建築博物館TOP >> 閲覧・利用規約 >> MENU >> 伊東忠太資料整備小委員会
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はじめに伊東忠太博士の自筆の貴重な資料がご遺族のところにあると、当時はまだ大学院生であった会員の何人かが、伊東忠太博士のご次男祐信さん(故人)・知恵子さんご夫妻の文京区音羽の家を訪ねるようになってから、すでに20年が過ぎようとしています。伊東忠太とその時代に興味を持つ学生はその頃から増え始め、音羽の伊東家を入れ替わり立ち代わり訪れるそうした学生たちを、いつも暖かく迎えて下さり、そして資料を快く見せて下さいました。伊東忠太博士が残された資料は、東京大学の研究室に残されたもの、ご自宅に残されたものなどがありましたが、主として日記やフィールドノート、葉書絵、未整理の写真など個人的な資料が、最終的に都内にあった次男の伊東祐信さんの家に保存されることとなりました。 伊東祐信さん・知恵子さんご夫妻は、資料の整理を自らも続けてこられましたが、同時にこの貴重な資料をどのように将来的に保存していくかについて気遣っておられました。1994年に祐信氏が故人となられてからは、知恵子さんが祐信さんの遺志を継ぎ、伊東家に出入りしていた会員たちが相談を受けることとなりました。 伊東忠太博士の資料の引き取り先としては、一般の図書館や資料館ということも考えられました。しかしそれよりも何よりも、伊東忠太博士が日本の建築学の発達に寄与された業績を考えると、日本建築学会以外にふさわしいところは考えられませんでした。1996年にまずは寄託というかたちで資料を学会に移管し、伊東忠太未公開資料特別研究委員会による研究活動が始まりました。 伊東忠太未公開資料特別研究委員会は、1997年4月から2000年3月まで3年間の間、資料の目録整備、資料の特質及び資料的価値を明らかにすることを目的に活動を行い、研究成果を報告書にまとめました。 そして2000年4月以降は、図書委員会傘下の伊東忠太資料整備小委員会と名称を変え、委員を拡充して活動を継続し、主として資料の保存・公開のための整備を中心に作業を進めてきました。一方、伊東家でも、伊東知恵子さんが中心となって、知恵子さんご子息の伊東祐満さんとそのご家族、また伊東忠太博士長男祐基氏(故人)のご長女淳子さんとそのご家族ら、伊東忠太博士のご遺族の間で正式な寄贈の手続きに向けて相談が行われ、2000年4月正式に資料がご遺族から学会に寄贈されました。その後、2002年度に建築博物館委員会が設置され、伊東忠太資料はその博物館の所蔵資料第一号となりました。2005年3月までの5年間、研究協議会や二回の展覧会を含む、様々な活動を行ってきました。本報告書はその活動の成果のまとめとなります。 最後に、貴重な資料を日本建築学会へ寄贈された伊東家、および5年間の活動を支えていただいた学会事務局、そして報告書に寄稿してくださった委員各位に感謝申し上げます。今後、この伊東忠太資料がより幅広く活用されることを、願って止みません。
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