メインページ | ||||||||
活動目的 | 委員名簿 | 委員会議事録 | 今後の予定 | 活動記録 | シンポジウム | 文献リスト | 東京の住宅地 | リンク |
〜バブルからポストバブルを経て〜 |
日本建築学会関東支部住宅問題専門研究委員会では、住宅政策の現状と今後のあり方を巡って、自治体による住宅政策の動向や高齢者住宅対策、まちづくりとの連携、家賃補助などに関するシンポジウムや講演会を継続的に開催しております。本稿は、1998年度建築学会大会時(9/11)に開催された、建築経済委員会住宅需要構造小委員会主催・本研究委員会企画による標題の研究協議会の記録です。
|
|
主旨説明・パネリスト紹介 |
go to top |
時間も限られていますので、研究協議会を始めさせていただきたいと思います。まず初めに、この協議会の簡単な趣旨説明と、パネリストと演題の紹介をさせていただきます。私は建築研究所の木内と申します。よろしくお願いいたします。
趣旨説明ですが、「住宅政策と都市計画の連携 その到達点と今後の方向」、副題が「バブルからポストバブルを経て」、大変長いテーマになっております。住宅政策と都市計画の連携、あるいは都市計画と住宅政策の連携、このテーマの重要性については改めて説明申し上げることもないと思います。また、総論のお二人のパネリストの方からもその背景についてはご説明があるものと存じております。
住宅政策と都市計画の連携は近代都市計画・住宅政策以来の永遠のテーマでございます。特にこの問題はバブル経済の時代以降いろいろな制度において、例えば都心居住ということに関して言えば、住宅用途確保型の都市計画規制とか、まちづくりを通じた住宅供給、大都市法の改正、都市マスタープランと住宅マスタープランの策定など、一連の事業とか規制、誘導手法が導入されてきたわけです。
それらの取り組みは制度自体の限界とか、その後の経済環境の変化、行政面での運用の縦割り構造の問題によって、必ずしもうまくいっていないのではないか。あるいは、そもそも住宅政策と都市計画の側でそれぞれの相互認識とか、自他の定義、守備範囲についていろいろ齟齬があるのではないかということでございまして、この研究協議会を企画したものでございます。
そうは言っても、このテーマは非常に幅広いわけです。今回はこのテーマを総論と各論二つ、各論二つについては都心居住という問題と郊外の住宅・宅地供給という形で分けまして、住宅側と都市計画側にそれぞれパネリストをお呼びし、対話と討議によって、特にバブル期以降展開したさまざまな制度、取り組みについて評価を加えていこう、そういった趣旨でございます。
続きまして、パネリストとその演題について説明させていただきます。まず、私の隣、副司会としてお願いしていますのは、市浦都市開発建築コンサルタンツの佐藤さんです。続きまして、パネリストの6名です。総論ということで、まず住宅側から「住宅政策・住宅問題研究からみた都市計画・まちづくりとの関係」ということで、福島大学の鈴木浩さんです。総論の2番、「都市計画と住宅政策−都市計画側から見た総論として−」、東京大学の大方潤一郎さん。
続きまして各論の1、都心ですが、「都心地域の住宅市街地像と都市計画手法による住機能確保策」、地域総合計画研究所の山口邦雄さんです。3人目、「大都市中心部の住機能・定住人口確保策をめぐって−福岡都市圏における住宅供給・再開発の施行者の立場から−」、住宅・都市整備公団九州支社の生田目武久さんです。
続きまして、郊外に移りまして、「住宅・宅地供給手法の多様化と郊外居住スタイル」、建設省建築研究所の飯田直彦さん。「土地区画整理と宅地供給の関係から見た都市計画と住宅政策」、四日市大学の波多野憲男さんです。最後に、「住宅政策と都市計画の連携」ということでまとめをお願いいたしますのが、東京大学の浅見泰司さんです。この9名で進めさせていただきます。皆さん、ご協力をよろしくお願いいたします。
次に進行の仕方ですが、ご説明申し上げます。ただいま時間は1時13分でございます。5時までということで時間を取らせていただいております。この後、早速パネリストによる主題解説をそれぞれ15分ずつお願いいたします。それが終わりますと、3時ちょっと前になると思いますが、それぞれの主題に対して中間まとめを佐藤さんにお願いして、その後、休憩に入りたいと思います。休憩の間に中間まとめあるいはパネリストの主題解説を受けて、質問あるいは議論したい点を聴衆の方々あるいはパネリストの方々からお寄せいただいて、それについて3時15分から1時間少しかけて、フロア・パネリストを含めて討論していきたいと思います。質問用紙は後ろのほうに置いてあると思います。休憩の時間によろしくお願いいたします。
その後、質疑応答を踏まえて、各パネリストより5分ずつまとめをお願いして、最後、浅見さんから最終まとめということでご発言いただき、終わりにさせていただきたいと思います。ご協力お願いいたします。
[総論]住宅政策・都市計画の位相:ズレと接点 |
go to top |
早速ですが、各パネリストの主題解説に移らせていただきたいと思います。「住宅政策・住宅問題研究から見た都市計画・まちづくりとの関係」ということで、福島大学の鈴木さん、お願いいたします。
ただいまご紹介いただきました福島大学の鈴木です。よろしくお願いいたします。
私自身は住宅政策・住宅問題の研究から出発していると思っているのですが、会場の皆さんの中に地方の都市で活躍されている方がいらっしゃればおわかりかと思いますが、地方都市に行くと、住宅問題・住宅政策の研究者として地域の中で要請されることというのはほとんどありません。ほとんどの場合、まちづくり・都市計画に関係することが多いです。
最近では、住宅マスタープラン・都市マスタープランの両方あるわけですが、私などもご多分に漏れず、都市計画のマスタープランに参加したかと思えば、同じ日のうちに住宅マスタープランの議論もするなどというようなことで、自分自身気持ちの中では、今日は皆さんの前で住宅政策とか住宅問題研究者の立場から都市計画にものを言うというつもりでいるのですが、自分の立場がどちらなのか、途中でわからなくなってしまうかもしれません。そういう点はご容赦いただきたい。
そういう意味では、大方先生のほうに注文しているというよりは、場合によると自問自答みたいなことになってしまうかもしれませんし、混乱するかもしれませんが、お許しいただきたいと思います。
もう一つは、木内さんからお願いされて、今日改めて趣旨説明の活字になっているものを見させていただくと、かなり重い課題を突きつけられています。それに対して適切に答えられるような能力はないなという感じがしながら、いまビクビクしているところです。少なくとも最初の問題提起の中で、都市計画の研究者と住宅問題の研究者がいろいろな意味で相互連携がどうなっているかということが論点の第一に入れられております。いま私が申し上げましたように、例えば住宅マスタープランの中に都市計画の研究者がたくさん入って来られます。あるいは都市マスタープランのほうに住宅政策・住宅問題の研究者も入って行く。計画策定の場面の中では、そういう議論はずいぶん進んでいるなという感じがします。
しかし、その中で何が基本的な論点で、いま何を突破しないといけないのか、まだ十分論点が整理できていないというのは、私自身も感じているところであります。それを改めて自分なりに整理してみると、こんなものかなということを今日お話しすることになると思います。
冒頭書いておきましたが、都市計画を自分なりに勉強させていただくと、都市計画の諸制度というのは具体的に、即地的に展開する場面、フィールドを持ちながら動いていくし、都市計画の事業はあるわけです。一方、住宅政策というのはちょっと考えてみると、即地的に展開するというようなことは少なくとも国の政策の中であまりなかった。単刀直入に言ってしまえば、住宅政策は数量に置き換える、あるいは水準に置き換える。できた結果、アウトプットがどうだったのか。あるいはつくる前に量的にどうかという話で、具体的な場面、即地的に検討するということは、フィールドはあまりなかったのではないかというのが私の印象です。
しかし、今日、コミュニティとか地域社会の再生という議論が大きな課題として浮かび上がってきたとき、都市計画のフィールドでそちらに接近する。同じように住宅政策の側からも接近しないといけないということになったとき、初めて住宅政策の側に即地性とか、コミュニティを介して、住宅政策はどういう落とし所が必要なのかということが具体的になってきたのではないか。こんな感じがしています。
そんなことが前置きで、では実際に今日の都市計画・住宅政策の連携はどんなところを背景にしているのか。ここで私は2、3論点を用意しておきました。一つは、間違いなく地方分権の大きな流れがあるのではないかと思っています。これはこれからも押さえておかなければいけないことだと思います。
地方分権推進委員会が4次までの方向づけをし、いま最終的な議論をしているところですが、実は地方分権というのは例えば2010年4月1日にポーンと始まるような代物ではありません。現実にお気づきと思いますが、地方分権の議論はすでにそれぞれの個別の事業制度の中にさまざまな格好で、地方自治体の裁量の増大とかいろいろなところに入り込んで来ているわけです。それぞれの市町村が自治体の裁量に任せられた部分をどういうふうに飲み込んで、それに対応していくのかということが試されていると言ってもいいかと思います。
都市計画法の例の都市マスタープランなんていうのは典型的なわけです。地方自治体は住宅政策も地方分権の流れの中で考えなければいけないという側面がずいぶん出てきました。これまで住宅政策はどちらかというと国が主導的な役割を握っていました。公営住宅の供給・管理がほとんどだった地方自治体が圧倒的に多いわけです。
しかし、昨年来、1995年以来と言ったほうが正確かもしれませんが、住宅マスタープランに多くの自治体が取り組むようになりました。それが今日の地域の問題、コミュニティの問題と重なるようになる。このような中で住宅政策の側からも都市計画・まちづくりとの関係を考えなければいけない。このようなところが大きな背景になっているのかなと思います。
2番目に、同じページの右の段の真ん中あたりに掲げておきましたが、わが国で起きている住宅の問題の多くが、都市の思想、都市はどうあるべきか、都市とは何かというとき、それに対応する都市計画の諸制度、諸事情、こういう枠組みの中から再生産されるということについての認識というのが、今日それなりに深まってきているのではないかというのが二つ目です。
ご存じのように、日本の場合、都市計画の中で産業経済空間をいかに効率的に配置するかということが中心であったように思います。中心という言い方はおかしいのかもしれませんが、結果的にはそれがかなり重要視されてきました。
あるいは土地制度などを考えてみますと、これも多くの人が語るようになってきましたが、いま土地というのは個人が所有するよりも、法人が所有するほうが圧倒的に有利な状況が生まれています。そういう中で個人が所有している居住空間が駆逐されていく。こういう状況があちこちで綻びとして出てくるわけです。
そういうこととか、全般的に市場というメカニズムの中で都市がつくられ、あるいは居住空間が供給されることになると、今日問題になっているように、結果的には中心市街地から居住空間が駆逐されていく。これに対応せざるを得ない。こういう枠組みの中で、都市計画あるいは都市の思想の中に住まいをどう位置づけていくのかということが大きく議論になってきたということだと思います。
日本の都市計画事業は1919年に出発して、すでにもう80年です。この中で都市の中で居住空間がどう位置づけられてきたのかということが、今日、目に見える形で私たちの目の前に繰り広げられてきました。これも大きな点ではないかと思います。
最近ではアフォーダビリティの問題、あるいは居住権とか居住継承が非常に不安定になってきている問題。あるいはコミュニティの衰退という新たな問題がさまざまな格好で議論されてきましたので、なおさらこういう共通の理解が深まってきます。ここにも都市計画・住宅政策の連携の背景があるのではないかと思います。
3番目に挙げておきましたのは、いま言ったことを繰り返すことになりますが、いまコミュニティとか地域社会の問題が、非常に大きな問題として私たちの目の前で繰り広げられています。4ページ目の「地域社会再生問題」と書いてあるところです。
皆さんも大体おわかりと思いますが、今日、われわれ日本人はコミュニティに対して何かを期待しているのだろうか。逆に言うと、こういうものの位置づけを日本の中ではきちっと議論されてこなかったのではないかということです。
ここに紹介しておきましたように、今から30年ほど前、コミュニティ危機が政府の委員会の中で提起されました。それ以降、コミュニティという問題について都市計画や住宅政策、特に住宅政策の側がそうだったと思いますが、こういう単位でものを考えるということがあまりありませんでした。いま多くの若者がコミュニティに何も期待しないという状況すら生まれています。しかし、阪神大震災が起きてみると、実はそうではなかった。今、こういううろたえみたいな現象が起きています。これも都市計画や住宅政策に居住の問題、住宅の問題を考えさせる大きなきっかけになったことではないかと思います。
その次に私がこのレジュメの中で用意しておきましたのは、そういう中で居住空間の確保とか、居住地の形成をそれぞれどう位置づけてきたのかということです。都市計画を少しはすっかいに眺めますと、日本の都市計画は、例えば市街地の姿が10年前の姿をそのまま携えていると、この都市は発展していないという見方すらされる。ある地域を居住地として、地域社会として維持・発展させていくというより、絶え間なく姿が次々に変わる、こういう姿を追い求め、そのことが都市の発展と多くの人たちが受け止めてきたのではないかという感じすらいたします。
したがって、いま目の前に起きている地域社会の姿が10年後にどうなるかなんていうのは見当がつかない。見当つけようがない。そこである意味ではシャッポを脱いでしまう。こういうような都市計画・住宅政策の営みではなかったのかと思います。
そういう意味で、居住空間の確保というのも短兵急に効果のあるいろいろな制度がつくられたかもしれませんが、10年、20年地域社会をどうするのかという観点でそういうものを位置づけるというのは、あまりなかったのではないかと思います。
住宅政策もしかりです。住宅政策の大半はフロー政策です。ストック主義、ストック改善は重要な課題になってきているとは言いますけれど、ストック改善のための制度・手法は十分な展開を見せているとは言えません。相変わらずフロー主義というところに落ち着いているのではないかと思います。これから居住空間を発展させていくという観点から都市計画と住宅政策が連携するとき、この辺が重要な問題点だろうと思います。
最後にかいつまんで言いますと、連携のための課題ということで5点ほど書いておきました。一つは都市の姿あるいは中心市街地の姿は次々と流転していく、変転していく、こういうのがこれまでの私たちの受け方でしたが、こういう都市の姿、中心市街地の姿についてもうちょっときっちりとコンセンサスを得る取り組みが必要ではないかと思います。明日の都市計画の協議会ではこういうことが議論されるようです。
それから、繰り返しになりますがコミュニティのあり方について。あるいはそういうものが本当に必要なのか。必要だとすれば、どういう姿なのかということについて議論していかないといけない。しかも、この媒介項として今日の高齢社会の問題があります。2000年の4月1日から、介護保険法に基づいていろいろな介護のメニューが用意されます。具体的にケーススタディを積み重ねている地方自治体が圧倒的に多いと思います。この中でも住宅改善、一般的にはハウス・アダプテーションと言われていますが、こういうものが早々に大きな課題になってきます。
こういうふうに考えますと、コミュニティの力とか、ほかの専門分野の力とか、連携した地域社会の姿がもっともっと重要視されてくるに違いない。こういうことについて、私たち住宅政策の専門家、都市計画の専門家はもう少し前向きにとらえていく必要があるのではないかと思います。
3番目に市場と公共の役割分担というようなことも書いておきました。時間がありませんので、この辺は読んでおいていただきたいと思います。
4番目は、都市マスタープラン・住宅マスタープランがいまあちこちで一気に展開されています。そういう中に地域居住の姿をていねいに盛り込む。こういうプログラムをそれぞれのマスタープランの中に入れていくことが必要だと思います。
最後ですが、私が住宅マスタープランをやるとき、あちこちの自治体に行って、最初こういう問題を投げかけています。6ページの右側のほうに書いておきましたが、福島市を例に書いておきました。いま福島市は大まかに言って10万世帯。1年間で2500の住宅が建て替わります。新築もありますので、正確に言うと建て替わりとは言いませんが、2500戸から3000戸ぐらいの住宅がつくられてきます。40年間ぐらいすると住宅は建て替えるという勘定になります。このフローからストックに橋渡しをするには、この間にどんな仕掛けが必要なのか。例えば2500戸とすると、底地価格なしに1軒あたり2000万かかるとして、 500億ぐらいの壮大な事業費が流れているわけです。都市計画の一つひとつの事業と比べても引けを取らないぐらい、膨大な投資が行われています。こういうものがストック社会に向けて、どういう働きをしているのかという読み込みをそれぞれの自治体で、もちろん都市計画や住宅政策の専門家がその読み込み、意味づけをすべきではないかということを最後に書いてあります。
時間がない中ではしょりましたけれど、私の最初の問題提起はこのぐらいにしておきます。
ありがとうございました。特に地域社会、居住地形成に焦点を当ててお話しいただけたと思います。
大方でございます。都市計画側からの総論を述べろという大役をご指名されました。しかしながら、こちらからフロアの方々を眺めておりますと、都市計画の大家の先生方が多数おられて、私などは都市計画の立場を代表するような資格があるわけではございません。ましてや建設省都市局を代表して来ているわけでもございません。しかも、私のところだけ非常に雑駁なレジュメ形式の紙がついておりまして、大変お恥ずかしく思っております。
私としてもこの辺の内容につきましてはいまだに発展途上と申しますか、日夜悩んでいるテーマでありまして、問題提起というような形でしか書けないという思いがにじんでいるということでご勘弁ください。
なお、フルペーパーとしては後半のほうに佐藤圭二先生の立派な、非常にていねいな論文もついております。かつ、書かれている論点につきましては大変共感するところが多数ございます。
言ってみれば、都市計画に建築的な立場からかかわっている人たちの中で、特に住環境整備に熱意を燃やすというか、思い入れを抱いている人たちが、都市計画・住宅政策と言ったときにどんなことを思っているか、感じているかということを代弁させていただくということで総論に代えさせていただきたいと思います。
そういう立場から言いますと、都市計画と住宅政策が連携する必要があるなんていうことは、言わずもがな、自明のことであります。住宅の側から見てもいいまちがある、あるいはいい立地条件がある、いい環境があるということでなければ、いかに内部が立派であろうと、広かろうと、個人の住宅としては成立しない。
一方、都市なんていうものは大体3分の2ぐらいは住宅で構成されるわけです。なおかつ、われわれのような立場の都市計画屋からいたしますと、丸の内、新宿なんていうところは放っておいても何とかなる。人々が暮らしやすい空間、あるいは安全な空間、できれば美しい空間ができないだろうかということに常々熱意を燃やしているわけです。いい住宅が建てられて維持されなければ、当然いい都市にはならないと思っています。
しかしながら日本の場合、ここ 100年以上、都市計画的な試みが続いてきてはおりますが、なかなかよい都市ができてこない。したがって住宅政策としてはある種閉じた世界を団地としてつくらざるを得なかったのではないか。非常に大ぐくりに言ってしまうと、このようなことが言えるのではないかと思っております。
ただ、団地をつくるということは、必ずしも日本特殊なことではなくて、考えてみますればイギリス、ドイツが19世紀後半から20世紀にかけて都市計画をつくり上げていったとき、いかに団地をつくり、その団地で埋めつくすか。あるいは団地と団地がつながらないように緑地を確保するということも含めてですが、いかに計画的な団地で都市をつくるかということから都市計画がスタートしています。そこに優れた住宅が供給されるようにする。ある種、車の両輪として都市計画と住宅政策が進んで来たのだろうと思います。しかしながら、日本の場合、車の両輪が必ずしも結びついてきていなかったという気もいたします。
やや歴史を振り返りますと、今の都市計画法の大元をつくった都市計画法が大正8年(1919年)にできました。そのとき同時に、私のペーパーの最後、9ページに資料編が1枚だけですけれどついております。住宅政策ということでは救済事業調査会というものが内務省内に設置されました。それが後、社会事業調査会になります。そこで小住宅改良要綱という、その後の日本の住宅政策の根本を定めるような答申が出されました。
一方、都市計画についてはご承知のとおり都市計画調査会ができ、都市研究会という大きな団体をバックボーンにしながら都市計画ができてきたわけです。
そのとき、基本的には郊外に鉄道を整備し、区画整理を通じて有効宅地を供給して、そのうえに住宅が建っていくだろう。当時から都市計画側にしてみると、住宅というのは畑さえつくれば、種をまかなくても生えてくるような雑草のようなものだったのかもしれません。あるいはそうでなかったのか、よくわかりませんが、基本的には宅地をつくることが都市計画の基本だったわけです。
ただ、それだけではなくて、それまでの東京市区改正条例と旧都市計画法の間で大きく変わったものがいくつかあったわけです。ご承知のとおり用途地域がそうです。区画整理もそうです。もう一つ、当時、「一団地の住宅経営」という施設も旧法には盛り込まれていたわけです。イメージとしてはイギリスの田園都市であったと思いますが、実際につくられたものは、戦前は一つしかありませんが郊外の住宅団地です。これをいずれ法制化されるはずであった住宅会社を中心に郊外に多数つくりながら、住宅問題つまり供給不足を緩和するということを構想していた節があります。
そのほか大蔵省の郵便貯金のお金を投入するということでスタートした市営住宅や府営住宅、今の公営住宅につながる仕組み。流れとしては、今の住宅金融公庫につながるのでしょうか、当時としては個人ではなくて組合に対して低利融資する住宅組合。この3本柱で住宅供給しようということです。それに対して都市計画としてはインフラを供給しながら、有効な宅地を供給する。そういう仕組みでスタートしたわけです。
先ほど鈴木先生からもお話がありましたが、その後80年ほど経過して、実態としては都市計画にとって住宅というのは、自然に生えてくるというようなイメージのものでしかなかったのではないか。かつ戦後の高度成長期に入りますと、無秩序な開発をいかに抑制するかということ。逆に既成市街地の中で戸建て住宅地に中高層のマンションが建ってきます。日影問題が非常に激化してくる。これを何とか抑制できないか。むしろ住宅を抑制することのほうを60年代、70年代一生懸命にやってきたような気がいたします。
そういう形の中で、先ほど鈴木先生もおっしゃったように日本の既成市街地は、ヨーロッパやアメリカの既成市街地と違って、一旦つくったら、それを保全型で固めて残すという形で都市計画が機能しないわけです。最初は木造2階建てでスタートします。そのままでは決していいまちではありません。まさにアジア型なわけです。これをいつか、50年、 100年先かわかりませんが、燃えない立派な、4、5階建てか、20階建てかわかりませんがピカピカした近代的なまちに変えたいと実は明治以来、ずっと願ってきました。
皆さんはこのごろ、実はそれは間違っていたのではなかろうかという気分がしていらっしゃると思いますけれど、ついこの間まではそういうことでやってきたわけです。したがって、まちは変わっていかざるを得ない。規制は変えていくために緩いわけです。
なおかつ日本の場合、既成市街地を変えていくための緩い枠組みと、全く新しく郊外でつくる住宅地の基準を大きく変えられないような体質があるわけです。江戸時代につくられたまちも変えていかなければいけない。昔は9尺、今は4メートル道路があれば建て替えられるということでなければまちは立ち行かない。その基準で区画整理であろうと、開発許可であろうと、基本的に6メートル、4メートルでもOKですということで、欧米と比べれば、非常に水準の低いまちづくりを繰り返さざるを得ないということで80年間やってきたわけです。
何が言いたいかと言いますと、一つは既成市街地の中で小さい単位で徐々にまちは変わっていくわけですが、それをうまくサポートする仕組みが都市計画側にも、あるいは住宅政策の側にも欠けているのではないかということです。一方で、都市計画も住宅政策の側も郊外に一生懸命に団地をつくってきた。あるいは既成市街地の中の工場跡地を団地として開発してきた。それはそれなりに成功してきたのだと思いますが、今のところ、それに終始してきたと言わざるを得ないのではないかと思います。
あまり時間がありませんので、はしょりますけれど、郊外で言えば地区レベルのインフラをだれがどうつくっていくのかという責任を持つ主体がありません。まして、既成市街地の土地利用の変容のめんどうをみていく主体がない。
諸外国を見ますと、居住水準について一定以上のレベルを強制する制度という意味での住居法があると言っていいと思います。日本の場合は住宅建設法はあります。それから、不良住宅地改良法の流れを引く住宅地改良法はありますけれど、一般の賃貸住宅あるいは共同住宅に対して居住水準を強制する制度はないわけです。したがって、非常に害悪を及ぼすような低質な住宅あるいは住宅地以外には手を出せない。
それを何とか誘導しながら変えていこうとすれば、規制ではなくてインセンティブを付与することでしか動かせない。その流れが都心居住についても、あるいは密集市街地の改善についても適用されていて、つまるところ容積だけがダブダブと余っている。そんなに容積率を上げてもらっても、住み続けたいという地元の小規模な地権者の方にとっては使いようがない。したがってインセンティブが動かない。そういう構造の中で住宅政策と、動き始めた地区レベルのまちづくりという都市計画側の連携しそうな試みも、やや足踏み状態に入っているのではないかという気がしております。
もう少しお話ししたいことがありますが、時間もあまりありません。先ほどの鈴木先生のお話を聞いて、一つ思いついたことを最後に述べさせていただきます。
いよいよ高齢化社会が来るということでございます。それに対して、最近神戸でもつくられましたけれど、単身の方々がある種疑似的な家族として一緒に暮らすコレクティブ・ハウジング、英語ではコ・ハウジングと言うほうが一般的かもしれませんが、そういうものがだんだん脚光を浴びてきていますし、つくろうとする動きができています。大変けっこうだと思いますが、なぜそういうものを1棟型のマンションですとか、団地のような形でつくらなければいけないのか、都市計画側としては痛感しているわけです。みんなで食事をしよう、ご飯をつくろう。話をしよう。そういう場所がまちの中に分散的に開かれてあってもいいのではないか。お金を払ってもいい。レストランのようなところで、みんなで飯を食べられたら、もっと楽しいのではないか。
あるいは、住める住宅についても、片廊下でつながったところに、18戸も20戸も住棟が並んだような住み方をしなくてもいいではないか。小さいアパートのような形で分散して暮らすほうが、よほどいろいろな立場の方と触れられていいのではないか。これはまさしくコミュニティづくり、まちづくりの仕事だと思います。そういうところからこそ、住宅政策と都市計画が連携していけないものだろうか。このようなことをこのごろ感じております。
15分たちましたので、これで終わりにします。
どうもありがとうございました。最初に多少印象に残ったことを申し上げますと、よい都市計画がないことから閉じた団地を住宅政策はつくってきたということ。都市計画にとって住宅というのは自然に生えてくるもの、雑草のようなものだとおっしゃっていました。よく耕して、肥料など与えて、よい環境を整えればよい生育環境が生まれる、そういうことだろうと思います。どうもありがとうございました。
[各論.1]大都市都心部の住機能・定住人口確保策をめぐって |
go to top |
続きまして、各論の1、「都心地域の住宅市街地像と都市計画手法による住機能確保策」ということで、地域総合計画研究所の山口さん、お願いします。
こんにちは。日ごろ、自治体住宅政策立案に民間コンサルタントの立場としてかかわっております山口といいます。今回は都心地域での住宅政策と都市計画の連携ということで要請を受けまして、少し考えたことをお話ししたいと思います。
やっているところが東京都心部ですので、全国的に見れば、かなり特殊な事例ということは否めないのではないかと思います。ただし、特殊性ゆえにかなり連携を意識せざるを得ないという状況がございます。一方で、今回福岡の住宅マスタープランを見てみましたが、共通する部分もあるのではないかと思っています。
そういう点で今日は4点、1点目は東京都心部のバブル期とバブル以降、現在までの状況。2点目は住宅市街地と住宅政策・都市計画の関係。3点目は都市計画手法の展開。これまで東京都心で行われてきたことです。4点目が今後についてということで、考えていることをお話ししたいと思います。
まず、東京都心部のこれまでの状況です。ご存じだと思いますが、いま非常に経済状況が悪いので、東京都心部でも家賃が下がってきております。それで危機感があまりなくなってきております。ただし数年前までは、例えば新宿区の平均の賃貸価格が平米当たり5300円でした。これは区の平均で、とりわけオフィスの圧力のあるところだけではないわけです。40平米でも22万ぐらいの家賃になってしまって、アフォーダビリティは完全に喪失しているわけです。そうしますと居住水準向上のための住み替えなど、とても普通のサラリーマンではできません。あるいは新規に都心区に入って来ようということは、まず絶望的な状況でした。
皆さんご存じだと思いますが、バブル期に都心部の人口は激減しています。ファミリー層が大幅に減って、人口のアンバランスが起きていることをお聞きになったことがあると思います。転出入調査で詳しく調べてみますと、転出世帯自体はある程度の影響はありつつもバブル前後でそれほど大きく変わっていません。しかし、転入の世帯はバブル期は極めて少なくなっています。転入する世帯と転出する世帯の差によって転出入の世帯数が決まるわけですが、バブル期は転入する世帯がなかったために、ファミリー世帯の大幅な減少が起こったということです。
今現在どうなってきているかというと、都心部ほど人口の減少傾向に歯止めがかかりつつあります。例えば副都心のある渋谷区では、昭和40年代以降、一貫して人口は減り続けていたのですが、昨年度の住民基本台帳では初めて人口増に転じております。これはたしか新宿でも同じような傾向が出ていたと思います。
人口の総量とともに、今までは明らかに転出超過であったファミリー世帯も転出超過の絶対数がだんだんと少なくなってきておりまして、いまプラス・マイナス・ゼロぐらいまで近づいてきております。言わんや家賃は下落しております。そしてバブル期に賃貸住宅建設は非常に多かったわけですが、今は賃貸住宅建設はあまり多くなくて、逆に都心部では分譲住宅が極めて多くなっています。こういうふうにバブル期を挟んで今は、都心部の住宅事情はかなり変わってきていることをまず押さえたいと思います。
バブル期、住宅政策に本格的に取り組まなければいけないという各自治体の意気込みで、住宅マスタープランがつくられたわけです。それぞれが安心して住み続けられるというキーワードです。これは定住の問題です。人口減の問題とまちづくりとの連携をキャッチフレーズとして必ずあげています。定住性の確保というのは住宅政策とともに自治体運営政策のような、やや政治的な側面もありますが、都市計画との連携というかなり重要な点で問題が提起されたのではないかと思います。
それから都心部では家賃助成政策が取られています。ファミリー世帯、高齢者、障害者の世帯に家賃助成がされておりますが、いまこういう状態にあって、いま各区とも家賃助成の制度をどうするか、かなり真剣に議論しております。ファミリー向けに家賃助成をして、どのぐらい定着率があったのか。制度離脱者が渋谷区の場合、ファミリー世帯で20%あります。それに対してどういう評価を下すか、いま真剣に議論をしています。
そもそもファミリー世帯はもっと転出したはずだから、制度離脱者20%というのは、それを少しでも食い止めているのか、評価の分かれ道になります。費用に対してどれぐらいの効果があったのか、いま真剣に議論している最中です。
こうした今の東京都心部の状況ですが、住宅像と住宅政策及び都市計画との関係で言いますと、東京区部の住宅マスタープランですが、23区ありまして全部つくっておりますが、その中で特徴的なことは住宅市街地像を積極的に描き出しているということだと思います。
10ページに書いておきましたが、新宿区では全部で15の類型を行っています。ネーミングとしては、例えば低中層個別改善ゾーン。港区は8類型あります。住機能確保業務複合ゾーン。目黒区は13類型です。都市型住宅集積、住機能形成・維持ゾーン。
このネーミングを見てもおわかりだと思いますが、都市計画的な観点をかなり入れつつ、住宅あるいは住機能をどういうふうに考えるかをこの市街地類型の中で検討し、記述しております。
かなり細かな類型だと思いますが、各区ごとにいろいろな類型をしています。この中で重点施策をどう取っていくか、住宅政策の展開を詳細に書いていることが特徴的なことではないかと思います。つまり住宅市街地像を書き、それに見合った都市計画的な手法と住宅政策としての対応方策を細かく書いているということが、都心部の住宅政策の特徴ではないかなと思います。
基礎自治体はそういう細かなことをやっておりますが、大都市を抱える都府県レベルでは90年に大都市法が改正されまして、住宅・住宅地供給計画を策定しました。これは都府県レベルまでです。市町村区は策定義務はないわけですが、供給計画をつくることになりました。これにおいて重点供給地域が指定されます。そして、その延長で都市計画の整・開・保に住宅・市街地の整備・開発の方針として記述されるようになりました。こういう法律的な連携の仕組みができ上がっております。今までは5か年建設法による5か年計画があって、一方で都市計画は整・開・保があるというのが都府県レベルの仕組みだったわけですが、大都市法が改正されまして、その中に住宅・住宅地供給計画ができ上がる。どこにどんなものを供給していくかということを即地的に示しています。こういう点では住宅と都市計画の大都市法を通じた連携の構造ができたと言えるのではないかと思います。
ただし都府県レベルですから、私も作業しましたが、かなり大ざっぱな重点供給地域の絞り込みしかできません。基礎自治体のレベルでは重点供給地域を受けて、それだけではなくて区内、市内全域を住宅市街地類型として区分して、その対策を練るという形で都市計画と住宅政策の連携が意識されているのではないかと思います。
住宅市街地類型と住宅政策・都市計画の関係を非常にきめ細かく記述しているわけですが、住宅市街地像を描き出すとき、どのような方法でやっているかと申しますと、われわれは基本的には都市計画の資料に基づいて作業しております。都市計画では都市計画基礎調査というのがありまして、それは法定調査でしっかりしています。経年変化も見られます。そういう点ではデータの蓄積があります。通常ですと、町丁目別にデータが集積されていますから、指標を使って類型作業を行います。いわゆる市街地対策類型、都市計画でずっと使われていますが、その方法を住宅の視点を入れながらするというのが、住宅市街地類型の描き方です。
ただし、都市計画基礎調査ですから住宅専門の事項についてはデータがそろっていません。もちろん住居費負担なんていう項目は出てきませんし、居住水準というのも出てきません。都市計画的な指標で、それに基づいて類推して、木造密集地があるところは過去の知見からこういう住宅の問題があるだろうということで止まっているわけです。
住宅統計調査、これは住宅政策を語るうえで必須の調査事項です。これについては抽出調査という限界があります。実際に独自集計としてやろうと思っても、総務庁からマグネットテープを借りてやるわけですが、先ほど言った抽出調査という限界上から、区を区分してもせいぜい五つぐらいの区分でしか集計ができないという特徴があります。
例えばファミリー世帯で居住費負担何パーセントで、どのくらいの居住水準にあるか。細かなデータは取れますが、非常に大ざっぱな類型ごとのデータしか取れないということです。都市計画の指標で非常に細かな類型作業をやって記述していくとき、住宅マターとしての指標はほとんど入って来ないという限界があります。都市計画と住宅政策が連携するとき、即地的な施策化ということになってきますと、今のところデータの限界があるなということを日ごろ思っております。
それから、都市計画の手法によって、都心部においてどのような住宅・住機能の確保がされてきたか。基本は都市計画の場合は地域地区指定です。この中で積極的に住宅供給を促すものとしては、92年の法改正によって生まれました中高層階住居専用地区、その後できました高層住居誘導地区です。この二つが積極的にあるゾーニング行為を行って供給を促していくという仕組みだろうと思います。とりわけ中高層階住居専用地区というのは、一定階以上の床利用を住宅に限定するという厳格な立体用途規制ですので、これを厳密に適用しますと、今まで言われていました住宅と非住宅用途の市場における競合関係がその限りにおいてなくなってくるわけです。そういう点では非常に効果が期待される制度だと思います。
12ページに調べましたデータを入れておきました。現在、東京7区でこの中高層階住居専用地区というのを指定しております。見ていただければわかりますが、例えば千代田区の場合、すべて路線型の指定をしております。それに対して、例えば下のほうの台東区とか荒川区というのは面的な指定でやっています。これは特別用途地区ですので、区が独自に条例をつくれるということで、それぞれの特性を生かせた指定の方法になっているのではないかと思います。
あるいはこの指定に合わせて用途地域自体を変えていく。あるいは容積をこの指定に合わせて緩和して、 100%上乗せして都市計画として決定していくという事例が多く見られています。
ただし、港区の事例ではこの中高層階を使う場合も、面指定のところもあれば、路線型の指定のところもあります。用途地域等を一切変更せずにこの中高層階をかけたところもあれば、用途地域及び容積を変更して、アップしてかけたところもあります。これは各基礎自治体の運用の姿勢と言いますか、独自性がかなり出ているのではないかと私どもは見ております。
これは区ごとに違うことが問題ではなくて、先ほど申しました住宅市街地像との関係で、例えば住宅の質とか居住像まで踏み込んで検討して都市計画として決めたのかどうかというあたりが問題ではないかと思っております。
今のは地域地区として一括指定ですが、狭域な地区での住民の合意形成を前提とした地区計画制度の活用例が例えば用途別容積型地区計画です。先ほど申しました中高層階と違うのは、用途別容積型地区計画は住宅確保型ですが、選択型です。住宅をこれだけ確保すれば容積はアップします。しかしオフィスだけでも規定の容積率で使うことができるという、選択の方法になっています。
少し効果が違ってくるかと思いますが、この方法を展開しております、銀座のある中央区では区内を大きく三つのゾーンに分けて、第2ゾーンはこの用途別容積を一気に広範囲にかけているということで、かなり中央区の特性が出ているのかなと思います。ヒアリングをしますと、中央区は住宅付置義務をやっておりまして、概ねの合意ができていたことを聞いていましたが、かなり特徴的な運用の仕方かなと思います。
都市計画によって住宅の箱を積極的につくっていくことをやっているわけですが、現在のところ、できた箱に対してどのようなアフォーダビリティが付与されているかは、まだ全く議論されていないところです。まず供給を増やして、都心区に安定的な住空間をつくっていくというのが、都市計画としてやるべきことかなと思うわけですが、それだけでは転用の問題とか、だれが住むのか、どういう居住像になるのかということが十分ではないと思っております。
今後の連携のあり方ですが、一括的な指定も供給という点では重要だと思いますが、今後、区レベルで住宅政策を地域空間に落としていくことが必要になってくるのではないかと思っております。ただ、先ほど申しましたようにデータ基盤が住宅側から市街地に落とし込めないところから、これからどうやってやっていくのかというところが問題であると思います。
当面、一つのやり方として、いま現に展開しているまちづくり事業地区があると思います。それは法定の事業であってもいいし、任意の事業であってもいいと思います。そうした、いま入り込んでいるところに住宅政策の詳細な計画の網を積極的に被せていくというやり方があるかなと思っています。そのとき議論になるのは、なぜそこだけに住宅投資をするのかということです。多分、公平性なり、その根拠となるものが必要になってくるのではないか。
都市計画のほうでは、いままちづくり条例をつくって、協議会をつくって、区長の認定を受けて、そこでまちづくり支援が行われるという仕組みがあります。現在ある住宅基本条例ですが、東京23区のうち19で住宅条例をつくっておりますが、まだそこまで踏み込んだ条例はできていないわけです。先ほど、都市計画と住宅マスタープランの連携という話が出ましたが、即地的な場面での重点支援なり投資を根拠づけるものとして、例えば条例のようなもので明確にしていく。まちづくり系の条例と住宅基本条例の関係を整理したり、場合によっては一体化させるという、基礎自治体だからこそできるような点があるのではないかと思いますが、そういった方策が考えられるかなと思います。以上です。
ありがとうございました。住宅マスタープランにおいて住宅・市街地像をどう描写しているのか。都市計画における実現手法と課題について、実際にかかわっているコンサルタントという立場からお話しいただきました。
続きまして、都心の各論の2ということで、「大都市中心部の住機能・定住人口確保策をめぐって−福岡都市圏における住宅供給・再開発の施行者の立場から−」ということで、生田目さん、お願いいたします。
住都公団の生田目です。私はこの6月に末に九州支社に赴任しまして、その時点でこういうことがあることは定まっておりましたので、急きょ、この準備にかかったという状況です。今までの演者の方のように従前の研究、あるいはずっと仕事でかかわってこられた方々とはちょっと違う状況にあるということ。もう一つ、ご存じのとおり住宅・都市整備公団は住宅政策の一環を担う実施部隊ということで、日常、非常に泥くさく仕事をしている者でございますので、多少皆さんと異質な感じがすると思います。私自身、そんなことになるのではないかと思っていますので、そんなようなこともあらかじめご承知おきいただきたいと思います。
そのような状況の下で、とりあえずペーパーを出さなければいけないことになっていました。今日ご報告するのは、それとは多少異なった形になります。OHPを使って、一つには福岡市の住宅関係の状況・課題等を報告するということです。これについて私がやるのは多少僣越な感じがしますが、福岡市さんの住宅基本計画の中から資料を取らせていただいて、それをご紹介する形になるかと思います。
市の住宅政策課の方もお見えになっているやに伺っていますので、後ほど補足なり何なりしていただければ、ありがたいということでございます。
その次に住宅・都市整備公団の九州支社が、今まで福岡市の地区でどの程度の住宅を建ててきたかをご紹介します。
あと、公団それ自体についてこの席で触れるのはいかがなものかということもありますが、ご承知のとおり住宅・都市整備公団は来年度には新法人に移るということで、どういうことになっていくか、住宅施策の一環として触れざるを得ないということで触れさせていただきます。その辺を踏まえて、今後、福岡地区でどんな展開が考えられるのか。細かい話ではなく、大ざっぱな話になりますが、そのようなことをOHPを使って、簡単に報告させていただきたいと思います。
福岡市さんでつくられた住宅基本計画の付属の資料、「住宅の現況」ということで簡単に報告いたします。福岡市は昭和50年に国調で 100万を超えております。平成7年現在、 128万5000です。平成22年にも人口増加の傾向で、 140万強の数字になるのではないかという推定がなされております。
人口構成を見ますと、全国と同じようなすう勢のもとに少子化の進行、あるいは生産年齢人口の低下。全国と比べて多少遅れてはいるものの高齢化の進行が着実に進んでいるということでございます。世帯数は平成7年時点で54万強です。そのうち単独世帯が40%ぐらいになっています。ご存じのとおり福岡市は支店経済と言われていて、支店が多いです。あるいは九州地区では大学が福岡県内に集中しており、そういう関係で単独世帯が多いという感じになっております。平均世帯数が平成7年で2.36。それが多少減っていくという感じでございます。
ここでは転出入の特徴が触れられております。平成7年は転出のほうが多かったのですが、平成8年からトータルで転入が超過になっております。ただ、福岡都市圏の転出入の様相を見ていると、依然出て行く世帯のほうが多い。そういう状況のようです。
都心部における人口の流出ですが、昭和30年、平成7年で見ますと、数値としては半減していまして、都心部においてはそれで安定したという状況になっております。
住宅のストックとフローの特徴です。住宅の水準は住宅数が世帯数を上回るという数値が出ております。最低居住水準未満住宅が8%。全世帯の 8.1%が最低居住水準になっています。特に借家においてはその率が高くなっているということです。
持ち家と借家率の関係を見ますと、先ほど言いましたようなことで、若年単身者が多いということから借家率が高い。借家率60%ということで、これは大阪に次いで2位の高さになっています。持ち家につきましては35.3%で、13都市中では最も低いという数値になってございます。
あと持ち家と借家の規模格差で申しますと、全体平均で66平米強ですが、持ち家は 106強。借家が43ぐらいということで、倍半分以上の差があるのが特徴的かと思います。
共同住宅の増加がこれまた特徴的です。近年の着工戸数で言いますと、8割以上が共同住宅になっています。平成8年では83%という数値が出ております。ストックで見ましても65%が共同住宅という状況になっております。
分譲マンションは昭和40年代前半から供給が開始されています。住宅・都市整備公団の前身であります日本住宅公団が昭和30年に設立されまして、31年から公団の分譲住宅が先駆けとして供給されたわけでございますが、40年代前半から分譲マンションとしては供給が開始されています。これまでの供給戸数は約12万戸になっています。棟数で申しますと、3000棟という数字が出ております。
昭和48年に最初のピークがございまして、それが今年で25年経過することになっているわけで、いまこれがいろいろな問題含みになっているのは福岡市に限らず、全国の大都市でのことかと思います。
ここが福岡市になります。横軸が移動率、縦軸が借家率になっています。全国的に見ましても移動率、借家率、先ほど大阪に次いで2位と申しましたが、ニアリー・イコールの感じで借家率も高く、移動率も高いということで、これが福岡市の非常に特徴的なものでございます。賃貸住宅が移動世帯の多い都市の中心的居住機能を担っているということでは、これから住都公団が新法人に移って、新しい使命を果たす中で、特に福岡県における意味合いを持つかと思います。
居住環境については高齢者の居住状況、老朽密集住宅の状況、市民の住宅相談の状況等についてご報告がありますが、これははしょらせていただきます。
これが福岡都市圏で、内側の円が3キロ、外側の円が6キロ。福岡市の都心部ということではこういう距離的な押さえがございます。3キロ圏で見ますと公団の賃貸住宅、分譲住宅を赤い点、青い三角形等で表示しています。
同じく3キロ、6キロ圏のところに赤丸でプロットしていますが、これは民営賃貸住宅、公団で民賃と称しているものですが、土地のオーナーさんのうえに公団が住宅を建てて、それをオーナーさんに譲渡して、オーナーさんが賃貸住宅を経営するというものです。今までこういう形で建設されております。
3キロ圏における公団の今までの実績ですが、九州支社としては全体で10万戸、公団全体からいうと1割ぐらいの数値になります。いまお示しした2枚の図面にプロットされておりましたが、3キロ圏においてはトータル1万戸強の住宅戸数の実績がございます。
時間がないので早くしろという催促がございましたので、住宅・都市整備公団の改革につきましては、お手元のレジュメにありますので、それを読んでいただきたいと思います。
住宅建設ということで、住宅を数量的に供給することを使命にしていたものを、新しく都市の中に戻ってくるような形での改革をすべく、現在検討がなされております。来年1月の通常国会あたりに新法案の提案がなされ、来年度には新しく新法人に移るということで、10年度におきましてもその前倒し的な形での事業推進が図られているということでございます。
これは福岡市さんの基本計画の中に表示されていますが、「地域特性に応じた住宅市街地の方向性」ということで書かれております。都心ゾーンということで、赤い丸のところ。中心市街地ゾーンということで、ピンクで三角形に表示されているところがございます。これからの公団の仕事ということでは、福岡市でとらえてみますと、こういうエリアにおいて仕事がなされていきます。都心居住ということで、単に住宅をつくるということではなく、まちに開かれた形での仕事をしていくということで考えられています。
ただ、そのあたりのことは言うはやすしです。今までいろいろな先生方が問題提起、あるいは経緯をお話しなさったように、非常に難しい部分があります。それが今後どうなるかということについては、まさにわれわれは汗をかいていかなければいけない、そのようなことになっております。
これがいまお示ししたのと重なるようなことで、都心部と中心市街地というエリアについて、新しく都市再構築総合整備事業というものを創設して、今後、新法人でやっていくことになっております。
どうもありがとうございました。生田目さんにはいろいろと厳しい制約の中でご登壇いただきまして、ありがとうございました。
福岡市都心部の住宅事情についてご説明いただいた後、公団の九州支社として都心部に1万戸強の供給実績があるということ。それをベースに新公団のもとでも都心にある程度かかわりを持っていくというようなお話だったと思います。
[各論.2]大都市周辺市街地の住宅供給と基盤整備をめぐって |
go to top |
続きまして、各論の2の郊外のほうに移らせていただきます。「住宅・宅地供給手法の多様化と郊外居住スタイル」ということで、飯田さん、お願いいたします。
ご紹介にあずかりました飯田でございます。最初に簡単にお断りをしながら、話に入っていこうかと思います。表題が「住宅・宅地供給手法の多様化と郊外居住スタイル」ということでございますが、中身はこれとちょっと違うことが書いてございます。もうちょっと適切な題名をつけますと、千葉県に松戸市という市があります。そこでの住宅政策と都市計画は何をやってきたかという内容が書いてあります。
そもそもこの協議会には私は第二部の論文編のほうで登場させていただこうかと思っていたのですが、急きょ、前田先生のご都合がつかないということでピンチヒッターで出てきましたので、羊頭狗肉、題名は合わせておいて、中身は第二部と言っていることと全く同じことになると思います。
お聞き苦しいところがあるかもしれません。私自身、松戸市役所で5年間ほど都市行政と住宅行政、ほかの行政もやってきましたので、そのときに感じたことをお話しして、木内さんからいただいた演題に答えていきたいと思います。つまり行政ではこんなことを考えて、住宅政策と都市計画をやった、郊外都市においてはこういうことをやったということをご紹介したいと思います。
最初に結論から申し上げます。松戸というところは東京から大体20キロ圏です。松戸市内、どこに住んでいても、東京まで1時間あれば何とか着ける。かつては郊外部かもしれませんけれど、実質23区の中に入りつつあるようなところです。
かつては郊外部というのは、松戸の歴史をさかのぼりますと、昭和40年代ぐらいになります。そのときは典型的な郊外でありました。現在は人口46万人おりますけれど、その当時はまだ10万人、15万人の状況で、毎年数万人ずつ増えていって46万になった。かつての郊外、昭和40年代から50年代において、住宅政策と都市計画は人口抑制ということで完全に協調していました。連携していたと言ってもいいと思います。
今度は現在でありますけれど、平成の時代に入ってから、私が松戸市役所に来てからは住宅政策と都市計画は連携はしているのですが、目標が変わりました。先ほどの人口抑制という共通目標がなくなってしまいまして、何を目標にしようか。だけど連携しなければいけないということで、何をというのを模索していたような気がします。
何をというのは、いま松戸市役所を辞めてから感じますことは、おそらく人口の定住化あるいはファミリー世帯の導入とか、最近、住宅政策でよく出てくるキャッチフレーズがありますけれど、それを松戸も平成になってからやっていたのではないかという気がいたします。結論を言いますと、そういうことを個別にお話ししたいと思います。
お手元の資料の18ページから19ページにかけては人口急増時代で、時間を昭和40年代に戻します。そのとき都市計画と住宅政策がやってきたことをご紹介したいと思います。昭和40年代に人口が急増しました。東京に住んでいた人、あるいは東京に勤め先があった人が住み場所として松戸という場所を選ばれたのだと思います。先ほど言いましたように東京に行くのに非常に便利です。土地の値段も比較的安い。そのとき松戸市がとった政策は、人口抑制という政策でした。その当時、首都圏の市街地はみんな人口抑制の政策をとったと思います。
人口が増えてうれしいのですが、税収が増えますし、道路整備したりできるのですが、ただその増え方が異常過ぎます。学校をつくるのも大変だし、役所をつくるのも大変です。いま松戸市はファミリー世帯が欲しくてしようがないのですが、その当時はファミリー世帯と呼ばれる世帯が欲しくはないけれども、どんどん来たんです。成長世帯と言うのでしょうか、その世帯の方々がどんどんお見えになりまして、その人たちが求める施設がたくさんありました。
だんなさんが40代、奥さんが40届くぐらい。子供が小学校を上がる前後です。そういう人たちが松戸に来ますと、求めるものは決まっております。学校です。義務教育施設です。保育園、幼稚園。お子さんが小さいですから病院がほしい。だんなさんは通勤をしますので、道を舗装してほしい。バスの通勤を考えてほしい。奥さんたちは商店街、買い物の店がほしい。そんなニーズに対して松戸市は一生懸命にこたえてきた。
一方、人口抑制という旗を掲げながら、入ってくる人たちに対してサービスを提供する。うれしい悲鳴を上げながら、都市計画と住宅政策をやってきたような気がいたします。
事例をいくつか申し上げますと、松戸の場合、都市側は何をしたかと言いますと、基本的には区画整理事業です。もともとは昭和30年代に当時の住宅公団が 100ヘクタール規模の区画整理事業を立て続けに市内で2か所やりました。常磐平と小金原と言います。そこでの区画整理事業には市の職員も手伝いに行きまして、一緒になってやりました。区画整理というのはいい手法であるというので、市の職員は区画整理の勉強を相当しました。地主さんたちも区画整理というのはいい。もともとただの土地が一挙に価値が上がるということで、区画整理に非常に関心を持ちました。
それを受けて松戸市役所の職員、松戸市民は区画整理大好きという職員マインド、あるいは市民マインドと言うのでしょうか、そういうものができあがりました。その結果、市街化区域のほとんどが区画整理事業をやってしまっています。ものすごいエネルギーです。いまだにこの職員が部長さん、課長さんクラスにいます。今現在、区画整理の事業が減っているものですから、この人たちにどうやって次の仕事を用意しようか。この人たちは換地計算も得意です。地元交渉も大得意です。私が行ったときには区画整理ができたのだから、再開発もできるのだろうというので、再開発のほうに職員や市民の意向をシフトさせて行ったのですが、なかなかうまくいきませんでした。それは余談ですが、いずれにしろ区画整理事業に非常に熱心だったということです。
先ほどの大方先生のお話で言いますと、区画整理事業で畑地はつくったわけです。畝とかんがい排水をして、肥料は施したわけです。あとはその上に建つ住宅です。このとき松戸は住宅都市でありましたので、区画整理によって建つものは工場や事務所ではなくて、住宅でした。住宅に関しては人口抑制を都市計画でもろに出します。用途地域で言いますと、その当時の第1種住居専用地域です。区画整理をやりたくないところは調整区域に戻します。逆線引きです。一度用途地域に乗ったところも、戸建ての住宅地にしたいということで容積率を落とします。ダウンゾーニングを昭和53年に人口抑制の旗の下にかなり強烈にやりました。
その結果、松戸市内の市街化区域の用途地域を見ますと、1種住専で建ぺい率50%、容積 100%、これが平均です。区画整理事業をやらなかったところで、市街化区域に入ってしまったところがあります。土地改良事業をやったところです。資料の2で愛知県の豊川市の土地改良事業の話がありましたが、そういうところは松戸にもありました。なぜかある地区だけは土地改良事業をやりたいということで、土地改良事業をやったところがありました。できた道路は 100メーターの?コウシカクの道路に、真ん中に水路が入ったような、田んぼとしてはいい条件ですが、実際はミニ開発のスプロール住宅地になっております。そこに対しても都市計画のほうは思い切り意地悪をやります。建ぺい率40%の容積60ないしは80というものであります。その当時、よくこういう用途地域をかけたなと思いましたが、実際に現場に行っていただきますとわかりますが、容積に関してはほとんど違反だらけです。後ほど申し上げますが、都市マスタープランで悩んでいる最大の悩みの点はこの点であります。過去にいじめたものを、どうやってそういう住宅地と行政は仲直りをしようか、悩んでいるところです。
人口抑制に関しては、区画整理事業をやってほしいところについては、都市計画法の53条制限という区域をかけてしまう方法があります。つまり、ここは将来、区画整理事業をやってくださいということを前提にした区域です。53条の区域を引かれますと、そこでは地下の構造物とか、3階以上の建物は建たなくなります。許可制になります。考えようによっては1種住専をかけるよりも厳しい規制になります。
おかげさまでこの53条区域をかけたところでは、ワンルームマンションの紛争は起きるのですが、マンション紛争は一切起きません。ご存じのように2階建ての規制が効いてくるわけです。これは本来は区画整理をやらせたいために決めた都市計画が、逆に家並みをコントロールする効果のほうが発揮できた。そういう意外な結果が出てきたような気がします。
都市計画側が区画整理事業と厳しめの地域地区、ゾーニングで対応してきたのが高度成長期の時代であります。昭和40年代です。
そのとき同時に住宅政策は何をやったか。先ほどの大方先生の言葉で言うと、雑草を抜いていたというのが正解かもしれません。作物の中でちょっと伸び過ぎたやつは切っておこうというのが、この住宅政策だったと思います。
まず公的住宅は住都公団さんが大分入っておられました。住宅ストックで言いますと、1万4000戸ぐらいです。市内の住宅戸数の7%は公団住宅あるいは松戸市営住宅あるいは県営住宅です。7%が公的住宅になっております。
住宅行政は住宅供給以外のこともやっております。ご存じのように指導要綱です。宅開指導要綱です。これは多分住宅行政と言ってもいいのではないかという気がします。都市計画の地域地区を補完しているという言い方もあるでしょう。
松戸は東京から便利な場所でしたので、民間住宅がどんどん建ちます。民間住宅を抑制する。民間住宅に関して何らかの政策的なコントロールをするということになると、この指導要綱という手が住宅部局が持っていた施策ではないかと思います。
指導要綱の中身は4種類ぐらいあります。18ページの右側に書きました。特徴を言いますと、まず公共が整備する例えば河川の改修などについて、足りない部分、河川改修が追いつかない部分を指導要綱でやってもらいましょうというのがあります。盛土規制とか、雨水をためてください、こういうのを指導要綱に書きます。これは民間の建設業者は守ります。
2番目。集合住宅の建設が典型的ですが、周辺とよく調整してください。地元の方とよく話をしてください。これだけ指導要綱に書いてあります。これが指導要綱の2番目の役割かもしれません。これも業者さんは守ります。
3番目は緑地の保全とか代償です。つまり土地利用規制のうち緑地関係の土地利用規制があまりうまくないわけです。郊外住宅地の場合、緑地を守っていくということに関しては土地利用規制はあまり強くありません。風致地区とか緑地保全地区というのはかなり限られた地域でしかかけられませんので、都市化をコントロールしながら、スプロール化をコントロールしながら緑地を守っていくということになりますと、適当なゾーニングがありません。これを宅開要綱がやっていたのではないかという気がいたします。そういう意味で緑地の保全をやっておりました。
4点目に、最低敷地規模とか最大人口密度を指導要綱で決めてあります。これだけは業者は守りません。ほかの三つは大体守ります。公共財を代わりにつくってくれというようなものですので、これは大体やってくれます。行政側もかなり強く言えます。ところがこの4番目の要綱、例えば敷地面積 150平米以上というような要綱です。住宅の水準、住戸内の水準を何か担保したいという目標を持ってこの指導要綱はつくられていると思いますが、これはなかなか守られません。規範力が弱いような気がいたします。そういう意味では住宅政策で指導要綱は入っていったと言いましたけれど、結論から言いますと公共財の補強というのでしょうか、公が整備する公共財に対する補完的役割を宅開要綱はやったかもしれませんが、住宅の中、敷地あるいは住宅の経済的な負担に関しては指導要綱はやられなかったような気がいたします。宅地開発指導要綱、ラブホテル何とか要綱とか、いろいろな要綱をつくりましたが、要綱ではどうしても敷地の中までは踏み込めなかったという気がします。
その結果、現在、松戸市は16万の世帯がありますけれど、持ち家と借家が50対50です。先ほどの福岡が借家は多くて、7・3ぐらいの比でしたが、松戸は大体五分五分です。できあがった市街地の持ち家と借家は5割と5割です。
持ち家の大体のものは住宅金融公庫の融資をつけていると思いますので、公的資金が入っています。つまり郵便貯金とか何かのお金が入っている。あるいは年金が積み立てたお金が入っていると思っていいのではないか。残りの借家の5割を分類しますと、公団関係で7%から8%。給与住宅が、これが多くて8%です。
給与住宅というのは会社の社宅です。先ほど言いました区画整理事業をやりますと、区画整理事業をやる組合は何を一番心配するか。区画整理した土地が売れるかというのが最大の心配です。あの当時、人口が急増していましたので、黙っていても売れるはずでしたが、確実に売りたい。早く売りたい。早く売るとき、だれが一番買ってくれるかというと、昭和40年代はマンション業者よりも会社です。一流企業です。一流企業が区画整理の土地を買いまして、社宅を建てるわけです。これが区画整理組合から見ますと、非常に有効なお客さんです。その意味で給与住宅というのが割合として比較的大きかったような気がいたします。
考えてみますと、給与住宅というのは企業の社員の給与の一部が何とか共済組合とか、そういう形で入ってきますので、これも公的資金と言えるかどうか。本来、自分の給料になっていたのかもしれませんが、いずれにしろ社宅というものが松戸の住宅の居住水準を高めているかと思います。人口急増のときに多数派を占めたファミリー世帯が入るぴったりの答えが社宅でした。
残っているのが民間の34%です。この34%については、公的な介入はあまりなかったような気がします。先ほど言いましたように敷地の外、道路、公園、学校とか住宅周りの環境資本という意味では行政は介入したと思いますが、民営住宅に関して敷地の中、あるいは家の中にまで関与していなかったというのが高度成長期の状況です。以上が高度成長期における郊外市街地の状況です。
さてバブル崩壊以降です。私が松戸市役所に来てからやった仕事を皆さん方にご紹介します。簡単に4点ほど申し上げます。平成に入りますと、国全体から見ますと、松戸はもう一度首都圏の住宅の受け皿になってくれ、そういう要望がまいりました。大都市法ができて、重点整備地域に松戸市がまた指定されます。正直言いまして、松戸はもう住宅地がない。これ以上提供できないというのが本音でした。首都圏のために住宅地を提供するのは、昭和40年代に十分やりましたということです。大都市法の指定がかかったとき、私どもは正直言いまして非常に重荷でした。
しかし、首都圏の受け皿というのを受けなければいけないというのもありましたし、同時に松戸市の地域の事情があったと思います。人口急増期に入居した人たちのだんなさんは60とか、定年を迎えているはずです。借家で入って来た人たちが出ています。住宅双六の上がりへ行くステップの途中で松戸市という場所を選ばれている方たちがおりますので、ファミリー世帯と思っていた人たち、40年代に入って来た人が転出を始めた時代がこの平成の時代です。
いま申し上げた地域の事情を考えて、松戸は住宅政策をつくり替えなければいけないのではないかという状況がありました。したがいまして、首都圏の受け皿を一部引き受けながらも、松戸の固有の住宅政策を打ち出していこうという悪戦苦闘の内容がこれから申し上げる4点です。
第1点目は区画整理事業ですが、規模が小さくなったのと、バブル崩壊で土地の値段が上がらなくなりましたので、事業計画を相当見直したり、縮小している状況があります。
生産緑地の見直しもこの時代にありました。これは世代交代あるいは世帯分離の受け皿として宅地化農地を使えないかということをかなり意識しております。
新用途地域については、基本的に変えませんでした。ほとんど現況の用途を残していくというものです。
中心市街地への住宅供給に関しては、特優賃とか総合設計という制度を少し使ってやっていこうと考えました。市営住宅制度は公営住宅制度の改正がございました。これにより市の収入がガタッと減りました。家賃収入が6割ぐらいに減りました。言い方を変えますと、松戸市役所は入居者の方から家賃を取り過ぎていたのかもしれませんが、下がりましたのでかなり福祉的な性格が強くなってしまいました。そういう意味で市営住宅よりも、もうちょっと上の階層のためにということで、特優賃とかいろいろな政策を生産緑地とからめながら掲げてまいりました。
時間がまいりましたので、あとの話は後ほどにさせていただこうと思います。
どうもありがとうございました。タイトルの訂正ということで、千葉県松戸市の住宅政策と都市計画ということです。行政の現場で何をやってきたか。人口急増期が指導要綱が住宅政策の手段として働いていたけれど、敷地内には踏み込めなかった。バブル期には住宅供給の要請があったけれど、かなり重荷であったというようなことをお話しいただいたと思います。
最後になりますが、郊外の各論の2ということで、「土地区画整理と宅地供給の関係からみた都市計画と住宅政策」、波多野さんにお願いいたします。
報告させていただきます。私に与えられた課題は市街地整備という都市計画の課題、目的から住宅政策との関係を問題提起せよということだったと思います。資料の冒頭にも書きましたように、私はこの間、土地区画整理を中心としていろいろな発言をしてきました。今日も土地区画整理を題材にして、都市計画の目的と住宅政策との関係をお話しさせていただきたいと思います。
ただ、この場合住宅政策と言いながらも、私自身は住宅政策の領域とか課題を十分承知しているわけではございませんので、ここでは宅地供給という側面で関連づけて話をさせていただきます。そういう面では問題を狭めすぎているというご批判があると思いますが、よろしくお願いいたします。
先ほど飯田さんのほうから松戸市の区画整理の話がありましたので、区画整理を題材にして話をすることが論点になってきて、かみ合うのではないかと思っております。
時間が限られていますので、資料に書きました趣旨についてお話をさせていただきます。短い期間であわてて論点を展開しましたので、ちょっとわかりにくいところがあるかと思いますが、ご説明するところで補足した形でご理解いただければありがたいと思います。
私の問題提起の前提の一つは、郊外地での新市街地の形成は、小規模で個別的に土地を所有している農家の農地転用によって始まる。ですから、個別の農地転用が時間的に経過しながら市街地が形成されていくという、日本の特徴と言っていいかと思いますが、都市化の特徴があると思います。それを計画化するという点での問題提起が前提でございます。
第2番目は、先ほど言いましたように、都市計画の個別的計画手法であります土地区画整理について、その手法的改善とか手法的にこういうところに問題があるという私の見解を述べさせていただいて、都市計画と住宅政策の連携という問題に関連できるかと思っております。
郊外地で新たに住宅あるいは宅地が供給され、次第に市街地が形成されて進むというのは、農家に何らかの事情があって農地利用をやめる。あるいは何らかの換金する事情が発生することによって、その土地を売却する。あるいは自ら農地を宅地として利用するという形で、農地の転用が始まって市街化が進むというふうになると思います。
住宅・都市整備公団あるいは民間のデベロッパーが宅地開発を目的として買収に入るという機会を除いては、基本的にはこういう形で市街化が進んでいると思います。本来、農家にとっては生業的な土地所有と土地利用ですが、土地を持っていることがあたかもすべての価値の源泉であるような土地神話の状況の中では、農家の土地転用が無秩序な不動産市場に巻き込まれることは余儀ないことだと思っています。その結果が郊外地でのスプロールを生み出しています。
その郊外地のスプロールをどうするかということで、1968年の現在の都市計画法で区域区分制度がつくられたことは、改めて言うまでもなく皆さんご存じのことと思います。この線引き制度に伴って土地区画整理事業の都市計画的な役割が明確にされたと思っています。その辺のところが、資料の2(1)にあります「先行的市街地基盤整備の役割」というタイトルで書いたところです。その点を展開したつもりです。
土地区画整理の役割というのは、個別的な農家の土地利用、土地所有とそれに伴うスプロール的な土地利用を共同化するということだと思っています。あとの議論の展開にもなると思いますが、蛇足ですが私は都市計画のキーワードは、土地利用の社会的規制と共同という概念だと思っています。もちろんこの共同というのは強制的に共同化するということを意味するのではなくて、ある種の民主的な手続きなり、合意に伴って土地利用・土地所有を共同化するということが都市計画の一つの大切なキーワードだと思っています。こういう点から土地区画整理事業を評価する、あるいは見直していくというのが私の立場でございます。
土地区画整理によって行われていく農家の土地所有、土地利用の共同化については、いくつかの問題点があるだろうと思っています。一つは、土地区画整理の農家に与えるインパクトは他の事業手法に比べれば多分小さいと思います。減歩による地積面積の減少とか、農地としての表土の消失、あるいは水利などの破壊といった物理的な影響が区画整理によってもたらされますし、それ以外にも社会的・経済的な影響が与えられるということです。ですから、土地区画整理への合意がなかなか難しいというのが一つあるかと思います。
第2点は、土地区画整理は一定の公共施設の整備と土地の区画形質の変更という言い方をしています。宅地としての区画形質に変えていく役割をするわけですが、実際、区画整理はそこまででとどまっていまして、それ以後の住宅宅地供給にその土地を結びつけていくところは区画整理の範囲に入っていないわけです。ですから、区画整理後の土地利用については建築規制の範囲で自由にできるわけです。
その結果、区画整理後に行われる土地利用について、その特徴として私は市街化の遅れとずれという表現を使っております。ずれというのは、区画整理は基本的に一戸建て住宅地を想定して街区設計し、区画形質を整えていくわけですが、実際にそこでビルトアップしていく住宅の形成は必ずしも一戸建てだけではないわけです。そういう意味では計画とのずれが必然的に起こります。
先ほど言いましたように、農家の土地所有は変わらないわけですから、農家の土地所有を離れてと言いますか、あるいは農家自身がその土地を建築敷地として使うというのは、農家の私的な意向に任されているわけです。区画整理が終わっても、なかなか宅地供給に結びつかない。これを遅れと表現しています。30年ぐらいたっても、区画整理地区のまだ30%ぐらいしか宅地開発していないという実態が起こるわけです。
その辺のことは資料の(2)で書いております。この二つとも区画整理を宅地開発と同列に論じることから起こる問題だと考えています。区画整理は戦前からの耕地整理法を準用した、組合施行を中心として農地を宅地化するというところにルーツがあることは間違いないわけです。今日のように土地区画整理事業を通して、道路などの公共施設を整備していく、実現していくという性格が強調されるのは、次のページの3(1)に書きましたが、戦前の名古屋を中心とした区画整理のさまざまな研究が行われておりますが、土地区画整理は都市計画の母というのが、その当時標語としてうたわれておりました。土地区画整理でやれば収用によらないで都市基盤整備ができる。土地区画整理が宅地開発と整合すれば、土地所有者は土地区画整理に同意するだろう。多分、こういうようなことを言ったのだろうと思います。こういう形で都市計画を実現する手段として区画整理と宅地開発という事業がドッキングしてきたと考えています。
戦後になりますと、戦前の耕地整理法を準用した土地区画整理が土地区画整理法という単独法になることによってさらに促進されます。その中で区画形質の変更に加えて、公共施設の新設・変更という目的が加わるようになったというのも、多分そういった経過に由来しているのではないかと思います。
土地区画整理事業が都市計画を実現する目的に重きを置かれるという過程を通して、土地区画整理の宅地開発という、土地所有者の共同意思を超えて区画整理が施行される。あるいは宅地開発の農家の宅地への転用という意向の如何にかかわらず区画整理が実施されるという事態が生まれてきているのではないかと思っています。この辺の経緯を3(1)のところで述べさせていただいております。
結局、宅地開発事業として土地区画整理が成立することが都市計画を実現することだという環境を重視していけば、この間、建設省で中心的に進められてきました区画整理に対するる諸施策というのは、まさに宅地開発事業の側面を強化するということで、いろいろな政策がつくられてきたということが(2)に書いてございます。
一つは公団施行をはじめ、先買い型の宅地開発を直接的な目的とした区画整理の創設とか、あるいは参加組合員制度とか、業務代行方式のように宅地開発事業として組合を強化するために支援する開発業者、ノウハウを持った人たちを組み込んでいくという形で強化する方向が打ち出されています。
それから、土地区画整理が終わった後の住宅宅地供給を促進するために、農家を中心とした土地所有者の土地活用を支援するためのいろいろなメニューが整備されて、そのことを区画整理事業地区に使うことによって宅地化を供給するということが期待されるという事態が今日まで続いてきていると思っています。
4番に書きましたのは、そういう論理で区画整理が成立しているというのは少し問題があるのではないかということを述べさせていただいています。一つは、埼玉大学の岩見良太郎さんが『土地区画整理の研究』という優れた研究をされていますが、その中でも土地区画整理事業というのは宅地開発の一つの特殊形態である。その特殊形態であることの理由は、複数の土地所有者による共同開発が一般的な宅地開発と区別する根本的な特徴である。こういう言い方をしています。宅地を造成して、それを市場に提供して利潤を得るという宅地開発の事業形態と区画整理の違うところは、そこであると彼は述べているわけです。
しかし、先ほど言いましたように郊外地で農地を対象として行われる区画整理は、事業によって地価が上昇する。並びに宅地化された土地に対する宅地需要が確実に存在していることが前提になって初めて成り立っている事業だと思っています。現実に地価がずっと上昇する中では、土地所有者は区画整理事業のいつの時点で土地を手放し、あるいは土地を利用しても地価の上昇の利益を手に入れることはできたわけですが、この利益を手に入れられるという状況がある限りは、区画整理の減歩負担の問題も基本的には解消されてしまうわけです。しかし、先ほども少し議論がありましたが、ポストバブル以降、宅地開発事業の宅地需要の状況はかなり違ってきているわけですから、現実には区画整理事業をやっても保留地処分の見通しがなかなか立たないという状況が生まれてきているわけです。これは宅地開発事業としての危うさと言いますか、土地区画整理事業の宅地開発事業としての危うさを顕在化しているのではないかと思っています。
これらのことから、ではどういうことを考えているか述べさせていただいていますのが、25ページの4(2)からのところです。何度も申し上げていますように、新市街地形成の計画化という都市計画の課題に対応する計画手法としては、個別的に分散的に発生する農地転用を共同化する、あるいはそのことによってある種の社会的コントロールをする手法としては、区画整理は有効な手法には間違いないわけですが、共同化の論理を宅地開発事業の論理だけではうまくいかないのではないかということを縷々申し上げさせていただいたわけです。
都市計画の目的と宅地供給という目的、この二つの目的が中途半端にドッキングしているのが土地区画整理だ、こういう言い方をそこではしています。もちろん土地区画整理手法がすべてこの論理でいくことは間違いだと私は言っているつもりは全くありません。換地という技法を共通項にした多様な事業手法があっていいわけですし、現在多様な手法があります。地域的な条件の中で柔軟に使われることが必要だと思っていますし、土地区画整理の特徴はそこにあるだろうと思っています。ただ、これをもう少し整理して、二つぐらいの方向性を考えてみていいのではないかと述べてございます。
一つは、前に二段階的区画整理を提案しているわけで、そのときも念頭にあった一つの型ですが、公共側が市街地基盤整備だけを目的にやる事業、要するに区画整理の宅地供給、宅地開発の目的の側面を当面排除した形で、いわば都市計画の目的に従って事業費を公共負担する。これをやれば土地の地価上昇を少なく抑えることができます。骨格的な整備をした中で、土地所有者が持っている土地利用を宅地需給関係にどのようにうまく供給させていくかという課題が結びついてくるだろうと思っています。
これは区画整理事業の宅地開発事業という側面を極力排除することによって、むしろ区画整理を進めることができるのではないだろうかという提案です。これは現在、水膨れのように指定しています市街化区域内で、基盤整備ができないところの区画整理をこういった論理でやればできるのではないかということで、埼玉県で一度議論して、実施しようとしたことがありましたが実現しておりません。しかし、考え方としてはこういうのがあるだろうと思っています。
2番目はコーポラティブ方式と書きましたが、区画整理の基本的な一つの性格としての宅地開発事業をもう少しきちんと評価して、最終需要者まで含めて開発することを考えてみてはどうだろう。土地所有者と需要者である、そこに新しく住宅を求める、住民となる人が共同して区画整理事業をやる。その共同の中では今の区画整理事業でできなかったことがかなりできるだろう。街区設計にしても、今のように一戸建て住宅を想定しなくても、共同住宅を想定した区画整理ができてもいいではないか。また土地の価格についても、収益還元方式と言いますか、その土地が具体的にどういう価値を生むかということを前提にして、地価を形成するということも論理的には可能だろうと思います。むしろ開発事業としてきちんとやるとすれば、こういう方式があるだろう。
こうした方式の活用場面があるとすれば、大都市地域の市街化区域の外にある、あるいは市街化区域の中でもいいと思いますが、集落地区を中心として、その周辺に集落的な環境と共に生活する人々がうまく居住するというスタイルというのがあるのではないかということを頭に描いています。このことは茨城県で議論していますが、もちろん実現された方法ではありません。
要するに、土地区画整理事業では個別農家の土地所有と土地利用を共同化することが目的であるわけですが、それには限界があります。農家の土地利用、土地所有を最終的に住宅供給に転化する課題として、住宅政策とどういうふうに連携していくか考えていく必要があるのではないかというのが論旨です。
その論旨に従って、こんなことを考えたほうがいいのではないかと、思いつくまま最後に3点ばかり書いてありますが、あまりうまく内容を説明しておりません。一つは土地所有者の住宅・宅地供給とは一体どういうことで可能なのか、私自身ももう少しちゃんと勉強したいということがあります。
それから、区画整理は戸建て住宅需要という前提で街区設計し、市街地の姿を描いてきているわけですが、都市住民の住居観が今後も一戸建て住宅指向なのかどうか。共同化とかそういうことも含めて住宅像、市街地像を描くことができるのではないか。
その場合に、今までのように区画整理で一戸建て住宅を想定して、区画道路まできっちりつくってしまうことはむしろ弊害になるのではないかということが念頭にありまして、2番目に書いてあります。
3番目は、二段階目と言いますか、区画整理が終わった後、土地利用を誘導するための建築規制とか建築誘導の仕方について、一体何が欠けているのか。先ほど大方先生のほうからありましたが、今の用途地域では住宅水準はコントロールできていないわけです。そういったことができるのかどうかということも少し考える必要があるだろうということで、項目として挙げております。
私の報告で展開しようとした趣旨は以上のような点でございます。後ほどの討論でご批判いただければありがたいと思います。以上で終わらせていただきます。
ありがとうございました。宅地供給との関係から見た土地区画整理の今後の方向ということで、2点ご提案いただきました。
中間まとめ |
go to top |
これで6人のパネリストの方の発表を終えました。休憩時間の後、討論に移るわけですが、討論と皆さんにお寄せいただく質問、あるいは意見の下敷きとしまして、ここで副司会の佐藤さんに中間まとめということで、10分ほどまとめていただきます。
中間まとめを行います。私どもは関東支部の住宅問題専門研究委員会で都市計画・住宅政策の連携ということを議論してきておりますが、その両者の共通の認識がなかなか取れないというのが今までの研究委員会の議論の私の感想になっております。そういった意味で、本日のまとめにつきましては、住宅側の視点でまとめさせていただいて、後半の議論でそのあたりをフォローしていただければと思っております。
そもそも都市問題を解決するということで都市計画と住宅政策が生まれてきた。主に都市のフィジカルな面を重視してきたのが都市計画です。一方、居住世帯に着目してきたのが住宅政策て、そういう大きな区分けがあるのかなという感じがしております。
特に歴史的に見て両者のかかわりが大きかったのは、先ほど何人かの方からお話がありましたけれど、高度経済成長時期に大都市に集中する人口をどうクリアしていこうかというところでの連動です。抑制という形で連携したというお話もありましたが、そういった形で主に郊外部で新しい住宅地をつくっていく。新規供給という局面で連動のようなものが見られてきたということです。
具体的には、都市計画側は個々の開発を規制したり、あるいはまとまった団地の開発を促進するということでしたが、大方先生のお話のように町全体への波及がありませんでした。一方、住宅側は公共住宅の団地を供給していくという面で対応しておりました。いずれにしましても人口・世帯の増加という、実際の需要に基づいてお互いが対応していった結果が連動であったという関係になるだろう。
その間、都市計画側では都市計画法という理念を持つ法をつくってきたのに対し、住宅側は住居法というものができずに、住宅建設法という形で公共投資に着目したという経緯がございます。
こういった時期を経ながら、バブル期におきましては、特に都心において業務機能とのバッティングという形で住機能が確保できなくなった。これは都市計画側の方々もいくつか反省点を申しておりますが、住宅を維持・確保していくような視点が、都市計画の中に少なかったのではないかということ。
また、郊外におきましては市街化農地の宅地化を推進していったわけです。先ほど松戸市の話にもありましたように、従来の郊外住宅地には実はそこに住んでいる人たちの別の需要が発生していたという形で、郊外住宅地も高度経済成長時期とは違う局面を迎えていたということがあります。
バブルがはじけた後、さまざまな反省のもとに地価を高騰させない仕組みが生まれてきました。例えば都心では住機能を確保するための制度とか、あるいは郊外では通勤1時間圏内での住宅供給であるとか、そういったことを中心に都市計画と住宅政策の間に連携が生まれてきました。
特筆すべきものといたしましては、大都市法に基づく住宅・住宅地供給計画を都市計画の整備・開発・保全の方針のほうに位置づけていくというようなこと。それから、住居系の用途地域を細分化しながら、都市計画においてきめ細かく住宅市街地をコントロールしようというような動きが出たこと。また、都心を中心に居住機能を誘導する地区計画制度ができたことなどがございます。また、住宅サイドから見てみますと、民間の力を活用した賃貸住宅制度がこの間、かなり拡充されました。
そういったことから、今まで公的な直接供給にシフトしていたものが、まちづくりの中で公的な住宅を、例えば特優賃のようなものを供給することができるという手法を確保していきました。
また、東京都の都心区を中心に、都市問題の解決という目的で、先ほどありましたような中高層階の住居専用地域に対応する形で住宅付置義務制度であるとか、家賃補助制度といったものが独自に生まれてきております。
さらに鈴木先生のお話にありましたような地方分権化という潮流の中で、都市マスタープランの策定。さらに市町村マスタープランの策定という動きが続いてきているというのが今日の状況ではないかと思われます。
こういった背景の中で両者の共通の課題と言いますのは、おそらく地域社会の再生というところに来るだろう。既存の市街地をどう整備していくかといったところで、両者の連携が生まれてくるのではないか。ただ、このあたりにも若干ずれが見られるということが本日のお話でございました。
鈴木先生のほうからはコミュニティ、地域社会という問題に対応した連携がいるのではないかというお話がありました。都市計画側としましては、むしろ住環境整備のような、まちづくりの中でというようなお話がございました。そのあたりの連携の課題というものがあるという認識をしております。
次に総論レベルでいくつか見てまいりますと、今回の趣旨になっております住宅政策・都市計画のずれをどういうふうに見るかということです。この辺につきましては、最後、浅見先生からまとめがあるということです。そもそも住宅政策の目標が、今のところ住生活の質の向上ということで、住み手の生活を中心として福祉であるとか、産業であるとか、さまざまな広い領域と接点を持っています。その一部分の空間計画という領域で都市計画とかかわってくる部分があるだろう。
ただし、住宅政策は階層性を重視します。個別の世帯特性に着目する。あるいは地域の状況であるとか、都市計画の関係はあまり強くなくて、即地的な、その地域に応じた政策展開が不足している。
あるいは公営住宅建設に代表されるようなものが自治体の住宅政策の中心になっているという点の反省。また、民間の住宅については、空間形成をしていくというような観点での政策誘導がなされていないということがあるかと思います。
一方、都市計画のほうを見てみますと、都市計画の目標はよい都市をつくる。都市の良好な発展を促すということになっております。その「よい」という考え方が研究者によってさまざまだろう。都市の健全な発展と秩序ある整備を目指す中の土地利用の一つが住宅というような位置づけになってくるのかなということで、それぞれの目標の違いが大きなところでもあるのかなというところです。
ただ、鈴木先生のほうからコメントがありましたように、住宅問題は都市の問題から生まれているというようなことがありますので、両者の連携で共通の目標を描くこともできるのではないかという感じがしております。
もう1点、総論レベルで言えることは、皆さんのお話でほぼ共通するのは、基礎自治体レベルで連携を図っていくべきではないかということです。地方分権という大きな流れの中で、少なくとも基礎自治体の中で住宅と都市のずれをなくす努力が必要になってくるだろう。そのあたりは鈴木先生から、都市のあるべき姿を合意形成しておかなければいけないというようなお話がありました。
そういったことが前提となりながら、基礎自治体の中での連携がおそらく進んでいくのではないかというような感じがいたします。
次に各論レベルを少しブレークダウンしながら、議論の論点を整理していきたいと思います。いまお話がありました、さまざまな立場の方のお話を網羅するのは非常に難しいわけですが、われわれなりに認識しているものを若干整理させていただきます。
一つは、住宅市場を考慮した連携のあり方とは一体どういうものだろう。これは住宅側から見た場合の視点ということになるかもしれませんが、既成市街地を再整備していくという状況の中で、都市計画によるさまざまな規制、誘導方策がどのように住宅市場に切り込むことができるだろう。あるいはまたできてきたかということが論点として考えられます。
人口・世帯が急増している状況においては、そのあたりはうまくいっていたかもしれませんが、それから住宅の需要を自らつくり上げなければ連携ができないということ。特に市場が動かなければ、実際の建設なり更新なりといった行動は起こされないということから、住宅市場をどうとらえていくかというあたりが、主に住宅側から都市計画に対する疑問点になっております。
例えば、市場の原理を活用していくという意味からいくと、郊外で住宅・宅地をたくさんつくる。それによって価格・家賃が低減されて、住宅問題の解決につながるという方法もあります。
また、市場の原理に反するようなものとしましては、都心居住を推進していく方策というのが、例えば住宅付置義務制度あるいは中高層階住居専用地域のように、箱としての住宅を提供しながら、実際はオフィスに転用されてしまう。そのあたりは実は住宅の市場性をあまり考慮していない結果ではないかと若干思ったりもしています。
郊外について見ると、先ほどの飯田さんのお話にもありましたけれど、広域的な大量な需要から、市内の居住者を対象としたきめ細かな需要に変化してきている。そういったものに都市計画がどう対応していくか。また、宅地需要の減退の中で、土地区画整理事業がこれからどうなっていくかというような地方都市の問題。このような問題指摘もございました。
そういったような市場との関係を都市計画側あるいは住宅政策側がどう考えるかということが、一つの論点としてあるかと思います。
二つ目の論点といたしましては、これはむしろ都市計画側からという形になるかもしれませんが、空間づくりにおける連携のあり方というところが問題になるかと思います。これは住み手の視点を強化した都市計画の詳細化という方向で連携をしていく場合の、具体的な方向性はどういうものだろうか。個々の住宅所有者が自らの判断で建設あるいは更新という活動を行っていく。それを都市計画の詳細化という中で、どう実現性を担保していくか。地区計画の問題等ございますけれど、そういった個々の住宅のまちづくりへの誘導という方策を考えていく。あるいは、この部分は建築行政との連携ということになるかもしれませんが、そういった個々の住宅の誘導という問題があるかと思います。
3点目としましては、それでは住宅計画のほうはどうなるのかということになります。住宅計画を即地的に展開していく。例えば住宅計画の空間化という方向がございます。住宅政策を即地的に、ある地域に適用されるような形で展開していく、その論拠をどこに置くか。特に従来の住宅政策になりますと、特定地区に限定した施策であるとか、重点的に展開するということを市民に示していく方法がない。住環境整備事業という形になれば、そこでの重点的なことはできるわけですが、一般的な住宅市街地において、この類型だから、こういう施策という仕分けがなかなかできない。その裏には公平性の原則というものが流れていて、なかなかそこを突破する切り口がないというようなことが実態としてあるのではないか。そのあたりをどう考えていくかということです。
都市計画のほうにはある程度公権力を使える。法に基づく規制なり、コントロールができるわけですが、住宅政策にはそういった規制をするという要素がほとんどない。誘導という形でコントロールするという特徴がございます。そのあたりの関係がまだしっくりこないのではないかという感じがしております。
また、山口さんのほうから提案がありました住宅詳細計画。ある一定のまちづくりを行っている地域で、住宅と市街地整備の両方合わせていこうではないかというお話がございました。そういったものを具体的に展開する方法とは、どういうものだろうか。特に調査データが不足しているというのは、実感しているところでございます。そういったものの考え方、今後の展開といったことも考えていかなければいけない。住宅計画の空間化という面での課題になるかと思います。
最後に計画手法、事業手法の具体的な側面での連携のあり方という点について見てまいりますと、一つは基礎自治体が中心となった取り組みとして、住宅マスタープランと都市計画マスタープランの連携ということがございます。
この場合の住宅マスタープランと言いますのは、大都市法に基づく住宅・宅地供給計画と、公営住宅の関連制度としてある住宅マスタープランでは、かなり位置づけが違っています。基礎自治体の取り組みの姿勢の中でその違いが出てきているのではないか。東京23区のような即地的な住宅マスタープランというのは、やはり大都市法の重点供給地域というのがあって、かなり進んできているのではないかという感じがしました。
そういった形で違いがあるわけですが、制度的に市町村の住宅マスタープランが都市計画のほうにリンクされていないという問題がどうなるか。行政内での位置づけ。上位計画として都市計画を受けて、住宅マスターをつくるというような実態もございますので、それをフィードバックしていくような仕組みづくりが重要かと思われます。
次に具体の事業の面で見てまいりますと、都心部においての今後のまちづくりの方向です。公団のほうで新しく居住環境整備事業という形で、都心居住に乗り込んでいくということがございました。これが先ほどの大方先生にありました、団地をまちにしていくとか、まちに向かって開いていくというようなことが可能になるかどうか。そういう形で団地整備を公団が行っていくことができるかどうか。また、即地的な住宅計画がそれによって生まれるかどうか。
福岡市においては現在も都心地域で公団住宅の供給がなされているということですが、今後さらにその展開に向けて、地元自治体との連携等が出てくるだろう。そういった地域との連携が課題になるだろう。
郊外部について見てまいりますと、先ほど土地区画整理事業についてのお話がございましたが、さまざまな社会条件の変化、人口であるとか世帯、経済状況の変化の中で、郊外の住宅地整備をどのように考えていくか。提案としては市街地基盤整備と宅地開発事業を分離して考えてみてはどうかということがございます。
一方でユーザーが参加しながら、宅地開発をしながら、基盤も整備していくという考え方もあります。今後の郊外住宅地の住宅地供給のあり方といったことも大きな論点になるかと思われます。
以上が私なりに感じた本日の議論のまとめになっております。
ありがとうございました。今後の議論の方向として、4点ほど論点をご提示いただきました。
これから休憩に入った後、議論と討議に移りたいと思います。その議論、討議はいま挙げていただいた四つの論点を中心に進めていきたいと思います。
休憩の時間にできれば皆様から、議論したい点、質問などお寄せいただきたいと思います。紙が後ろにあると思います。これを出していただきたいと思います。
四つの論点を繰り返しますと、市場を考慮した連携のあり方。空間づくりにおける連携のあり方。住宅政策の即地的展開。新たな計画手法、事業手法のあり方。この4点に沿うような形で、なるべく多くの方から質問、あるいは議論していただきたい点などご提示いただけたら、ありがたいと思います。またパネリストからもお互いに言っていることで、お願いいたします。
3時45分まで休憩とさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
質疑・討論 |
go to top |
休憩の時間の間に4点ほど質問用紙をいただきました。そのほかパネリスト同士でいくつか質問があるようです。適宜お願いしたいと思います。
では、これで進めさせていただきたいと思います。
まず初めにAさんから総論にかかわる部分で意見をいただきました。
3点ほどあります。1点は、フローからストックに変えるための認識の問題です。
フロー主義になっているというところですが、これは実は政府が居住ということに対して、何ら保証していないところに始まっているのではないかと思います。自分の稼ぎで家を買って、そして居住水準を上げていくという仕組みになっておりますから、そのときそのときの稼ぎの最大を市場はターゲットにして供給いたします。そうなると、経済的に上に上がっていきますと、ではその次のやつというふうに出してくるわけです。いつも次を出せる体制で市場が出てきます。
そうではなくて、最初から人間の居住としてはこういう水準が適当です。例えば建設省の居住水準があります。それに見合うようなものをきちっと供給する。それ以下のものは供給させない。そういうふうにするとフローからストックのほうにかなり変わっていくのではないか。払えない部分を政府がきちっと保証する。そういう仕組みがまず大事だろうと思います。それについて、どう考えられるか、お伺いしたいということです。
2点目は、コミュニティとか地域の問題と、都市計画にもかかわりますが、話の中にも高度経済成長期に人口の受け皿として、母都市に対する人口の受け皿ですけれど、住宅団地がつくられてきたというお話がありました。イギリスでは住宅と仕事の場も含めて、人の生活を一つの単位として考えていたと思います。日本の場合にはそういうものは全くなくて、住宅あるいは人の生活、暮らしというものがどういうふうになっているかを考えずに、無理やり押しつけられたものを処理したということであって、人の生活はどうあるべきかということが、忘れられていたのではないかと思います。
その端的な問題が最近の少年の犯罪にもかかわっていそうな気がいたします。居住する圏域以外のところに働きに行ったり、仕事に行かなければならないということで、顔見知りの人がいそうな範囲外でいろいろやっているわけです。いろいろ行き来がありまして、結果として、昼間、そこにいる大人と子供はあまり関係がない。そして、夜になると、また戻ってくるわけです。そういう生活では地域的なコミュニティというのは、つくれるはずがないのではないか。
先ほど小規模な都市計画みたいなお話がありましたが、そうではなくて、もっと大規模な視点からの問題、産業の問題、教育の問題、そういうものをひっくるめて考えないといけないのではないか。小さなところで、住宅の形がどうだとか、ここにこんな公共施設があったらどうだという議論をしていれば、また同じことが起こってしまうのではないかと思います。そのあたりのことを考えたほうがいいのではないかということです。
最後に挙げましたのは、ここの課題で都市計画と住宅政策にずれがあるというお話です。基本的な考え方としては、どちらも健康で文化的な生活をするために、それを目的としてやっているわけです。目的が違うのではなくて、手段、方法が違うのではないか。そこにずれがあること自体が問題ではないかという課題の提起です。以上、3点です。
ご指摘のとおりだと思います。連携という場合、いまたまたま都市計画と住宅政策の連携をしているわけで、都市のあり方とか社会のあり方を考えたら、もっと広範な人々の、もっと広範な専門分野の連携がもっと重要になっているわけです。
たまたまわれわれは建築学の分野で、住宅問題と都市政策の方々がやっているわけです。福祉とか医療、文化、教育の連携こそが、いま都市のあり方にかかわって求められている。そういうふうに考えると、いま言われたような話も多分コミュニティの問題とか、あるいは人々の豊かな暮らし、方法論の違う人たちが連携するという意味では、非常に重要なご指摘だったと思います。
フロー主義の話は、先ほど大方先生のほうから、例えばコ・ハウジングの話がされました。そういう単体のプロジェクトの中に日本の事業の仕組みが、例えば私は先ほど福島の例をお話ししました。30年ないし40年ぐらいで個別の動きが、挙動が1周期で、ある程度動いていくとすれば、その周期でものを考えるという考え方が必要ではないかと思います。
これまでの都市政策、住宅政策は事業主義ですので、これを3年とか5年とか、場合によっては単年度でこなしていこう。そういう中に例えばコ・ハウジングなどのいろいろなプロジェクトが全部集約していきます。そのときの計画者の希望などが、どうしてもその中に盛り込まれてしまう。コ・ハウジングというのがあるコミュニティの中で、ここに必要だということと、このことが次の地域の中ではどういうようなところに別の動きが出てくるか。
そのような読み込み方をしていくと、もうちょっと違ったコ・ハウジングと別のもの。あるいはもうちょっと別の機能のものが地域の中に輩出される。こういうことになっていくわけで、一時期はやりましたコミュニティ・カルテみたいなものと住宅政策をどう連携させるかというのが、いままさに必要になってきているのかなと思います。
今のご意見に対するコメントは以上です。
これでご質問にお答えしたような格好ですが、私からも少し。先ほど大分時間をはしょって、言い足りなかったような気がしますので、少し話させていただきます。
一つは、フローからストックへという、よく言われている話ですが、これまではフローで致し方なかったということも踏まえておく必要があると思います。戦後、1970年代までは圧倒的な農村人口がほとんど大都市に流れて来ました。それに対して住居法ではなくて、住宅建設法をつくって、5か年計画の中で公営・公社・公団・金融公庫、これでそこそこまともな住宅をつくるということが必要だったんだろうと思います。
当時のフロー主義はやむを得なかったわけです。なおかつ、それを通じてフィルタリングプロセスという術語がありますが、そういう観念もいちおう機能していたのだろうと思っています。
ただ、時代が大分変わってきて、これからさらに郊外に市街地をつくるのであれば、従来と違った圧倒的に高い水準、それも単なるぜいたくという水準ではなくて、環境の面なり、バリアフリーの面で、いろいろな面で既存の市街地とは違う基準でまちをつくらざるを得ない時代になっていると思います。
一方、圧倒的に手を入れることが必要な部分は、大都市圏のあるいは地方都市もそうですが、既成市街地です。それをどうやってメンテナンスするかが最大の問題だと思います。これについて住宅建設法も、まして公営・公社・公団・金融公庫も無力だと言わざるを得ないと思います。その意味では住宅政策は変わっていく必要がありますし、逆にそれをきちっと受け止めるために、都市計画も地区まちづくりをどう進めていくかという点で、大きく変わっていかないといけないと思っています。
ついでに、先ほど言い足りなかったことを申し上げますと、今の住宅政策と言われている枠組みの中で、密集事業なり特優賃なりの建て替えに対する補助、融資の基準があります。これが即地的でありませんし、全国一律と言っていいほど画一的な基準になっているわけです。その場、その場の即地的な整備の計画に即した運用が可能になるのか、ならないのか。そこを少し考えなければいけないと思っております。
それと併せて、従来は必ずしも優良とみなされなかった住宅がいろいろあるわけです。規模が小さいとか、敷地が100平米ない。接道が4メートルに満たない。住戸がまとまっていないとか、いろいろな面であるわけです。これまで住宅政策の側はよい住宅を、特にファミリー向けの賃貸住宅をつくるのならば補助しましょう。支援しましょうということをやってきた。
しかし、それは結果がよくなるということであって、もともと悪い住宅がそれほど優良でないけれど、元と比べれば相当よくなった。敷地は90平米だけど、すたれた木賃アパートが地震が来ても倒れないようなアパートになった。こういうものに補助するという道が今のところあまりないわけです。そういうものに住宅政策の側から柔軟に手を出していただくことが、逆に都市計画の側から見れば、大変ありがたい支援になるわけです。そういうことをこれから公共性の面を含めて、一体どう考えたらいいのかというのが大きな問題だと思っています。
同じように、金融公庫融資というのは戸建てについては、100平米以下は見捨てているわけです。見捨てているということは誘導もしていないということですが、本当に見捨てておいていいのだろうか。これから既成市街地の中で500平米以下、300平米そこそこの敷地が相続やなんだでたくさん出てきます。出てきたとき、それをマンションにするなんていうことは、業者はとうてい手を出さない。したがって、300平米を三つに割ればいいほうです。2種住専、容積200%とかであれば、敷地60平米で100平米の家が建ちます。そんなものが東京の環七の中あたりには、もうたくさん建ち始めているわけです。そういうものをほったらかしでいいのか。これまでのように雑草が生えているような形で見捨てていいのか。そこも都市計画と住宅政策の大きな接点ではないかと思っています。
いまいただいたご質問のメモの最後に、都市計画の目標も住宅政策の目標も、豊かな人々の暮らし、健康で文化的な生活ではありませんか、そもそもこれがどう連携するかなんていうことを考えること自体が問題だ、とおっしゃっている。私も本当にそう思います。
住宅政策も都市計画も憲法でいう健康で文化的な最低限の生活。最低限というのは引っ掛かるんですが、いわば大江健三郎が言ったようなディーセントライフというものの条件をいかに整えるか。万人に幸福を保障するなんていうことは、都市計画も住宅政策もとうていできないけれど、ディーセントライフの基盤だけは何とかそろえる。それが本来の目的だと思っていますから、私も述べたように、そもそも連携するのが当然のことだと思っています。
いま大方さんから住宅政策に対して提案がございました。これに対して鈴木さんのほうから、住宅側としてはどう考えるかということでお願いします。
大方先生のほうからいろいろご提案がありました。別のことになってしまうかもしれませんが、住宅政策をいろいろ展開していくと、例えば公共住宅を建てるのと違って、持ち家とか民間の賃貸住宅に対する住宅政策ということになると、先ほどどなたかがご指摘しておられましたけれど、公平性みたいな問題をどういうふうにすり抜けられるか。こういうことになったりします。
住宅政策というのは個別の私有財産に入り込んでいくという側面が、どうしてもありますので、そこのところで今のような話がどうしても出てきてしまうわけです。しかし、われわれも経験しているわけですが、私有財産の財産価値が確実に守られるといいましょうか、上昇していくときと違って、今はどういうことになっているかということを考えると、状況は一変しているわけです。そういう中で財産保全というものの絶対性というものも、欧米諸国ではかなり前からそういうことについて、一定の前進をして来ておりますが、日本では相変わらず財産所有の絶対性みたいな議論が根強いわけです。
こういうことに対して、財産が今のような社会の変化の中で大変揺らいでくるときに、新しいコンセンサスの形成の仕方があるのではないか。これは観測でしかありませんので、確実にそうだとは言い切れませんけれど、そういう中で事業が具体的にされていく。そういうフィルターをかけないと、住宅制度は具体性をもって、説得的に展開できないのかなと思っています。
住宅政策の個別のいろいろな手法も、先ほど回ってきた資料を見ますと、例えば地区計画制度というものを都市計画制度というのではなくて、地域社会を再生させていくという観点から切り離して運用したらどうか。こういうご意見もありましたが、私が主張しているのは、まさしくそういうことであります。例えば地域社会を再生していくという意味で、住宅のさまざまな制度がどういうふうに有効なのかということも含めて、コミュニティとか地域社会の姿についてコンセンサスを得る中で、個別の事業をそれぞれフィルターにかけていくという手続きが必要なのかなと思っています。
長くなって恐縮ですが、1例だけ申し上げますと、例えばラーメンで有名な喜多方というまちがあります。行かれた方もおられるかもしれません。あそこはラーメンだけではなくて、蔵の町というようなことを一生懸命に言っているわけです。それを言い始めてから個別の住宅改善が例えば瓦屋根を使うとか、窓口の建築確認業務の中で、指導行政の中で瓦屋根に変わっていくなんていう姿も徐々にですが現れています。
岩手県の沢内村という小さな村があります。そこは村立病院の院長さんが訪ねて来る老人の住宅改善はこうしたらいいということを言ったり、あるいは村の中の大工さん、工務店さんに、老人がこういう住宅改善をしようとしたら、こういう技術的な展開をして欲しいなんていうことで、研究会をやってきました。それを30年間続けているうちに、今では97、8%は高齢者用の住宅改善がすでに終わっているという、地域の中の全く自主的な仕組があります。行政がそれに一定の支援をすることもできましょうし、基本は地域社会の中での一定の専門家のネットワークが必要だということです。
今の例は建築と都市計画だけではなくて、医療・福祉の連携が備わって展開されているわけです。住宅政策というのはこういう広範なネットワークの中で試される。あるいは議論される、位置づけられる。大方先生の今のさまざまなご提案も、そういうフィルターに、あるいは土俵にかけることがまず重要ではないかと思います。
続きまして、Bさんから質問、ご意見をお寄せいただいております。
今の議論に大分かぶさるところがあるので、できるだけ省略して、ごく簡潔に述べたいと思います。基本的には私もいま議論がありましたように、地域で生活している人たちの一人ひとりがどういう豊かな生活像を描くかというのがベースにあって、それを実現していくために住宅政策、都市計画が組み立てられるのが基本だろうというのが論点です。それは今のと全く共通しています。
それを考えると、先ほどのパネリストの皆さんの議論にもありましたように、基礎自治体、市町村、あるいは市町村の中の地域という一つの単位がより重視されるべきではないか。21世紀を目前に控えて、これまでの右肩上がりの経済が発展して、経済の発展とともに都市基盤を整備して、住む場所をつくっていくという、単純に住民の豊かな生活像を描けていた時代と非常に大きく変わりつつあるときには、地域レベルでわれわれ住民なり居住者がどういう生活像を描いていくのか、改めて問い直されているというか、考えなおさないといけない時期に来ているのではないか。
今までのトレンドで出てきた住宅政策、都市計画の手法だけではまかないきれなくなっているし、住民がどう豊かな生活を描くのかというのもだんだんわからなくなってきている時代ではないか。そういう意味では地域レベルで、いま鈴木先生からもお話がありましたが、住民の人たちの参加を得ながら、住民が主体的にわれわれは21世紀になってどう生活していくのか。どういう豊かな生活をしていくのか。そのために住まいをどうするのか。まちをどうするのかというのを考えていくのが、一番大事ではないかというのが、一番強調したかったわけです。
そのきっかけとして、いま住宅マスタープランが市町村レベルでつくられていて、それ自体、一つの流れとして評価しているのですが、いくつかかかわっている中で、そのつくられ方に非常に問題を感じています。市町村レベルでのマンパワーと言いますか、行政側の専門スタッフが少なすぎるというのと、委託を受けている都市計画コンサルタント、山口さんのような人がやってくれると非常にいいのですが、なかなかそうなっていない。
しかも、状況としては非常に悪くなってきているのは、卑近な事例ですが、東京でこれまで測量を専門にやっていた会社が、急に兵庫県の小さな市にやって来て、測量だけでは食べていけなくなったので、まちづくりもすることになりましたというので、入札でたたいて受けてしまう。そうすると内容が非常に画一的で、東京の都心部でやっているような、データ整理をしました、住民アンケートをしました、それでこんな課題が出てきましたから、こういうふうな住宅マスタープランができましたというのでつくっていたのでは、前半で言ったようなことが実現していくきっかけに使われない。単に税金の無駄遣いと言ってしまうとあれですが、非常にもったいない。市町村が独自に住民の人たちとつくっていくというマスタープランという機会を生かしきれない。その辺を何とかしていけないのかということを聞きたかったというか、述べたかったというところです。
ありがとうございました。特に後半のコンサルタントの問題についてはコンサルタントという立場から、山口さんにお願いします。その後、できれば自治体でコンサルタントとかかわっていた立場から飯田さんにも一言お願いします。
コンサルタント論をやり出すと、生々しくできますが、今回は住宅政策にかかわっている者という立場で今の意見にコメントしたいと思います。
まず住宅問題のとらえ方ということで、私が先ほどご報告しました都心部の住宅問題、これは明らかに家賃負担の問題であり、居住水準の問題です。そこに住宅があって生活し続ける基盤があるかないかというところの、非常に先鋭的な問題を例えば都心部で扱っているわけです。
地方都市の住宅問題というのは、必ずしもこういう話ではないと思います。例えば今日ご報告がありました生田目さんの話でも、福岡市全体の最低居住水準未満の世帯が 8.1%である。渋谷区の場合は16.4%で倍以上あるわけです。
同じように借家の最低居住水準は福岡市の場合は12.2%ですが、渋谷区の場合は26.9%と、これも倍以上であるということで、問題の所在がかなり違うのではないかという気がします。これが福岡ではなくて、もっと地方の都市になると、国で定めている居住水準の問題以外のところが住宅問題ではないかと考えたりもします。
そうしますと、例えばマスタープランをつくるとき、施策を考えるとき、住宅問題をどうとらえるかということがかなり重要な点で、最初にありきのマスタープランというのはなかなか展開が難しいのかなという気がします。
そういう意味では、きょう中間のまとめで4点ありましたけれど、住宅政策の即地的展開ということでは、住宅政策を抽象的、一般論として議論していては、どうしてもBさんの指摘のようなことに陥る可能性があるということだと思います。
2点目には、住宅マスタープランを基礎自治体がつくり出して、まだ積み重ねが少ない。都心部でもようやく2回目の改定を行ったというところで、これから始めるところもあると思います。その策定の方法とか技術自体に、まだ未開拓な部分があるのではないかと思います。
通常、マスタープランを最初につくり始めるときは、当然他都市の事例と比較したりとか、都市計画的なアプローチの仕方でやると思われますが、2回目の住宅マスタープランの策定の時期になりますと、策定のスタイルを変えようという議論がいろいろなところで出ています。わかりやすい例で申しますと、いま都市マスタープランが都市計画の世界で非常に盛んに策定されています。都市マスタープラン自体は、法定ではないですが市町村でもかなりつくった過去の実績があります。今回、特に地域別構想を住民参加のもとに徹底してやってみるというところが多くて、アウトプット自体は任意のときの都市計画のマスタープランと形式上それほど変わらないにしても、議論している内容とか、市民とのかかわりの問題というのは格段に違いが出てきているのではないかと思っています。
地域別で、住民参加でマスタープランをつくるという切り口を徹底したときには、過去のものとかなり違うものができあがってくる。そういう意味では住宅の計画をつくる場合でも、少し違った切り口の策定の仕方があるのかなと思います。
先ほど市街地を住宅市街地別にというお話がありましたが、まだ住宅市街地類型別の住民との意見交換をやったところはないと思います。せいぜい区なり市を五つなりのブロックに分けて、そこで説明会というぐらいだと思います。住宅政策に属人的な側面があるとすると、例えば階層別の懇談会みたいなものをやるとか、住ニーズが相当違っているのではないかと思います。そういう策定の方法論自体もこれから開発していかなければならないかなと思っています。
もう5年ぐらい前ですが、1990年にアメリカの住宅法が大きく変わりまして、新住宅法ができました。そのときにここにいらっしゃる海老塚さんの指導を受けながら、一緒に研究調査をしたわけです。住宅戦略計画を策定する際に、徹底的な住民参加を法として求めたわけです。その結果として、住民の住宅供給組織であるNPO的な組織と住宅の総合戦略計画が非常にうまくリンクして、それ以降、実際の供給が進んだという話がアメリカではみられています。
そういう意味でいきますと、それから都市計画と住宅政策を連携する場合、かなり地域性を読み込みながら方法論をつくっていけば、いま言われた画一的な住宅計画なり、マスタープランは克服されていくのかなという気がします。
都市計画のコンサルタントの問題については、これは市場原理に基づいて淘汰されていくという希望を持っております。
いま部門別にいろいろなマスタープランが一種のブームだと思います。松戸も数えてみますと、この3、4年間で20本近くマスタープランをつくりました。そのときのコンサルタントとの関係を言いますと、コンサルタントはやりたいというので、大分手を挙げてきました。私どもがつくるマスタープランを二つに分けまして、現地調査、分析がいるもの、これをコンサルタントにその部分を委託しました。それ以外の、現地調査などあまり要らないもの、市の職員が市民として考えることができるテーマがあります。それに対しては直営でやろうということで、マスタープランを分類して部門別のマスタープランをつくりました。
マスタープランに関しては、私はこんなふうに考えてつくりました。行政と市民との間で、仕事の分担をもう一度契約し直そうではないか。契約をし直すためにマスタープランをつくりたい。契約書に書く内容は、皆さんいろいろな場でお聞きかもしれませんが、将来像を共有することについて、市民と行政、地域社会が契約を結びたい。
その実施施策、手法について、市民とわれわれ行政が役割分担をしたい。そういうことを掲げました。そういう契約をもう一度やりたいということでマスタープランをつくりました。今までのマスタープランが、役所はこれだけの予算を確保して、こういう事業をやりますので、市民の方はよろしくお願いしますというタイプのマスタープランが多かったと思いますが、そういうマスタープランはつくりませんということで、十何本かのマスタープランをつくっております。住宅マスタープランもその一部です。都市マスタープランは思いがありまして、一番最後にやろうということで、まだできあがっておりません。
住宅マスタープランに関して説明いたしますと、先ほどの質問の方にもあったように、松戸という場所を住んでいる人はどういうふうに思っているか。その常識を点検するところから始めました。市民の方のライフステージから見ると、松戸というのは。例えば社宅に住む人、借家に住む人というのは中間点でしか松戸を見てくれていないわけです。今、ここでとりあえず借家した。あるいは一次取得層の人がここで初めて持ち家を買った。いつかお金がたまったら、あるいは子供が大きくなったら私は出て行くぞというつもりで住んでいる人と、それが住宅双六のゴールと思って松戸に住んでいる人が4割ぐらいいます。
正直言って、どちらも松戸にとって困るなというのが私の本音でありました。つまり中間点と考えている方、あるいは松戸が双六のゴールだと考えている方、どちらも困ります。そこを言いたかったのが、実は住宅マスタープランであります。
人生の中間点である方、あるいは双六のゴールと思っている方、どちらもおられるかもしれませんけれど、あなた方はいま松戸に住んでいます。松戸の中で生活をされているわけです。その中でまちづくり、家づくりをどう考えたらいいでしょうか。あるいは、いまどう生きたらいいでしょうかということをこの住宅マスタープランの場で少し考えていただきたいということで、マスタープランを組み立ててあります。
その内容をご紹介できないのは残念ですが、中にはまちを住まいの一部と思っていただいてけっこうです。そういうふうにまちを考えてくれませんか。自分のすまいで足りない部分があれば、部屋が狭いとか、いろいろ足りない部分があれば、それは町全体で補うことは考えられませんかとか、そういうようなことを目標像に置きながら、具体の施策を並べていったつもりです。
お答えになったかどうかわかりませんが、住まいというのは結婚して子供が生まれたり、ライフステージによって住まいに対する需要が変わってきます。それを一つの家で補うのは難しいのではないかと思います。ですから、ライフステージに応じて、借家であれ、持ち家であれ、こだわらずに住まい、あるいは地域全体を評価する、買うというつもりで住まいというものを市民の方に考えていただければいいのではないかと思っています。
まとまりませんでしたけれど、そんなところです。
ありがとうございました。関連して大方さんのほうから。
せっかく住宅マスタープランの話が出たので、ぜひ問題提起したいことがあります。住宅マスタープランはいかにして実現されるのかということに絡む問題です。あるいは住宅マスタープランや都市マスタープランは絵に描いた餅かというような言い方がよくされますが、その問題です。
というのは、計画としては住宅マスタープランも都市マスタープランも、都市計画の人も、建築の人も、住宅の人も市民と一緒に一生懸命に知恵を出して、苦しかったり、楽しかったりしますが、いいものができます。それはよくわかります。しかしながら、住民も加わって苦労してつくればつくるほど、そこで今後まちづくりはどうなるかというところが、かえって難しくなっていくわけです。
実はこの6月以来、立て続けに3件ほど、マンション反対だという方からのご相談を電子メールで受けました。市町村名は挙げませんが、一つは湘南地域です。住宅マスタープランや都市マスタープランでは低密度の住宅地とか、戸建てを中心とした住宅地とか、ややぼかしてありますが、そう書いてあります。ところが実態は中高層住専の200%とか住居の200%とかかかっています。当然、マンションの開発の計画が出れば、行政は何もできない。周りの住民の方は住宅マスタープランや都市マスタープランではこう書いてあるじゃないか。何とかしろ。町長さんに話をしに行く。そうすると、あれは絵に描いた餅で、規制にはできないよと町長さんは言ってしまう。そこで非常な幻滅が起きるということです。
もう一つ、これは23区内のある区です。これは駅に近いので、住宅マスタープランは中層住宅地とか中高層住宅地と書いてあるところがあります。一方、都心居住の推進だということで、例の都住総、総合設計のすごいやつができて、容積が倍までオーケーよというやつができまして、某社が最初28階建てというのを提案したわけです。周囲は5階か、せいぜい7階の小さなマンションです。そこにそんなものが出てくる。前面道路もせいぜい十数メートルです。周りは怒るわけです。
なおかつ、これは総合設計ですので、法規上やむを得ないという話にならないわけです。市街地の環境の向上に資すると認めて、特に許可するわけです。ところがマスタープランでは中高層。高層というのは12階と定義されています。
そういうことを考えますと、都市マスタープランであれば今後、都市計画や地区計画でやりますという話で逃げられますが、では住宅マスタープランの実現というのはだれが責任を持つのだろう。これは住宅政策です。都市計画です。その辺でどう手を握るかということを、今からよく考えておかないと、もうすぐ次の用途地域改定が来ますから、また前と同じだということになると、何のためのマスタープランだということになると思います。むしろそこが大事だと思っています。
ありがとうございました。
住宅・都市整備公団の海老塚です。都市計画の研究者の方への質問ですが、私は住宅政策に関心を持っておりまして、今まで20年ぐらい研究してきました。その中で住居費、住宅の価格が関心の一つとしてあります。住宅の価格に対して、日本の場合、都市の土地が特に影響があるわけです。都市の土地に対して都市計画はおそらく強い影響力を持っているわけです。欧米の社会住宅の供給組織に対して、都市計画の側が安い、ないしは無償の土地を用意するということが一般的に行われているということを見ました。日本ではそういうことがないわけです。都市計画の研究者が都市の土地の価格について関心を持たれていないように思います。その辺をやっていただけると、アフォーダブル住宅の供給にかなり寄与していただけるという感じがします。その辺の研究を進めている方がいらっしゃるのかどうか、教えていただければと思います。
それでは浅見さんからお願いします。その後、波多野さんからもあれば。
私はまとめだと思ったので、聞いていればいいやと思ってニコニコしていたのですが、急に回って来て、びっくりしました。
まず、そういう分野のことを工学分野で研究していらっしゃる方がいるかというと、いないとは言いませんが、少ないだろうとは言えます。実は私の先生である下総先生が退官のときの講義で、市街地の土地に関する市場の理論をつくらないといけないだろう。それは今までの経済の理論をそのまま適用してもだめだ。現在の市街地に合うようなところでつくらなければいけない。そういったものがうまくできれば、土地の価格等も制御できるアフォーダブルな住宅という方向にいくのかなという感じがいたします。
あと経済の部分で、昔はこう言っては何ですが、都市経済をやるというのは、経済学の中ではやや異端的な感じがあったのではないかと思いますが、最近は一流の経済学者が経済理論を武器にして、いろいろ切り込んで来ております。必ずしも市場だけで動くものではないので、それだけですべてを解決できるわけではないのですが、少なくとも価格と土地税制との関係とか、そういったものがかなり研究されてきています。それがどのくらい政策に転化されていくかはわかりませんけれど、今後期待はできるのではないか。
さらに今後は工学と経済学が仕切りを取って、両者共同で研究していく、そういうスタイルがあり得るのではないか。ただ、社会が動くほうがもしかしたら早いかもしれません。
海老塚さんの質問に直接答えるということではないのですが、私は宅地供給の関係で区画整理の話をしましたので、土地価格の問題との関連で、私が考えていることを申し述べさせていただきます。
基本的に先ほど提案した話は、区画整理は必ず土地が上昇するということを前提にして行われますから、実は区画整理自身が周辺の土地価格も含めて、地価形成してしまうわけです。ですから、区画整理事業が地価を上昇させているという、要するに地価の高騰を招くという批判も一方ではあるわけです。
その意味で、先ほど段階区画整理のことを申しましたのは、どういう形で区画整理の地価が決まってくるかというと、実は市場的な論理だけではなくて、むしろ区画整理事業としてどれだけの公共用地を生み出し、保留地を生み出して事業を成立させるか。そのためには少なくとも最低、これだけの地価の上昇が必要であるという一つの論理が働くわけです。
ですから、市場性とは別個に、全く別個だとは言いませんが、別の論理で区画整理が地価を形成している側面もないわけではないわけです。むしろそのことをきちっと排除した方がいいのではないか。
今でも区画整理の公共用地をつくるために、公共側の管理者負担金なり補助金という形で、用地買収でつくる程度の事業費を補助金で出しているわけですが、逆に、補助金の範囲で骨格的な部分だけを整備する限りでは、必ずしも地価を上昇させる、要するに事業の計画の段階で大きな地価上昇を計算する必要はないわけです。ですから、そういう形にすれば区画整理が地価を高めているという批判を回避できるのではないかと思っています。
ただ、開発利益の公平性みたいな問題で言いますと、一旦整備された宅地を利用する過程で、開発利益を社会的にどのように還元していくかという問題があるわけです。その場合には税制の問題とかそういう問題も含めて、視野に入れて検討しなければいけないだろうというのが頭の隅にあるわけです。ただ、私自身そのことをまだきちんと整理していないということであります。
少なくとも区画整理を通して、いわば都市計画を実現していくというとき、地価の問題というのは一つの問題として常に念頭におかなければいけないだろうという意味では、ご指摘のとおりだと思っています。
ありがとうございました。
あと二つ質問、意見をお寄せいただいています。この質問はわりと総合的な問題にかかわるものなので、二つまとめて、最後のまとめと兼ねてお答えいただくという形で進めさせていただきたいと思います。
まず、水口さんからの提案です。お願いします。
休憩が終わった後、関連して議論されていたので、少し答えをもらったと思います。前半のときはかなり多くの講演者が提案的なところを十分に語る時間がなかったようで、その重なるところということで、地区計画というものを使って議論のゲームをしてみたらと思いました。
趣旨は、一つは阪神の震災で、建築学会で最近、その教訓をまとめようとしています。そこでは長くは申しませんが仮設住宅の問題とか、壊れた住宅の補修から始まって、公的住宅の供給、中小企業の問題とかいろいろな問題が一緒くたになって、かつ基盤整備も要る。ですが、区画整理をやるとか、再開発をやるとか、法定の面整備事業をいち早く投入して、これも多くの教訓があります。それ以外のところは放っておかれた。
一方、住宅政策一つとってみてもさまざまな工夫がなされました。これは非常に個別分散的に投入されているわけです。それを地区的なスケールでまとめてみるような仕掛けが中小企業の再生も含めて、住宅の問題も含めてやれば、そういうことが今度起こるときには、何とかうまくいくような仕組みが要る。それを一種の地区計画的な仕組みとして考えてみるというのがあります。
同じように、今度は別の部会ですが、地方都市の中心市街地の再生問題です。これもいろいろな問題が絡んで、旧中心市街地をどうやって再生するかというような問題があります。
さらには、今回建築学会では取り上げられていないかもしれませんが、ずっと田舎に行きまして、新しくできた全総の中で、いろいろ問題点もありますが、非常に筋の良いというか、ロマンチックな味わいのある概念に多自然居住というのがあるわけです。これになってきますと、都市計画区域は日本の中ではごく一部です。4分の3ぐらいは都市計画区域外です。そういうところで多自然居住という、新たな住宅政策、住宅政策だけではありませんがやるときにも非常に多様な問題を一つの地区に落としてみて編成していく。共有して、住民の協議の場をつくって、できれば整備組合のような事業組織もつくって、その中に多様な事業を入れていく。そういう中で初めて相乗効果ができてくる。
そういうことをやるためには、都市計画から地区計画を離して、農業も環境も産業も住宅も都市基盤もということができるような一つの仕組みを想定してみると、住宅政策サイドで考えるべきことも一挙に土俵が広がって、研究テーマが非常に豊かになるのではないか。きょうの議論はそういうことの共有点で、一種の論争をする場として企画されていくと、より具体的で面白いかなと思ったわけです。
かなりのお答えを大方さん、鈴木さんからいただいたので、議論の一つの素材にということでけっこうです。
ありがとうございます。大方さん、鈴木さんからはいただいたということで、後ほど各論の4人の方に触れていただければと思います。
もう一つ、Eさん、お願いいたします。
質問表なのに質問を書かずに、むしろ問題提起を書かせていただきました。
パネラーの皆さんのご発言、このペーパーも読まさせていただきまして、それぞれに質問なり意見もございますが、きょうは手短に二つだけ問題提起をさせていただきたいと思います。
一つは、大方さんがおっしゃいましたように連携なんて当たり前だと思っている人間はたくさんいるんですが、現実に非常に難しい問題があります。そういうことで、われわれの研究なり取り組みは進めていかなければいけないのですが、内なる問題として、この問題が大学教育の中にどう位置づけられ、どう教育実践されているかということについて、ここにいらっしゃるのは大学の先生だけではないわけですけれど、大学教育の中で、高専もあるかもしれませんが、どう実践され、どう言い伝えられ、提起されているのかということの自己検証から始めて、それをどう実践していくか。実践まで高めなくてはいけないのではないか。
先ほど浅見さんから懐かしいお名前が出ました。かつて都市工で下総さんが頑張っていらっしゃいました。都市工も含めて、改めて都市と住宅の問題を教育の場でどう実践するかというのが、われわれの一つの内なる命題ではないか。この辺もぜひこういう場で取り上げていただきたいなという提案でございます。
もう一つは、内なる提案があれば、外に向けての提案がなければいけない。たまたま一昨日でしたか、昨日でしたか、新聞紙上にも出ておりました。小渕内閣が空間倍増計画、ハイクオリティ・オブ・ソサエティ。一方で産業再生計画なんていう、朝日新聞にはそれは池田内閣の所得倍増計画をなぞって云々というようなコメントがありました。私は池田内閣所得倍増計画と同時に、田中角栄の列島改造論を思い出しました。
もちろん自治体が持っている政策の問題あるいは能力の問題、さまざまあります。一方で新聞紙上の事例ですと、国が減税と規制緩和によって住空間を倍増する政策を何年間にわたって云々。見た途端に裏が読めてきます。裏が読めたと言ってニヤニヤしていてはしようがない。むしろ日本建築学会としてはそういった国の住宅政策、これは当然都市計画の政策にもつながっていきます。その問題について政策提言をどうしてもやっていかなければいけないのではないか。
現実の政策をフォローするのではなくて、それに対してきちっとものを言っていくことを、個人がやるのではなくて、グループがやるというよりは、日本建築学会として取り組むべきではないか。
取り組んで、問題提起したときには、もう後の祭りだよみたいな話がよくあります。しかし、阪神・淡路大震災のあの惨状の中で、私は役所だけではなくて、建築学会も縦割りだということに、あのとき初めて気がついたのですが、それが見事に横割りに近い活動があれだけエネルギッシュにできた。第三次提言までできました。こういった問題について、学会が提言できないはずがありません。難しい、多様だということはもう逃げ口上にはならないだろう。
たしかに金融問題があり、その底辺に土地問題があり、さまざまな問題があることは事実ですが、現実に政策が実践されようとしているとき、何もものを言わないのか。あるいは、それはかくかくしかじかの厳然たる理由によって無視できるのか。その辺まで含めて、われわれは取り組んでいかなければいけないのではないかということを問題提起とさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。パネリストへの提言というよりは、学会に対してというふうに聞こえました。
いただいた質問、提言は以上です。そのほかにあればどうぞ。
一つ問題提起をどうしてもしたくなりましたので、申し上げます。
きょうのサブタイトルは「バブルからポストバブルへ」と書いてありますが、問題はそういうことを超えて、21世紀に入って、大きく社会構造が変わっていくところを目指して住宅政策、都市計画はどうあるべきかを議論することが必要だと思います。
その一つの側面というのは、もう色々なところに書いてありますので、繰り返しになりますが、ベビーブーム世代がこれから高齢期に入ってくるということです。大都市に集中して住み始めて、彼らは50前後に来ているわけです。子供がだんだん独立して、夫婦2人になって、高齢期に入る。この人たちは長生きしますから、2、30年はそのままいくわけです。
そうすると、すでにでき上がった住宅地というのは、非常に高齢者が多い、それも夫婦のみ世帯とか高齢化の世帯が多い住宅地として、何十年間かは持続することになるわけです。これに対してある手立てを打たなければいけないということがあると思います。
住宅政策の側から子供との近居とか同居、あるいは二世帯居住が良いという価値観を出してきて、定住ということを言うとすると、具体的には何が起こるかというと、戸建ての建て詰まりが起こります。あるいは相続で出た土地がミニ開発されて、そこに子供の家族が住んでくるということになるわけです。
それは、もう一方の目標である良い住宅地というものと矛盾する形になってくるわけです。住宅政策、都市計画が一致する点は何かというと、一つの例としては、良い住宅が集まって良い住宅地をつくっているというのが一つの理想の形ではないかと思いますが、実は定住という目標を掲げたとたんに、ある住まい方は実現されるかもしれないけれど、良い住宅地にはならないということが現実に起きてきているわけです。
この問題をどういうふうに解くのかというのが、非常に重要な問題なので、そこをどういうふうにお考えになるかということを伺いたいと思います。
よく言われるように、第二次大戦後、私どもは住宅と都市計画をどうやって結びつけていくかということで建築研究所等で盛んにやりました。また建設省でも住宅局ができまして、公営住宅、公団住宅、住宅金融公庫の住宅融資の三本柱が昭和30年段階でできた。それが50年たった今、まさに見直されなければいけない状況になってきているわけです。
いま日本の状況を見ますと、大蔵省が火だるまになって非難のやり玉に上がっているのに比べて、建設省はどちらかというと無風状況になっております。よく考えてみますと、3年前の阪神大震災のとき、区画整理で震災復興をやろうかという声があったわけですが、裏目に出ました。ああいうトップダウンのやり方ではだめだ。ボトムアップから都市計画をやらなければいけないと痛感して、現在に至っているわけです。
21世紀を展望しますと、今までのような上からの仕組みではないのではないか。地元と言いますか、コミュニティ基盤あるいはNGOあるいはコンサルタント等、民間の知恵を集めた活動を積極的に展開していかなければいけないのではないか。
戦後、建築学会では、戦災復興院から建設省になりましたけれど、建設省から色々課題をいただきました。例えば公営住宅の設計プラン、どういう管理をするか、そんな課題もありました。特に住宅公団に関連しましては設計基準等、いろいろな課題を建築学会が委託されまして、委員会を活発に活動させていたわけです。
いま振り返ってみますと、これは官庁のお手伝いをしていたということです。いままさに21世紀を展望いたしますと、官庁に頼るのではなくて、まさにボトムアップというところからわれわれは何ができるか、どういう提案ができるか問われているのではないか。それが新しい都市計画の始まりです。私も戦後直後から50年ぐらいになりますので、皆さん方に大いに期待するわけであります。
今、いろいろな制度とか法律がやたらにできておりますが、21世紀を展望してどうしたらいいか。建築学会も資金がなければ活動できないなんていう格好もあるかと思いますけれど、ボトムアップ的な、コミュニティベースからの都市計画をやり直さないといけないのではないか。
私はよく欧米等に行きますけれど、日本の住宅の実態はまさにウサギ小屋です。そういう状況があるわけでございます。そこら辺をどう直していくかというのが問われています。GNPが世界第2位の国で、われわれはこのような貧しい住宅に住んでいる。このこと自体は専門家であるわれわれの責任が大きいのではないかと思っております。
ありがとうございました。
各パネリストまとめ |
go to top |
今までの議論を踏まえて、最後にパネリストの方にそれぞれのまとめをしていただきたいと思います。
前半、総論から各論でお話しいただきました。今度は逆に各論の方から初めていただきと総論の方にまとめていただく、そういう形で進めていただきたいと思います。波多野さんのほうからお願いできればと思います。
言い足りなかったことも若干ございますので、補足させていただきます。先ほど休んでいる間に鈴木先生と話をしました。公共側が負担して、骨格的な区画整理をするというのを農業側の要求に沿ってやったら、どんどん広がってしまうのではないかというお話がありました。
あの提案というか、考えていたことは、どこにどういう形で使うかということをちゃんと言わなければいけなかったので、その点を一言だけ申し上げます。
私は今の線引き制度は必要だと思っています。これをなし崩し的になくしてしまうという論にはくみしません。今の市街化区域内の縁辺部あたりについて言えば、依然としてきちんとした基盤整備をするという課題は残っているだろうと思います。先ほど提案したのも、実は埼玉県のそういうところの地区をイメージしております。それを宅地開発という形で進めるにはかなり無理があります。やはり基本的な基盤整備は公共がきちんとするということを前提にしたときの区画整備とはどうあるかというのが一つの提案でございました。
もう一つは、では外側のものはそのまま放っておくのかということです。市街化区域の中でもそうですが、集落地域を区画整理事業地区内に入れるということが平気で行われていました。集落地区を含めて碁盤目のような市街地をつくってしまうということは、区画整理の論理からは起こり得るわけです。
本当はそうではなくて、集落地域の環境をきちんと維持しながら、あるいはそれをよくするという中で、最低限必要な宅地供給をするとすれば、どうなるのだろうかというのが2番目の提案です。
ですから、私の中には今の市街化区域、市街化調整区域の線引きの地域の状況をある程度念頭に置いた提案であることを言いそびれましたので、付け加えさせていただきます。
2点目の話は、先ほど水口さんがおっしゃいました地区計画的なものを考えたらどうかという話です。その論理はどうかという話です。
しつこく申し上げました共同化という論理は、実はそのことを考えていました。いずれにしても、まず基盤整備を都市計画の責任でやること。それから、土地利用を社会的コントロールをするということは、やはり必要なことだろうと思います。ただ、社会的なコントロールはだれがどういう形で合意して決めていくかというとき、先ほど言いました個別の土地所有・土地利用、先ほど鈴木さんは財産権的なとおっしゃいましたが、それにかなり固執した土地所有を社会的に変えていくとすれば、多分共同化の理論しかないだろうと思います。
だから、地区計画というのは共同的な意思をどういうふうに形成していくかという課題であれば、まさに水口さんの提案もそのとおりだと思っています。その辺の都市計画と住宅政策の連携も個別の土地所有・土地利用をどのように共同化するかというところに、共通のキーワードがあるのではないかということを考えております。そのことは先ほどの報告の中でも触れたつもりでしたが、十分ではありませんでしたので、付け加えさせていただきます。
まず確認しておきたいことは、社会資本をつくることとか、富の再配分をすること。この仕事は依然として公として必要だと思います。社会資本関係で言いますと、松戸の場合で言いますと、若い時代につくった社会資本は今後の高齢化の中で対応できませんので、用途転用するなりにして、つくり替えしていくことは必要です。そういうことを踏まえたうえで、これから2点ほど申し上げたいと思います。
一つは、水口さんがおっしゃった地区計画の枠組みとか何か、ドグマを超えられないかということです。これは私も賛成です。
地区計画と言いますと、どうしても基準法の最低基準より上を狙わなければいけないというドグマがあります。これが解けないかなというのがあります。例えば集団規定の道路の4メーターです。これは4メーター未満ではバツです。4メーターを超えると途端に丸になって、そこから先は基準法は何も言わなくなってしまうわけです。ひょっとしたら3メーターとか、2メーターの幅員のものでも、何とか認知できるような、要するに最低基準未満のものであっても何か担保できるものが地区計画、あるいは地区計画という都市計画法の枠を飛び出さなければいけないかもしれませんが、何かできないだろうかという気がします。
つまり4メーター未満云々というのは、社会資本が十分でなかったときの議論としてはあり得ると思いますが、今後は4メーター未満の道路についても何らかの価値を見いだしていくことができればと思います。あるいは価値を見いだすけれど、これはまだ過渡的なものであるということで、認知する。今の世界ですと、4メーター未満のものは認知さえしないという仕組みで、これは何となく健全でないような気がします。あまりいい言葉ではありませんが。
それから、地区計画の対象の範囲は都市計画の範囲を超えても良いのではないかというのがあります。実は環境マスタープランを松戸でつくったとき、ある地区でチョウチョウを呼ぶまちをつくりたいと言うわけです。チョウチョウのまちをつくるには、いろいろな規範が社会に必要になります。チョウチョウが好きな柑橘類の植物を植えなければなりません。水たまりが必要になります。ところが地区計画では緑を植えなさいとは言いますけれど、柑橘類を植えなさいというのは地区計画では決められない。とすると、柑橘類の木を植えましょうというのをどうやって規範化するか。それを地域の人に共有の目標像で持ってもらうかというのが何か必要な気がします。
これは地域で考えてくださいということで、環境マスタープランのほうは最後お茶を濁していますけれど、自分なりの地区のコードと言うのでしょうか、ルールをつくられたらいかがでしょうということで話をしております。
最後になりますけれど、住宅マスタープランの話に戻しますと、持ち家が住まいのゴールではないということをもう一度市民の方に考えていただく。死ぬ前に地域のために何か一つやってもらいたいということを訴えていくべきではないかと思っています。持ち家で住んでいる方々がいます。お子さんたちは多分、結婚されると、その家に住んでいないのではないかと私は思います。近くの宅地化農地の賃貸アパートに、特優賃に住んでいるケースがけっこうあります。仮に老夫婦が亡くなられた後、この家は一体どうなるんだろう。あるいはその家にどなたが入られるのだろうか。息子夫婦が入るのだろうか、どうなのだろうか、ちょっとわからないところがあります。
息子夫婦が入っても、あるいは全く第三者に入っていただいてもいいのですが、それは次世代のために家なり周りの環境を残すということで、老夫婦の方には考えていただきたいと思っています。そのためには、いま生きている間にその地域をよくしてほしい。周りにいい人たちが住んでいてもらうように、あるいは自分自身がいい人になってもらいたい。住宅マスタープランとはだんだん離れるかもしれませんけれど、家を買ったことでゴールにするのではなくて、地域のために何か一仕事をする。高齢化のために自分の家の改善をしていただいてもいいかもしれませんが、地域のために何か一つしてください。そういうきっかけを住宅マスタープランあるいは都市マスタープランでもいいでしょう。いろいろなマスタープランの中で市民の方と話ができていければいいのではないかなと思っています。
きょうの議論はここにいて居心地が悪いような感じがする部分が多いんです。地方分権、地域に根ざし、コミュニティベースの住宅云々。あるいは民間にできることは民間に任せる。そういう市場原理の中において、公団が新法人になるということで、先ほどはしょり気味にお話ししましたが、多少限定的にはなりますが、都市の方に戻ってきたうえで、居住環境整備に重点を移していく。こういう中に、今まで皆さん方から出ているものをどういうふうに組み入れてやっていくのか。総括するという話ではなくて、われわれとしては大きな課題を突きつけられているので、きょうのような議論を念頭において仕事を進めていきたい、そういうようなことを申し上げるにとどめます。
あと、離れた話になりますが、飯田さん、波多野さんのお話を聞いていますと、昔、農水省の人と話をしていておっしゃられたことで、記憶に非常に鮮明に残っていることがあります。優良農地とは何か。すぐに宅地に転換できるのが優良農地だということをおっしゃっていました。そういうものを今までずっと引きずって来て、このような状況になっている面も大きいのではないかということを思い出したました。以上です。
住宅政策と都市計画の連携ということで、レポートには書いておきましたけれど、私自身、大方先生がおっしゃられました住宅マスタープランをいかに実現していくかということを一緒につくっている立場として、いつも身につまされて考えております。
市区町村において、問題を整理するというところまでいくところもありますが、やはりマスタープランというのは実現のためにつくるものでありますし、ある判断のもとになるものであります。それが住マスでそう記述されても、実際の都市計画の運用がそういかないという場合、連携の概念というより、むしろ整合が取れていないということになると思います。ですから、まず住宅マスタープランと都市マスタープランが本来的に整合が取れているかということが重要になってくると思います。
そのうえで、先ほどの例ですと、総合設計のような許可の話、あるいは建築確認等々の話になってくるかと思いますが、住宅マスタープラン、住宅計画については市町村は今のところ任意の計画です。策定プロセスも先ほどお話ししましたような状態の中で、その根拠性が十分しっかりしていないというところがあるかと思います。
ですから、住宅にかかわる事項について、住宅マスタープランで深くスタディし、その成果を都市マスタープランで受けて、法定の都市マスタープランとして決めていくという形が一連の流れとしてあるのではないかと思っています。
例えば総合設計です。私も実際に仕事をしていまして、常にこの問題は担当部局と話すのですが、東京都の場合は延べ床5000平米以上は都の許可になります。しかし、この許可の検討をするとき、必ず区にこの案件についてはどうか、照会が来るわけです。そのときに該当する区が、これは自分のところの都市マスタープランとして、こういう市街地像を描いている。総合設計的なものについては、こういう条件のものについて認める方向で考えているというような都市マスタープランがあったとしますと、それを根拠に東京都に上げていったとき、その判断がどうなるか。こういうことを試してみたら面白いのではないかと考えるわけです。
いまお話ししましたのは、都市マスタープランと住宅マスタープランという関係ですが、住宅のことを扱うと、どうしても福祉の問題が出てきます。公的住宅に住まわれる方が加齢に伴って心身状態が悪くなっていくとき、福祉との連携があります。住環境という意味では、広い意味での環境というところにつながってきます。あるいは都市における住まい方みたいな、やや文化的な話まで入ってきます。
よく都市マスタープラン傘論というのがあります。都市マスタープランが全体を包括して、住宅マスタープランの個別の体系があるという考え方です。あるいは住宅マスタープラン・都市マスタープラン併置論という考え方など、いろいろ議論されています。基礎自治体などで議論しますと、住宅マスタープラン釘刺し論というのが出てきます。住宅マスタープランの守備範囲というのは、連携というよりも、むしろ直接手を下さないとうまくできないような部分があります。そういう点では、住宅を扱うということは、かなり広範囲の話になってきます。郊外では水口さんがおっしゃられたような、地区のトータルな計画のようなイメージになってくるかと思います。
そういう意味では都市計画と住宅政策の連携という話がありましたが、もう少し土俵を広げる中で、この問題も議論したほうがいいのかなというのを感じております。
最終的に思うのは、地域の特性なり、住宅を中心にした地域の実態に着目して考えていく。これは飯田さんの報告にありました松戸の場合も、連携の目的が時代によって変わってくるということに私はなかなか刺激されるものがありました。
もう1点、住宅と都市計画の場合の主体の問題をもう少し入れ込んだときに、どんな議論になるのかという気がしております。
いずれにせよ、21世紀に向けてという話もありましたが、もうすぐ21世紀は来てしまいますので、少し大きな土俵をつくったうえで、技術的にも詰めていきたいなと思っております。以上です。
一つは大江さんのご意見に対する意見ということになります。同居、近居ということになると、住宅地が建て詰まって、庭付きの一戸建ての良い環境が悪くなる、そういうことだと思います。ただ、良い住宅地とは何かと考えると、必ずしも従来のように敷地が200平米以上あって、木が生えていて、2階建てで、庭付き一戸建てというのだけが良い住宅地とは限らないと私は思います。
例えば、建て詰まったとも言えるけれども、住宅タイプをうまく選べば、実容積率で150%とか180%ぐらいの中層の住宅地ができる。そんな場所があっても良いような気がします。
あるいは、表通り沿いにはやや高密な共同住宅のしっかりとした、良いやつをつくって、あんこのところは細分化させないような手立てをするとか、色々なバリエーションがあるだろうと思っています。そのためには地区ごと、街区ごと、あるいは通りごとにどんなまちにしたいのかということを地域住民の方々が合意する必要があります。必ずしも法定地区計画である必要はないけれど、そういう場所が必要だろうと思います。その場になるのが住宅マスタープランであったり、都市マスタープランであったりしても良いのではないかと思います。
そうして考えますと、冒頭から述べておりますように、地域の社会づくり、まちづくりの中で住宅も都市も手を結ぶのですが、だれが一体合意の触媒になっていくのか。プロの役割ということになっていくのだと思います。ミニ再開発をやるにしろ、個別の建て替えを斡旋するにしろ、2軒の土地の交換分合をちょっと進めるにしろ、信頼のおけるプロが関与しないと、うまく動かないだろうと思います。その金を一体だれが出すのかというのが大きな問題だと、このごろ強く思っております。
日本の公共事業の事業費というのは、ものをつくるときにはちゃんと出ます。計画づくりだというので、 200ページぐらいの報告書がドーンとできると、そこそこ出るかもしれないけれど、斡旋して、だんだん地域の活気が出てきた。そのために常時3人頑張っておきました。数千万円ですと言ったとき、本当に公共性を持ったと認められるかどうか。お金が出せるかどうか。そこが非常に大事な気がします。つまりサービスに金を出す、ソフトに金を出すという体制が大事なような気がします。
おそらく、住都公団はそういうプロ集団となって生きていくのだろうとぼくは思っていますし、そう願っているわけです。
最後のまとめにはならないけれど、変な思いつきですが、われわれは都市計画税を持ち家でも、マンションを持っている人でも年に10万ぐらい払いますね。あれは実態は都市計画事業税というより、都市計画施設税になってしまっているような気がします。あれの1割ぐらいを地域の計画づくりに戻してもらえないものだろうか。そんなことをこのごろ考えています。以上です。
まとめになるかどうかわかりませんが、2、3気がついたことをお話しします。都市計画と住宅政策の連携というのは、コミュニティとか地域社会というレベルで、媒介項としてそこいらがありそうだという話が少し見えてきたのかなと勝手に思っています。 しかし、それはこれまでの都市計画とか住宅政策を担っていた分野を全部かなぐり捨てて、そこの部分にシフトすればいいという話ではなくて、それぞれ持っていた財産、やるべきことと併せて、コミュニティというものをどういうふうにイメージしていくのか。あるいはその中で対処するべき課題は何かということが、大変重要だということだと思います。
これは先ほどの地区計画制度の運用ということと重なってくるわけですけれど、現在、日本では中心市街地再活性化法というのがあります。再活性化法というのは11省庁がそれぞれ頭出し事業のメニューを出しているわけですが、全国の自治体がつくっている再活性化法に基づく基本計画は、自分の地域は建設省のメニューを使おうか、通産省のメニューを使おうか、こういうことです。それがその地域の実情に合ったメニューなのかどうかというよりも、各省庁が出しているメニューを選り分けていくという、これまでのスタイルと大して変わらないわけです。
これに対して、もうご存じの方は多いと思いますが、イギリスでは同じように都市再生戦略というのが大変大きな課題になっています。その際、シングル・リジェネレーション・バジェットという、単一の都市再生の投資計画ができます。国の事業制度の予算が一つのポケットに入って、これを地域特有の施策として展開できるという仕組みになっているわけです。要するに、国のお金が一般交付金と同じような自治体に落ちるという仕組みです。
こういうようなことが基本的に考えられないと、住宅政策と都市計画を具体的に組み合わせたような事業手法というのは、なかなか展開できない。住宅部局の何か事業があって、これを取ってこようか。都市計画部局のこれがあってというような、こういうことをやらざるを得ないというのは、いかにも効率が悪い。
そういう意味では地区計画を活用するときに、財政の仕組みとかそういうものを変えて、先ほど来申し上げておりますけれど、都市計画や住宅政策の担当者以外にも、保健・福祉などさまざまな分野の人たちがネットワークを組みながら地域像をつくっていく。そういうことが、いま大きく問われているのかなと思います。
面白い話があります。1981年にロンドンで国際会議をやったとき、これは都市・住宅問題の国際会議だったわけです。そのとき日本から建築家出身の、あるいは建築学の専門家が30人ぐらい参加しました。ところがイギリスの研究者は、建築の専門家は1人か2人です。4、50人来ているうちのほとんどは地理学、法律学者、経済学者でした。そのときにどうしてそんなことになっているかという話を聞いたら、60年代、70年代にイギリスでつくったニュータウンの中でコミュニティが思惑どおり成長していかない。これは多分、プランナー、建築家の社会科学的な知見の薄さのせいだということをドカンと言われました。本当かどうかわかりませんけれど、そのようなことを言われたことがあります。
それで私は、先ほどのEさんの話に戻ってしまいますが、そういうことがあるのかなと思いまして、当時イギリスにいるとき、建築学科にいることをやめまして、行政社会学部という、何だかわからないような学部に移りました。そこには法律学者、地理学者、社会学者がいるわけです。そういう分野で都市政策、住宅政策をどのように考えていくか。こういうような広がりが、いますごく重要になっています。最初の話と重なるような話はそういうことであります。
もう一つは、都市計画を考えていく場合、先ほど来コミュニティとか地域レベルでの課題が大きくなってきたし、それが連携などを考えるときの媒介になりそうだということです。現在行われている都市計画の用途地域というようなものが、具体的に大きな姿としてそれぞれの自治体あるいは領域の中で展開されるわけです。あの中から地域社会の姿をイメージすることは、ほとんど困難です。あの用途地域制度の中で、何か地域社会をイメージしろなんて言われても、これは無理な話です。
例えば東京のような巨大な都市、3000万ぐらいの都市になると、もっと大きな、メガストラクチャーみたいなものを要求するような都市計画制度、用途地域になっていきますので、この中で地域社会の姿を描き出す、これは都市マスタープランかもしれません。そういうことがもっとていねいにやられていかないといけない。
私は地方から来ておりますので、もうちょっと言ってしまうと、地方都市の再生とか、そういうところでの住宅政策というのは、先ほど波多野さんがおっしゃってくださったのですが、古くて難しい課題ですけれど、農村地域と都市地域が改めて共生する方法を考えないといけないのではないか。これまで農村地域は、特に近郊農村地域は都市計画にとっては、市街化区域の予備地域として位置づけられてきたのではないか。しかも、農村がこんなふうに疲弊しておりますので、農村側も市街化区域に編入してくださいという圧力をかけてくるわけです。こういう中に地域社会の姿が見えてこない。あるいは野放図に郊外に出て行ってしまうという大きな流れが生み出されてきたのだと思います。これについても一定の決着をつけるときだと思っています。
もう一つは、建て詰まりの話が大江さんのほうからありました。私は2、3年前、東京墨田区の京島で20坪、30坪の建て詰まり地域の方々の居住存続継承のような調査をしました。戦後まもなく必死になって、汗水たらしてつくった住宅を息子たちが継いでくれるかというと、全然見通しがないんです。息子さんの世代は、先ほど来から出ている松戸とか、市川とか、そういうところに住宅をつくっていて、いま自分たちが住んでいる京島の宅地がどんなふうに継承されるか、ほとんど見通しがありません。そういう中でお年寄り世帯が高齢化していく。その中にもうちょっと若い息吹がほしいなんていうことがあるわけですが、その仕組みができていないわけです。
まだ不完全ですので、あまり紹介できませんが、イギリスのハウジング・アソシエーションというのは、ハウジング・アソシエーション・マネージメント・エージェントというのがありまして、こういう私有財産を地域社会の中でどう継承させていくか。こういうエージェントがいま活動し始めています。こういうような仕組みが地域社会の中に必要になってくるのかなと思いますし、高齢化社会の中ではそういう社会的な仕組みを用意していく。私有財産を地域社会の中で居住地として、地域社会として継承していくプログラムを練ることが必要になっているのかなと思っています。
総まとめ |
go to top |
ありがとうございました。これまでの議論を踏まえて、浅見さんからまとめをお願いいたします。
東京大学の浅見です。私に課せられたことは、まとめということですが、今回の研究協議会の全体のテーマにわたるものを私なりに再整理してみようということでやっております。
住宅政策と都市計画の連携が問題になっているわけです。先ほど大方さんとAさんからありましたように、なぜ連携なんていうことを話題にしなければいけないのかという問題があります。大目的はもしかしたら違わないかもしれませんが、細かい目的は違うのかなという感じがいたします。それについて少しお話しいたします。
住宅政策の目的とは何か。住宅政策の目的を一言で言ってしまえば、居住質を高めるということだと思います。住宅政策というのは、実際には居住者のいろいろな生活ニーズに行政が対応していくというのが住宅政策だろうと思います。ただ、今までの日本の住宅政策というのは、どちらかというとそれをパターン化して、あるパターンに対する対応政策という形で対処してきた部分があるかと思います。
それはともかく、住宅政策の目的としてこの八つをアーロンという人が挙げています。悪質な居住水準住宅の減少。過密居住の減少。住居費軽減。経済的な諸階層の融和。持ち家の促進。コミュニティの活性化。特定住宅弱者階層向けの住宅供給増大。安定的住宅建設。日本の住宅政策というのはこれに対応するような形で諸政策が進められています。
都市計画のほうはどうかということになりますが、都市計画について文献がなかったので、これは私が勝手につくったので、もしかしたら異論があるかもしれません。基本的には都市の良好な発展に資するというのが都市計画の目的だと思います。
例えば都市の発展の方向性ないしは秩序づけを行う。都市活動と都市施設のバランスをとっていく。土地利用間の外部不経済を防いでいく。都市の効果的な発展に資する事業を行っていく。良好な都市環境を整備していくということだと思います。時間がなくて述べられませんが、実際に都市計画で行われているいろいろな政策は、こういったものにうまくあてはまっているだろうと思います。
これの政策的な対応づけの図をつくってみました。これがすべて同じような密度でつながっていれば、あまり問題ないのだろうと思いますが、実際はやや濃淡があるような気がします。顕著な特徴は、あえて三つほど挙げれば、1)住宅政策は家計の比較的経済的な側面を重視しているが、都市計画にはそれがやや希薄である、2)都市計画は、複数の土地利用とか施設の関連を重視するけれど、住宅政策では生活関連施設以外の他用途との関連の配慮がやや希薄です。なかなかツールとしてないということもあります。3)住宅政策に関しては、都市計画の良好な都市環境の整備にある程度対応しているかもしれませんが、ほかへの対応が薄いということだと思います。
これを簡単に言ってしまえば、先ほど佐藤さんもおっしゃっていましたが、都市計画というのはかなりフィジカルな側面を強調して、市場を軽視している面があります。それに対して住宅政策は、ややフィジカルな面に対する配慮が欠けている。今までどちらかというと数量的な戸数確保とか、居住面積の確保といったことになっています。
住宅政策は、これは大方先生からご指摘がありましたけれど、周辺との調和をやや軽視している部分があります。都市計画に関しては、土地利用間の外部不経済を防ぐという目的があるわけですが、住宅政策側からの貢献がこの部分では少ないという問題があります。
一つの例ですが、住宅政策では用途地域というものは、制約条件という感じで考えられている部分があると思います。つい最近でも、住宅用途の床面積を増やすために、どのような論理で特例をつくれるかといった発想で新しい制度ができるなんていうことがあったと思いますが、こういうことの一つの現れかと思います。
ところが最近、この住宅政策の目的が大きく揺らいできています。経済学者が住宅政策に関して提言しております。経済学の目から再検討しています。そうすると、今まで前提だった項目が、実は鋭い批判にさらされています。
もう一つは、これは最近のアカウンタビリティというところにも関係しますが、政策同士の優劣比較を行う方法論が未熟ながらもできてきました。そうしますと、仮に方向性として正しくても、ほかの代替案よりも優れていない場合は、やはり批判にさらされてしまうわけです。そういった二重の意味で住宅政策が批判にさらされてきています。先ほど挙げました八つがすべて揺らぎつつあるわけですが、その説明は割愛いたします。
ではどうしたらいいのだろうということで、あえて言うと、適切な住宅政策の目的というのは、たしかに市場的な側面もあるでしょうし、空間的な側面、社会的な側面、ストックの維持・管理等の適正化という管理面。地球環境等への配慮ということでの環境面。それから福祉面。こういったさまざまなものに対処していかなければいけないわけです。
OHPをいくつか飛ばしていますので、論理的に飛んでいますが、では齟齬を解消するにはどうしたらいいのかということです。先ほど試案に出しましたけれど、今後、住宅政策をとらえるうえでは、かなり総合的にとらえていく必要があるだろうと考えます。実は都市計画も同様だと思います。今までフィジカルな面がかなり強調されていましたが、それだけではないだろうと思います。
先ほど教育の問題について問題提起がございました。例えば欧米等では都市マネージメントとか、都市のダイナミックスの解明とか、そういったものがずいぶん教育されています。そういう総合性とか、長期的な視野とか、そういったものが教育の現場でも押さえなければいけないし、実際に住宅政策と都市計画を考えていくうえには必要だろう。
さらに、もう一つ住宅政策として欠けていた面として、きょう強調されてきたのは多分具体性ないしは即地性という面だと思います。即地的な課題をもとに、かなり総合的に判断する。それによってツールも住宅政策だけのもの、都市計画だけのものというふうにはならない。そういったものを進めていくのがいいのではないか。
最後に提言ということですけれど、今回、コンセンサスが必要だという言葉がかなり出てまいりました。コンセンサスの必要性はだれでも理解すると思いますが、どうやってコンセンサスをとるかわからないから、いま困っているわけです。それに対して何も提言しないわけにはいかないだろうということです。
まずコンセンサスを得る前に、住民の人たちが興味を持たないといけない。しかもまとまった計画等をつくることがみんなにとっていいんだ。そういった合意がなされないといけない。
まず興味を持たせるためにはどうしたらいいか。そういうインセンティブみたいなものを考えていく必要があると思います。今までは経済的なインセンティブということで政策があったんですが、たまたまそういう事情にある人がインセンティブを持つだけで、それ以外の人はそっぽを向いてしまうわけです。
そうではなくて、自分の財産価値がそれに大きくかかわるとか、そういったようなことをやっていく必要があります。それは多分、都市計画、住宅政策だけでは必ずしも対処できない問題でしょう。
もう一つ、契約という問題があると思います。先ほど聞いていて、面白いなと思ったんですが、松戸市でマスタープランをつくるとき、行政と市民の間の契約という形で考えたとおっしゃっていました。ところが、大方先生から住マスを実際に実行を担保していく責任をだれが持つか、その所在が不明だとおっしゃっていました。ここが問題です。契約というのは本来は契約不履行であれば、何らかの形でペナルティがあるはずです。契約ということをやっていいと思いますが、その場合に契約不履行になった場合にどうなるかということも含めて、今後考えていくということで、新しい方向が生まれるのでないかと思います。
以上です。
どうもありがとうございました。
総括 |
go to top |
ここで最後に総括ということで、お二方を指名させていただいて、感想なりを述べていただきたいと思います。1人は建築経済委員長の福山女子短期大学の住田さん。もう1人は都市計画委員会の住環境整備小委員長の中部大学の佐藤さん、お願いいたします。
ずっと話を聞かせていただいておりまして、パネリストの方々のご発言を中間段階で佐藤由美さんがおまとめになりまして、その話で都市計画と住宅の連携の論点がうまく整理されているのではないかと思っていました。それを通じて感じましたことは、両者の連携というのは必要に応じて、意外にできているのではないかと思いました。必要に応じて土俵が設定されて、議論の仕方は大体わかってきているのではないか。今後、こういうことはより精密に進んでいく必要があるのではなかろうかと思いました。
住宅政策をやっている立場から言いますと、公平に考えてみまして、都市マスタープラン、住宅マスタープランをドッキングして考える絶好の機会でしたが、やはり住宅政策の置かれている立場は政治力学的に弱いということがありまして、住宅マスタープランというものが公的にきちんと位置づけられていないところに最大の弱さがあるのではないかと思っています。
そうはいうものの、どこに両者の連携というところで活路を見いだ出していくか。テーマとしてプライオリティが高いのは、現在、住宅建設計画法ができております。その中で最低基準と誘導基準を考えて、これがある程度有効に働いてきたということですが、環境基準を考えるということについては、非常に大ざっぱなことしか5か年計画では書かれておりませんで、そのつどペンディングになってきているわけです。これを詳細化していくということです。
これは全国一律に居住水準を考えるということに比べると、非常に地域性が働くわけでありますから、各地各地で環境基準をどう考えていくかということを積み上げていくということで、都市計画との協力がどうしても必要になってくるのではなかろうかと思います。
一方では、将来的には住宅政策の全体像がますます見えにくくなっているわけです。21世紀に向けて、先ほど水口さん、大江さんが言われましたように、住宅政策に新たな課題が迫られているわけです。それを考えますと、ますます空中分解しそうな気配があるわけです。
私は福山市に住んでおります。このまちづくりを見ておりましてびっくりしたんですが、市街化区域の中に農地が1600ヘクタールあります。そのうち800ヘクタールぐらいが生産緑地で、あと800ぐらいが宅地化農地です。これがごちゃごちゃに混じっていて、農村計画的な視点が介入しないと、地方都市の都市計画は成立しないという状況に置かれております。
それから、住マスの一つの成果だと思われますが、住宅と福祉の連携というのがいやでも必要に迫られて来ているわけです。ですから、住宅政策というのは21世紀に向けて、各政策部門間との連携がそれぞれ必要になってきて、住宅政策の中だけではなかなかとらえにくいという状況が出てきていることを痛切に感じまして、これを一体どうしたらいいのかと考えている状況です。
この際、都市計画のほうにも注文を出しておきたいと思います。先ほど海老塚さんが言われたことですが、都市計画と土地の価格、土地税制の関係を追求していただく。これは単なる都市プランナーの領域の問題ではないかもしれません。これが進んでいく中で、おのずから住宅地の方向づけも、ある程度は決まってきそうな感じがいたします。
もう一つは地区計画レベルでの住民参加と言いますか、参加手続き論をある程度深めていくことができまして、地区レベルでのまちづくり・住宅づくりの詳細化というのは、より進んでいくのではないかと思います。
せっかくご指名いただきましたので、この場を借りましてお礼を申し述べたいと思います。現在、私は経済委員会の委員長を引き受けているわけです。この研究協議会につきましては、関東支部の住宅問題専門研究委員会が1年以上討議を続けられまして、その成果のうえで建築経済委員会と都市計画委員会に呼びかけられまして、今日のような成果を見たわけでありまして、この3者に対しまして、心からお礼を申し上げたいと思います。
最近、各研究委員会間の学際的なテーマというのを論ずる機会が非常に多くなってきていると思います。これを機会に、それがますます深まっていくことを切に希望したいと思います。さらに明後日、住環境整備の政策化ということで、再び両委員会の合同協議会が催されることになりますので、それにも期待したいと思います。どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
引き続きまして、明後日の紹介ということも兼ねてだと思いますが、お願いいたします。
中部大学の佐藤でございます。もうすでに住田先生からお話が出ましたのて、私の出る幕がないかと思いますが、せっかくですので、きょうの私なりの感想を申し上げます。また、明後日の、午前中ですけれど、きょうの研究協議会の続きということになりますか、残されたところと言いますか、そういうところの住環境整備の政策化というテーマでパネルディスカッションが行われます。ぜひ、それにも加わって、きょうの続きなり、発展的な議論を期待したいと思います。
私自身の感想としましては、出るものは出たなということ。それから、Eさんから、これは繰り返してきたとおっしゃいましたけれど、新しい局面での連携の議論ではなかったかという感じがいたします。バブルの後遺症があったということですけれど、それだけではなくてもう一つは、それぞれのマスタープランというものが立ち上がり、それについての取り組みが行われたことが一つの大きな動きだったと思います。
それにつきましても、少し気になったことは、これは住宅側も、都市側もまずいもの(低水準な住宅や都市開発)を容認したままで進んでいるということを思っています。区画整理は、非常に日本的な仕組みとして評価されますが、そこからも漏れてしまうものがあります。これは大都市と地方都市では違うかもしれませんけれど、こういったものを逃したままで住宅供給、都市開発をやるということで、新しい市街地と古い市街地が歴然とした差を持っていない。新しいところも非常に低劣混乱しています。
したがって、古いまちはこうでてあり、新しいまちはこうである。新しいまちに比べて古いまちはここが課題なんだから、ここを直そうではないか。あるいはその直し方も、古いまちは古いまちで、これまでの歴史があるのだから特別に考えようよという形にならないで、中途半端な基準を適用しながら、新しいまちをつくり、その中途半端な基準を、4メーター道路なんかがそうですけれど、古いまちに適用するというような中途半端な行き方をずるずると続けてきているという気がいたします。
そういう面ではまずい仕組みをだらだらと残していくのではなくて、そこを断ち切ることが都市計画のほうでも重要だし、住宅建設計画のほうでも、だれがどういうふうにつくったかわからない低水準住宅がたくさんあるということを少なくしていくことが重要ではないかと思っています。
あと連携の焦点は地区計画でという話が出ました。私も住宅マスタープランのお手伝いをしておりまして、住宅マスタープランは、住宅政策をまちづくりへ持って来ざるを得ないという動機になっているのではないかと思います。
大方先生からあいまいだとか、実現手法がなくて、どこかに行ってしまうというご指摘がありましたが、これを粘り強くやっていけば、それぞれが独自の地域性を持ちながらのまちづくりにつながり、これが必然的に両者の連携につながっていくのではないかということで期待しております。
都市マスのほうも今後どういうふうに展開するかということがありますけれども、その中で例えば拠点地区の地区計画が出たりしますが、居住という概念が飛んでしまって、基盤整備だけというようなことが多いわけです。居住という概念をその中に入れていくということで考えていくとすれば、それは都市計画と住宅政策との連携ということに必然的になっていくと思いました。
そういう面では、住田先生がかつて提案されて、きょうも出ましたけれど、住宅政策の空間化ということかもしれませんし、都市計画の中に居住計画を入れていくということになるのではないか。言い方は違いますけれど、その両方のアプローチが今後この連携を実質的なものにしていくのではないかと思っています。
最後に明後日の宣伝になり、繰り返しになりますが、「住環境整備の政策化」というテーマでPDを行います。きょうの協議会とは話し合いですみ分けをしまして、各論が都心と郊外ということになりました。インナーシティを抜いたのは、明日に配慮していただいたという気がいたしまして、恐縮しております。インナーシティないしは都心を中心にして、国と地方自治体が責任を持っていく。そういう方向性を模索する。すでにそういう動きがあるところも事例として挙がっています。そうした観点から、もう一度われわれの研究なり、実践を見直して、将来を展望するということで議論したいと思います。
大勢の方にご参加いただきたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。住宅政策と都市計画の連携、かなり幅広いテーマで、それぞれ拡散していかない仕掛けを用意したのですが、やはりある程度拡散してしまいました。拡散したそれぞれの部分で、今後似たような話し合いができていけばと思います。その一つの取り組みが明後日のシンポジウムだと思います。
司会の不手際で45分も延びてしまいました。長い間、ご清聴いただきまして、ありがとうございました。パネリストの方、どうもありがとうございました。(拍手)
*当日の録音を起こし、木内がHTML化したものです。
シンポジウムのページに戻る | 最終更新: 2000.07.25 |
メインページに戻る |