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ミーティング ➋ その1

目次

➌ ディスカッション

➊ 自己紹介

白石:インフォーマリティについて、それを羨むような思考があるのではないか、 フォーマルが翻訳できるかどうか、私たち研究者のなかでもズレがあるのではないでしょうか。 小野先生がいっていたように、この点が、この研究会の根幹であり、結論になるではないでしょうか。 また竹村さんがコロナについて話していましたが、2020年に立ち上がった研究会ということで、 今後の方向性を示すという意味でも、私たちがなぜインフォーマリティ研究をやっているのかを示す必要があるでしょう。

ほかには雨宮先生がいっていたように、日本への成果の還元についてです。 個別事例ばかりの話が多く、海外研究が役に立たないと批判されてきた経緯があるけれども、それがなぜ役に立つのか、 とくに国内に成果を普遍化し、翻訳できるかを委員会で話し合うべきです。

アウトプットとしては、私が学生の時に建築計画の教科書とかがあるのですけれども、 海外の社会住宅研究の文献が事例ベースのものが多く、研究の系譜や思想の変遷がわかる文献がなかなか見つかりませんでした。 そういうものがあると、今後研究する学生も増えるのではないでしょうか。成果物もできれば英文を併記して、国内にとどまらず情報を発信したいです。

また小野先生から先輩オブザーバーをよぶという話がありました。 私は九州にずっといたのですが、海外だったり九州のネットワークはあるのですが、関西や東京の先生や研究者と議論したり、意見をうかがったりする機会がありませんでした。 そういうえらい先生方からコメントがあればよいと思います。

前回の打ち合わせをうけて、アメリカとかイギリスのネットワークにかんするホームページの話がありましたが、 いろんな国のものがありすぎてよくわからないものがあるのではないでしょうか。この研究会が国内ネットワークの窓口になればいいと思います。

小野先生がいっていたように、海外論文をよんで紹介することはよいと思います。 自分の研究活動のなかで、そういうことがどんどん後回しになってしまうので、いい機会ではないでしょうか。 予算の使いみちについては、翻訳費に使うとよいと思います。

竹村:委員の上の世代と話してみたいという話がありましたが、東大の構法系の研究室で研究会を紹介したら、 建築構法の松村先生から、まず田上先生や布野先生とかに、いままで何をやってきたかだったり、 やることに対する意義について話してもらうといいのではないかとアドバイスをもらいました。

白石:私たちの上の世代の先生方はつながっていたり、つながっていなかったりしていますよね。 私も松村先生に構法の授業で来ていただいて知っているのですが、清水先生とか、とくに布野先生とか城所先生はもう大御所ですよね。 地方にいると、そういう方に会いづらいです。そういう先生方の批判でもいいですし、私たちの世代と上の世代のキャッチボールがこの研究会でできればいいと思います。

➋ 研究発表

:成浩源といいます。 私は、文化財保存協会で仕事をしながら、日本大学の広田研究室に所属しています。 今は、社会人4年生で、博士2年生です。修士は、滋賀県立大学の川井先生の研究室で過ごしました。 本日は、私の研究内容について皆さんにご紹介させていただきます。

私の研究テーマは、北京旧城の歴史的街区の変容とその居住環境にかんする研究です。 これからこの研究の目的・背景・調査の様子・現地であつめたデータについてご紹介します。本研究の目的は、都市組織研究の一環として、21世紀初頭から急激に変容した北京旧城の居住環境整備の今後の指針をえることを目的としています。研究の背景です。 ご存知のとおり、北京では、21世紀初頭から2008年のオリンピックにむけて、都市の再開発が加速し、大規模な高層マンション・オフィスビル・ショッピングモールが建設されました。 急激な再開発事業により、昔からのこされてきた歴史ある路地の取り壊しだったり、強制的な住民移転に対する反対運動などが問題となっています。

ここで住居にかんする2つの用語について皆さんに覚えていただきたいです。 ひとつは、「大雑院」とよばれているものです。 中国全国の都市において、この20年間に既成市街地の再開発がすすめられてきました。 その要因が、農村や地方都市からやってくる人口の流入による居住環境のおおきな変化です。 具体的には、本来1世帯がすむ、北京の伝統的な住居形式である四合院に複数の世帯が雑居する大雑院がたくさんあります。 もうひとつは、近年、中国全土における大都市内に形成された「棚戸房」とよばれる、バラックのような家屋が密集する「棚戸区」の再開発が課題となっています。

博士研究では、北京の複数の街区を取り上げていますが、今回の発表では、そのなかのひとつであり、修士の頃からかかわっている事例を紹介します。 調査はこれまで3回おこない、1〜2回目は修士の頃に川井先生と研究室の後輩と一緒に訪れました。 3回目は、去年の夏にひとりでいきました。 調査のベースマップには、北京のデベロッパーが主催したコンペで公開された地図です。 当時の調査は、5つの項目からなります。主に資料の収集と実測調査から構成されています。

これから現地の調査をつうじてあきらかにした調査対象街区の空間構成について説明します。 調査対象地は、宣西北地区とよばれるエリアです。 北京旧城は、内城と外城、内と外の概念で構成されています。 オレンジの部分で囲まれている上半分が内城、下半分が外城となっています。 調査対象地は、オレンジ色になっている、内城と外城の境にあります。 調査対象地はほとんど平屋です。周辺は、ショッピングモールやオフィスビル、高層マンションに囲まれています。 18世紀から、地方から人びとが出身ごとにやってきて、宿泊や集会の機能をもつ建築がたくさん存在していました。 しかし80年代から、都市開発事業が活発となり、地区は大きく変容しました。 現在、文化財保護単位に指定された住居は6個あります。

先ほど紹介した内城と外城の道路の形状がまったく異なります。 内城の街路はグリッド状に区画されています。 対して外城にある調査対象地では、直交する街路がきわめて少なく、ほとんどの街路が斜めだったり、曲がっていたりしています。 街路の幅に着目すると、3つのレベルが見えてきます。 このヒエラルキーが、街区のコミュニティの一体感を維持する役割を果たしています。


調査対象地内の諸施設を把握するために、施設分布図を作成しました。 居住者のための地域施設に着目すると、利用者側の生活行為の観点から11タイプに分類できます。 公的施設は、高齢者関連施設などが十分ではありませんが、わずかなサービス業が街区の日常生活を支えています。 街区の経済の基盤となっているのはきわめて多様なサービスです。 調査対象地には、全体的にバラックのような建物が密集し、街路の空間が日常生活の場として使用されています。 主にゴミ箱や物置、露店などがあふれ出しています。街路にはモノがあふれる活気ある空間となっています。 しかしゴミやトイレなど、衛生面の問題があり、居住環境整備は遅れています。住居近郊の私的物置のあふれ出しは対処しなければなりません。

調査対象地の変容について説明します。 まず18世紀中期の古地図をみると、右側の大通り沿いには、住宅地がわずかに成立しています。 しかしネットワークが整然と計画されず、全体が建てづまっていない状況でした。 その後、地方からやってくる人たちの集会宿泊施設などの建築は、四合院住宅が雑然と建設され、曲がりくねった街路が形成されました。 この1955年の北京詳細地図によれば、ほとんど建て詰まっています。 2005年に、やや左側の南北に、あたらしくつくられた大通りを除いて、現在とほとんど同じ街路が成立しています。

1949年に、中華人民共和国が成立してから、多くの人びとが流入して、四合院に複数の家族が雑居する大雑院となりました。 この大雑院の中庭は、違法建築によって占拠されています。また住宅内部のモノ置き場や、洗濯場となり、居住環境はきわめて悪化しています。 1955年の北京の詳細地図に、2016年の調査で得た増築部分を黒色で示します。 四合院の最大の特徴である中庭がうしなわれています。 現在、文化財保存単位として指定されている6つのうち、住民がすべて立ち退かされた街路をのぞき、5つの街路に分布している13軒の住居の実測をおこないました。 これから5つの大雑院のうち、かつて大臣の住宅だった1軒、1軒は祠、のこりの3軒は地方から状況した人たちがあつまる施設でした。

ヒヤリングであきらかにした各住戸の増築履歴です。実測した住戸のなかで、変容がもっとも激しい事例を取り上げます。 この住戸は、調査対象地の中心部に位置します。80年代と2016年の宅地割図を比較すると、建物の西側が削られています。 2005年に、建物の西側にあたらしい道路をつくるために取り壊されました。 脇の部屋だけでなく、一番北側のヒエラルキーがもっとも高い部屋も2軒取り壊されました。 もともと中央にあった部屋が端部に寄っています。柱と梁が露出しています。 この白色は既存の部分で、朱色は増築部となっています。 ヒエラルキーがもっとも高いのが紺色の部屋が、文化財保護単位とされています。 現地調査では、ヒエラルキーのたかい部屋のなかに、3世帯が住んでいました。どれも最大限の増築がおこなわれています。 その3つの部屋のなかの住戸では、写真に写っているおじさんの家も実測させていただきました。この住居の増築部の写真です。

ヒアリングで得た増築の経緯を説明します。1975年、入居したときはワンルームでした。この突き出した部分は、半屋外の回廊となっています。 同年に、この突き出した部分にキッチンスペースをつくりました。 その翌年に、キッチンスペースを拡張しました。86年、家族が増えたため、北側に寝室を増築しました。 2005年の道路工事までは左右が拡張できず、前後しか増築できませんでした。 2006年に、道路の拡張工事によって、西側の部屋が取り壊されたため、そちら側への増築が可能となりました。 2010年に、おじさんの知り合いから、レンガやセメントを安く入手して、作業場や水回りを増築しました。その後は大きな増築はありませんでした。

現在は調査対象地区の工事は落ち着いています。しかし、1〜2回目の調査のときは再開発のさなかであり、さまざまな事業はおこなわれていました。 おもに、町並みの景観を統一させる街路整備と歴史的四合院住宅の再生する建物工事です。 工事の分布を示すと、家屋の改修や、道路・外壁整備は、対象地の両端でおこなわれていました。 この黄色で示している部分は、住民が退去して張り紙が貼られている家屋です。

マニュアルによると、立ち退きの補償内容はふたつにわかれます。 ひとつはデベロッパーが提供する郊外の家屋との交換と、金銭の補償です。 その合意形成にはもう少し時間をかけて丁寧に話すプロセスが必要だと思います。

おじさんの家にもどると、補償制度にしたがって家屋を金銭に換算すると、期待したレベルにはいたっていませんので、立ち退きを拒んでいます。 金銭補償で揉めています。既存部分は日本円に換算して3400万円ぐらいです。 増築部を補償すると、その額が1億くらいまで上がります。再開発のときには、増築をめぐる補償の問題が、立ち退きの事業を複雑にしています。

まとめに入ります。住民全員を立ち退かせ、地区全体を再開発するには膨大な保障費がかかり、現実的ではありません。 北京中心部に位置するため、建築基準規制のため、容積を増やすことができず、デベロッパーにとってもメリットが少ないです。 居住者自身も自主的に居住環境を改善する余裕も、金もありません。 地区の再生には、オンサイトで居住環境を改善していくあらたな方法が必要です。 現在地区の一部は、住民が退去した家屋が廃墟となっています。先ほどの事例も、現在廃墟です。 2016年にはじめて訪れたとき、26世帯中15世帯がすでに立ち退きしていました。 11世帯がのこっていましたが、去年の夏に現地にいったとき、4世帯しか残っていませんでした。 今後対象市開発がどうなっているのかをトレースしていく必要があります。

竹村

竹村:2013年に、東大の建築学科、大野秀敏研究室を出て、新領域創成科学研究科の修士に進学しました。 研究としては、最初からインフォーマル地区とか、再定住地とかに興味があったわけではありません。 貧困や被災コミュニティにたいして、建築デザインの実践を通して支援し、それを教育プログラムとして扱う活動が、アメリカや世界でやられています。 それに関心をもって、ポートランド州立大学の Centre for Public Interest design の客員研究員としてインターンに行きました。 それがきっかけで、今のセントマーサエステートというインフォーマル居住地の再定住地で活動をはじめました。2016年に博士課程に進学しました。 それと同時に、PLACE studio というポートランドのランドスケープ設計事務所のパートタイムスタッフもしています。 事務所がときどき日本で参加型デザインプロジェクトをすることがあるのですが、そのときに通訳したり、プロジェクトをコーディネートしたりといった活動をやっています。 大学から東京に来ているのですが、出身は京都の木津川市です。

フィリピンのセントマーサエステートは、湾岸部にたくさんのインフォーマル居住家族が住んでいます。 不法占拠地区があって、それを再定住させる事業がすすめられています。 私が行っているセントマーサエステートは、2011年開始の再定住地事業のときにつくられました。 同時期の事業ですが、白石先生が研究されている People's plan とは異なります。 計画当初は、立ち退きに関する住民参加型の計画はあるけれど、整備自体は郊外型・オフサイト型で行われました。 メトロマニラの中心部にあるイントラムロスというスペイン植民地時代の要塞都市があります。 そこから北に30キロぐらいはなれた場所にあり、ブラカン州に位置します。 宅地のインフラ整備とコアハウス建設を民間開発業者が実施したあとに、NHAが一括で買い上げ、受益者にコアハウスを分配する形成で整備されました。 19ヘクタールの敷地に、約3300戸の長屋形式のコアハウスが建設されました。 フェーズは建設順に4つにわけられます。フェーズ1a という最初期のところには、1階型という背が低いロフトが設置できない建物で、フェーズ1b 以降はロフトが設置可能です。 いずれもコンクリートブロックの壁式の長屋形式です。2013年から受益者の移住が開始され、2015年の12月末に移住者の受け入れが一旦完了しました。

コアハウスが建っているなかに、公共施設を建てる予定で空き地になっているところが何か所かありますが、最近は埋まってきています。 メインストリートです。店とかに転用されているものが多く、現地のコンビニのようなサリサリストアだとか、小さな路地があります。 一部、コミュニティのなかにウェットマーケットとよばれる野菜や生鮮食品をうるマーケットのエリアがあります。何でもコミュニティのなかでまかなわれています。 子供が集まって、パソコンしたり、ゲームをしたりするお店があったり、プリントショップがあったりします。

どの再定住地でもそうですが、住民による増改築が盛んにおこなわれています。 だいたい移住開始から3年ぐらいたったところで、メインストリートに面する住宅は半分以上が増築をしています。 2020年、今年のはじめにいったときに撮影したのが右の写真です。縦方向に増築するケースが増え、どんどん増築が進んでいます。 最近は3階建てなど、おおがかりな増築が多く見られます。

農地を切りひらいてつくられた再定住地のため、周辺は農地が広がり、似たようなソーシャルハウジングだとか、 引退した警察官むけのあたらしい住宅開発プロジェクトがいくつかあります。

ここでコミュニティキッチンをつくる活動と、増改築実態を調べる研究をしています。コミュニティキッチンから説明します。 キッチンプロジェクトでは、現地でコミュニティ開発支援をおこなっているカマルフリーダと、私と東京大学の有志チームが共同して実施しています。 2016年の4月にプロジェクトがはじまり、途中プロジェクトが止まるなどのトラブルがあり、今年のはじめにようやく終わりました。 郊外型の再定住地で職がないことが大きな課題でした。 それにたいしてカマルフリーダは支援活動をしています。 カマルフリーダのフィリピンでの活動は、もともとは、マニラの湾岸部の木炭作りを生業とする炭焼きコミュニティをサポートすることからはじまりました。 しかし対象コミュニティの人たちがセントマーサエステートに移住したので、それにくっついていって支援活動を継続しています。 移住当初の再定住地では十分な食べ物がないということで、家庭菜園をやって、デモンストレーションをして、それぞれの家庭の前庭でやるということをしました。 その活動をサポートして、野菜をつかうコミュニティキッチンをつくろうとしました。

当初の目的は、家庭菜園プロジェクトでとれた野菜をつかった野菜スナックを製造して、それを販売する拠点をつくろうとしました。 時間がたつにつれて、ニーズがかわり野菜スナックなどの製造方法を教える料理教室や、 子供のための読書教育教室、貯金グループの集会場などの拠点として使おうということに変わりました。 最初は業務用キッチンとして使おうとしていたのですが、だんだんコミュニティスペースという場所に変わってきました。

最初に、夏学期の大学院のスタジオの設計課題として始まりました。 基本設計をやり、実施設計をやりました。2階建てのキッチンを、あたらしく買った土地に建てようと考えていました。 しかしその土地に建てられないなどのトラブルがあり、1階建ての計画案をつくったり、コアハウスを改修する案をつくったりしました。

スタジオには、ポートランド州立大のセルジオ・パルローニ先生をよび、東大の学生を教えてもらおうということで、隈先生に賛同していただき、やることになりました。 このセルジオ先生とカマルフリーダの NPO のデイブさんが旧知の仲だったので、何かお手伝いができないかということで、コミュニティキッチンをつくるプロジェクトがはじまりました。 最初は参加学生8名を現地に連れていき、現地の大学に手伝ってもらい、フィールドワークをして、住民にインタビューしたり、 コアメンバーと料理したり、現地でデザインシャレットしたりしました。それを現地にもちかえり、日本で設計し、成果として見せ、住民から意見をもらうといったことをしました。 それをコンセプトデザインとしてまとめたものを建てようとしました。 お金をあつめるのに時間がかかるので、仮設のキッチンを整備しようということで、カマルフリーダがコミュニティ内で借りていた、 コアハウスを簡易改修する形で、仮設キッチンをつくりました。

2017年の春夏にクラウドファンディングをしまして、230万円ぐらいの金を集めました。 設計案を現地で建てられるようにリファインしていたのですが、土地をもっているといったオーナーが嘘をついていたため、建てられなくなりました。 いろいろ交渉して、現実的な案として、コアハウスを借り、改修して、キッチンにする計画に落ち着きました。 平面的には、前後に増築して、十分な広い集会スペースと、料理のデモンストレーションができるようなキッチンスペースをもったものに変更しました。

最初にスタジオに参加していた学生が修士を出ていたので、私とあたらしく清家研にはいった本田くんという学生と2人でやっていました。 日本で図面を用意して、施工は現地のフォアマン(日本でいう棟梁)にお願いして、遠隔で設計管理をして建ててもらうことにしました。 工事中には、最初と、躯体工事完了、完成したころの3回、現地に行きました。

コンファインドメーソンリー構法(Confined masonry 枠組壁構法)をもちいました。 壁を建ててから、RCの柱梁を打設する構法でつくっています。 躯体工事に1ヶ月かけ、電気配線と内装工事に1ヶ月かけ、完成しました。

料理教室の様子です※1。奥が一段上がったキッチンのステージでして、観客がその手前で見ているということができます。 また子どもたちの読み聞かせプログラムだったり、学習の場としても使います。子ども用の本棚があります。 できるだけローコストにして、お金を運営にまわしてほしいというリクエストがあったので、デザイン的には凝ったことはできませんでしたが、最低限使いやすい空間をつくりました。 最後に、クラウドファンディングの支援者の名盤を届けました。

増改築実態と生産システム研究です。 コミュニティキッチンが先でしたが、現地に修士の学生を連れていき、研究も始めました。 プロジェクトの最初の大学側の渡航費は隈研のスタジオの予算から補助が出たのですが、その後の大学側の活動費は清家研から出ていまます。 学生を連れていき、卒業・修士論文のネタを見つけてきて、指導するかわりに、お金を出してもらっている形です。 2016年に修士学生と卒論生が1名ずつ研究に取り組み、今も修士学生が一人研究として取り組むのを、一緒にやらせてもらっています。 このコアハウスに対して、横にくっつけたり、木で増築したり、2階建てにしたりなどのいろいろな増改築があるので、 それがどうなっているかや、誰がそれをつくっているかを調べていました。

例えば、前面増築にかんしては、軒も庇もなにもつくられていない屋外タイプと、簡単な庇がつくられ、 増築した壁とはくっついていない半室内化、壁と軒・庇がくっついた完全室内型の3タイプがあります。 またコアハウスが建たない土地は建築なし、あたらしいものが建っている新築だとか、側面に増築した側面増築、階数を増やした階数増、連結などに分けました。 それが何個あるかを外観写真をつかってカウントしました。

2016年の調査のときには、60軒ほど室内に入らせてもらいました。 内観写真をとったり、インタビューをしたり、平面パタン、資材で何を使っているかを分析しました。 それをふまえて、どういう空間構成で、前後に増築しているかや、主要資材は何か、窓があるかないか、内部に間仕切りを作っているかどうかなどから、典型パタンを導きました。

また、どういう居住者が住んでいるかも調べました。 本来はNHAにローンプログラムがあり、そのローンを払い終えない限り、受益者が住んでいるコアハウスは彼らのものにならないのですが、 転売が横行していて、ローンが完済するまえに、別の方にお金で売って、つぎに住む人がローンを払うということが多いので、誰が住んでいるかを調べました。 もともとの受益者が住んでいるかを聞き、その人たちの収入がどのくらい違うのかを調べました。 転売の人のほうが全体平均より高いとか、1戸あたりの増改築費は転売の人のほうが高いことを調べました。

これはわかりやすい例なのですが、もともとの受益者の人たちがお金をかけている感じではありません。 それに対して転売タイプは、コンクリートブロックで、コンファインドメーソンリー構法で増築して、仕上げもしっかり施して、鉄格子をつけたようなところに住んでいます。


誰が施工しているかも調べました。 施工者が住民なのか、それとも誰かと共同でやっているか、別の人に任せているのかを調べました。 誰が増築を計画して、施工を誰がやり、誰が資材を調達しているのかを調べました。 私の勝手なイメージでは、セルフビルドが多く、住民が自分でやっていると思っていました。 ただそうではなく、施工経験のある、お金をもらって施工したことがあるプロの施工者に依頼するケースが多いことがわかりました。

2016年と2020年でやっていることの表です。 2016年は接道面の外観写真撮影調査と、内観調査とか、増改築実態のヒアリング調査をしました。 追加調査として、同じ住戸が3年半でどれくらい変わったかを調べたり、キッチンから現地の技術の課題がわかったので、 それを論文的にまとめてみようとしています※2。 前回参加した本田くんが分析しています。 もうちょっとふみこんで、大工がどこで技術を学び、ほかの施工現場も見てみたかったのですが、コロナのせいで調査にいけなかったので、今は止まっています。

➌ ディスカッション

太田:ビジュアルがあるとすごくよくわかります。 どちらも今まさに現場で進んでいますね。 とくに成さんとか、最近でも立ち退きが起きて、増築部分が解体されているということで、ひきつづきプロセスを追ってほしいです。 住み手とのヒアリングのなかで、補償の金額だったり、つぎの住宅の質の文句があるとか、納得がいかない話があったと思います。 今、増改築した住宅の空間的な評価だったり、自分の家のこういうところがいいんだとかがあったのかなと。 それって質的な評価だと思うのですが、何かそういうのがあったら教えていただきたいです。

:2016年からはじめて現地を訪れてから、2016〜17年に再開発が盛んになりました。 その後落ち着いたのですが、2019年の夏に現地に行き、調査に協力してくれたおじさんがまだいらっしゃいました。 そのおじさんが立ち退きの政策とかを研究して、どのようにお金を、自分の利益を守れるかに精通しています。 もちろん、今は半分廃墟ですので、誰でも好んで住みたいわけではないこと、インフラが今でも公衆トイレを使わなければならなかったり、家のなかにシャワーがないという状況です。 おじさんも北京出身ですので、文化を守っていきたいと思う一方で、施設としてはインフラのよいところに住み替えたいという気持ちがつよいです。 もともと今年の夏に現地にいこうと思っているのですが、しばらくは行けない状況です。 おじさんも元気にねばっていますので、切り口として、現地の情報をビデオを撮ってもらっているので、記録として残そうと思っています。

阿部:立ち退きに対抗するために、現地の人がどのような手段をとられているのか、草の根の運動といいますか、組織的な抵抗運動は起きているのでしょうか。

:政府であげられた立ち退きのマニュアルのなかでは、順番としては個々と相談して、条件があえば退去してもらうことになっています。 文化財の保護単位に指定されている場合は、とくに住民にとっては価値があることがわかっているので、自分が思っている補償の条件のレベルにならないとそれを拒んでいます。 政府の対策としては、強制的に壊したりしているニュースが多いです。 対象地区が北京の中心部にありすぎて、乱暴に、強制的な開発ができないので、住民もそれをわかって交渉して粘っています。 でも数的には、2016〜17年には減り、条件があえば皆出てっています。 大雑院の大きな特徴として、50〜60世帯がひとつの大きな家のなかに住んでいるので、最後のひと世帯がいなくなるまで改修とか、リノベーションはできないです。 そのため取り壊しはできますが、再生することはできないです。

雨宮:2人に質問です。 2人は増改築を調べていました。 成さんは増築部分が保障費はいくらになるのか、どうやったらより高く金銭化されるのかをネゴシエーションする側面がありました。 竹村さんも転売する人がいるという話がありました。 増改築という行為が愛着とかそこに住み続けるための手法であると同時に、金銭化され、流動化していく2つの側面があると思います。 そのバランスについて、それぞれの事例にどのように感じているのか、どういう方向にむかうといいのか、どういうふうに増改築という行為を捉えればいいのか、 僕自身もいつも考えているのですが、その辺りを聞きたいです。

竹村:増築をして、その資産価値が上がったかどうかは調べていません。 ちょうど本田くんがやっている、3年間の増改築の比較をおこなっています。 もともとは木でバラックのような増築だったのに、その3年後にコンクリートブロックの立派なものに変わったことを考えると、オーナーが変わった可能性が高いです。 そのような増築はどれくらい見られるのかを分析し、データを集計しています。 そういう人は、増築からオーナーの変化が見られるけれども、立派な増築をしていて、金銭的価値が上がっているか、資産価値が上がったかどうかはまだ調べていません。 われわれがやったキッチンは借りているものなので、リース料を払っているのですが、あれだけ改修してつぎ込んでも、 動かせないものがほとんどなので、オーナーが気を変えて売るといわれると、 資産価値を上げて売ることになるかもしれないことを、NPOの方が契約をしたあとに気がついて後悔していました。

雨宮:私たちの介入がジェントリフィケーションの鍵になるかもしれないですね※3

白石:今の質問に関連するのですが、当初の段階でコアハウスの計画的な増築を想定するかはむずかしいと思います。 とくに状況を知っているので、フィリピンの郊外の場合は、どちらかというと、ネガティブな目的での増改築が多いです。 より生活をよくするという意味で、ライフステージのなかで増築するのではなく、行ったらインフラもない、壁も屋根もなく、改変しないと住めないという不足からの増築が多いです。 それがあたらしい住宅地ではある程度スタンダートがあるものとして供給された住宅なのか、さっきの成さんのように、既存の歴史のある建物の増築をどう捉えるかという話もあります。 増築という行為をどこまで想定して、どこまでをポジティブに、ネガティブに捉えるのかという問題があります。 コアハウスが広がらなかった問題が歴史的に指摘されています。 自助を礼賛することにメスを入れ、その人たちのキャパシティにあわせて、どの程度それを設定するかは難しい小問題だと思います。

竹村:おっしゃるとおりで、もともとの受益者でここに住み続けると決めている人たちにとっては不足だらけです。 あれもなく、これもないから色々変えたいというネガティブな思いから変えていきたいという思いが強いです。 一方で、コアハウスを与えられてもこんなんじゃ住めないということで、知恵が働き、財力があり、ビジネスを自分でやろうとして、 お金勘定ができる人は、逆に改修できてそこに何かを求めたい人に売ってしまって、後から入ってきた人がお金をかけて立派な家を建てているんですよ。 3階建てとか、2個くっつけて2階建てとか。その立派な家を建てている人にとっては、愛着がある家なんだろうなと思います。すごく自信満々にみせてくださることもあります。 もともとの受益者に住宅を供給しているという意味では、もっとしっかりとしたものを供給しないと、再定住事業としては成功しないと思います。

:北京でも、増改築の目的を歴史をさかのぼって調べると、最初は50年代に北京が首都となって、 外部からたくさんの人が流入してきたことが原因のひとつですが、 もうひとつは、70年代の北京近郊で地震がありまして、既存の家屋が壊れる危険性があり、皆が中庭で共有部に建てていいよということを認めたことで、皆が建ててしましました。 それから、皆が家族とかで住み続けて、再開発のときに出ていけということで、 増改築が最初から生活の一部として使っているのに、1円も認めてくれないことがすごく不安が大きいですね。 あと建蔽率を計算すると、私の調査だけでも、既存面積の80〜90%は上回っていますので、 10㎡の部屋が8〜9㎡くらいまで、同じ面積ぐらいの部屋まで増築している傾向が見られます。

脚注

  1. ^

    阿部:貯蓄グループの人たちは今回のプロジェクトにどのように関わったのでしょうか?。

    竹村:貯蓄グループに参加しているメンバーと、料理教室に参加しているメンバーはほぼ同じ人たちです。 もともと、カマルフリーダは住民に野菜を使ったスナックづくりのビジネスを始めてはどうかと提案していて、 それに賛同した住民(主にお母さんたち)にビジネスを始める資金づくりをしてもらうため、カマルフリーダが貯蓄グループの形成運営支援を始めました。 この貯蓄グループの活動は住民に好評で、必ずしも野菜スナックビジネスを始めたい人だけでなく、 子供の学費の貯金やいざという時にために貯めたいという人も参加して活動し、現在は2グループが活動しています。 この人たちの集まりができる場を作るということも、最終的な実施案の目的でした。

  2. ^

    阿部:建築生産において、建築物が今ここでできあがる場面を記述することは重要だと思います。 やはりヒアリングでは聞き取れない微細な情報だったり、言語化できない慣習的規範などがあきらかになったのでしょうか?

    竹村:これに関しては、一つ建物を建ててみて、現地でのCofined Masonry構法の建築物の建て方の全容がなんとなく捕らえられた、という状況です。 例えば基礎の作り方や、配筋の接続をどうしているか、RC造の柱梁の肋筋に使う鉄筋の太さ、電気配線の通し方など、 現地で完成した建物を見ているだけではよくわからなかったことが、実際に作ってみて分かったという感じです。

    この建物を建てる前に、現地での建設現場調査はしていません。 ノンエンジニアド建築の専門家や建築施工のプロであれば、街場の建設現場の調査でも同様の全容把握はできたかなと思いますが、 私の知識・経験では到底把握しきれなかったと思うので、まずは自分の設計したプロジェクトで現地での建築施工のやり方を見られてよかったなと振り返って思います。

  3. ^

    阿部:建築の研究者が現地に介入して、何か問題が起こることは必然だと思います。 開発の分野において、「自動詞の開発」と、「他動詞の開発」という考えがあります。 私としては、建築の介入はまぎれもなく後者だと考えています。 それゆえに、自動詞の開発を重視する人たち(人文系など)がいるわけですが。 お二人は、建築実践の他動詞的な介入によって生じる弊害として、ジェントリフィケーションのほかになにか考えがありますか?

    竹村:弊害はたくさんあると思います。 これはまだ私の中でもまだあまり整理できていませんが、パッと思い当たる範囲では、介入する側の価値観の押し付け、 外からの支援が入ることでプロジェクトが羨望の対象となりコミュニティ内でトラブルが起きる、 介入する側がコミュニティに長く滞在するとちょっとした生活習慣の違いでトラブルが生じる、介入側へのコミュニティの依存、などがあると考えます。