はじめに
残響時間は,逆二乗積分によって得られる減衰曲線(いわゆるシュレーダー曲線)の傾きから算出されるが,この曲線が直線的に減衰しない場合がある。その原因は主に,音場が非拡散である,もしくは暗騒音(バックグラウンドノイズ)が大きく十分な減衰過程が確保できない,などがある。本コラムでは,後者の問題に対して,ISO 3382-1:2009 の 5.3.3 項に記載された,暗騒音の影響を減じる方法を紹介する。
残響時間を読み誤ってしまう要因の一つは『暗騒音』
ベンチマーク問題B11のインパルス応答は,残響時間が 1.5 秒程度になるように人工的に加工した応答に,暗騒音を仮定したホワイトノイズを付加したものである。
ベンチマーク問題B11のインパルス応答を図1に示す。残響時間はオクターブ帯域ごとに求めるが,ここでは例として500 Hz帯域を取りあげ話を進めていこう。500 Hz帯域にフィルタリングしたインパルス応答を図2に示す。また,500 Hz帯域のインパルス応答を逆二乗積分して求めた残響減衰曲線を図3に示す。
図1: ベンチマーク問題B11のインパルス応答
図2: ベンチマーク問題B11のインパルス応答(500 Hz帯域)
図3: ベンチマーク問題B11の残響減衰曲線(500 Hz帯域)
(青線:残響減衰曲線,緑線:回帰区間の減衰曲線,赤線:回帰した直線)
図3をみると,
T30の回帰区間の下限 -35 dBに至る前に,減衰曲線の傾きが緩やかになっている。この湾曲の原因は暗騒音である。
T30を求めるための回帰直線(赤線)は減衰部分にフィットしておらず,これでは正確な残響時間が読めない。
信号と暗騒音のレベル比の確認
T30を求めるためには,暗騒音レベルに対する信号レベルが45dB以上確保されていることと,ISO3382-1で推奨されている。これは,
T30の回帰区間の下端値,-35 dB付近のデータにおいて,信号より暗騒音が10 dB以上小さければ,暗騒音の影響はほぼないとみなせることを意味している。
信号と暗騒音のレベル比(以下,SN比と呼ぶ)が十分であるかは,インパルス応答の音圧値を二乗したエネルギーの次元の波形を描くとよい。例として図4に 500 Hz帯域の二乗エネルギー波形を示す(黒線)。
これを見ると,SN比は 40 dB程度しか確保できいないため,
T30回帰区間の下端値,-35 dB付近では暗騒音の影響が懸念される。このように,回帰区間の下端値より暗騒音レベルが 10 dB以上小さい状況を確保できない場合は,
T20など,直線的な減衰が確保できる回帰区間で残響時間を読む,もしくは,暗騒音の影響を除去するなどの対策を講じる必要がある。またこれらは対策はいわゆる対症療法であるから,暗騒音レベルが非常に大きい場合は,もちろん対策を講じても適切に残響時間が読めない。
図4: ベンチマーク問題B11の二乗応答波形(500 Hz帯域,黒線)と,t1を求める直線(赤線)
回帰区間を変更する方法
ここでは,回帰区間の変更して残響時間を読み取ることを試みる。
図3を見ると-25dBまではほぼ直線的に減衰している。そこで,回帰区間を -5 dBから -25 dBとして回帰直線を描いた。その結果を図5に示す。
これをみると,直線部分を回帰出来ていることから,
T20によって,ほぼ適切な残響時間を読めることが期待される。ただし,回帰区間を小さくすると,回帰に用いるデータ数が少なくなるため,ちょっとした値のゆらぎが回帰直線の傾きに大きく影響を与えることに注意しよう。
T20の結果を図6に示す。考察は後述の方法の結果と共に述べる。
図5: ベンチマーク問題B11の残響減衰曲線(500 Hz帯域)
(青線:残響減衰曲線,緑線:回帰区間の減衰曲線,赤線:-5dBから-25dBの区間で回帰した直線)
暗騒音の影響を除去する方法
この問題は,インパルス応答の信号に対して,時系列後半にある暗騒音部分のエネルギを積分していることに起因する。そこで,以下に示す暗騒音補正を行えば,適切な残響時間を算出できることが期待される。
はじめに,インパルス応答の信号と暗騒音のエネルギがほぼ同じになる時間
t1を求める。
t1は,オクターブ帯域ごとに分けたインパルス応答の二乗エネルギー波形を描き,暗騒音部分を通る水平線とインパルス応答前半部の減衰部分を通る直線との交点の時刻とする(図4参照)。
次に,残響曲線を式(1)により計算する。
(1)
ここで
C は,
t1以降の暗騒音を補正する定数項である。インパルス応答のエネルギが
t1以降も直線的に減衰すると仮定し,その二乗和を
C としたときに,最も正しい残響時間が得られる。
C の算出方法は,ISO3382-1の5.3.3項および文献[1]に記されている。
C を推定して残響減衰曲線を描いた結果を図7に示す。
図6: 式(1)によって求めた残響減衰曲線(500Hz帯域)
(青線:残響減衰曲線,緑線:回帰区間の減衰曲線,赤線:回帰した直線)
図6をみると,回帰区間の -5 dBから -35 dBまでほぼ直線的になり,適切に残響時間(
T30)を読み取れていることがわかる。
全区間を積分して求めた
T30と,式(1)を利用して求めた
T30と,回帰区間を -5 dBから -25 dBとして求めた
T20を図7に示す。
図7: 残響時間周波数特性
(黒線:インパルス応答全てを積分した残響減衰曲線から求めたT30,
赤線:時刻t1まで積分した残響曲線から求めたT30,青線:T20)
これをみると,全区間を積分した残響減衰曲線から求めた
T30は約 3.2 秒,
t1まで積分した残響減衰曲線から求めた
T30は約 1.5 秒と,2 倍以上の差が生じている。このように減衰の直線部分を回帰しないと,黒線のように残響時間を大きく読み誤ってしまう。
また,暗騒音による残響減衰曲線の湾曲は,時刻
t1以前の信号部分のエネルギーと,
t1以降の暗騒音部分のエネルギーとの比率に影響を受ける。すなわち,二乗エネルギーを描いてSN比が十分確保されていることを確認しても,暗騒音部分の継続時間が非常に長い場合は,減衰の初期から湾曲が生じてしまうことがあるので注意が必要だ。
対策
暗騒音の影響を減じて残響時間を読み取るために,以下の対策を講じるべきである。
- オクターブ帯域ごとに二乗エネルギー応答を描き,回帰区間の下端値(T30であれば -35dB)より暗騒音レベルが 10 dB以上小さいか確認する
- オクターブ帯域ごとに積分区間の上限t1を求め,これを利用して残響減衰曲線を描く
- オクターブ帯域ごとに残響減衰曲線と回帰直線を描き,直線部分を回帰しているか確認する
- 上記2項目を対策してもT30を読むことが困難な場合は,T20を読むなど,回帰区間を変更して残響時間を読むことを試みる
おわりに
図1は一見すると,暗騒音の影響などはなさそうに見えなくもない。しっかりとオクターブ帯域ごとに残響減衰曲線を描き,直線部分に回帰出来ているか確認することを忘れないようにしよう。
参考文献
[1] A. Lundeby, T. E. Vigran, H. Bietz, and M. Vorländer. “Uncertainties of Measurements in Room Acoustics.”, Acoustica, Vol.81. 1995.