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伊東忠太資料整備小委員会


はじめに
委員会活動の概要
活動履歴
委員名簿
 
活動履歴
研究協議会
 伊東忠太未発表資料特別研究委員会研究協議会「新発見・伊東忠太 伊東忠太資料の新解釈とその可能性」は、2000年9月10日(日)9:00〜12:00に行われた。第一部では当委員会による整理作業を通して得られた研究成果の報告を行った。また第二部として、司会・副司会と4人のパネリストにより、同資料の保存・活用方法についての検討を行った。
 第一部の主題と報告者は以下の通りである。(1)伊東忠太と「日本」:清水重敦、(2)伊東忠太と「アジア」:青井哲人、(3)伊東忠太と「世界」:橋寺知子。
 第二部では、当資料に限らず近代日本の建築資料全般に渡る保存・公開の方法について、討論を行った。
 パネリストは以下の4人であった。堀勇良(文化庁)、松隈洋(京都工芸繊維大学)、村田健一(奈良国立文化財研究所)、山口俊浩(東京芸術大学)。
 堀からは、当資料に関し、一般公開の際どういった検索のニーズが要求されるか、閲覧用の複写物として何を用意すべきか、といった問題が提議された。松隈からは、設計事務所においては、対象となる建築物の歴史的価値を客観的に判断する機会がないため、担当者の主観的な判断で価値を損ねる危険性があること、閲覧の問合せに対し設計事務所では対応に限界がある点などが報告された。村田からは、文化財建造物の修理事業に関する資料の紹介、現在奈文研を中心に進めているこれらの資料の捜索・目録作成・DB化に関するプロジェクトについての報告が行われた。山口からは東京芸大大学美術館では最近の傾向として、多くの建築家資料が入ってくるものの、数千枚の図面が目録上は一点として数えられるなど、美術館施設での建築資料保存における矛盾などが報告された。
 また当資料の保存環境は温湿度とも良好な状態にあるものの、写真類といくつかの装備は、早急な処置が必要との報告がなされた。これに関し村田から、近代史資料においてフィルムなど工業製品を材料とした資料は、劣化が始まると一気に進行する危険性があることが指摘され、まず現状を記録すること、その際にデジタル化を行うことが現状維持および閲覧・複写のために望ましいとの意見が述べられた。これらの意見については、その後の小委員会での検討事項とされた。
(山崎幹泰)

整理作業
 整理作業は委員会の日程とは別に、委員相互の連絡により逐次進められた。伊東忠太未発表資料特別研究委員会において作成した資料目録を基に、以下の方針で作業が進められることとした。

1.ご遺族の整理の成果について現状記録を行い、原則として寄託された時の状況を大きく変えないこととする。
2.現状の多様な装備を中性紙の文書箱に取り換え、さらに劣化の著しい資料については保護措置を行う。
3.資料番号を収納状況に則したものに改め、さらに番号を資料本体に付して、資料へのアクセスを容易にする。

 まず1.については、伊東忠太未発表資料特別研究委員会の三年間の活動によって多少の資料の移動があったものの、委員の記憶により可能な限りご遺族が整理した状況に復して、整理作業を開始した。明らかに同種の資料と考えられるものが、異なった分類に発見された場合でも、ご遺族の分類の意図を尊重し、資料の移動は原則禁止とした。
 2.については3章で詳しく述べるが、主に市販の文書箱・封筒を用い、適当なサイズの装備がないものについては資料を採寸して作成した。作成に当たっては、下書き線や糊などが資料に影響を与えないこと、出納に便利であること、装備が破損しても再生産が容易であること、などを心がけた。また、もとの装備に記された資料名やメモなどは切り抜いて、新しい装備に貼付した。
 3.については、資料番号の階層を二階層から四階層に改めた。当初の資料目録では、大箱の番号と通番から資料番号が構成されていたが、資料の収納状況にあわせて、中間に中箱・小箱の番号を加えて四階層とした。資料番号は、原則として資料本体に鉛筆で記入したが、記入できないものは装備に番号を記した。
 作業は、主に在京の委員が月1回程度、約3〜4時間の作業を本学会図書館特別資料室にて行った。2000年4月から2001年4月までに資料番号の4 階層化を行い、続いて2003年3月までにおよそ6割の装備の取り換えを行った。その後作業の迅速化を図るため、2003年7月よりボランティア委員4名を新たに加え、およそ2ヶ月おきに2〜3日間の集中整理作業を行った。
 2004年4月からは、資料閲覧に供するためのデジタルデータの整理を行った。資料整理や展示のためにスキャナーで取り込むなどして、これまでに作成したデジタルデータが大量にあったため、これらを印刷したり、パソコンの画面で閲覧するなどの利用ができることを目指した。
(山崎幹泰・山口俊浩)

助成金申請
 本小委員会は日本建築学会が所蔵する伊東忠太の資料整備を目的としているが、伊東忠太に関する資料は他の機関で所蔵されているものも多く、これらの資料も含めた総合的な資料の把握を通じてこそ、本学会が所蔵する資料の価値や意味もより高まると考えられる。
 そこで本小委員会では、他機関の所蔵資料の概要を把握し、その資料の複写の本学会での所蔵・公開を試みようとした。ただし学会の予算は限られているため、民間企業などが行なっている助成金に応募し、資金の獲得を計画した。立案および書類作成は、本小委員会内に設置した「山形ワーキング・グループ」(主に山形に資料が所蔵されていることから命名。メンバーは岡山、笠原、川島、清水)と幹事(山口、山崎)が行なった。ここにその概要を記しておく。

・2001年5月に「トヨタ財団研究助成」に応募した。
 研究題目は「建築思想家伊東忠太の全業績とその第一次資料についての研究−建築アーカイヴネットワークの構築へ向けて−」。635.2万円を申請した。代表研究者は本委員会主査、稲葉。共同研究員は本小委員会委員、岡山、笠原、川島、清水、山口、山崎とした。

・2001年12月には「松下国際財団研究助成」に応募した。
 研究題目は「1900年前後における世界建築史叙述の成立に関する研究ム建築家伊東忠太の活動を通じてム」。134万円を申請した。代表研究者は本委員会主査、稲葉。共同研究員は本小委員会委員、青井、青木、岡山、笠原、川島、清水、田所、山口、山崎とした。

・2002年1月には「三菱財団人文科学研究助成」に応募した。
 研究題目は「1900年前後における世界建築史叙述の成立に関する研究-建築家伊東忠太の活動を通じて-」。242.2万円を申請した。研究代表者は本委員会委員、中谷。共同研究員は本委員会委員、岡山、笠原、川島、清水、山口、山崎とした。

 結果はいずれも落選であり活動は行なえなかったが、応募内容は、今後多様な資料群を保存・活用する上でのモデルになると考えられる。
(笠原一人)

展覧会
 本小委員会は、今活動期間に、原資料と資料整備の過程で得られた知見・成果を展示する展覧会を2回開催した。ここにその概要を記しておきたい。

●伊東忠太展 手稿と下絵に見る建築思潮の源
 会期・時間
 2001年9月22日(土)〜9月24日(月)9:30〜17:00
 場所:日本建築学会建築会館ホールホワイエ

 この展覧会は、東京大学で開催された2001年度の日本建築学会大会に合わせて企画された。伊東忠太資料約50点をパネル解説とともに展示し、進行中の資料公開に向けた整備活動を報告するものであった。会期が短く、かつ大会会場とは離れた場所での開催であったにもかかわらず、入場者は約280人を数えた。

●拡張するアーカイブ 伊東忠太展 造化の秘訣を發く〜伊東忠太関係資料解読の過程
 会期・時間
 2003年1月6日(月)〜1月30日(木)9:00〜19:30
 さらに2月6日(木)までの延長開催
 場所:日本建築学会建築博物館ギャラリー

 日本建築学会建築博物館開館を記念し、第一回所蔵資料展として開催された。原資料の展示とともに、膨大な所蔵資料からパネルや映像資料を作成し、建築関連資料(アーカイブ)解読の可能性の一端を示すことを試みた。延長開催期間も含めて32日間で、約3,550名の来場者を迎えた。図録を300部作成し、頒布・寄贈した。
 展覧会は広く人々に資料の存在を知らせ、その面白さや価値を紹介する絶好の機会である。寄贈された資料を活用すると同時に、閲覧者による新たな視点からの資料読解へのフィードバックも期待できる。今後もひきつづき、資料の保存に留意しながら、積極的に公開する工夫が必要と思われる。
(橋寺知子)

閲覧・取材対応
 資料整理作業の混乱を避けるため、本委員会の継続期間中、資料の公開は原則的に停止とした。しかし一方で、資料の価値を広く一般に伝えることも、公開に向けて必要な作業であることから、閲覧・取材の申し込みについては、その都度委員会において、資料に与える影響や取材目的の公共性をふまえ、その可否を検討した。なお閲覧や撮影に際しては、委員が必ず立ち会うこととした。使用頻度の高い伊東の肖像写真および葉書絵については、順次スキャナーで読み取って電子化作業を行い、出版物利用などに対応した。
(山崎幹泰)

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