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インタビュー(様々な活動している方をご紹介していきます)
大村虔一さん
大村さんは、日本にはじめて「冒険遊び場」という場所と活動を紹介し、それを各地に広めつつ発展させ続けている方です。

東京にある「羽根木プレイパーク」は大村さんたちが作った日本で初めての冒険遊び場です。
今回は冒険遊び場をはじめとする「都市と子どもの環境」についていろいろとお話をお伺いしました。
大村 虔一
(おおむらけいいち)

19??年 仙台市生まれ/東京大学大学院修了/1996年より東北大学大学院教授/作品に「東京オペラシティ」「幕張ベイタウンパティオス」ほか/羽根木プレイパーク実行委員会初代会長、日本建築学会東北支部長
−大村さんが子どもの遊び場づくりに関わるようになったきっかけは何ですか?
・自分の子どもが生まれたことが一番のきっかけですね。それまではそれほど関心があったわけではなかったのですが、子どもが生まれてからまわりの環境が気になりはじめました。

・その時は東京に住んでいたのですが、僕自身は仙台の緑の豊かな地域で育ったから、そういう環境が身近にないところでどういう風に子どもを育てていこうか悩みはじめたのです。

−冒険遊び場と出会われたのはその時ですか?
・僕は都市計画の研究をしていて、その時は大学の助手をしていましたから、海外の文献を読む機会が多かったのです。その中にアレン卿夫人の「都市の遊び場」というヨーロッパで実践されていた冒険遊び場についての本もありました。

・ヨーロッパではもう高層住宅を作るのは止めて子どもの環境を保証しようという動きがあるというのに、日本ではこれからどんどん高層住宅を建てていこうとしている時期だった。こういう本こそ今の日本に紹介したいと思い、高校の英語の先生をしていた家内と一緒に翻訳をはじめました。

・ところが翻訳をはじめてみると時々家内と意見が合わないことがありました。僕は実際にヨーロッパの事例を見たことがあるから本の内容もだいだいイメージできるけれども、家内の方は英語こそ上手いけれど見たことのないものを文字だけを頼りに訳しているわけですから、当然認識の違いが出てくる。それじゃあということで、その本に紹介されている場所を実際に二人で見に行くことにしました。

−ヨーロッパの子どもの遊び場を視察されたのですね。
・1ヶ月かけてヨーロッパをまわり、遊び場の写真を撮ってきました。帰国して、せっかくだからとご近所の方や子どもの幼稚園の先生や小学校のともだちの親御さんにそのスライドを見てもらいました。

・期せずしてそのスライドを一緒に見た人たちの中から、こんなすばらしい取り組みがあるのなら私たちも日本でやってみたい、という声が出てきたのです。

−それで始められたのですか?
・そう簡単には行きません。それからメンバーを集めたり、空き地を探して借りる交渉をしたり、など実行するまでに時間がかかりました。そして最初の冒険遊び場は、子どもたちの夏休み期間の3ヶ月だけ区から土地を借りて、というものでした。小さい子どもを持つ若いお母さん方や近くの東京農業大学の学生さんたちが随分運営を手伝ってくれました。

・それが好評で次の年も夏休みの3ヶ月間だけ、また冒険遊び場を開くことができました。3年目は区の児童センターの建設予定地を建設が始まるまでの1年5ヶ月の間使用しても良いことになり、そこで冒険遊び場を開きました。

−ずっと期間限定の遊び場だったのですか?
・3年目は期間が長かったのでみんな愛着がわいていて、約束の時が来る頃には「このままずっとここで遊び場を続けたい」という人と「約束は約束だから仕方ないけど終わりにしよう」という人に意見が分かれました。結局は約束通り終わりにしたのですが、そのころから行政の方でも子どもの遊び場に対する考え方に変化が現れてきたようです。

・僕が子どもの頃は戦後の混乱期で、空き地はあったけれども公園のように整備された遊び場はなくて、でも子どもたちは何もないところでも自分たちで工夫していろいろな遊びをしていたのです。ところがこの冒険遊び場に来ている人たちは、子どもはもちろん若い親たちだってそういう空き地で遊んだことがない、木にも登ったことがないという人たちが近くからも遠くからもわざわざ集まってきているのです。そういう現実を見せつけられて、これはなんとかしないといけない、と焦る気持ちが少しずつ出てきました。

−まず何に取り組まれたのですか?
・はじめは学校との協力を考えました。今で言う総合教育のような形で展開できればと。先生方と個人的にお話をすると皆さん良い方で僕たちの考えをわかってくださる。でも学校は忙しいし公的な責任も大きいから、先生個人としては賛成でも組織としての学校が地域と共同で何かやるなんてことは当時は相当難しかった。

−そこで地域に入られた・・・?
・都市のデザインを仕事でやっていましたから、地域には道路のような「ハードのインフラ」とコミュニティという「ソフトのインフラ」があるだろうと感じていましたし、直感的に「地域」がキーワードになって、コミュニティのネットワークが頼りになるのではと思いました。

・でもその頃は僕も若くて仕事も忙しいから自分の住んでいる地域のことすらよく分かっていませんでした。町内会のメンバーにはなっていて会費は払っているけれども、付き合いはないから行事にも出ないし、近所にどんな人が住んでいるのかさえ知らない。逆に古くからその地域に住んでいる人たちは独自のネットワークを持っていて、地域に協力的ではない僕たちのことを胡散臭く思っている。ところがその独自のネットワークのおかげで僕は「あいつは遊び場づくりというものをやっているらしい」と地域に知られることとなったのです。

・一度入り込んでしまえばネットワークは次々広がっていきます。駅前の床屋さんに行けばそこで話し掛けられる、行き帰りに会った人と立ち話になる、そのまま飲みに行くこともある。それまでは駅と自宅とお店がただの点でしかなかったのに、線でつながることによって地域という面を作っていく。そういう楽しい経験をして、やっと地域の力というものがわかってきました。

・それまではわずらわしいと思っていた地域の中での関わりが、子どものためと思っていろいろと活動していくうちに、人とのつながりが見えてきた。人が生きていく時にはまわりと助け合うことが必要なんだと実感できたのです。

−そこから遊び場づくりにはどのように発展していったのですか?
・それまでの日本の都市づくりは市民の意見を聞いて話し合ってまとめるということをあまりやってこなかった。だけどいろいろな人から意見を聞いて、それぞれの思いを遂げつつ社会全体が良くなっていく、これからはそういうまちづくりをしないといけないだろうと思いました。例えばドイツでは自分の家を建てる時でも好き勝手には作るのではなく地区ごとの決まりを守ってつくる。それは自分にとって窮屈なことかもしれないけれど他の人もそれを守れば、地域全体としての環境は良好に保たれる。日本の都市もそうあるべきだと思いました。遊び場づくりはその一環です。

−いろいろな人の意見を聞いてそれを調整して冒険遊び場を作ったということでしょうか?
・一人の親にとって「子どもを育てる」というのはほんの一時期のことに過ぎません。子どもはすぐに大きくなっていって親の悩みも遊び場から進学のこと、異性のこと、就職のことなど次々変化していきます。遊び場の環境で悩むのはわずか数年なのです。けれども子どもが小さくて親の方でも子育てに慣れていない、そういう無防備で不安な時期だからこそ助け合いが必要なのです。

・そして、一人の親の子育てが終わっても社会全体で見れば子育てはずっと続いているわけですから、誰かの子育ての努力や知恵は社会全体で蓄積されて受け継がれていかなければならないのですが、そのシステムがなかった。個別の短期の計画ではなく、都市全体のストックとして必要なことだと思いました。

−その考え方が恒久的な冒険遊び場づくりにも活かされたわけですね。
・知恵の受け渡しのためのシステムとそれを支える行政のバックアップがしっかりしていれば、あとはそこに参加するメンバーが変わっても、その時その時に関わっている人が考えてやっていけば良いようなしくみをつくりました。実際の冒険遊び場の方は子どもたちやお父さんお母さん、プレイリーダーと呼ばれる若いスタッフや行政の人がみんなで作り上げたものです。

・子どもたちは自分で作った遊び場ですからそれはそれは大切にしまして、ある時台風が来て子どもたちが作った小屋が飛ばされそうだからとスタッフに連絡して見に行ってもらったところ、そこには既に子どもたちが来ていて自分たちの小屋が飛ばされないように修繕していたというのです。その話を聞いた時は涙が出ました。

−子どもたちにとって本当に自分たちの遊び場だったのですね。
・大人にやれと言われたからやれることではありません。自分たちで作ったという想いが子どもたちを動かしたのです。最近の子どもは遊ばなくなったといわれて久しいですが、本当に面白いことには子どもたちは黙っていても飛び込んでいくものです。そういう魅力ある遊び場が都市には必要なのではないでしょうか。

−今後の活動予定についてお聞かせください。
・最近は仙台で毎年夏に冒険遊び場づくりを行っています。それにはいろいろな人が関わっていていろいろな活動がおこっています。もともと児童館での学校外の活動として動き出したものなのですが、児童館を中心とする地域に対するアプローチとして様々な成果を上げつつあります。今年(2001年)は西公園というところで開催する予定です。

−最後にこのホームページを見ている方にメッセージをお願いします。
・こういう活動は外から見ているより輪の中に入って一緒に踊る方が楽しいのです。輪の中にいることが一番面白い。総合学習、環境学習、創造性育成など子どもに関するプロジェクトにはいろいろありますが、視点は少しずつ違っても目指している方向は変わらないと思います。遠くから眺めていないで直接触ってみてください!小さなことで良いですから是非具体的な実践を始めてみてください!そしてその経験を次の世代につなげていってください。それが都市の財産になるのです。いろいろと理屈を考えるよりも実際に関わった方が絶対に面白いですよ!

−ありがとうございました。
インタビュアーより
大村さんは、難しいことを誰にでもわかるようにお話してくださり、みんなの意見を聞いてそれをみんなが納得いくようにまとめるということにおいてはまさに天才的な方です。どんなに難しい話し合いも大村さんに話を聞いてもらうと、最後にはみんな納得してにこにこ顔になってしまうから不思議です。自分の経験を次の人に渡していく、遊び場づくりに限らず生活の中で是非実践したいことだと思いました。皆さん、踊らにゃソン、ソンです。一緒に輪に入って踊りませんか?

(インタビュアー:田代久美 2001年6月22日、東北大学大学院 都市デザイン学講座教授室にて)