***春季学術研究会***

「近年のアジア農村研究 フィールドワークからフィードバックへ」 
2006年6月17日(土) 於:大阪工業技術専門学校


主旨説明:伊藤庸一(日本工業大学/農村計画委員会委員長)

農村計画分野では、従来からアジア諸国の農村計画研究・計画に携わってきた研究者が多い。本研究会では、調査対象地域でのフィールドワークを長年行ってきた先生方に集まっていただいた。研究成果・最終計画では記述しきれないフィールドワークの中での視点、方法、課題、またフィールドワークにもとづく調査研究のフィードバックについての考え、あるいは実践内容、さらには各々の描くフィールドワーク、フィードバックパースペクティブを紹介していただきながら、今後のアジア農村研究の展望について討論していきたい。


司会:斎尾直子 (筑波大学)
  
報告/

報告1.マレーシア  :宇高雄志(兵庫県立大学)

 宇高氏は、現在の関心事として、多民族混住の多元文化社会において、多様な過去をどう共有し、将来につないでいくのかという問題を挙げ、そのうえで、フィールドワークを記述することとは「語り」を生成することであり、ポリティカルコレクトネスとの遠近感、観察者としての自身の立ち居地をどうデザインするかということが、フィールドワークの非常に重要な課題であると指摘した。この先のフィールドワークとフィードバックについては、語るべき、語られるべき農村に対して若干の距離感をもって接しつつ、インフォーマントとの回路の複線化、文化の「誤訳」など、より自由なまなざしをもつことに期待したいと述べた。


報告2.フィリピン  :平田隆行(和歌山大学)

 平田氏は、フィールドワークを行ううえで重視した点は、閉じた地域共同体の中で「正しい」とされる住まいを積極的に記述することであると述べ、Butbut村の生活文化の背後に存在する、人、土地、建物に関わる「語られた記憶」のデータベース化など、調査研究の内容、手法について紹介した。そのうえで、研究をいかに還元するかというとき、村について「正しい情報」を発信すること、村の持つ「生活の質」をしっかり「語る」ことが重要であると述べ、具体的なフィードバックとして、直接役立つ情報の提供、開発への貢献、個人的な恩返し、村へのコミットメントのしくみを作っていく可能性、などを示した。


報告3.中国  :栗原伸治(日本大学

栗原氏は、自身の経歴の変遷と研究に対する立ち居地について言及したうえで、「リアリティ」を求めたフィールドワークにもとづく研究が「リアル」な社会に対応していない、また、「リアル」な社会に対応したデザインサーヴェイにもとづく研究に「リアリティ」が感じにくい、という矛盾点について述べた。さらに、農村計画学研究者の存在意義の矛盾を挙げつつ、大学、企業、地域による研究のボーダレス化をどう考えていくかを示唆した。そのうえで、このような危機感を投げかけること自体に意義があり、現地に直接「役立つ」ことでなくても、「人類」にとってフィードバックできることがあるのではないか、と述べた。


以上の報告に対して、木村儀一氏(明治大学)と重村力氏(神戸大学)より、コメントが述べられた。木村氏は、自身の調査経験にもとづいて、調査地に関わるときの調査者のスタンスの定め方のむずかしさを語り、その立ち居地によっては相手側の対応、受け取り方、調査の成果の使われ方などが大きく異なり、ときには調査者の意に反するようなことにもつながる、と述べた。そのうえで、個人の研究者が一般の人々に対して行う調査をサポートしていくようなシステムの必要性を指摘した。重村氏は、まず正しい事実を正確に、平たく伝えることが重要だと指摘し、続いて、フィールドワーカーが抱える「なんのために」という問題を取り上げて、宇高氏に対して、「ポリティカルコレクトネスへの意識も重要であるが、正統派の理解ではない理解をする、自分の直感に直接むすびつけることが刺激となり、新しい価値を生むのではないか」と述べた。平田氏に対しては、「実測図から生活、社会環境、その語彙までをもとらえていく方法の構築に貢献したのではないか。『分厚い記述』を他者と共有するいろんな方法に期待したい」と述べ、栗原氏に対しては、「フィールドでは、生活と環境が統合された世界があるようにみえる。現地の人はそれを記述する力はない。その統合された姿を外部からたんたんと記述することに、意義があるのでは」と述べた。



総合討論/
 

 まず木村氏、重村氏のコメントに対して、栗原氏は、「社会をシステムとしてとらえ、その一部でも記述することが、生活と環境が統合された姿を記述することにつながるのではないかと思えた」と述べた。平田氏は、「調査地は生活と環境が統合されているということを書けるポテンシャルのある場所であり、集落を語ることとは別の、日本に発信していくことの意義を感じた」と述べた。宇高氏は、「フィールドワークを行ううえで社会に対して『演じ分け』をすることは可能であり、それができるのが研究者」と述べ、さらに「より広い場で研究を発表し、その越境的状況を楽しむべき」とコメントした。

 続いて討論に移り、伊藤氏(前掲)から宇高氏に対して、マレーシアの多民族社会の今後の方向性について質問がなされ、宇高氏からは、国の優先政策第一位は民族の社会的統合であるものの、社会においては多元文化主義が採用され、元来のマレーナショナリズム、また社会的統合の動きとともに渾然一体となっている状況、との回答があった。

 山崎義人氏(神戸大学)からは、最初に日本国内ではなくアジアに行った理由について質問があり、栗原氏からは「『リアリティ』を求めるためにも、すべてが新鮮なところに行きたかった」と回答された。宇高氏からは、「マレーシアの自分の生活体験はきわめて限られた空間であり、海外だから特別だという感覚はない」と回答され、平田氏からは、「アジアは日本に近い。経済的、距離的、地理的にも、フィールドワークを長くできるということがもっとも大きな要因だった」と回答された。さらに、山崎氏から語学についての質問があり、宇高氏からは「言葉は非常に大事。フィールドワークで建築スケッチから始めるのは言葉が必要ないから。建築がもつ意味、背景を知ろうとすると言葉が必要になってくる」と回答され、平田氏からは「言葉ができないひとは感情のやり取りができる。コミュニケーションの問題」と回答された。

 討論の終盤には、フィールドワークに対する各々の考え方、思い入れについて議論が展開され、伊藤氏は、「プラス面もマイナス面も、文化の違いの発見に感動がある。両方を感じられるのがフィールドワークの好いところ」と述べた。また木村氏は、「上の世代は日本の農村を一生懸命調べ、我々はそれにもとづいて農村の整備をしてきた。今の世代はダイレクトに海外を見ている。そのうえでもう一度、日本を振り返ってみてほしい」とコメントした。

 最後に、岡田知子氏(西日本工業大学)により、「延々と調査地で築かれてきたものを、客観的視点から見て価値付けることにフィードバックがある。確信、自信をもってフィールドワークを行うことを、この場で確認できた」との総括がなされ、本研究会は終了した。

文責:川口友子(武庫川女子大学)


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