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伊東忠太資料整備小委員会


はじめに
委員会活動の概要
活動履歴
委員名簿
 
委員会活動の概要
資料の概要とその史的意義
 伊東忠太(1867-1954)は日本近代における建築史学の嚆矢として著名な人物である。彼の研究対象は法隆寺を初めとする日本建築から、中国、アジア・中近東諸国、ひいてはギリシャまでをも領域とする博学であった。また創設期の本学会に対しても伊東の寄与したところは大きく、評論、編集活動のほか、明治30(1897)年の「造家学会」から「建築学会」への改名に際しても、大きな役割を果たした。また築地本願寺を初めとする、独自の東洋的な構成意匠をもった建築を設計する建築家としても知られている。
 その伊東のご遺族より1996年、本学会に伊東の未発表資料寄託の申し出があった。明治中期、伊東の帝国大学在籍当時から、晩年の昭和20年代にいたるまで記録し続けたノート(通称フィールドノート、以下同じ)74冊を中心に、帝国大学在籍時の日記、そのほか書簡、原稿、スケッチ、戯画、教材資料、写真、設計作品の図面(一部)などから構成されており、総資料数9,255点からなる。本資料群は個人的な記録がその大半を占めるが、伊東のなした作業、ならびに彼の日本近代建築における位置づけから見ても、私的な域を超えて、日本における建築学の推移を見る上での第一級の資料となっている。特に彼が20世紀初頭になしたアジア、中近東、ヨーロッパ諸国を中心とした3年間の建築調査旅行の記録は、建築のみならず当時の世界各地の様子を把握しうる文化的資料価値の高いものである。また、戦前における植民地の状況など、日本近代建築の形成過程における欠落部分の復元に、この資料を活用する価値は大きい。
(中谷礼仁)

委員会活動の経緯
 ご遺族から本学会への寄贈は、その目録整備ならびに十全な保管、一般への公開を条件とするものであった。そこで本資料の重要性に鑑み、1997年4月、本学会内に伊東忠太未発表資料特別研究委員会が組織され、2000年3月までの3年間にわたり、目録作成と資料の特質および価値を明らかにする研究が行われた。この成果をもって、2000年4月、正式に本資料がご遺族から学会に寄贈されることとなった。
 当委員会の手がけた作業と研究の成果は、2000年度より図書委員会のもとに設置された伊東忠太資料整備小委員会に引き継がれ、一般公開に向けて資料の整備作業が進められた。本小委員会の主な活動内容は、以下の通りである。

 1) 資料目録の改良と増補
 2) 資料の保管環境の整備
 3) 公開方法の提案
 4) 他機関所蔵資料との連携のための環境整備
 5) 資料の普及と広報

 その後、2002年に本学会に建築博物館委員会が設置れたことから、2002年9月より本資料が博物館所蔵品となり、本小委員会は建築博物館委員会のもとに移管され、整備体制の拡充が図られた。
(山崎幹泰)

資料の概要
 本資料は、以前から遺族による整理作業が進められており、1996年の寄託時点では資料の形態や内容別に分けて10箱の段ボールや衣装箱に収納されていた。
 またそれぞれの箱で、さらに封筒やファイルケースなどに小分けして収められていた。その後、洋書や青焼き図面などが追加され、これらは別の段ボール箱に収めたことから、最終的に11箱の段ボール箱などに数点ずつの封筒やファイルが計96点収められている状態となった。主な資料の内訳は次の通りである。

野帳
明治27年(1894)頃〜昭和22年(1947)頃にかけ、伊東の公私にわたるメモとして書かれた市販ノート74 冊。国内外における調査旅行の記録やスケッチ、建築作品の下絵、各種事業の構想、日常の記録など、内容は多岐にわたる。近代日本における建築界の動向が、伊東の思想や展望に大きく影響していたことを裏付けるものである。

葉書絵
大正3年(1914)〜昭和25 年(1950)にかけ、伊東が描き綴った絵葉書3,717枚。国内外の情勢、社会、風俗にまつわる出来事を風刺画として描いたものである。このうち大正3年〜大正8年(1919)に描かれた500枚は、『阿修羅帳 第1巻〜第5巻』(国粋出版社 大正9〜10年)として刊行されている。

うきよの旅
明治22年(1889)〜明治26年(1893)における東京帝国大学工学部造家学科在籍時の日記。市販の横罫ノート17冊に鉛筆や万年筆を用いて、日々の動静や言葉を交わした相手や内容について、挿絵などとともに克明に書き込まれている。

忠太自画伝、怪奇図案集甲、修学旅行記
フィールドノート、葉書絵、うきよの旅のように、一定の書式に従った長期間にわたる連作ではなく、単体で存在する自記記録や漫画。

法隆寺関係資料
法隆寺に関連するスケッチ、写真、分析メモなど55点。

書簡
親族や関係者などから伊東に送られてきたものを中心に1,648通。このうち528通は、伊東自らが親族などに充てたもので、遺族を通じて後年に戻されたものである。

古写真
国内外(京都、奈良、中国、タイ、ミャンマーなど)の調査で撮影した古社寺・遺跡に関するもの、各種会合での集合写真、名刺写真など3,038点。

摺拓本
主に中国の石碑より、碑文や石碑側面の彫刻から採取したものなど61点。

地図
国内や中国に関する地図類81点。うち6点はペンで直書きされており、中国の洛陽や宝鶏などが描かれている。

スケッチ、下絵、書類
上杉神社再建に関する設計図、法隆寺諸堂の実測図、満州建築観測図など67点。印刷や複写が混在し、手描きのものは少なく、伊東自身の手によるものかは不明。
(山口俊浩)

活動の概要
 活動は主に、委員会の開催と資料の整理作業であった。1〜3ヶ月おきに開催した委員会においては、整理作業の方針および閲覧・公開などに関する案件が検討された。整理作業は、委員会の日程とは別に、委員相互の連絡により逐次進められた。2003年7月より、整理作業の迅速化を図るため、ボランティア委員4名を新たに加え、およそ2ヶ月おきに2〜3日間の集中整理作業を行った。委員会活動の詳細については、次節以降にまとめる。

・2000年4月
 本学会図書委員会に伊東忠太資料整備小委員会を設置、正式に資料がご遺族から学会に寄贈される。
・2000年9月
 2000年度学会大会(東北)研究協議会「未公開資料 新発見・伊東忠太伊東忠太資料の新解釈とその可能性」(伊東忠太未発表資料特別研究委員会)を行う。
・2001年9月
 展覧会「伊東忠太展 手稿と下絵にみる建築思潮の源」を建築会館にて行う。
・2002年9月
 本小委員会が建築博物館委員会のもとに移管される。
・2003年1月
 建築博物館開館記念所蔵資料展「拡張するアーカイブ 伊東忠太展」を本学会建築博物館にて行う。
(山崎幹泰)

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