(射水市)があることを付記しておく。

5-3.川により形成された広大な河岸段丘
  混放洞のある地域は、和田川および庄川により形成された広大な河岸段丘にあり、はるか北に小杉・富山湾まで、西には小矢部まで見渡せるもので、富山において他にはないものである。このため南北朝時代・戦国の時代には、当該地域は軍事的要所として山城である増山城が位置し、城下町も形成されていた。混放洞はこのような風光明媚なところに立地しており、少年が大志を抱くには、もってこいの場所といえる。なお、今は、城跡が2009年国指定の史跡となっており、砺波市はここら一帯を観光地化したく、地域の整備に着手している。

5-4.河岸段丘一帯を活用した地域づくり
・(前章にあるように)当地は文化水準の高い地域であったことを裏付けるがごとく、混放洞で学び後に県初の国会議員となった島田氏の邸宅もある。これは、明治時代に建てられた洋館の香りのする木造住宅である。(写真14)
・地域の方20数人と、当地におけるこうした建造物の文化的価値をどう活用していくかを話し合った。文化的価値の高い建造物は遺産として残すことにやぶさかではないが、保存のための経費の面を考えると、頭がいたいといった声はもちろん出た。また、文化価値を自分の手で守り育てて生き、地域の宝にしていくべきである、といった頼もしい意見もあった。
・私は、青少年の教育の観点で、混放洞や島田邸、増山城を含めた和田川河岸段丘一帯を野外体験学習の場として、地域がづくられていくことを願っている。


6.最後に、建築家の役割
6-1.坂井氏の持論
  建築のテリトリーは、世間では狭く、単に家を作るものといった印象でとらえられているが、最近の街づくりやランドスケープと呼ばれているものもすべて建築なのである。ただ、分業の高度化により、建築は建物のみといった狭い意味のものにおしこめられているが、実はそうではない。

6-2.坂井氏のスタンス
  坂井氏は、常に基本からじっくりと問題に対処することを技術者の当然のこととして心がけておられ、実務社会では何事にも効率を優先するあまり、基本がないがしろにされていることを憂いておられるようにみえる。彼の話を聞くと、ひとつひつつが、確かにそのとおりといったことばかりであるが、残念ながら、彼の話を理解できる方は極めて少ない。いわんや、彼と同じように問題点を指摘できる方は、(編集者の見る限り)ほとんど皆無である。

6-3.文化財の修復の持論
  文化財に申請してもおかしくない当該寺子屋はれっきとした文化財である。こうした文化財を後世に残すことになれば、改修をしなければならないが、実は現代技術をもってして改修は時には誤った工法を取ってだいなしにすることもままある。原因は改修の現場技術者は技術を知らないままに経験で対応するところにある。とくに、地震に対してどう対処するかについては、建築専門家でさえもよく分かっていない。実は、地盤と構造物を一体にして考えることのできる方がほとんどいないからである。(建物は地盤上にある。地盤は土木の範疇、建物は建築の範疇として、分業化が進みすぎている。)今、工学においては、こうした点に鑑みてするどく現状を批判するとともに、最先端の技術を下々の建造物にも適用すべく頑張ることが望まれている。特に、高価な免震装置を取り付けるのは木造の文化財には似合わないとして、地盤のほうに免震効果を期待する工夫が富山の地において試みられようとしている。これもおそらく日本発である。

6-4.伝統技術文化の継承と創生
  大工仕事では、ノミがドリルに、カンナが自動カンナに、釘打ち・ネジ打ちが電動打ちに、手仕事が道具使用さらに機械使用に、使用道具が変わってきている。当該建物に使われていた釘とボルトこうした状況のなかで「ものづくり」すなわち木造建築が直面しているのである。一般の建造物では、そうした時代の流れを反映した施工が行われていくようである。これも、技術の継承のあり方である。よく、伝統工法を守ることが継承といっているが、そうではなく、継承とは時代とともに形を変えていくものも含まれるものであり、創生といってもいいのである。(図4)(写真15、16)

6-5.協力者 これまで協力をいただいている方々は次のとおりである。
[調査・資料分野]飛鳥寛栗(前 善興寺住職)、前田英雄(富山県郷土史研究会会長)
[記録分野]富樫豊
[木材分野]栗崎宏、長谷川益男(富山県木材試験場)、簗瀬佳之、森哲郎(京都大学)、田中圭(大分大学)
[振動分野]池本敏和、村田晶(金沢大学)
[施工分野]曳き家および工事総括:羽根建設、基礎工事:谷口建設、板金工事:井上板金工業、木工工事:中川建築、左官工事:中村左官工業所

 このような物件に出会わさせていただきました河合さまに感謝申し上げます。
(写真17)清払いと安全祈願祭
(写真18)完成した基礎の上に上屋を戻す


おわりに〜(編集者から)
 こうして混放洞に新たな命を吹き込むことにより、人と建築と環境との新しい関係が生まれてくるように願っている、ということを言っておられた。編集者として、いくつかの思いを述べたい。私たちは、富山における教育の原点として、明治の近代化以前の教育に着目し、江戸時代からのとりわけ寺子屋教育の役割を建築学的なアプローチで分析し、後世にその本質を如何に伝えていくかを考えております。これは、文化の振興という次元を超え、教育と文化の範疇のものであり、皆様方にこの種の観点の重要さを知っていただき、皆様方とともに教育と文化についてより良き方向を見出していこうと思っております。以下に、アピールポイントを列挙します。
(1)文化・教育・地域と建築
・混放洞という文化財の保全改修について、理念と情念を木造建築文化財にふさわしい形で皆様方に伝わればと思います。これは文化財認識の啓発というべきものです。
・寺子屋教育を教育の原点としてとらえ、文化と教育について、特に今日の教育のあり方について鋭く迫りたいです。
・まちづくりについても、文化と教育の観点から地域において花が開けば、と願っています。
(2)皆様方と専門家
・建築の知識について、ここまで知ってくださいという押し付けはまったくありません。ただ、専門家が皆様方のために当然のごとく勉強し頑張っている様を見ていただければ、と思っています。


(取材・編集: 富樫 豊、 丸谷 芳正)