研究・好事例
空き家活用 空き家活用に向けた所有者の意識変化 -夷隅地域における地域資源発掘調査において-
- 1. 空き家「江澤邸」の調査
夷隅(いすみ)地域の隠れた地域資源を発掘するため、2019年に移住者の建築士によって勝浦市豊浜漁港の傍らに現存する空き家「江澤邸」の調査が行われました。 敷地は地域住民の生活道路に面し、当時は主屋、蔵の他に3棟が存在していました。この「江澤邸」を建てたのは、現所有者の5代前にあたる江澤新太郎氏、建設年は、現所有者3代前の正七氏手記「我が家の由来」から、1889(明治22) 年以前であることが分かりました。また1896(明治29)年発行『日本博覧図 千葉後編 江澤祐助邸宅之図』にも現在の建物の存在が確認できました。 - 江澤邸の歴史と築100年超の建物の状況
新太郎氏が建設した「江澤邸」は、正七氏の代まで本宅として使用されていました。新太郎氏は、少年時代の頃から商業の見習いをし、造船の規矩を習得、棟梁の資格を得て濱屋へ入り、先を見据えて漁業を志しました。揚繰網(あぐりあみ)の前身である八手網(はちだあみ)の経営で漁業の発展を計り、この土地を購入しています。主屋及び付属建物6棟を一期に新築しました。その後、後継ぎの祐助(1851~1922)氏に家督を譲っています。江澤邸は、庭も含めて几帳面に手入れされており、現在も庭に存在する桜はみごとなもので、花見シーズンになると近隣の人が集まり賑わったそうです。
50 年程前に前面道路の拡幅工事が行われ、江澤邸敷地の西側部分が削られましたが、この工事までは『日本博覧図』に描かれた形で建物が配置されていました。主屋の西側外壁はなまこ壁で仕上げられ、屋根の端は漆喰で渦若葉(うずわかば)が施されています。また棟瓦には「水」の文字瓦が用いられ、火災から家を守るための願いが込められました。座敷の境には生活に欠かせない井戸をモチーフとした井筒割菱の組子欄間が設けられています。
図2 江澤邸のなまこ壁と漆喰による装飾(左)・水の文字が入った棟瓦(中)・井筒割菱の組子欄間(右)
図3 いすむすび創刊号2020/1/18発刊
※2020年11月「日本地域情報コンテンツ大賞2020」全国475媒体
にて「隈研吾賞」および「新創刊部門」の2部門で優秀賞に選定 - 価値の認識による所有者の空き家活用への意識変化
外房地域において豊浜村はその時代の象徴的な地域でした。その歴史を知るうえで、現存する「江澤邸」は、非常に価値が高い建物であることが分かりました。そして、これらの調査の報告を通し、「江澤邸」の現所有者は、この空き家の価値を認識し、保存活用する意欲が生じるに至りました。ただ大変残念なことに、2019年9月の外房地域を襲った台風の影響で「江澤邸」は半壊し、実際には空き家の活用にまでは至りませんでした。
しかしながら、これを受け、この空き家の価値を現所有者や地域住民と共有し、今後の夷隅地域での暮らしを考える契機としたいという思いがフリーペーパー『いすむすび』の発刊につながりました。『いすむすび』は、千葉県建築士会夷隅支部ISUMIエコミュージアム推進部会による、人と人、人と建物、人と商いをご縁で結びたいという思いが込められた地域情報誌です。2021年11月発行のVol.2では、いすみ市主催の遊休不動産の利用促進を目指す「いすみ空き家リノベキャンプ」による空き家の活用について紹介しています。元郵便局舎の活用事例ですが、空き家所有者の「こんな所使う人いる訳ないと思っていた」という気持ちが、「建物の価値は正直分からない、こうやって活用してくれることが本当に嬉しい」「できる限り全面的に協力したい」と変化することが印象的です。
今後、各地で地域の先人達が蓄積してきた地域の価値を掘り起こし、保存活用へつなげていくことが望まれます。
図1 江澤邸主屋の外観(いすむすびVol.0より)
平田 徳恵
参考文献
1)堀口智子,平田徳恵:夷隅地域におけるボトムアップ型エコミュージアム構想その2:地域資源発掘調査によるまちづくり活動への示唆,日本建築学会(関東)大会学術講演梗概集(教育)pp.69-70,2020年7月.
3)帝国市町村地図刊行会,『千葉県夷隅郡勝浦町土地宝典』,1937(昭和12)年.
4)ISUMIエコミュージアム推進部会,『いすむすび』創刊号,2020年1月/第2号,2021年11月