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Vol.54 - 2016/04/01
《from 富山支所》
復原 内山邸柳原文庫─職藝学院 現場レポート vol.1─ 

森本英裕/職藝学院専任講師・早稲田大学理工学研究所嘱託研究員


□職藝学院の『実物実習』
大工と庭師を育てる専門学校「職藝学院」では毎年、実際の建築物の新築及び修復を授業の一環として行っている。昨年6月には県民会館分館 内山邸の土蔵「柳原文庫」の新築復原が完了した。今回のレポートでは、この柳原文庫の完成までの流れを通して、本学院の地域文化財 修復・修景の取り組みを紹介したい。

□一枚の写真からの復原
内山邸は1868(慶応4)年に建てられた、江戸時代の典型的な豪農屋敷の遺構(国登録有形文化財に指定)で、主屋は数寄屋風書院造になり近代和風建築の先駆けとして知られている。平成16年より本学院教授 上野幸夫が監修し邸内の修復・修景に取りかかり、その締めくくりとして、土蔵「柳原文庫」の新築復原が行われた。 柳原文庫」は、1898(明治31)年に建てられた土蔵造りの2階建ての書庫で、1960(昭和35)年頃市外へ移築され、邸内にはその跡が残されていた。その他「柳原文庫」に関する残された資料は、明治30年代頃に撮 影された一枚の外観写真(写真1)と、邸内に保管されていた、明治の三筆 中林悟竹の揮毫による扁額のみ。これらを手掛かりとして、邸内や県内に残る他の土蔵の工法や細部意匠を比較・参照しながら復原設計が行われた。


写真1 明治30年代頃の撮影と思われる「柳原文庫」外観写真(内山邸蔵)

□当時の工法を辿り直す
木軸部は間口三間(5.4m)・奥行二間半(4.5m)で、正面に間口二間(3.6m)・奥行一間(1.8m)の切妻造妻入りの内法上に筬欄間を付けた戸前が付く。実習指導の棟梁と学生により墨付・刻みを行い、建方前の最終調整のため、学院の作業場にて仮組を行った。軸部は能登ヒバ(アテと呼ばれる)を主とし、地棟木などに一部ケヤキを使用している。伝統工法にならい、筋交い等は使用せずに貫構造とし、手刻みの継手・仕口で軸部の取合いがなされている。また、建方時(写真2)には学院OBの大工が加わり、協働で作業が行われた。修業期間を終えて独立する卒業生大工が増えつつあり、今後もこうしたネットワークを活かして多様な現場をこなせるチーム作りを進めていきたいと考えている。


写真2 学院OBの大工と協働しての建方

次に、土蔵のメインとなる左官工事について、土蔵は白漆喰仕上げが多く見られるが、今回は古写真を根拠に全面黒漆喰仕上げとした。黒漆喰は白漆喰と比べ、手間と費用がかかる一段上の仕上げで、一階出入口および二階窓共に両開き黒漆喰仕上げ扉が取り付く等、非常に格式の高い形式となっている。本工事では、土蔵特有の工法を熟知する左官親方に指導頂きながら、荒壁土作りや木舞掻き、荒壁塗り等を学生が参加して行った。県内では伝統工法を知る左官職人が高齢化により急激に少なくなり、次の世代に受け継ぐことが急務となっている(写真3,4)。


写真3 戸前鳥居部分仕上げ塗り


写真4 土蔵戸前部 竣工

□地域文化財の修復・復原
このように修復・復原の現場では、当初の工法・材料を残された資料・痕跡の中から判別し、辿り直し、再生することが求められる。そのためには歴史的な背景は勿論のこと、材料・工法・生産体系のことなど、多様な知識が必要とされる。修復・復原は極めて総合的な作業なのである。
職藝学院ではこのような修復・復原を毎年10件程、継続して行っている。このレポートでは今後も、各々の現場での取組みや特色を紹介していく予定である。そして、修復・復原作業を通して、各地域の人々と共に歴史的建造物を再生・継承していくことの意味を考えていきたい。


写真5 「柳原文庫」竣工外観

関連URL
1. 建方の様子    http://www.shokugei.ac.jp/blog/?p=938
2. 木舞掻きの様子  http://www.shokugei.ac.jp/blog/?p=954
3. 荒壁塗りの様子  http://www.shokugei.ac.jp/blog/?p=1857
4. 完成式典の様子  http://www.shokugei.ac.jp/blog/?p=3035
*大工と庭師の専門学校「職藝学院」  http://www.shokugei.ac.jp/



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