CIB Commission W104 Open Building Implementation 第10回会議報告
2. N. J. Habrakenの論文
Change and the Distribution of Design
マンサールの設計によるパリのヴァンドーム広場(1699年)は,王の要請によりパリ市が広場とそれを囲む外壁を建設したものである。
壁の背後の土地が売却された後,貴族,銀行家などの富裕階級がそれぞれ建築家を雇って建物を建設した。
個々の建物は時間の経過と共に変化したが,ファサードの壁はマンサールが計画したときの状態で保たれている。
あるいみでファサードは都市のインフラの一部と言える。
この手法は,オープンビルディングの世界で「2段階の構造」と呼ばれるものである。
すなわち,ある設計者が空間的フレームワークを用意し,別の設計者がそれにもとづき自分の設計を行うものである。
「時間」に基づく(time-based)建物の例である。
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ヴァンドーム広場 |
17世紀初頭,アンリ4世により整備されたパリのヴォージュ広場は,広場を囲む土地を購入した者に,予めデザインされていたファサードデザインを守り,アーケードを設けることが求められた。
ファサードは個人が建設し,所有する。
上位のレベル(都市)の設計者が下位のレベル(建築)の設計者にルールを示す点がヴァンドーム広場と相違する。
この手法では,都市レベルの設計者に,下位のレベルの設計との境界を認識させることになる。
そして下位のレベルに秩序と多様性をもたらす。
ヴォージュ広場の場合のほうが,下位のレベルにより大きな自由度を与えることができるので,ヴァンドーム広場の例より,より高度な手法と言える。
都市レベルの設計者は,セットバック寸法,最高高さ,外壁仕上げ材料などを示して,秩序ある公共空間をつくっている。
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ヴォージュ広場 |
18世紀の英国,バースのクレセントは,モニュメンタルな共有のファサードの背後に,一軒ごとに違う住宅が配置されている。
時が経つにつれ,個々の住宅は増築され,模様替えも進行したが,ファサードは不変であった。
ヴァンドーム広場と同じく,都市のスクリーンの背後に多様な建物が存在している。
これらの事例は,投機的目的のため建設されたものである。
ベルラーヘのアムステルダム拡張計画は,アーバンデザインにおけるレベルの区別を考えた最後の例と言える。
一方,エストレンの戦後のアムステルダム拡張計画は,CIAMの理論にもとづき自由に流れる空間に建物を配置しており,
都市デザイナーと建築家が同じレベルで仕事を行っているため,両者の仕事の境界が不明確になっている。
モダニズムには建築を複数のレベルとして捉えておらず,複雑な都市構造を単純なひとつのレベルのものとして捉えがちである。
つまり大きなものを単調な繰り返しとして扱っている。
ダイナミックに変化し,個性を重んじると称する現代において,人類史上かつてないほど,レベルの分化に硬直的で,時間の感覚に乏しいとは皮肉である。
「形態は機能に従う」というモダニストのドグマを否定する。
時間を意識した建築において,機能は予測不可能なものである。
もはや建築は機能に従うことはできないのだから,変化のコンテクストとして,また居住者による多様性として捉えなおすことが必要である。
このことは形の形成におけるレベルの分化に繋がる。同時に設計における責任の分担にも繋がる。
商業ビルでは仕上げが施されていない空間を,別の設計者,専門の施工会社が担当する分業作業が行われている。
今や商業施設,業務施設,居住施設を問わず,レベルの区分は,日々の暮らしの変化に対応するために必要である。
時間の観念にもとづく建築はもはや現実のものである。
しかし,建築家がその目指す真意を理解しない限り,時間の観念にもとづく建築は羽ばたかないであろう。
1. 会議概要へ
2. N. J. ハブラーケンの論文
3. 基調講演(ルシアン・クロール,フランス・ファン・デル・ヴェルフ)へ
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