SAMPLE SITE

SAMPLE SITE

ミーティング ➌ その1

目次

➊ 阿部

阿部:今日は阿部・宮地・白石の順に発表していきます。

ぼくのこれまでの研究・実践について話します。 ぼくは芝浦工業大学の建築工学科に所属し、清水郁郎先生から学んでいました。 清水先生は修士過程まで建築を学び、博士課程から人類学を学んだ人です。 その人から建築人類学を学びました。日本には、建築人類学者と自称する人物が3人いますが、そのひとりです(佐藤浩司・栗原伸治・清水郁郎)。 修士を2018年に卒業して、2019年までタイ・クロントイに滞在し、ボランティアをしながら住宅改修に取り組みました。 今年から筑波大学の山田協太先生の研究室に所属しています。 山田先生は布野研究室で建築計画を学び、その後京都大学の東南研で地域研究をやっていました。 建築だけでなく、人類学・地域研究を専門とする人たちから学んだことが、ぼくの特徴のひとつです。 清水・山田先生は、建築フィールドワークのあり方(建築フィールド学)を考える比較文化研究小委員会の委員でもあります。

メインフィールドの説明に入るまえに、ぼくが経験したフィールドワークについて紹介します。 日本では、新潟・末広地区での集落活性化プロジェクトや、宮崎・椎葉村での伝統的家屋と生態環境・山岳信仰との相互作用にかんするフィールドワークに参加しました。 海外では、ラオス・ルアンパバーンでの居住環境と織物の関係性にかんする研究や、タイ・アユタヤの水辺集落での文化的景観の利活用にかんするフィールドワークに参加しました。

これらのフィールドワークの経験をふまえて、メインフィールドのタイでの研究に取り組みました。 タイの人口は約7000万人、バンコクの人口は約900万人です。 2017年度のデータによれば、タイのスラム地区数は2000ヶ所を超え、その居住者数は210万人です。 私のフィールドであるクロントイは、タイ最大のスラムとされています。

クロントイの歴史について紹介します。 クロントイはチャオプラヤー河沿岸にあります。 バンコク港での港湾労働を求めて人びとがやってきました。 その人たちが不法占拠した結果、クロントイが形成されました。 土地の所有者である港湾局は、不法占拠者たちを強制退去させようとしました。 住民は組織を形成することで立ち退きに抵抗し、20年間の借地権と再開発計画を獲得しました。 ここでは、サイト&サービスと土地分有という手法で再開発が実施されました。 私がこれまで調査してきた70ライ地区はその地区のひとつです。

ぼくがスラムという言葉を使うことに違和感を覚える人がいるかと思います。 この理由は再開発されたにもかかわらず、現地の住民がこの場所をスラムとよぶからです。 ここから、スラムという言葉のイメージについて、住民とぼくたちの間には大きなズレがあるのではないかと考えました。 それだけでなく、スラムのイメージを観光につかうスラムツーリズムがクロントイでは確認できます。 これらは、スラムという言葉を使わなければ捉えられない現象です。 以上から、ぼくはクロントイ「スラム」という名称をつかっています。

私のメインフィールドの70 地区です。 この地域では区画整理にくわえ、インフラが整備されました。 基本的には敷地のみ供給され、住宅は住民が自ら建設しました。 ただ最貧困層が居住するバン・ガルンでは、敷地・建物がセットで供給されました。 これまでの研究では、3本の路地とそれに面する住宅を事例に、実測調査・ヒアリング調査をおこないました。 路地幅は約2mです。その路地際に、多くの住宅が密集しています。 住宅のファサードはさまざまな材料を組み合わせています。

70ライ地区の家屋モデルです。 この地域では、住宅を建設するときに遵守しなければならない建設ルールが導入されました。 この水色の部分は、建設ルールを遵守した住宅モデルを示しています。 しかし現在では、大半の住宅で赤い部分の違法増築がおこなわれています。

平面図でみてみます。 上が70ライ地区、下がバン・ガルンの住宅です。 この地域の住宅の特徴のひとつとして、「家の中」と「家の中」の外の区別があります。 「家の中」には広間・調理場・トイレ・寝室・仏間などがあります。 一方、「家の中」の外には、「家の前」・「家の後」・「家の外」とよばれる空間があります。

特徴的な空間について説明します。まず「家の外」です。 タイ語で「バーン」は「家」、「ノーク」は「外」を意味します。 「家の外」は住民が所有する空間ではありません。 しかし彼らは路地間に屋根をかけたり、ベンチや花壇を置くなど、自分たちが好きにつかってよい空間として認識しています。 つぎに「家の前」と「家の後」です。 この2つの空間は、調理・食事・洗濯・物干・物置・信仰など、就寝以外の多様な行為を許容する空間です。 つぎに仏間です。タイには仏教・精霊信仰があります。スラムでは物質的な充足がどうしても得られないことがあります。 そのときに精神的な支えとなるのが仏教・精霊信仰です。 狭い住宅の中でも仏教祭壇を設けるスペースを確保する事例も確認できます。

フィールドについて説明したところで、ぼくの研究について簡単に説明します。 日本への成果の還元が以前のミーティングでも話題となりました。 日本・タイを横断するトランスナショナルな知識・行為のあり方を考えるべきです。 要するにタイでも日本でも適用できるような知識・行為があり方を探求し、それを提示することが目標となります。 そのためにふたつのフィールドで活動しています。ひとつはクロントイです。 ここでは住民が許容できるか否かを意味する分析概念、「道義/非道義」をもちいて、スラムの居住環境の形成メカニズムを探求しています。 もうひとつは千葉の自宅研究です。 自分・家族・自宅は、現代社会の家屋と人に迫る質的アプローチを考えるために、ぼくにもっとも都合のよい実験体です。 この自宅研究で、建築(人類)学的な家屋と住まい手に迫るアプローチを整備し、クロントイでの研究に活かします。

今回の研究について実例を示します。 クロントイのバン・ガルンの住宅の断面図です。 赤い部分が違法増築部を指しています。 この地区では2階の増築が禁止されていますが、実際には違法増築がなされています。 住民は2階部分がみえないように建設されているから別によいと説明します。 このように違法増築の適切なやり方が存在し、それを道義性という分析概念から評価できます。

もうひとつは精霊信仰にかんする道義性です。 精霊信仰には禁忌が存在します。その禁忌を遵守しなければ、信仰を維持することができません。 たとえば精霊信仰の祠を建てるときに儀礼をしなければならない禁忌や、祠を「家の中」に配置してはならない禁忌、 祠に日光を当てるために屋根を撤去しなければならない禁忌などがあります。一方その禁忌を完全に遵守でいるとは限りません。 そのとき禁忌を遵守できないから信仰を捨てるのではなく、信仰を維持するために禁忌を改変し、それを正当化する言説を生み出すことで対処することもあります。 この道義という概念から、スラムの人たちにおける建物を建てること、住まうことにかんする価値観をあぶり出すことができると考えています。

もうひとつは自宅研究です。 僕が学部3年生に書いた自室の図面です。 今日的には建築人類学者の佐藤浩司のアプローチを援用し、モノをつうじて家屋・個々人を理解しようとしています。 世の中には大量のモノがありますが、個々人がどのようにモノを恣意的に選択し、それをどのように入手し、 それぞれのモノにどのような思い出が埋め込まれているのかを徹底的に掘り起こします。 そしてモノから現代社会の家屋と人にアプローチするための方法論とは何かを自宅研究から考えています。

実践というテーマに切り込んでいきます。 ここでは日常・生きることに直結する知識・行為のあり方を探求します。 研究と実践の乖離だったり、研究成果が学問の世界でしか役に立たないといった問題が指摘されています。 この問題に対して、実践は自分が生きること、他者とともに生きることに直結する知識・行為のあり方を導き出す方法論になりえます。 観察者として現地社会にかかわるとき、ぼくたちはその居住環境に働きかけない傍観者です(しかし影響を与えないとは限らない)。 一方、実践することは居住環境に働けることです。 この居住環境への働きかけは、ぼくたちの日常的な営みそのものです。 たとえば新しい家具を買ったり、模様替えをしたりするなどがあります。 現地に住んでいれば、居住環境上の問題を発見し、それを改善するために居住環境に働きかける実践をすることは当然です。 ようするに観察者から実践者へ移行することは、現地の人びとの日常に近づくこと、フィールドでの出来事を自らの日常の一部と見なすことを意味します。 そのときに、ぼくは支援というかかわり方はあまりしたくありません。 支援には、送る側/られる側の非対称的な力関係があり、見返りを求める考え方が開発援助で問題視されています。 これに対して、ぼくは当事者として実践にかかかわろうと思います。 ここでは現地の人々のためといったボランティア精神にもとづく一方的な奉仕ではなく、自らのメリットを主張し、それを享受するようにふるまうことが重要です。 その上で自分のメリットと他者のメリットのバランスをとるための駆け引きをする状態が健全な参加のあり方ではないでしょうか。

実践では住宅改修をおこないました。 既存の屋根の上に新たな屋根を増築し、空気層を設けることで温熱環境を改善しようとしました。 今後取り組むのが再定住のデザインです。 この写真はタイで有名な建築事務所のアーキテクト49が作成した資料です。 再開発案では住民6万人の立ち退きが計画されています。 住民には低層住宅地もしくは高層アパートの移転という選択肢が提示されています。 この再定住にたいして、住民のリスクを最小限に抑えつつ、 現状以上の居住環境を獲得するために、自分にできることを住民とともに考え、実践します。

➋ 宮地

宮地:私の対象は都市ではなく農村です。 今回は主にバングラデッシュと南太平洋島嶼国の研究について説明します。 私は建築学専攻ではなく、 地球環境堂の人間環境設計論分野に所属しています。 交換留学生を受け入れたり、国際シンポジウムを運営する事業の特定助教をしています。 学部・修士は建築学を卒業しました。修士を卒業してからは山本理顕設計工場で働きました。 その後、地球環境堂の岡崎・小林研究室に入り、博士をとりました。

これまでの活動についてです。 学部から修士までバングラデシュで活動しました。 バングラディッシュでは2016年に大きなテロがありました。 そのため日本人が現地に行くことは難しくなり、フィールドを南太平洋に移しました。 2012年から2014年までNGOでボランティアをしました。 最初は資金がなく活動できないとのことでしたが、この活動は続けるべきとNGO に直談判したことがバングラディッシュでの研究のはじまりです。 2010年に国際コンペでサイクロンシェルターの案が選出されました。大阪工業大学の前田茂樹先生という建築家の案でした。 その事務所でインターンをしながら建設プロジェクトに関わり、2015年に竣工しました。

そのときにサイクロンシェルターについて調べました。 サイクロンシェルターの供給はハコモノ支援だったので、地域住民が維持管理できない現状を知りました。 卒業設計では、地域住民が維持管理できるサイクロンシェルターについて考えました。 セルフビルドとハーフビルドを組み合わせた提案です。半分は NGO がつくり、半分は地域住民がつくります。 そしてハーフビルドの手法をもちいたプロジェクトが実際におこなわれていることを知りました。 修士研究ではそのシェルターに地域住民がどのように暮らしているのかを調べました。 2015年に農村で日本人が射殺される事件が起こり、翌年に日本人が9人殺される大きなテロが起こり、現地に行けなくなり、バングラディッシュの研究はいったん途絶えます。

その後、フィジーとバヌアツの研究プロジェクトを紹介され、南太平洋を研究対象にしました。 バングラディッシュでは海外支援に依存した防災が行われていました。 つぎは地域住民が自分たちで防災できる仕組みについて研究したいと考えていました。 南太平洋島嶼国には互助的な活動が残っていたので、伝統住宅の災害復興住宅としての可能性や、防災機能としてのポテンシャルについて博士では研究しました。

研究の立ち位置です。 私の研究室では風土建築の保全とその現代的な意義について研究しています。 風土建築を在地資源・伝統技術・共同労働から読み解こうとしています。 これが現代建築では、工業資源・近代技術・賃金労働に置き換わっています。 この資源に着目しながら途上国のセルフビルドの技術を生かした風土建築と、 近代技術を用いた現代建築が併存している状況下で、災害時の住宅建設や支援のあり方について研究しています。

バングラディッシュの研究について説明します。 バングラディシュの国土の約5割が海抜7m以下にあり、洪水・高波被害が頻発します。 バングラディッシュの人口は約1億5千万くらいで、人口密度が世界で一番高いです。 沿岸地域に洪水・高波の被災地が集中しています。 沿岸地域に住んでいる人達は基本的に低所得者層です。 彼らが被害を受けることで土地・家を失い、ダッカなどの都市部に流入し、スラムが拡大する悪循環となっています。

サイクロン対策としては、サイクルシェルターの建設と早期警報システムがあります。 JICA の発表ではシェルターの供給により死者数は減っています。しかし被災者数は依然と多いです。 バングラディシュは海抜7m以下の低湿地に被害が集中しています。 サイクロンによる高波が被害の原因のひとつです。 サイクロンシェルターは洪水・高波から逃げるために2階以上の高床式の建物です。 1960年代からサイクロンシェルターが建設されました。

2007年にはサイクロンシェルターが4000棟近くが建てられました。 しかし地域住民によるマネジメントができなかったので、1500棟以上は使用不可となっています。 老朽化がすすみ、避難すると崩壊したなどの事例も報告されています。 人口増加がすすみ、政府は1200棟を新たに建設しようとしています。 使用されていないサイクロンシェルターが1500棟もあるなかで、新たな指標を提示することがバングラディシュの研究における目的です。

修士では実際のサイクロンシェルターで調査をしました。 サイクロンが起こった翌週に現地に行き、使い方にかんする聞き取りをおこないました。 バングラディシュはイスラムの国なので、ジェンダーの問題などがあります。 最初はサイクロン時にしかシェルターを使いませんでした。 しかしメンテナンスの問題があり、平時は学校など別の用途で使用されています。 それでもメンテナンスが難しく、低所得者層は定常的な収入がないので、家畜と一緒でなれば逃げたくないなど、衛生問題や避難場所不足などが問題となりました。

2000年ごろからサイクロンシェルターにかんする国際コンペがおこなわれました。 家畜が逃げれるようにスロープが設置されたシェルターや、住宅型シェルターなどが提案され、建設されました。 これらの建物がどのように使われているのか、実際に効果があるのかを研究しました。 サイクロンシェルターはドナー主導からコミュニティ主導へと変わりました。 支援する側/される側が対等にデザインを考えるものがバングラディシュでもふえています。

南太平洋島嶼国の研究です。 この範囲にはニュージーランドやハワイがあります。 隔絶性・遠隔性・狭小性で、災害に脆弱な地域と言われています。 そのため親族どうしの互助的な災害復興支援がおこなわれてきました。 しかし植民地化・貨幣経済化によって、相互扶助的な対応が減り、レジリエンスが低下していることが課題です。

住居がうけた影響についてです。 もともとはフィジーやバヌアツでは伝統建築がありましたが、近代技術・工業資材によって住居が変わりました。 災害がおこると、資材不足だったり、ひとつの国のなかでも遠隔地がたくさんあるので、資材輸送に時間がかかり復興が遅れます。 もともと近代技術が発達していないので、未熟な施工により住宅がさらに災害に脆弱になってしまいます。

バヌアツでは、JICAの草の根支援に参加しました。 バヌアツの伝統住居は、住居というよりもサイクロンの避難所として活用されています。 2015年のサイクロン被災地でも近代建築よりも伝統住居に逃げる事例がありました。 ここから伝統住居を避難所としてアップデートできるかに取り組みました。

フィジーでは伝統住居が2%まで減っています。 伝統住居がある集落とない集落における災害復興の差異ついて博士課程では研究しました。 政府から支援は受けていたのですが、サイクロンが起こった後に建材が届かなかったりしました。 伝統住居が残っていた集落の地図です。左が被災前、右が被災後を示しています。 災害復興支援により、住宅は迅速に支援されましたが、伝統住居が減り、文化にも影響がでていることについて研究しました。

近代住居だけしか残っていない集落でも調査をおこないました。 集落に大工がいなかったので、建材だけ支援されても近代住居の再建が進みませんでした。 建材が1年以上ほったらかしでした。ここから建材だけを支援することが本当にいいのかが研究のなかでわかってきました。 ではどのように技術支援をすればいいのかを話し合っています。

その他のプロジェクトとして、Bamboo Green-House Project を2008年からおこなってきました。 これは竹でセルフビルドする農業ハウスです。 私は2014年から参加して、日本全国で30棟、ミャンマーで1棟建てました。私はマニュアル本の作成や、普及広報活動を行っています。 今はその普及にかんする論文を執筆しています。 そこから発展して、兵庫県の丹波篠山市で地域住民と一緒に竹を用いた町並みデザインとして、バス停をつくる活動をしています。 富山県砺波市の山村における防風林として植えられているやすきりにかんする調査や、 和歌山県みなべ町における紀州備長炭にたいして、伝統技術検証にかんする調査、大阪府八尾市の商店街の空間デザイン、 愛媛県西条市・兵庫県淡路島の持続可能なまちづくりのプロジェクトに取り組んでいます。

➌ 白石

白石:私の出身は福岡です。 親の仕事の関係で富山県にいたとき、吉阪隆正が設計した富山市立呉羽中学校に通いました。 中庭に庭園があって、そのまわりを3つの校舎が囲んでいます。 合唱コンクールの時にはベランダに出てみんなで歌うなど、不思議な中学校で過ごしました。 これが建築に興味を持ったきっかけです。

大学は福岡の九州大学です。 九大には工学部の建築と 芸術工学部の環境設計学科があります。 私は芸術の方でした。なので山口大学にきて、工学部の授業内容との違いに衝撃を受けています。 研究室は建築計画の田上健一先生でした。また大阪市立大学の横山俊祐先生や、東大の大月先生から研究のアドバイスをもらいました。

在学中に2年間パリに、2年間スイスに留学しました。 留学期間にアジア・アフリカの社会住宅にかんする研究がどのようにおこなわれているのかについて学びました。 私がやっているフィリピンの研究が新しいのかどうかを現地の研究者とディスカッションしたり、フランス・スイスの社会住宅の研究をしてました。

博士論文では、フィリピン・メトロマニラにかんする研究に取り組みました。 フィリピンでは2011年にコーポラティブ型の社会住宅を供給するPeople's Planがはじまりました。 アキノ大統領が就任したときに、住民からの要求を受け、政治的かつ民主的にはじまったプロジェクトです。 5年間で1100億円の予算が投入されました。 対象はメトロマニラの主要な8河川沿いの洪水被害を受けやすい危険地域とよばれる場所に住んでいるインフォーマル居住者が対象となりました。 この人たちを郊外に移住させるオフサイト型ではなく、職や公共交通、教育機会が充実している街中に移住させるプロジェクトです。 これまでは家族単位で半強制的にランダムに移住させてましたが、既存のコミュニティごとに融資をして、自分たちで土地を見つけて移住する政策です。

People's Planの仕組みです。まず予算があり、その下に政府機関があります。既存のコミュニティは政府に住民組織として登録します。 コミュニティは土地や設計図面を用意し、NGOの助けを借りながらローンを申請します。ローンがおりたら建設に至るという仕組みです。 コミュニティは計画・土地取得・住宅デザインまで行います。政府はお金を出すだけで、基本的には自分たちがやるという方法です。

また既存のコミュニティ同士が集まり、一緒に新しい土地に移住していることがわかりました。 これまではどの住宅地でも同じデザインの住宅が供給されていましたが、住民が自分たちで考えた中層の住宅デザインが採用され、 個性のある住宅地ができ、いろんな共有空間ができていました。 現地の政府や研究者は一切調査をしていません。 研究のためというより、現地によりよい状況を提供できたという意味では役に立ちました。

住民がNGOと協力してデザインをするのですが、議論の内容がデザインに反映されていませんでした。 アイデアを具現化するためにどのようなデザインの工夫が必要なのか、どのような専門家が必要なのかという課題がありました。 私たちがただよい住宅地を作るだけでなく、住民や専門家が一緒に集まって、住宅地のモデルケースを提示するプロジェクトをJICAの草の根事業ではじめました。 たくさんの問題があり、大変苦労しています。

他には日本のコーポラティブハウジングが私のテーマです。 日本でのコーポラティブ住宅とコーポラティブハウジングの意味が全く違うことが留学中にわかりました。 住宅計画の形式の定義の研究や事例研究についてやってます。 コーポラティブハウジングは組合所有住宅という所有の話でして、第3セクターが供給する社会住宅についてスイス・チューリッヒで調べています。 ここではフィリピンと同じく、広範囲に量的に供給されている事例について研究しています。日本だと団地の建て替えや所有の問題について研究しています。