キャンパス・リビングラボラトリ小委員会
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第21回情報交流シンポジウム 『大学が支援する地域再生の現場』

 2017年8月30日に第21回シンポジウム『大学が支援する地域再生の現場』を宮島(広島県廿日市市)で開催した。 シンポジウムに先立って、宮島まちづくりと、古民家を改修した2大学のサテライトキャンパスを見学するツアーも開催された。
 大学の第三の使命として「地域連携」が位置付けられ全国で様々な実践が行われていることを踏まえ、地域の再生を支援するために大学がどのような役割を果たすべきなのかについて、 中国・四国地方での実践の事例をもとに幅広い議論が行われた。
 特に伊東建築塾の取り組みは大学そのものではないが、大学の地域との関わりを示唆する重要な事例として集中的に議論された。

第一部:見学会

シンポジウムに先立って、昭和初期築古民家:広島工業大学「宮島こもん」や江戸幕末期古民家:広島市立大学「サテライトハウス宮島」を中心とした街並み見学を行った。

案内:
塚本俊明(広島大学 産学・地域連携センター)
國本善平(広島市立大学 社会連携センター)
伊藤 雅(広島工業大学 工学部都市デザイン工学科)

flyer

見学会の様子


第二部:シンポジウム

開会挨拶・趣旨説明:小篠隆生(北海道大学・ワーキンググループ主査)
 大学のキャパス計画を中心に考えてきたこのグループは、1998年スタートした研究会に始まり、日本建築学会・都市計画委員会傘下の小委員会やワーキングとして活動してきた。 近年では、サステイナブル・キャンパス、地域再生と大学、アーバンデザインをテーマにする各WG活動を中心に進めてきた。
 私達が主催する情報交流シンポジウムは今回21回目を迎える。本日のテーマ「大学が支援する地域再生の現場」では、中国・四国地方の事例を参照しながら、大学あるいは大学に近い集合体による、 計画主導的な視点と、ボトムアップの参加型デザイン、その2つの視点の両立を念頭に議論していきたい。

話題提供「大学・地域連携の系譜」 塚本俊明(広島大学)
 1970年代以降の学園都市構想に関わり、その後、広島大学で地域連携を担当してきた立場から、大学・地域連携の系譜と本シンポジウムのテーマの背景について概説する。
 我が国においては、大学進学率が50%を超えて大学全入時代を迎える一方で、大都市圏への人口集中と地方における過疎化・高齢化が顕著になる中で大学に対する期待が大きく変化している。 その中で、1990年代後半以降、「地域」を研究活動や人材育成のフィールドとして捉え積極的に地域に関わる大学が現れた。当初は個人・研究室レベルの取組であったが、 国立大学の法人化などを契機として「大学の地域貢献」への取組みが進められた。
 その後、2000年代の後半になると、大学は都市・地域再生の担い手の一つとして位置づけられ、「都市再生プロジェクト」、「地域再生プロジェクト」、「域学連携による地域づくり活動支援」など大学の参画による 地域再生・活性化の取組みが注目され、これらの活動に関わる大学・地域の裾野が広がっていった。2013年度には、地域の担い手を育成することを目的とする「地(知)の拠点整備事業」(大学COC事業)が創設され、 2015年度には「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業」(COC+事業)へと制度が移行・拡充されている。
 一方で、大学と地域の関わりが進む中で「大学の人材育成と地域のまちづくりへの期待のミスマッチ」が生じることが懸念される。 (「連携疲れ」「COC公害」というキーワード)約20年の成果として、大学と地域との連携の裾野は広がったものの、改めて責任ある大学の地域への関わりとはいかなるものかという点が問われていると考えられる。 本シンポジウムで、大学・地域双方の視点からこの課題を考えてみたい。

シンポジウムの様子

シンポジウムの様子

「大学・地域連携の系譜」スライド

「大学・地域連携の系譜」
スライドより

講演1「美しい大三島を元気にするために」 伊東豊雄(建築家、伊東建築塾)
 伊東建築塾(以下、建築塾)の大三島での活動を紹介していく。
 建築塾では、東日本大震災後の復興の拠点となる「みんなの家」の建設をきっかけに、実践のフィールドとして大三島にも足を運ぶようになった。
 建築塾の中の「子ども建築塾」では、小学校高学年の児童20名程度を対象に一年を通して、建築やまち、環境について考える活動をしている。 また、会員公開講座では、まちづくりや地域経済の活性化、食や農業の循環などに取り組むゲストを招き、これからの地域づくりの可能性を探る講座としている。
 大三島での活動は、2011年に今治市が建築ミュージアムをつくってくれたことが契機となって、講座や活動に参加した塾生達と島に通い、島を元気にするための活動を、島の人たちと少しずつ信頼関係を築きながら始めたものである。 講座参加者は、当初は建築関係者が多かったが、今では、多彩な経歴の方々がいる。活動を通じて、塾生の中には何度も訪問し、移住する勢いの方も出てきている。
 大三島は、人口約6000人、その半数が65歳以上の高齢者であり、しまなみ海道が東側をかすめ、外周約40km。島の中央は400m級の山、大山祇神社があり「神の島」として知られ、沿岸部に人口数百名ずつの13集落が点在する。 宮浦港から神社に通じる参道は歩くスケールとしてとてもよいが、かなり鄙びた状況。産業からみると、漁業ではなく、ミカン農業の島である。
 ミュージアムは島の西側に立地しており、東京のシルバーハットを移設したものである。シルバーハットから臨む沈む夕日が美しく、ワークショップやコンサートができるスペースとなっている。 神社参道沿いの空き家を借り、2年間かけて修繕、「みんなの家」としての活用を始めた。昼間はカフェ、夜はバーとなる。島の人々の集うコミュニティスペースにしていきたい。 また、参道はミカンの木箱を活用してプラントボックスとして、花でいっぱいにしていく。その他、参道沿いで一番古い空き家は、塾生と神奈川大学 曽我部研究室の学生さん達が修復の活動をしている。
 これまでの活動で、島の人たちは、昔から住んでいるお年寄りはなかなか出てこないが、移住者で有機農業を展開している人たち等が参加してくれている。 空き家改修については、島内に数百軒の空き家があるが、修理したくてもなかなか貸したり回収させてくれたりしない。その辺りのハードルは、市がもう少し積極的に介入して欲しいという一面もある。
 海辺の元小学校の木造校舎を活用した、大三島ふるさと憩の家を改修し、設備のリニューアルや雨漏り・耐震補強、床貼り直し、校庭の「岩田健 母と子のニュージアム」と一体的な屋外のランドスケープ等の改修を、 地方創生の交付金を活用しながらおこなっている。ハーバード大の学生達とのスタジオでは、ここの庭のランドスケープをフィールドとしている。 しまなみ海道はサイクリスト20万人が通過していくが、彼らが立ち寄るようなところになっていくとよい。  また、ブドウ栽培、ワイナリーの充実と、美しい風景と共に美味しいワインや食事を楽しめるオーベルジュの設計を2020年目標に進めているところである。 さらに、ヤマハ発動機が開発したゴルフカートのような新たなモビリティを活用したトランスポーテーションやカーシェアリングの仕組みを考え、島内交通の可能性を広げる活動も進めている。
 これまでの活動を継続し、島の人たちと一緒にもう少し元気に、さらに移住してくれる人が増えていくとよいと思う。

「美しい大三島を元気にするために」スライドより (Photo : Ayumi Yoshino)

「美しい大三島を元気にするために」
スライドより
(Photo : Ayumi Yoshino)

講演2「学生発プロジェクトの拠点『興動館』と地域との相互作用」
   中山紘之(広島経済大学)

 興動館の運営を担当する事務職員の立場から、建物として、部局として、教育プログラムとしての興動館の紹介をしていく。 広島経済大学は明治40年を起源とし、5学科3000人規模の大学。教職員行動指針(H6)、“Be Student-oriented”(全ては学生のために)をモットーにしている。
 興動館教育プログラムの導入には、H16.4「新しい教育プログラムを考える会」の発足が契機となっている。H18年度からの人材育成目標は「ゼロから立ち上げる興動人」である。 興動人には人間力が要求されるとし、人間力を養うためのアクティブラーニングを積極的に取り入れていくこととなる。教育プログラムは科目とプロジェクトがあり、プロジェクトは学生自身が企画し大学が認可する。 単位認定はないが、大学は、予定している目的が達成されるよう予算や活動支援をおこなう。メンバー数や実績により入門から公認Aまで4段階、5万円から1000万円。今年度19件が走っており、 その分野は、経済活動、社会貢献、地域活性、国際交流、大学運営など多様である。興動館の建物はプロジェクトの活動拠点として活用されている。
 運営体制は理事・学長も委員となっている興動館運営委員会により教育企画及び改革・提案を即決可能とするしくみである。 学生は地域との関わりを通じて人間力や社会人基礎力を身に付ける活動であり、興動館は、地域とプロジェクトの創造性、実現性、公共性、協調性、互換性、発展性、主体性を発揮する場としての機能を担っている。 今後も継続・発展させていきたい。

「学生発プロジェクトの拠点『興動館』と地域との相互作用」スライドより

「学生発プロジェクトの拠点『興動館』と地域との相互作用」スライドより

講演3「岡山大学「アゴラ」と岡山市の都市づくり」
   石田尚昭(岡山市/岡山大学)

 岡山市都市整備局職員と岡山大学地域総合研究センター研究員の両方を経験している立場で西川緑道公園の事例から岡山大学「アゴラ」と岡山市の都市づくりを紹介する。
 岡山における以前の大学と行政の関わりの中で、市としては、どうすれば若者が巻き込めるかは長年の課題であった。地域からは、町会の高齢者の方は参加してくれるが、多くの若者に参加してもらうのは難しい。 大学生の参加はその点で重要である。
 西川緑道公園は、岡山市の中心市街地を貫く緑の回廊。元々は昭和40年代に水質汚濁が進みドブ川化していた西川用水路であり、S49(1974)年より公園整備が始まり、 その空間を活用してS61年からは西川フリーマーケット等の活動も始まったが、1999年に終了。その後は中心市街地の空洞化や人口減少が進み、駐車場ばかりの街になってしまう中、近年改めて、 西川緑道公園界隈の魅力を高め、街中に質の良い継続したにぎわい創出を目指し「西川魅力にぎわい創出事業」を開始。花・緑ハーモニーフェスタin西川、西川パフォーマー事業等を実施。 さらに、市民でもある若い多くの学生に参加してもらうため、大学・学生がまちに関わる仕組みをつくっていく。 具体的には、岡山大学に2011年、地域総合研究センター発足、2012年よりまちづくり調査開始、2014年、大学と市が「まちづくり協定」締結、西川緑道公園沿いにまちづくり・交流拠点としての「西川アゴラ」開設に至る。
 西川アゴラはS49築のビルを借りており、管理は岡山市スポーツ・文化振興財団が担う。 アゴラの運営のポイントは、学生がまちづくり調査に参加すること、学生の調査からサテライトキャンパスの必要性を明らかにすること、まちづくり情報を提供すること、まちづくりのホットテーマに飛び込むことの4つである。 今後は、地域総合研究センターの活動が学内で独立しがちなので、全学・全学科が関わり、応援してくれるようになるとよい。 現在、活動拠点の西川アゴラは高い稼働率であり、界隈で様々な活動が展開されている。今後は、公園を取り巻く社会状況もみながら、パークマネジメントからエリアマネジメントへの展開を図っている。
 これらの活動を通じて、時代と共に町が人のものになってきたと感じる。まちづくりは、市民・NPO等・大学・行政、それぞれの得意分野を知ってゆるやかにつないでいくことが重要だと考えている。

「岡山大学『アゴラ』と岡山市の都市づくり」スライドより

「岡山大学『アゴラ』と岡山市の都市づくり」スライドより

講演4 まちづくりの担い手育成プログラムの実践と展開
   -松山アーバンデザインセンター(UDCM)による公民連携のまちづくり-
   小野悠(愛媛大学 UDCM、防災情報研究センターUD研究部門)

 UDCMを運営する立場から、アーバンデザインセンター(UDC)を拠点として公民学連携によるまちづくり活動と主にそこでの人材育成について紹介する。 UDCは、2006年UDCK(柏の葉)開設後、現在は全国に15件、松山は8番目H26に開設した。各UDCの活用内容は様々であり、松山は独特であると思う。人口約50万人の松山市の場合、中心市街地の活性化が主目的のUDCとなっている。
 運営体制は、管理者である松山市都市再生協議会は、市と、民間:商工会・鉄道会社・まちづくり会社、大学:市内4大学+東大の計5大学、で構成される。 運営担当のUDCM組織として、センター長・副センター長・ディレクターは主に大学からのスタッフが務めている。現在は、都市計画分野、行政OB、土木景観分野、イベント運営担当、等。組織スタッフは2-3年で入れ替わる。 UDCMは、「創る」「学ぶ」「交わる」「知る」の4つの役割を持ち、「交わる:賑わい創出」の機能は主に「みんなの広場」と「もぶるテラス」を拠点として活動を展開する。
 「学ぶ:まちづくりの担い手育成」の中のアーバンデザインスクールは、学生から社会人まで幅広い世代が集い、参加者自らが柔軟な発想と方法でまちづくりを企画・実践する中でまちづくりの進め方を学ぶ学習プログラム。 アーバンデザインスクール生のカリキュラムは座学と実践があり地元4大学の教員が運営・サポートし市民・企業と交流しながら行政・まちなかのスクールアドバイザーのサポートを受ける。
 H27-28年度の1期生・2期生のプロジェクトは、「まちなか広場を活用した手づくりプール(空間デザイン×子ども)」「椿の香りを生かしたまちづくりプロジェクト(地域ブランド)」「路地裏映画館(空間デザイン×空き地)」 「空き家リノベーション(空間デザイン×空き家)」等がある。 今年度は3期生となる。今後、スクール生としての活動を通して、卒業生がUDCMの人材バンクとして登録され、様々な事業に参加し、地域のまちづくりの担い手となってくれることを期待している。

「まちづくりの担い手育成プログラムの実践と展開 -松山アーバンデザインセンター(UDCM)による公民連携のまちづくり-」講演スライドより

「まちづくりの担い手育成プログラムの実践と展開 -松山アーバンデザイン センター(UDCM)による公民連携のまちづくり-」講演スライドより

質疑・意見交換:モデレーター:小篠隆生(北海道大学)
小篠:伊東建築塾の活動は塾生が東京や大阪から週末ごとにやってきて自分たちで新たに展開していくようなイメージを持ったが、具体的に各活動はどのように動かしているのか。
伊東:そもそも塾を作ろうと思ったきっかけは、オフィスに毎年新しい人が入ってくるが従来のようなトレーシングペーパーで全体像をみながらやっていた時代と違い、近年の若い学生は画面の中の作業でコンセプトばかり語り建築の全体像が理解できてないのでは、と思ったのがスタートであった。初期は東北・津波被災地の「みんなの家」から始め、塾生に若いスタッフも混ざり「建築ってこうやってできていくんだ」という感動もあったと思う。近年の若い人は普段、おじいさんおばあさんとろくに話したこともないのかということもわかってきた。津波被災地の経験を経て、大三島できちっとやってみようというのがきっかけであった。東京ではビジネスマンだったり、設計事務所で働いていて、何かをやってみようという意欲のある人たちだったりが集まった。今年で6年目となるが、初期に参加した熱心な人たちがTAの立場になり、数名はコアスタッフになっていった。大三島の美しい風景の中で、ゆったりした時間を過ごし、こういう人生もあったのだなと感じているのだと思う。
小篠:地域側はこれらの活動に対してどうみているのか。
伊東:古くからの高齢の住民は新たな変化にネガティブな場合が多く、「変わらずこのままでいいんだ」派が多い印象を持つ。一方で移住者やUターン者等、現状に満たされない思いを持つ住民もいて、彼らが塾生と一緒になって活性化の動きに参加する。みんなの家ではカフェやバーを経営しており、島の若い人たちと付き合いながら輪が広がっていき、島の人たちに浸透していくイメージ。僕らは大企業と組んで何かをやりたいわけではなく、島の人たちと一緒に少しずつ何かをしていく。
小篠:本来、大学の(広い意味での大学的な)役割は、既存の価値観を超えたイノベーションを起こす役割を持っているはず。建築塾は大学ではないが、それに近い役割を果たしているのかもしれない。
伊東:そういう面は持っていると思う。また、島の人たちのためのボランティア精神だけで活動は継続できないと思う。東京がかつてほど魅力的ではなくなった近年、初期の塾生が大三島に移住し、島で廃校改修や農業のお手伝いをしながら、将来どんなライフスタイルがあり得るのかの期待・展開等、そういった側面も大きい。
津金(佐野学園 神田外語グループ):紹介いただいた活動等の予算はどのように確保されているのか。
伊東:廃校改修は、活動を始めてから、初めて市からお金がついた事例。1億2千万ほど。塾で受注した。その他、200十数人の全国の塾生が年に1万円の会費。塾生は2か月に1回講座に参加する権利がある。当初の塾生は年間20万円×20名であり、これを継続することも可能ではあるが、本当に島のことを一緒にやりたい人に来て欲しいという話になり、今は会費を取っていない。そのほか、関連企業数社から10~30万円、海外のクライアントから100万円オーダーの寄付が2~3件ある。あとは市から、1年に1度のミュージアムの展示替えに関して数百万、またシンポジウムやコンサート等に予算化してもらっている。  2011.3.11後、東北での活動は、これまでの通常の設計では得られない体験であり、何のために建築をつくっているのか、見直す機会であった。
橋本(広島国際大学):大三島の北側、竹原に住んでいるが、地域ごとの住民気質、地域のくせ、独自の特徴等を感じることが多い。活動を進めていく上で地元組織との関係も大事だと感じている。
伊東:島ごとに異なる気質の違いはいつも感じている。大三島は比較的おっとりしていて、あまり多くを喋らないタイプの人が多い。一方で、石切場があり漁師も多い隣の島は荒っぽいなど、気質に違いがある。大三島には13の集落があるが、立地の関係もあり相互の交流は少ないと感じる。
 神奈川大学 曽我部研究室が、ある集落のバス停に居場所をつくる活動をしているが、参加学生たちは月に1回、老人会の草取り等の地域の活動に参加してやっと信用を得るなど、入っていくのはなかなか大変である。僕らも何か島の人たちのためにつくっても、ありがとうと言われることはなく、毎回色々考えさせられている。
安森(宇都宮大学):大三島をフィールドとして、島全体をキャンパスのように活動されていると感じる。その上で建築家として地域づくり・人づくり的な活動において、フィジカルなデザインはどのように位置付けることができるのかお聞きしたい。
伊東:いわゆるモダニズム、近代思想に基づいた建築は、自然と関係を絶って人工環境をつくってきた。その結果、東京はつまらなくなってしまったと感じている。自然と人間を結んでいけるような建築とは何か、これは昔に戻るということではない。空き家の修復などをやりながら、今はできない昔の暮らし方がみえてくる。例えば、庇はなくプレーンでキューブで等、モダニズムの中で教育を受けてきて、でも実際の生活では、本来は庇の下に薪が置いてある必然性があり、もっと内部と外部を繋いだ方がよい等ということになる。21Cの建築を切り開いていく中で理想をみつけて、重ね合わせていきたいと思っている。また、今の若い建築家は、昔のように、一旗揚げてみたいな人は少なく、全体的に優しくなっている。地方都市で、空き家や古いビルのリノベーション等をおこなう人が増えてきていることにも現れていると思う。
小篠:最後に、話題提供者の皆さんから一言ずつ。
中山(広島経済大学):大学の役割は既存の価値観を超えることという点が印象に残った。大学職員としてまちづくりや学生育成に関して宿題をいただいたように思う。
石田(岡山大学):地域とつきあうのは時間がかかること。行政も大学の学生も短期間で人が変わってしまうという点をどうすればよいのか、難しいと思いつつ今後も地域と一緒にやっていこうと思う。
小野(愛媛大学):UDCの活動を日々模索する中で、本日の話題は重なるところも多く、今後も一緒に考えていきたい。

シンポジウムの様子

シンポジウムの様子

シンポジウムの様子


まとめ・閉会挨拶 吉岡聡司(大阪大、キャンパス・地域再生WG幹事)
 大学と地域の連携の流れを読み解くなかで「連携疲れ」といった問題意識が挙げられつつも、大学と地域が相乗効果をもって発展するための参加型・ボトムアップ型の取り組みや、 特に、学生や地域の人々と活動から実感を伴ってビジョンを共有し継続していくことの重要性が、議論を通じて確認されたと思われる。
 日本建築学会キャンパス・地域再生WGは、これまでのキャンパス計画や地域連携の研究成果に加えて、こうした点をさらに深く掘り下げていきたい。
(文責:斎尾直子・吉岡聡司)