建築博物館TOP >> 閲覧・利用規約 >> MENU >> 伊東忠太資料
明治27年頃〜昭和22年にかけ、伊東の公私にわたる日記として書かれた市販横罫ノート76冊。
国内外における調査旅行の記録やスケッチ,建築作品の下絵,各種事業の構想,日常の記録など、あらゆることが記されている。近代日本における建築界の動向が、伊東の思想や展望に大きく影響していたことを裏付けるものである。
大正3年〜昭和25年にかけ、伊東が描き綴った絵葉書3717枚。国内外の情勢,社会,風俗にまつわる出来事を風刺画として描いたものである。
このうち大正3年〜大正8年に描かれた500枚は、『阿修羅帳
第1巻〜第5巻』(國粹出版社 大正9〜10年)として刊行されている。
明治22年〜明治26年における東京帝國大學工学部造家学科在籍時の日記。
市販の横罫ノート17冊に鉛筆や万年筆を用いて、日々の動静や言葉を交わした相手や内容について、挿絵などと共に刻銘に書き込まれている。若き日の伊東が建築に対する思潮を形成させていく過程が見て取れる。
フィールドノート,葉書絵,うきよの旅のように一定の書式に従った長期間にわたる連作ではなく、単体で存在する自記記録や漫画。
法隆寺に関連するスケッチ,写真,分析メモなど168点。
親族や関係者などから伊東に送られてきたものを中心に1648通。
このうち528通は、伊東自らが親族などにあてたもので、遺族を通じて後年に戻されたものである。
国内外(京都,奈良,中国,タイ,ミャンマーなど)の調査で撮影した古社寺・遺跡に関するもの,各種会合での集合写真,名刺写真など3038点。
主に中国の石碑より碑文や石碑側面の彫刻から採取したもの52点。
国内や中国に関する地図類81点。うち6点はペンで直書きされており、中国の洛陽や宝鶏などが描かれている。
上杉神社再建に関する設計図,法隆寺諸堂の実測図,満州建築観測図など67点。印刷や複写が混在し、手描きのものは少なく、伊東自身の手によるものかは不明。
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